SS 俺いも 五更瑠璃 猫と犬
「ルリ姉って、以前は黒猫って呼ばれてたじゃん」
「呼ばれていたっていうか、私が中学時代に使っていたハンドルネームね」
11月のある日の高坂家のバスルーム。
瑠璃と日向は入浴しながらかつてのことを語らっていた。
「何で黒猫だったの?」
「…………そうねえ。何故黒猫と名乗り出したのか、正確なことは憶えていないのだけど。順番なら分かるわ」
「順番?」
「中学生になって黒いゴスロリを着る様になって。格闘ゲームの大会で優勝して、ブラックキャットと呼ばれる様になって。その後で黒猫と自称する様になったわ」
「つまり、他人様の呼称を取り入れたと……ブラックキャットって何さ?」
「漫画、アニメのキャラね」
瑠璃はため息を吐き出した。
「今はルリ姉って黒猫って言わないし、呼ばれないよね」
「そうねえ。人妻となった私はもう自称しないし、黒猫という呼び名を使うのは沙織ぐらいのものね。黒猫は中学生時代の特別な呼称となったわね」
「まさに中二病の産物だね♪」
ニヤッと笑ってみせる日向に対して瑠璃は非難の視線を浴びた。
「実際、今のルリ姉って猫っぽくないからね」
「そう、かしら?」
瑠璃が首を捻ると、自覚がないのかと言わんばかりに日向は肩をすくめてみせた。
「旦那さまである京介くんやその家族の為に朝から晩まで甲斐甲斐しく働く。その姿は猫じゃなくて犬、だよね♪」
「誰が犬よっ! 失礼だわね」
犬と言われて瑠璃は膨れた。
「私は自分のやるべきことを、自主的に手抜かりなく真摯に行っているだけよ」
「その発想自体が社畜というか……忠犬って感じだよ」
瑠璃のゆるぎない真っ直ぐな視線に日向は苦笑してみせた。
「それにさ。ルリ姉は夜になると京介くんをえっちに、そして野獣じみて誘うじゃない。その姿はまさにメス犬って感じがするよね」
「誰がメス犬よ」
瑠璃は再び膨れてみせた。
「小学生が姉夫婦の情事を盗み見るものではないわ」
「盗み見ているんじゃなくて、扉を開けて見せ付けてるんじゃん……」
日向は高坂家に泊まる際の日常を思い出していた。
姉夫婦の寝室の扉は鍵が掛けられていない。それどころか軽く開いているのがデフォルト。寝室の中では、姉が乱れている様を隠そうともせずに晒している。小学生には刺激が強すぎるが、何度も見ている内に慣れてしまった。
「ルリ姉はもう黒猫じゃなくて妻犬を名乗ったら?」
「私らしさがどこにもないじゃない。却下よ」
瑠璃は日向の提案を一考することなく却下してみせた。
「黒猫と呼ばれることはなくなったけれど。今では、京介をはじめとして多くの人が瑠璃と名前で呼んでくれるわ。私は今、それで幸せなのよ」
瑠璃は小さく、けれど幸せを滲み出させて微笑んでみせた。
「…………まあ、そうだよね。今のルリ姉はぼっちじゃないもんね」
日向は頷いてみせた。
中学時代、瑠璃がコンタクトするのは家族、それも忙しい両親ではなく幼い妹たちばかりだった。世間を敵視し、他の人間と接することはほとんどなかった。黒猫という呼び名もほぼ自称でしかなかった。
けれど、今は違う。みなが高坂瑠璃という人妻少女と向き合って接してくる。高坂、瑠璃は彼女を示す特別な名称となっていた。
黒猫という呼び名はほとんど使われなくなり、本名で呼ばれることが格段に増えた。
それは良いことなのだと日向も納得してみせたのだった。