SS 俺いも 五更瑠璃 夏コミ 個人誌
「夏コミでは久しぶりに個人誌を出そうと思うの。サークル登録は当然済ませてあるわ」
コミケを1週間後に控えた夏のある日のこと。
JK人妻高坂瑠璃(旧姓:五更)は夫である京介に向かって夏コミ参加について打ち明けた。
「ゲーム販売の方は沙織や桐乃たちに任せれば大丈夫だろうが……」
京介は言葉を濁した。
高校生夫婦の2人は沙織が立ち上げたゲーム会社で雇われて18禁ゲームを作っている。瑠璃はイラスト担当、シナリオは桐乃、京介は雑用全般で、沙織は統括。他にもゲーム研究部の面々が補佐役で参加しており、同人ゲームとはいえ本格的な体制での制作だった。
現在まで販売されているタイトルは、シナリオ担当の桐乃の売れ線主張に従って女学生監禁凌辱モノが多い。
だが、売り上げはそれなり以上でも毎回JC監禁凌辱モノばかり出していたのではいずれはユーザーに飽きられてしまう。沙織たちは、シナリオを重視した恋愛シミュレーション18禁ゲーム開発に取り組んでいる。この夏コミでは従来通りのJC凌辱モノの新タイトルを発売すると共に、恋愛シミュレーションゲームの試作版を安価で提供しユーザーたちの反応を探ることになっていた。
「もちろん、沙織には許可を取っているわ。開場中は手伝うことが困難だけど、開始前のブースのレイアウトなどは私が担当する」
「沙織のブースの方は人が余ってるぐらいだからな。大丈夫だろうけど……」
ゲーム開発に携わっている者の中でサークル参加チケットを欲している者は少なくない。瑠璃や京介が抜けても戦力不足には決してならない。
「瑠璃の個人誌ということは……赤字、決定だろうなあ」
京介が懸念の正体を口にしたことで瑠璃は膨れてみせた。
「まだ内容を見てもいないのに赤字決定とは。随分な物言いだわね」
「いや、そうは言われても……瑠璃の個人誌と聞かされてはなあ」
京介は再び口を濁した。
瑠璃は沙織のゲーム会社で絵描きとしては雇われているが、シナリオライターとしては参加していない。瑠璃の紡ぐ世界がどうしても一般受けからは遠いからだった。
瑠璃の文章表現能力は決して低くない。人気はあるが文法が日本語になっていないと評される桐乃よりもよほど高い。けれど、創作になると中二病的な気質がいまでも抜けず、彼女が描く世界は読む者を困惑させる。訳が分からず、しかもやたら重いことだけは伝わって来てしまう。
「京介のその反応は予想済みよ……だから、今回は小説ではなく漫画にしたの」
瑠璃は軽くため息を吐いた。
小説同人誌の最大の問題点。それは、ページ数が漫画に比べてどうしても増えてしまう分だけ印刷コストが嵩み易い点にあった。
日本の多くの者たちは、雑誌や文庫本に慣れ過ぎてしまっており、分厚い本でも安いことが当たり前だと思い込んでいる節がある。
ところが同人誌の印刷の場合には事情が異なる。ページが増えると印刷費が加速度的に跳ね上がってしまう。ラノベ文庫本の様に200ページの本など刷ろうものなら、本1冊の単価は市販の文庫本の数倍に膨れ上がってしまう。
その一方で同人誌の小説本は売ることが難しいとされている。薄い漫画本に比べ、厚い小説本は印刷費が遥かに高いのに売れない。同じ売れないにしても赤字額が大きくなってしまう。京介が瑠璃の同人誌に抱いていた懸念の核心だった。
そして瑠璃は京介が抱くであろう懸念を先読みしていた。
「赤字は出さない。その為の漫画本よ」
高校生夫婦であり、京介の実家暮らしで何とかやりくりしている瑠璃たちには金銭的な余裕はない。特に家計を管理している瑠璃にとっては、小説同人誌の印刷で収支のマイナスが増える展開は京介以上に何としても避けたかった。
だからこそ、中学時代に何度も印刷して全く売れないことを繰り返した小説本ではなく、不慣れではあるが作画能力には自信がある漫画本を選んだのだった。
「漫画本かあ……どんな内容なんだ?」
京介は瑠璃の薄い本に肯定的な興味を示した。瑠璃はそれにホッとしてみせた。
「タイトルは……『高坂さん』よ」
「題名から内容がサッパリ読めないんだが?」
「そうね……『サザエさん』のオマージュだと言えば分かるかしら」
「ああ、日常系のちょっとしたギャグ漫画ってことだな」
京介は頷いてみせた。
「登場人物は私と京介。夫婦設定ね」
「サザエさんとマスオさんだな」
「桐乃がヤンチャで、日向と珠希も幼い姉妹として登場するわ」
「カツオ、ワカメちゃん、タラちゃんだな」
「高坂家で実際に起きた出来事をベースにショート漫画を何本か描いたのだけど……ネタのパンチが弱い分は4人の美少女を可愛く描くことで何とかカバーしたわね」
「瑠璃が萌えで売り上げを伸ばそうとっ!? 赤字を出さない為にそこまで……っ!」
京介は瑠璃を強く抱き締めてみせた。
尖り過ぎた同人誌を出して在庫の山を築くことに躊躇いがなかった少女の示した大きな変化。京介への、家族への愛情を示したその変化が嬉しくて抱き締めずにはいられなかった。
「まったく……まだ陽も高いというのに。困ったオスね♡」
瑠璃はしばらくの間力を抜いて抱き締められるままでいたのだった。
***
夏コミ当日、瑠璃は夫である京介と共に島中のブースに居た。
「新生サークル『ハイヒル』の記念すべき処女作は日常系ほんわか萌ギャグ漫画『高坂さん』よ。手に取って見て頂戴」
瑠璃は売り子として一生懸命声を出していた。
少しでも目立つようにとハナザーボイス仲間の宝生麗子の真っ赤なドレスのコスプレをして。口調も呼び込みにしては高飛車な感じで、参加者達の意識に残る様に考えて。
とはいえ、午前中の島中ブースは多くの参加者にとっては会場内の通路でしかない。多くの者たちは瑠璃たちの前を素通りしていく。18禁ゲームサークルとして参加する場合には売り切れまで常に何人かの客がブース前から絶えないのとは対照的。多くのサークル参加者にとっては分かっている展開であっても精神的には苦痛に他ならない。
「実はわたしはお兄さんに拉致監禁されて凌辱の限りを尽くして孕まされてしまったんです。お医者さまは妄想だの想像妊娠だの失礼なことを言いますが、真実なんです。わたしがお兄さんにされた行為の数々を纏めた本を見て行ってください……見てけよ、こらぁあああああああぁっ!」
幾つか長机が離れたブースでは新垣あやせが通り過ぎていく参加者達に切れていた。瑠璃と京介は積極的に他人のフリをしていた。
「あやせのヤツ、荒れてるな。まあ、連続スルーされて気持ちは分からんでもないけど」
「確かにそうね。だけど……」
瑠璃は微笑んで呼び込みの声を一時中止してみせた。
「開場したばかりの夏コミでお客が来ないとイライラするよりも年に2回の祭りの雰囲気を楽しむ方が遥かに有意義だわ」
視線を泳がせて会場内をグルッと見回してみせる。
会場内は活気づいていた。笑顔で溢れていた。
「以前の私だったら、新垣あやせと同じ様に負の感情を溜め込んで。それを表に出さない様に体裁を繕うことだけに頭を使っていたでしょうけど。今は、違うわ」
「もっと広い視野と心で物事を見られるようになった、か。ルリルリも大人になったんだなあ~♪」
京介は瑠璃の頭に手を置くとわしゃわしゃ擦ってみせた。
瑠璃は拗ねた表情を見せたが、手を振りほどきはしなかった。
「当たり前でしょ。私はもう人妻。貴方のお嫁さん、なのだから」
夫の腕の中でクスッと笑ってみせる余裕を見せた。
瑠璃の漫画本が売れ始めたのは会場から2時間ほどが経過した頃だった。
100部刷った同人誌は終了30分前に見事完売したという。