描きこみの話
Added 2018-10-16 08:32:09 +0000 UTC血豆の下から血豆が出てきた(挨拶) 左手中指なんですがね、ボルダリングの話です、ニリツです。 隙を見つけては近所のジムに登りにいっております。先日、一月挑戦しつづけた課題をようやく落とせて一人興奮しておりました。楽しいですよ。 さて、本日は描きこみについての話。近頃考えている事をつらつらとになります。話の内容自体矛盾を持っているので、ちょっとまとまりがない文章になるかと思いますがなんとか読んでいただけたら。 この仕事をそれなりの期間続けて、ゆっくりゆっくりですが画力も底上げしていくと、ついつい描きこみ過ぎてしまう事があります。描きこみとはつまり、細かい描写や緻密な塗り等、ある意味より現実に近づける、写実によせるという行為です。女の子のバッグのファスナーのギザギザを正確に全部描きこんだり、髪の毛の一本一本までこだわって沢山線を引いたり。そういった方向性です。 描きこむとその部分に絵としての説得力が出ますし、見た人の感嘆を引き出す事もできます。しかし時として描きこむ行為自体が面白くなってしまい、それに没頭してしまいます。そうなってしまうと、見る人のためにではなく自分のために描きこむようになってしまい、いわゆる自己満足に陥る危険性をはらんでおります。 自分が新しい技術を身につけたり、以前より一層の描写能力を手に入れたらついつい行使してしまいたくなるものですが、それはイラストレーターとしては気を付けなければいけないなあとよく思うのです。自分の絵の方向性が細密画であったり、リアルな描写に特化した絵柄であるならば問題ないと思うのですが、当然ですが萌え絵は写真とは違います。現実に無い物を描き出す所に魅力があります。しかし!現実に無い物だからこそ、そこにリアリティを入れ込む事で見た人に二次元を体感させて、より一層の没入と魅力を感じさせるというのも大切なテクニックです、このバランスが非常に難しい。しかもそのバランスは、一人が描いた絵でもその一枚一枚で最適な配分が変わったりします。 最近描いた中では、線画と下塗りができた段階で「これは影を塗ると今より悪い絵になる」と直感したものが何枚かあり、かといって塗らないで商品として提出するのも難しく、また新しい仕上げ方を模索しなければならなかったりという体験がありました。別に昔からそういう事が多かった訳じゃなくて、最近とみにそういうのがあるんですよね。なんでしょう、目が変わったのかな? 自分のために描く絵であれば、好きなだけ追及して好きなだけ描写しても問題ないのですが、我々イラストレーターは商品として絵を描いて、人に見て貰って、楽しんでもらうのが仕事です。自分の満足のために描く、それだけでは多分クオリティが低いと言わざるを得ないでしょう。個人の感覚としては、中道を意識したまま高い所に登って行く、という感じでしょうか。 とは言え、描きこみまくった絵というのもそれは圧倒的なパワーを持っていて、それによって人を楽しませる事ができるので、もちろんそっちでも正義でございます。どの道を行くかはそれぞれ。 音楽、楽器の演奏の話ですが、ベロシティというのが大切とされています。ベロシティとはざっくり音の強弱、ベロシティが数値が低ければ音が小さく、高ければ音が大きいです。プロの演奏においては、この振れ幅の大きさが肝要とされていて、より大きい音はその落差でより小さい音を引き立て、より小さい音も同じように落差で大きい音を際立たせます。つまり表現の幅にも直結します。 絵においても同じような事があります。色相の幅、明度の幅、彩度の幅などです。それと並んで一枚の中での描きこみの幅、即ち粗密が非常に大切な要素になります。それにより表現の幅を広げる事ができます。ですので、より密な描写を可能にするために技術の習得は大切で、その密な描写を活かすために絵の中に粗もきちんと作ってあげる、これが肝要かなと思っております。 絵を描くごとに自身の画力や技術は変化し、それを毎度違うバランスで成立させていく必要があります。それは絵のサイズやRGB,CMYKによっても変わりますしね。そこを追及していく事を考えると、萌えイラストもなかなか奥が深く、楽しい物だなあと今になっても思います。常に今の自分の画力を冷静に見ながら、粗にも密にも偏る事なく、見た人が楽しめるラインを模索していかなければならないなと痛感しております。 所で、ボルダリングを続けていて、身体や登り方にも変化があって前とは違う筋肉痛や痛みがあったりします。これもまた今の自分をきちんと見据えながらずっと調整していかなければいけないんでしょうね。何事もそうなのかもしれません。 今回はこんな所で。 何か要望があったらコメントに書き込んでおいてください。 それではまた、ニリツでした。