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池野くるめ
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【小説】異世界最強の魔法使いエルフは紙おむつが手放せません!? 第二話 おおエルフよ、漏らしてしまうとは何事だ! 

 俺の窮地を救ってくれたエルフの魔法使い、ピノ。彼女が言うには、今俺が通ってきたこの洞窟は「封印の洞窟」と呼ばれるダンジョンとのことだ。危ない魔物が出てくるからと厳重に守られているはずなのに、どうして俺は何も感じることもなく出てこられたのだろう?傘は剣に変わってしまうし、魔物には襲われるし……。先程から不思議なことが起こりすぎて思考回路がマヒしかかっている。  スライムの打撃の痛みに苦しむ俺を横目に、ピノは腰に下げられた青い小瓶の一つを手に取った。大きさは栄養ドリンクの瓶くらいで、それが複数個吊られている。どうやら小さな水筒のようだ。彼女は瓶の蓋を開け、中身を飲み始めた。 「ねえ、今のそれ、何飲んでるの?」  俺がピノに聞きたいことは山ほどあるのだが、最初に出てきた質問はこれだった。 「これは魔力回復薬、エーテルよ。あなたも飲んだことくらいあるでしょ?」  無い。俺の住んでいた世界でエーテルといえば、例えばアルコールやカルボン酸と同じように、化学物質の名前である。そして、一般的には飲むためのものでは無く、むしろ有毒であったと記憶している。  彼女は一瓶めのエーテルを飲み干すと、続いて二瓶めを飲み始めた。自分を助ける前にどの程度魔法を使っていたのかは定かではないが、何か魔法を使ったらエーテルを飲んで魔力を回復するのが、彼女のルーティンになっているようだ。 「オッケー、魔力回復したから。ちょっと動かないで」  そう言いながら、ピノは長い杖の先端を自分へ向けた。一体何をする気なのだろうか……? 「精霊よ、我に癒やしの力を与え給え、ヒーリング!」  杖の先端から緑色の光が放たれる。するとどうだろう、じんじんと痛んでいた俺の背中と脇腹から、たちまち痛みが引いていく。これが回復魔法っていうやつか! 「じゃあ、とりあえず街まで移動するから」  そう言うと彼女は、今度は空へ杖を向け詠唱を始めた。 「精霊よ、我に空を渡る力を与え給え!スイング!」  するとどうだろう、ピノの杖が今度は青色に輝き出し、俺達二人の身体が独りでにふわりと浮き上がった。  次の瞬間、地面がものすごい勢いで遠ざかっていく。 (これが、飛行魔法か……!)  飛行速度が速いのか、それとも自分の想像ほど遠くは無かったのか、先程丘から見えていた街があっという間に近づいてくる。  街は、川沿いの丘に沿って形作られており、丘の麓を一周する分厚い石壁の内部に、沢山の家や教会が建てられている。丘の頂上にはさらに石壁と塔で厳重に守られた城が見える。  高度がゆっくりと下がっていき、俺達は丘のふもと、街に入るための門に続く橋の上に降り立った。街を出入りする人は今の自分と似たような格好をしている。沢山の人と馬車が道を行き交っているが、誰一人として空から降りてくる俺達の事を見ても驚く様子は見せなかった。この世界では、魔法で空中を移動することはそれほど珍しいことでは無いようだ。 「ホントは家まで直接飛べたら早いんだけどね。街全体に結界が張ってあるから、ちゃんと門から入るしかないのよ。あなた、通行証は持ってるわよね?」  杖を下ろしたピノは、ローブの中から手帳のような物を取り出した。街への出入りに必要な身分証なのだろうが、当然俺はそんなものは持っていない。 「ごめん、持ってない…」 「え?!じゃあどうやって街から出てあそこまで行ったのよ?」  どうやらかなり重要な物のようだが、持っていないものは持っていないし、俺は正直に答えることにした。 「それは…信じてもらえないとは思うんだけど、俺は別の世界からこの世界に迷い込んだんだ。 元の世界で洞窟を歩いていたら、あの洞窟から出てきてしまったから、戻ろうとしてただけなんだ。そしたら結界があって…」  ピノは怪訝そうな、同時に戸惑った表情をしている。まあ当然だろう、もし逆の立場で言われたら、俺も同じ反応をするはずだ。 「だから通行証も持ってないし、お金も無い。手持ちの剣だって、元々はただの雨傘だったのが、あの洞窟を抜けたら剣に変わっていたんだ」  正直この話が信じてもらえず、このまま街の外に放置されてはスライムにボコボコにされる未来しか考えられないので、いまや自分の生死の行方はピノの返答にかかっていると言っても良かった。  少し考える表情を見せたピノから発せられた言葉で、俺は安堵した。 「ふーん……まだ完全には信じられないけど、とりあえず分かった。ひとまずあなたは、私が別の街から連れてきた魔法使いの弟子っていうことで許可証を貰うわ。ここに置いていっても、あんなヘボな剣の腕に魔法も使えないんじゃ、明日の朝まで生き残れないでしょうし……」  納得してくれたのは何よりのことだが、その理由が俺のあまりにも無様な戦い方のお陰だというのだから素直には喜べない。それはさておき、俺達は街へ入るために門へと続く行列の最後尾に加わった。  列には大体数十人くらいが並んでいるが、これがなかなか進まない。門の中でどのような審査があるかここからは伺いしれないが、街への出入りはかなり厳しく制限されているようだ。もしかしたら、人に擬態する魔物もいるのかもしれない。  俺の前に立つピノもそわそわと落ち着かない様子だ。辺りをキョロキョロ見回している。素性のわからぬ俺を連れているのだから当然だろうが、端から見ていると余計に不審に見えてしまう。  時計もスマホもないので、正確にどの程度経ったのかは分からないが、体感で一時間ほど経ったあたりで俺達の順番になった。  「次の者」  俺達は鎖かたびらに鉄兜、槍で武装した門の衛兵に無愛想に呼ばれた。  門の下へ進むとそこには窓口があり、入場の手続きを行うようになっていた。 「通行証をお願いいたします。魔法使いのピノ様といえどもこれだけは規則ですので……」 「わかってるわ、はいこれ」  ピノが通行証を出す。衛兵は無愛想だったが、窓口の男は礼儀正しい。それよりも、このピノというエルフの魔法使いは、門番にも名前を覚えられているあたり、かなりの知名度と腕前を持っているようだ。 「ところで、そちらのお連れの方はどなたですか?」  俺がビビっている間にピノが答える。 「こっちは隣の国から連れてきた私の弟子、ケンよ。申し訳ないけどまだ通行証を持っていないの」 「しばしお待ちください」  そう言うと男は詰所から何か書類を持ってきた。 「通常は街への通行証発行には身分証明の提出をお願いするのですが、ピノ様のお弟子様ということでしたら」  先程ピノが出したのと同じデザインをした手帳のような通行証と、受領証と見られる羊皮紙が俺の前に置かれた。 「こちらの通行証と用紙に名前の記入をお願いいたします」  紙を見て驚いた、文字が日本語だ。  しかし今更そんな細かいことを気にしてはいけない、ここは異世界なのだ。むしろ文字も言葉も母国語で大変便利というように考えておこう。  多分大丈夫だろうとカタカナでケンと記入した後、少し離れた欄にピノがサインした。よく見ていなかったが、恐らく保証人か何か、そういう欄に名前を書いたのだろう。 ******    こうして、俺は晴れて街へ入ることが出きたのだが、門を抜け街の中へ一歩踏み入れると、そこはまさに俺がこれまで幾度となく想像していたファンタジー世界の街そのものだった。白く漆喰で塗られた壁に木の骨組みの建物が立ち並んでおり、建物の窓枠や扉にはそれぞれ凝った彫刻や模様が施されている。鍛冶屋や魔法使いの店、古書店など、様々な店が営業しており、宝石や魔法の薬品、冒険のための武器が並んでいる。まだ空は明るく、太陽が街を照らしているが、夜になれば幻想的な灯りで彩られ、宿屋や酒場からは笑い声や音楽が聞こえてきそうな雰囲気だ。  そんな中、さっきから俺の前を歩くピノの様子が明らかにおかしい。いや、正確に言えば橋の上で待っている時から落ち着かない様子をしていたが、ここに来て分かりやすく内股をギュッと押さえつけている。時々子鹿のようにふるふると震える仕草をしているが、それを俺に悟られないように意識しているようだ。 (これ…トイレ我慢してるな…)  俺でなくたって分かる。明らかにもう溢れてしまいそうなレベルの尿意を耐えている。こんなによたよたとした足取りで、果たして家まで持つのだろうか。魔法の杖が介護用の杖に見えてくる。 「ピノの家ってさ…ここから近いの? というか、大丈夫?」 「馬鹿!大丈夫に決まってるでしょ!家なら、次の通りを左に入ったちょっと先よ…!」  強がってはいるが尿意に負けそうになっているのが丸わかりだ。さっきは頼もしい姉のように見えたのに、今は年下の妹に見えてしまうからなんとも不思議である。  ピノの家は、彼女の言う通り、大通りを曲がってすぐのところにあった。この街に多く立ち並んでいる建物とよく似た白い壁に骨組みの家だ。  ピノは家のドアを開けるやいなや、自らが持っている杖を俺に押し付けた。 「やばいやばいやばい!」  そう言って駆け出し、恐らく家のどこかにあるであろうトイレへと走っていったのだが、その直後、どすんと大きな音がした。  杖を押し付けられ、半開きになったドアの俺で立ち尽くしていた俺は、恐る恐る部屋の中を覗いた。するとそこには、床の段差で躓いて転んだピノの姿があった。どうやら先程の音は、トイレのドアが閉まる音ではなく転んだ時の音だったようだ。そして彼女の腰の辺りには大きな水たまり。  ピノがこちらに気づく。顔は真っ赤で目には涙が溜まっている。 「その、これは、違くてっ!」  何か必死に言い訳をしているが、俺はまだ何も言っていない。しかし、じっとりと濡れた彼女の下半身、そして水たまりを見ればこの数秒のうちに何が起こったか一目瞭然だ。残念ながらトイレには間に合わなかったらしい。おおエルフよ、漏らしてしまうとは何事だ!  その時、二階から誰かが降りてくるのが分かった。同居人だろうか? 「ピノー、もっと静かに入れないの?」  階段から降りてきたのは俺よりも少し背の高い女性だった。元の世界の俺から見れば少し年下だが、今の俺から見れば少し年上に見える。耳が長くないので、恐らく人間だろう。 「あら、あなたは? 初めて見るわね」 「すいません、俺はケンです。色々あってピノさんと一緒に来ました」  ひとまず無難に返答しておく。 「ピノが弟子を取るなんて聞いてなかったけど……?まあいいわ。はじめまして、ケン。私はベル、ピノの同居人で研究者よ」  優しくて品のある声だ。性格も穏やかそうで助かった。 「それでピノ、あなた『また』失敗したの? エーテルを飲む量には気をつけなさいっていつも言ってるわよね?」 「ご、ごめんなさい……。でも……」  さっきスライムを倒した時に放った魔法の威力からは考えられない情けなさだ。妹を通り越し、トイレトレーニング中に失敗してしまった幼児のようにすら見えてきた。 「でも、じゃないの!まずはお風呂に入ってきなさい」 「う、うん……」  少なくともこの家の中において、ピノの同居人のベルという人物は、ピノよりもはるかに強いようだ。しょげ返ったピノは半べそをかきながら、その同居人に促されて建物の奥へ消えていった。  俺は改めてベルに家へ迎え入れられ、ピノが風呂場から戻って来るのを待つことになった。  ピノの盛大な「失敗」に気を取られていたが、彼女らが住む家のリビングはダイニングテーブルがいくつも置けそうなくらい広々としているし、外から見た建物の印象よりも天井が高い。バーのようなカウンターもあり、バーであれば沢山の蒸留酒が置かれるはずの壁沿いの棚には、何らかの薬品が入っている色とりどりのガラス瓶や、乾燥した植物、動物の骨のような何かといった、恐らくは魔法に使うであろう品々が置かれている。この内装をそっくりのまま元の世界へ持ち帰り、レストランかコンセプトカフェにでもすれば、さぞや人気が出ることだろう。 「ベルさんは研究者とおっしゃっていましたが、何について研究しているのですか?」  俺がそう訊ねると、ベルは今しがたピノが失敗してしまった場所へ目をやりながら答えた。 「ピノの『あれ』は一番の弱点なのよ。あんなに強い魔法を撃てる魔法使いは大陸中探したってそうはいないんだけど、彼女、貯めておける魔力がそこまで多くないの。特に、強い魔法を連続で使うとすぐに魔力切れになってしまうから、頻繁にエーテルを飲む必要があるのよ。私はそのエーテルについて研究しているわ」 「あぁ、それで腰から沢山の小瓶をぶら下げてたんですね!」 「その通り。でもそれが問題でね、あの薬は飲むだけで効率よく魔力を回復できるのだけど……」 「だけど……?」 「利尿作用がめちゃくちゃ高いのよ、あれ」  俺はだんだん納得してきた。俺を助けたあとに飲んだ二瓶のエーテル、そしてあの待ち時間。ピノの体格から考えて、それほど容量の大きくなさそうな膀胱にじわりじわりと溜まっていくおしっこ。俺のせいで恥ずかしい思いをさせてしまったような気がして、なんだか申し訳なくなってきた。 「それに摂取した魔力のうち一部は体内に取り込まれずに、そのまま排出されてしまうし、魔力を含んだ排泄物は魔物をおびき寄せるわ」  どんな表情をしていいか分からずにいると、部屋の奥からピノが戻ってきた。濡れた服は洗濯しているのだろうか、今はペールトーンの青いバスローブのような部屋着を着ている。 「あーーもうベル!恥ずかしいからあんまりベラベラしゃべらないでよ!」 「あら、お風呂から盗み聞きしてたの?」 「エルフは耳が良いの、聴いたんじゃなくて聴こえたの! 分かったわ、全部話すからケン、あなたも全部話すのよ!」   ******  その後、俺は今日一日で起こった不可解な出来事について、ピノと会う前、つまり自分が別の世界から来たところから順を追って彼女ら二人に説明した。  そして、ピノからは日が暮れるまでダンジョンと、その探索について講義を受けた。  まずピノいわく、この世界にははるか昔に作られた塔や神殿、地下施設が数多くあり、その中には貴重な財宝や技術が残されているため、皆こぞってダンジョン探索をしているとのことだ。そして俺を襲ったスライムを始めとする魔物は、特にダンジョン内で多く見られるそうだ。それらは、世界のどこかにいる大魔王が世界征服のために生み出していると言われているが、詳細はよく分かっていないらしい。これまでに魔物について分かっていることは、人を襲うこと、魔力に引き寄せられること、そして物理攻撃には強く魔法攻撃には弱い傾向にあることだ。そのため、魔物と戦う時は魔法を中心にすることが多く、剣士や格闘家といった物理攻撃に重きを置く者ですらある程度の魔法は使えるそうだ。  次に、ダンジョン探索においては強い魔物との戦闘よりも、排泄物の管理が問題になることが多いそうだ。まず第一に、ダンジョン内にトイレなど無い。正確に言えば、古代の神殿などトイレがあるダンジョンもあるが、水は流れず、汲み取る者もおらず、もはやトイレとしての機能は有していない。また、いつ魔物と遭遇するか分からないダンジョンの片隅で用を足すのは危険な上、魔力を含んだ排泄物に魔物がおびき寄せられてしまうため、ダンジョンから同じルートを通って帰還する際に大きな障害となってしまう。  そのため、ダンジョン内で排泄するためには、まずは仲間に見張りをしてもらい、その間に瓶か何かの容器に出すという。当然それは全て地上まで持ち帰らねばならない。  ダンジョン探索のパーティ編成にも常に排泄物管理の問題が付き纏い、例えば百人でダンジョン探索するとなった場合は、その生理現象の始末をどうするかが最大の懸念点となる。そのため探索の際は二人から四人まででパーティを組むことが多いそうだ。  その後、昔ピノがまだ初心者の魔法使いだったころの「失敗」も話してくれた。  その頃の彼女は、まだ魔力消費と補給のペースを理解出来ておらず、ダンジョン内で後先考えず魔法を使っていた。そして、魔力回復のために大量のエーテルを飲んでしまった結果、すぐに尿意が高まり、瓶に我慢を開放することになった。やがて手持ちの瓶が満タンになってしまったため、ひたすらおしっこを我慢せざるを得なくなったが、恥ずかしさからその事を言い出せなかった。もう限界が近いというタイミングでようやく仲間にその事を伝えるも、運悪く魔物の群れに遭遇してしまい、我慢しきれず漏らしてしまった。  それにおびき寄せられた魔物の退治に魔法を使うため、より沢山のエーテルを飲まざるを得なくなり、その高い利尿作用のせいで、またすぐに我慢の限界が来てしまう……。  このループを繰り返した結果、まずは手持ちのエーテルが無くなり、次に体内の魔力が無くなり、最後にはもはや魔物を引き寄せるためのアイテムと化したおしっこでぐっしょりの自身の装備品と、限界ギリギリまで圧迫された自身の膀胱だけが残ってしまった。その状態で尿意に耐えきれず、とどめと言わんばかりに再びおもらしをしてしまった結果、四方八方から有象無象の魔物に襲い掛かられ、身体にわずかに残った体力や魔力も余す事なく魔物たちに吸い取られ、もはやこれまでと思ったところを間一髪で逃げ切ったという。  これがトラウマとなり、向かうところ敵なしの最強魔法使いになった今でも、おもらしへの恐怖からダンジョン探索ができずにいるという。  この話から分かったことは、ダンジョン内でいかに「漏らさない」かと、排泄する場合でも「ダンジョン内への排泄物の漏れ出しを最小限に抑える」かがダンジョン探索成功の鍵だということだ。  もちろん、この問題に対処するため、この世界の住人も多くの対策を講じてきた。その一つが、エーテルと対を成すとも言われる体力回復薬「ポーション」の発明である。この薬はエーテルと同様液体で、飲むだけで食事を摂取したのと同等の熱量と栄養を摂取できる優れものだ。ダンジョン探索の数日前からポーションのみを摂取しておくことで、ダンジョン探索中の便の排出量をほとんどゼロにすることが出来る。これは今では多くの冒険者が取り入れている基礎的な探索準備だという。  残るはおしっこの問題だけだが、これがなかなか厄介で、まずは魔法で尿意を弱める方法が研究されたが、未だ成功した者は現れていない。おしっこを貯めておく瓶も、より軽くて大容量のものが作られたが、様々な工夫を凝らしても耐久性に難があり、瓶自体に防御魔法をかけてなんとか誤魔化することが多いそうだ。  また、赤ん坊用のおむつを応用しようという研究も当然行われた。しかしこの世界には高吸水性ポリマーも化学繊維も無いし、布製のおむつを何十枚もダンジョンへ持っていくのは現実的では無かった。しかも、ビニール袋も無い中、汚れたおむつを持ち帰らねばならないため、結局これも解決策とはならなかった。  ゲームで遊んでいる時には全く気にしていなかったが、こうして聞いてみると何気なく消費していたアイテム一つ一つやパーティの人数にもきちんと理由があるのだと俺はすっかり感心してしまった。  それと同時に、俺が性癖のために履いている「紙おむつ」。これこそ、まさにこの世界で求められている物ではないか! 何しろこの下着、半日分のおしっこを漏らさず吸収できる上に、圧力をかけても染み出すことはなく、持ち帰る時も丸めてテープで留めるだけだ。そして、これは俺個人的に極めて大事なポイントだが、柄まで可愛いときた。これをどうにかして元の世界から持ち込めば、ダンジョン探索の大問題が解決できるはずだし、俺は伝説の勇者にすらなれるかもしれない。  やはり一度元の世界に戻らねばならない、俺は決意を新たにした。しかし時間的な猶予は少なく、もしこの世界と元の世界で時間が連動しているのだとしたら、明日の夜までに二つの世界を行き来する方法を探し出さねばならない。明後日は月曜日、出勤日なのだ。 ****** 「それで、元の世界に帰る方法は見つかりそうなの?」  ピノがスプーンでマッシュポテトをすくいながら俺に訊ねた。 「いやあ全然。正直、来た時の洞窟に入る以外にいいアイデアなんて思いつかないよ」  俺は肉の塊をフォークでつつきながら答える。肉汁たっぷりで塩が効いており、なかなか美味い。  今、俺達は三人で夕食を取っている。ダンジョンの話をしていたらすっかり夜になってしまったので、ベルが食事を用意してくれたのだ。 「そうそう、さっき話しそこねたんだけど、実は研究の過程であなたのように別の世界から来た人の話を聞いたことがあるわ。神話や伝説といった類のものだと思っていたから、まさかそんな人が本当にいるなんて信じていなかったのだけど」  ベルはパンをちぎって口に入れながらそう言った。 「私も、そういう伝承みたいなものは聞いたことはあったわ。橋の上で聞いた時はまだ半信半疑だったけど、さっきの話からすると本当に別の世界から迷い込んだのね」  ピノもやっと俺の事を信じてくれたようだ。やはり丁寧な説明は何より大事だ。この点は異世界も公務員も同じである。 「ねぇベルさん、何かもっとわかることある?」  研究者だけあってベルは博識だ、何かもっとヒントになる知見があるかもしれない。 「あはは、ベル、でいいわよ。そうねぇ、その時の文献だと確か、眠っている時に天啓を得て、特別な力を手に入れた……みたいな事が書いてあったのだけど、研究とは直接関係がないところだったし、あまり正確に覚えていないの、ごめんね」  今の俺にはそれで十分だ。眠る、これが一つのキーワードのようだ。眠るということは夜用? おねしょパンツ? いや、それは考えすぎだろう。しかし、もしかしたら眠ると元の世界に戻る方法が分かるのかもしれない。 「謝ることないよ、むしろ感謝したいくらいだ! それで、大変申し訳ないのだけど……」 「大丈夫、空きの寝室があるから自由に使っていいわよ」  ピノは物わかりが良くて助かる。ありがたく使わせていただこう。  食事を終え、案内された空きの寝室は二階にあった。電気が無いがどのように明かりを確保すれば良いのだろうと思ったが、ピノが何事か詠唱すると部屋が明るくなった。どうやら天井にガラス玉が備え付けられており、魔法で光らせることができるようだ。  寝室は簡素だが清潔で、居心地が良さそうだった。六畳ほどの部屋に木組みの一人用のベッド、簡単な机椅子と衣装棚が設えられている。俺一人が寝泊まりするには十分な空間だった。 「寝間着ならベルが昔着てたやつでよければ、そこの棚に入っているから適当に着ていいわよ。じゃあ、後はごゆっくり」  そう言うと、ピノは部屋から出ていった。  部屋の中に俺一人になった瞬間、ひどく疲労していることを知覚した。無理もない、まさに青天の霹靂のような一日を過ごしたのだから。  俺は服を着替えることもなく、ましてやさっきピノが入ったであろうこの家の風呂に入るという発想に至ることもなく、そのままベッドに倒れ込み、すぐに眠りに落ちてしまった。 ******  ふわふわと空中を浮いている不思議な感覚だ。いつもはそうと気づかないのに、今日はこれが夢の中であると認識できる。 「ケン……聞こえますか……?」  誰かに話しかけられている。耳というより、声が心に直接届けられている。女性の声だ。 「私は全知全能の神。良いですか、人の子ケンよ。私の気まぐれであなたの強い願い、しかと聞き入れました。この世界のあなたは、剣術も魔術も並の腕前ですが、一つだけ特別な能力を授けました」  特別な能力、それってもしかして。 「そう、あなたは好きな時に元の世界に戻れるし、元の世界から『それ』だけはこちらの世界へ持ち込めます。元の世界に戻りたい時には『全知全能の神よ、我を時空を超えた世界へいざなえ、リーンカーネイト』と詠唱するのです。そうすれば、あなたはそれぞれの世界に入る直前にいた場所へ戻ることができます。ただしダンジョンの中や魔物と戦っている時、その呪文は使えないので気をつけるのですよ……」  ああそれと…、と姿の見えぬ女神様は付け足した。 「あなたが出てきた洞窟、なぜ抜けられたのか不思議でしたよね?あれは洞窟を抜けてきたのではなく、洞窟から出る瞬間にこちらの世界へ飛んできたからです。洞窟を抜けていきなり街中ですと、混乱すると思ってたので……私のささやかな気づかいなのですよ、一応……」  そうだったのか。なんだか神々しさがだんだん薄れて来ているのに笑ってしまいそうになったが、とにかく俺は結界を破って出てきたわけでは無かったようだ。気づかってくれた結果、スライムにやられそうになったことはこの際考えないことにした。 「さあ、もうすぐ朝です。今教えた呪文を一度唱えてみると良いでしょう」  そこで夢は途切れ、俺は再び眠りの世界に落ちた。  そしてまだ日が昇る前、空が漆黒から群青色へ変わる頃に俺は目覚めた。部屋の明かりはいつの間にか消えており、外から差し込む僅かな光で天井が見える。  俺はベッドから身体を起こす。大丈夫だ、さっき見た夢の内容はしっかりと覚えている。  寝室の真ん中に立ち、深呼吸をした。祈るように手を組み、ピノやベルを起こさないよう小声で、しかしはっきりと詠唱する。 「全知全能の神よ、我を時空を超えた世界へいざなえ、リーンカーネイト」  次の瞬間、自分の足元に魔法陣が現れた。そして、たった今まで淀んでいた部屋の空気が白く輝き始める。自分を中心にぐるぐると回るその魔法陣には、今まで見たことも無い文字が刻まれていて、魔法陣からは風が吹き上がり、俺の髪を天井へ逆立てている。そして、ちょうどこの世界に入ってきたときと同じように、自分の視界が眩く白くなる。  余りの眩しさに、俺は思わず目を閉じた。 ******  木々のざわめきが聞こえ、身体に冬の冷たい風を感じる。ゆっくりと目を開けると、そこは見覚えのある木立の中だった。太陽はまだ高く、柔らかな光が辺りを照らしている。 (本当に、帰って……来られた……?)  俺はまだ自分が元の世界に帰ってきたことを信じきれなかった。思わず手を握ったり開けたりする。大丈夫だ、身体は動く。服も異世界に行く前と同じだ。足元には洞窟に入る時に伸ばした折り畳み傘が転がっている。 (そうだ、今の時間は……!?)  ポケットからスマホを出してスイッチを押した。即座に指紋が認証され、ホーム画面にアプリのアイコンと日時が映し出される。今は土曜日の午後だ。そう、俺が神社で参拝したあと、洞窟に入った頃の時間だ。  もしかしたら異世界からまた別の、元の世界に似た異世界に迷い込んでしまったかもしれないと思い、俺は慎重に歩みを進めた。万が一スライムに襲われてもすぐに対応できるように。  神社を出て、駅の方へ歩く。すれ違う人々の耳はみな短く、俺のよく見慣れた服装をしている。上を見上げると、空には飛行機が飛び、俺のすぐ横を軽自動車が通っていった。何もかもが俺の知っている世界だ。  間違いない、俺はあのファンタジーの世界から元の世界に戻ってこられたのだ。しかも向こうの世界でどれだけ時間が経っても、こちらの世界の時間は止まっているようだ。まるでセーブポイントで冒険を記録し、そのままゲーム機の電源を落としたみたいに。  となると、今から行く場所はもうあそこしか無い。俺は覚悟を決めて力強くその一步を踏み出した。  目的地はそう、薬局だ。 〜第三話へ続く〜


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