「今日は11月23日。いい兄さんの日よ、兄さん」
「今日は勤労感謝の日、だろうが……」
11月23日勤労感謝の日。大学受験用の全国模試を終えて帰宅した京介はリビングのソファでだらしなく寝転んで疲れた体を癒していた。そこに妻の瑠璃が話し掛けてきた。京介は愛妻の登場の仕方にトラブル臭を感じ取っていた。
「今日はいい兄さんの日よ」
「繰り返したな。それで?」
続けたくはなかったが、会話のトスを放るしかなかった。
瑠璃に勝てないことは重々承知していた。
「兄さんには現在4人の妹がいるわけだけど」
「…………その内の1人は妹ではなくて妻なんだがな」
京介は牽制も兼ねてツッコミを入れた。だが、妻は少しも揺らいだりはしなかった。
「兄さんが一番最初に妹の代用品にしようとした女だもの。妹扱いで十分だわ」
「自分に対してよくそんな微妙な表現ができるな」
「だって事実だもの、ね、兄さん♡」
瑠璃は意地悪く笑ってみせた。
「兄さんには4人の妹がいるわけだけど。どの妹が一番なのかしら?」
今度は爽やかな笑いだった。だが、その爽やかな問いかけに対して京介は呆れと苦渋の表情を浮かべていた。
「……妹に序列をつけるとか兄の風上にもおけない所業だぞ」
京介は一般的な道徳でとりあえず誤魔化そうとした。だが、瑠璃が引く筈もなかった。
「重度のシスコンで私を呆れさせた男が妹道徳を語らないで頂戴」
「ならば……」
京介は起き上がって、顔のイケメン戦闘力を最大限に引き上げた。そして両手を横に広げながら熱く語ってみせた。
「お前たちが、俺の妹だっ!!」
秘技早乙女アルトの二股掛け宣言。
真のイケメンにしか許されない大技を京介は繰り出してみせた。だが──
「早乙女アルトはテレビアニメでは二股掛けて終わったけれど、劇場版ではシェリルを選んだじゃないの」
真のイケメンではない京介が使っても、相手の怒りと呆れを産むだけだった。
ちなみに『のうりん』の畑耕作が同じ技を使った時には、木下林檎と中沢農に渾身の力で殴り飛ばされていた。
「さあ、兄さん。貴方の一番の妹を一人だけ選びなさいっ!」
瑠璃は夫を指差して迫った。
そして夫にしてみれば、それは一つしか解答が存在しない問いでしかなかった。
「…………じゃあ、瑠璃で」
嫁以外に応える選択肢なんて存在しなかった。京介は冷や汗を流しながら唯一の正答と思われる答えを明かしてみせた。
「…………妹を妻に娶るなんて。兄さんは正真正銘のシスコン、変態よね♡」
瑠璃は満面の笑みを浮かべてみせた。
口は悪いが、正解を引き当てたことに京介はちょっと安心した。だが、これがまだ本題前であることは話題の振り方から分かっていた。
「ええと……瑠璃がナンバーワン妹だということが分かって良かったな」
京介は最後の足搔きとして話を打ち切ろうとした。だが、通用する筈もなかった。
「今日はいい兄さんの日よ」
「……らしいな」
「兄さんはどんないい兄さんぶりで私を魅了してくれるのかしら?」
「そう、来たか……」
京介にとってみれば難問を振られた形になった。
問いはふわっとしていて、唯一の正答の様な物が見えて来ない。ナンバーワン妹の様な分かり易い答えはない。
そして、京介にとっていい兄とは何か、良いアイディアがなかった。京介は3歳の時から桐乃の兄だった。物心ついた時には兄であることが当たり前だった。当たり前すぎてあまり深く考える必要がなかった。
妹が困っている時には全力で助ける。そんな指針は持って実行に移してきたが、今瑠璃は危機を迎えていない。妹が危機の時以外は干渉しないを胸に掲げていたので、積極的な意味でのいい兄が何なのかまるで思い浮かばなかった。
「…………いい兄とは、単独で成し遂げられるものではないんだ」
髪を掻き揚げて格好付けながらイケメンボイスで語り掛ける。何を喋り掛けるかまだ決めていない。会話しながら方針を決めるしかない。桐乃の人生相談を解決する際にその場の思い付きで何度も修羅場を潜り抜けてきた京介の実績に基づいた行き当たりばったりだった。
「どういうこと?」
瑠璃が話に乗ってきた。
この機会を逃す手はない。京介はお兄ちゃんパワーを全開にして脳内に瞬間的に思い浮かんだことをそれっぽく語ってみせた。
「いい兄とはいい妹でセットになっている存在なんだ」
「駄目な兄としっかり者の妹という組み合わせなら貴方の好きなラブコメ漫画に幾らでも出てくるパターンでしょ」
「それは、妹のキャラを引き立たせる為の男性読者向けの戦術だ。真のいい兄とは、いい妹と互いをリスペクトしながら高め合う存在でなければならないんだっ!」
京介はイケメンボイスで熱弁してみせた。それっぽく語っているだけで特に深く考えていない。強いて言うなら、抽象的な問いに対して瑠璃も考える側に巻き込ませる。それだけだった。だが、元々が理屈屋である瑠璃には効果が大きかった。
「そうね。いい兄といい妹はペア。貴方の言う通りだと思うわ」
瑠璃は深く頷いてみせた。
殊勝な態度の妻を見て好機と見た夫は一気に畳み掛けた。
「それでは瑠璃よ。いい妹とは一体何だと思う?」
質問を逆に重ね返した。
いい兄とは何か尋ねられて、いい妹とは何か逆に尋ね返す。
質問返しは一般的には嫌われる。だが、急場をしのぐには都合が良かった。
「そうねえ……姉であり続けた私には妹とは何なのかよく分からない部分があるのだけど」
瑠璃は一度目を瞑って少しの間考え込んでから再び目を開いてみせた。
「見た目が麗しいとか、才能に秀でているとか、性格が良いとか世間一般的な評価基準は様々にあると思うけれど……私がよく見てきた兄と妹の関係は少し違うわね」
瑠璃の頭に思い浮かんだのは目の前の夫とその妹だった。
桐乃の長所と短所なら瑠璃は幾らでも挙げられた。桐乃は読モで学業は優秀でスポーツでは県記録を持ち、創作を行えば書籍化、アニメ化までされたマルチアーティスト。一方で重度のオタクで18禁妹ゲームをこの上なく愛し、兄や瑠璃たちには口も態度も悪い。まさに漫画から出てきたヒロイン像の様な少女であると瑠璃は考えている。
けれど、瑠璃は桐乃に惹かれていた。オタクっ娘集まれのオフ会の後で関係を持ち続けたのは桐乃と沙織だけだった。桐乃のスペックに惹かれたわけではない。もっと言えば、桐乃単体に惹かれたわけでもなかった。京介と桐乃。2人の関係性にこそ瑠璃は強い興味と好感を抱いたのだった。
「何だかんだ言っても最後には兄を尊敬し頼りにしている。それがいい妹の条件だと私は思うわ」
瑠璃は桐乃のことを羨ましく思っていた昔のことを思い出していた。桐乃の京介への態度は普段はお世辞にも良いとは言えない。リスペクトはどこにも見られない。だが、兄と妹は深いところで繋がっている。妹は兄を頼りにしている。兄もそれが分かっていて妹の為にいざという時は頑張る。そんな2人の関係性が見ていて羨ましかった。
「なら、瑠璃は良い妹だな。なんたって、俺のことを一番信頼してくれているんだからな」
京介はドヤ顔を浮かべながら親指を立ててみせた。
「…………確かにそれはそうね。貴方に対して盲目過ぎて結婚してしまったぐらいなのだから」
瑠璃はクスッと笑ってみせたのだった。