こんばんは、おりがみ彩です。
今回のテーマは『良い作品へ仕上げる為に、あえて描かないを選ぶ』です。
先日ニシノフラワーを描いた時に強烈な違和感があり、そこで感じたことの話になります。
ニシノフラワーのスカートを着色していた際に影を入れれば入れる程、下手に感じた。
影をしっかり表現する方が立体感のある引き締まった作品になると思っていた。
だから極力【影1層目】、【影2層目】、【最影】等、かなりの工程を経て仕上げていた。
それなのに、その根本、描けば描く程に下手に見えるとは、なぜなのか…?
描けば描く程クオリティは上がるはずなんだ。
それは決して間違いじゃないはずなんだ。
なのにわたしが下手と思った理由。それは影の入り方が正しくないからだと思う。
こうした方が綺麗に見える、みんなこうやって入れてるから入れるべき。
そんなフィーリングだけでやっているから重みが無く、説得力の無い影になるんだ。ただ単に悪戯に色を載せ、ごちゃごちゃさせているに過ぎない。
例えるなら料理。上手い人の作品はトレーがあり、そこにご飯、おかず、お味噌汁、お漬物があって見栄えが整っている。
わたしのは丼があり、その中にご飯、おかず、お漬物をいれ、最後にまさかのお味噌汁をかけている状態。
同じものを揃えているはずなのに盛り付け方や、表現の違いでその料理の美味しさは変わる。
わたしの作品はご飯とおかずとお味噌汁とお漬物だけで良いのに、良かれと思ってサービスでヨーグルトとパンとピザとビビンバを一緒に用意しているようなもの。
これでは受け取る人が何から手をつければいいかわからないし、何だこれってなるし、二度とそのお店には行かなさそう。
炎上して一回くらい悪い意味で知名度は上がりそう。
やらないよりやる。悩んだのなら描くをモットーとし、入れても入れなくても変わらない表現なら折角やったんだし入れておく、それがわたしの作品だった。
ドーベルの裏話でも言ってたけど、折角使ったものは捨てるんじゃなくてちゃんと再利用しようと考えてたのがわたしの考え方だ。
今真逆のことをしようとしている。
入れても入れなくても変わらないのなら、あえて…捨てることを選ぶ。
今まで捨てることを選べなかったけど、『良い作品へ仕上げる為に、あえて描かないを選ぶ』。
それができれば、今までより少ない影で立体的に、そして見る人へその作品の真の伝えたい部分、見せたい部分がより際立つはずだ。
まさか何年の何年もこうだと思っていた考え方を捨てることになるとは思わなかった。
今新しく依頼で描かせて頂いているものがあり、そこでこの描かない選択をしている。
いつもよりも影が少なく自分の中では違和感がある。
でもなんだろうか、画面内に安心感というか優しさを感じる。くどくない。情報量が多すぎないのでほっとする感じがある。
これが正解か、今までのやらないよりもやるが正解なのか、両方間違ってる、両方あってる。答えはわからない。
でも悩み、この考えへ到達したことはきっと無駄にはならない。
いろんな考えを乗り越えた先に、最終的な自分の色があるんだと思う。
その世界を表現できるまで悩み、進化し続けよう。
今のわたしならそれがきっと可能だ。
おりがみ 彩📝