オペレーション・ブルーアルカディア♯3-⑮
Added 2020-12-31 16:50:47 +0000 UTC15:沈みゆく船 水の中は今までの喧騒が嘘であったかのように穏やかで、聞こえてくる音も船が沈みゆく金属の軋み音を除けばそれは静かなものだった。 通路の天井まで達した海水は千沙が通るはずだったA棟の隔壁に阻まれ行き場を失い、代わりに反対側のC棟にある階段を浸水して上の階の浸水を開始し始めている。 手を動かすことも、足をバタつかせることもなく……ただただ揺らめく海中を海藻のように漂っている千沙は、その静かになった空間に孤独感を感じつつも懸命に口を閉じ息を止めて約束の時間を待った。 皐月が最後に千沙に伝えた言葉は、とにかく2分間その場で待機しておくこと…… その2分が何になるのか千沙には想像だに出来ないが、今はそれを考える為に脳を働かせる余裕はない。脳に送る酸素さえ惜しい状況だ。千沙は頭を空っぽにし水の中で漂うように力を抜き、静かにその時を待った。 水の中へ沈んでもうすぐ2分が経とうとしている……。しかし、通路も隔壁も水の量も変化する気配を見せない。あわよくば皐月がこの場に駆けつけてくれて何かしらの魔法的な力で隔壁を開いてくれまいかと期待し千沙だったが……そのような奇跡は都合よく起こるはずもない。何より……千沙は知らないだろうが、皐月は今現在も舞華たちの運搬のためにドローンの操作につきっきりなのだ。彼女がこの場に来るという事は万に一つもあり得ない……。まぁたとえ来たところで大人3人掛かりで協力しなければ開きそうにもないこの扉なのだ……非力な皐月一人が来たところで何も解決にはならない。 時間は2分を過ぎ……2分半に届くくらいまでゆっくりと時を刻んだ……。 何事も起きそうにない静かな水中で千沙の息止めもいよいよ限界が訪れる。 先程受けたくすぐりの窒息責めに比べれば幾分かゆっくりと苦しくなっていく感覚はあるが、こちらもこちらでジワジワと真綿で首を絞められるかのような絶望を味わされる。 手足が徐々に根元から痺れてゆき、心臓の鼓音だけが大きく鳴り響いているのが胸の動きで伝わってくる。 藻掻きたくて手足を動かしたくなる衝動が沸き上がる。しかし手足を動かせばそれだけ死が早まってしまう。残された酸素を余計な動きで消費してはならない……それは千沙も十分に理解している。しかし……約束の時間を過ぎても何一つ好転していない今の状況は千沙に焦りと不安を募らせていく。 考えたくはなかったが、千沙の脳裏には最悪の一文字が浮かんでこびり付いてくる…… “死”……その一文字が絶望した彼女の頭を白く染め上げていく。 これ以上の息止めはもう出来ない。いっそ天井に向かって顔を突き上げて口を開いてみようか? 奇跡的に天井の隙間に水の無い空間があって、そこで呼吸をやり直せるかもしれない…… 確実に迫ってきている“死”の恐怖から在りもしない奇跡に縋ってしまった千沙は、残された力を振り絞って足をバタつかせ浮力得ようと試みる。このまま黙って死を迎えるのは御免こうむりたいという一心で……。しかし、その直後…… ――ズズズズズン!! ドン! ゴゴゴゴゴゴゴゴ、ズズン!! 船底から再び大きな爆発音が水の中を伝わって鳴り響き、その爆発によって船は大きくぐらついてその衝撃によって千沙の身体は通路の壁に叩きつけられてしまう。 泳ぐために最後の力を足に込めていた千沙はその衝撃で開いてはいけない口を思いっきり開いてしまう。そしてその口より最後に残されていた酸素が吐き出され、代わりに大量の海水が喉奥へと侵入を始めてしまう。 万事休す……。千紗の脳裏にその言葉が過った瞬間! ――ゴゴゴゴゴ……ガガガガガガガガガガガガ…… 今度は重い金属が動かされるような鈍音が水の中を振動させ、溺れかけの千沙に音を届ける。 その音が鳴るや否や千沙の身体は勢いよく隔壁側へと吸い寄せられ、多量の水と共に隙間の空いた隔壁の反対側の通路へ吐き出されるように押し出される。 千沙 「ゲッホ、ゲホ、ゲホッッ!! ウゴッ、ゴホッ! ゴホゴホゴホっ! ゲホ!!」 水を呑み込み一瞬とはいえ肺が海水で満たされてしまった千沙は、無酸素状態から解放されたことを喜ぶより先に必死に咳き込んで肺の中に入り込んだ海水を水から吐き出していく。 海水が勢いよく背中に降り注いでいるのも気にも留めず、四つん這いの格好になって必死に咳き込んで水と酸素を入れ替える千沙に、頃合いを見計らうように皐月から通信が入れられる。 皐月 『千沙さん! 大丈夫ですか? すいません……遅れてしまって……』 涎と涙と海水を同時に垂らせながら、千沙はようやく呼吸のサイクルを取り戻し皐月の通信に声を返す。 千沙 「はぁ、はぁ、はぁ……あぁ。何とか……ギリギリ……生きているようだ……」 皐月 『よかった……と言いたいところですが、すみませんもう時間がありません! A棟の浸水率が60%を越えました! 急いで“それ”に掴まってください!』 千沙 「それ? それとは……コレか!?」 皐月に促され隔壁の隣で浮いている何かに視線を移した千沙は、それが何かしらのドローンである事を確認する。 UFO型の機械の手が二本付いた黒いドローン……皐月はそのドローンに掴まれと言っている。 見た目には華奢なように見えるそのドローン……それを掴めばすぐにでも壊れてしまうのではないか? という懸念は過るが……千沙を水没させていた水がA棟の通路を瞬く間に浸水していき、今では千沙の太腿付近まで水嵩が増してきている。迷っている暇はない、今は皐月の言葉を信じてこのドローンに頼るしかない。そう判断した千沙は急いでドローンの手に自分の手を伸ばししっかりとその手を掴んで体重を預けてみた。 一見するとすると千沙の体重を支え切れず浮力を失いそうにも見えるこのドローンだが、造られた目的が女性を空中に引っ張り上げて拘束しくすぐり責めにするという“人を浮かせる前提”で強度が組まれている為、千沙が体重を預けてもそのマシンが浮力を失う事は無い。彼女の体重を瞬時に計算して必要な浮力をプロペラで算出しているのだからまるで問題は無い。 千沙 「まさか……これであの隔壁を空けてくれたのか? この非力そうなアームで?」 ドローンは千沙をぶら下げながらもまだ浸水しきっていない通路の天井付近を優雅に飛んでいく。 水に腰まで浸かり始めていた千沙はその力強い引っ張りにつられ水面をマリンジェットに引っ張られているかのように滑りながら通路を滑走する。 皐月 『そのアームは人一人を簡単に吊り上げることが出来るくらい強力なアームなんです。私も吊られたから身をもってこのドローンの力は知っていました』 千沙 「なるほど……こいつを向かわせていたから……2分待てと言っていたのか……」 皐月 『えぇ、丁度この余った2基のドローンで岬さんと千沙さんを捜索しようと下層のデッキに向かわせていた所だったんです。その内の一基が千沙さんの居たフロアに近かったため向かわせたのですが……意外に時間がかかってしまいました。すいません……』 千沙 「余った2基と言ったか? 他にもあったのか? このドローンは……」 皐月 『はい。全部で5基あったんですが、今はこっちで3基を使って舞華さん、瑞樹さん、茜さんを指揮船に運搬する作戦を行っていまして……結局捜索に動かせたのは2基だけになっちゃいました』 千沙 「ん? 運搬する作戦を行っているって……まさかお前……今ドローンの操縦を同時に4基操ってるのか?」 皐月 『えぇ、本当はオートで動かしたいところだったんですけど……。このマシンは自動プログラムを切らないとくすぐり拷問モードとかいうのが勝手に始まっちゃうので、私がマニュアルで全部同時に操ってます……』 千沙 「4基……いや探索しているのも含めて5基だから結局全部か。それだけのドローンを同時に動かしているのか? すごいな……。一体、何本手ががあるんだ? お前は……」 皐月 『足も含めれば4本ですかね?』 千沙 「……まさか、私のドローンだけ足で操作しているとか言わないよな?」 皐月 『アハハ……冗談です♪ ちゃんと手で全員分の操縦をしていますよ? キーボードは一つしかありませんので……』 千沙 「いや……それでも凄いよ……キーボードを叩いている姿を見てみたいものだな……」 皐月 『残念ながら……それは出来ませんね……。私は今は指揮船に居ませんので……』 千沙 「なに? 指揮船に居ない? どういう事だ? お前は残ったはずだろう? あの船に……」 皐月 『いえ、ちょっと厄介な事になっちゃってまして……。舞華さんを助ける為にこっちの船に乗り込んじゃったんです』 千沙 「なんだと? それじゃあ今もこの船に居るのか? もうすぐ沈むであろう船に!?」 皐月 『……こればっかりは仕方がないんです。このドローンはハッキングが出来ない仕様になってまして……この船の中で直接このPCを操らないと動かせないんですよ……残念なことに……』 千沙 「ば、馬鹿! 私達を捜索するためにこの船に残ったって言うのか! しかも敵であったものを助け出そうとしてるだって? 舞華はどうした? あいつなら止めただろうに!」 皐月 『舞華さんは瑞樹さんとの戦闘で重傷を負ってます……体中がボロボロで走ったり泳いだりは恐らく出来ません。それに敵とはいえ茜さんはまだ利用の価値があると判断しましたし、瑞樹さんは元々敵ではなく洗脳を受けた被害者なんです! だから助ける事にしました……』 千沙 「舞華が……重症? そんなに……ヤバいのか?」 皐月 『腕は見た限りでは折れています。脚も……下手したら複数骨折しているのではないかと……』 千沙 「だったら、舞華たちを降ろしたらすぐに離脱しろ! 私は泳いででもこの船から脱出するから!」 皐月 『それは無理だと思います……』 千沙 「なに?」 皐月 『茜さんに聞きましたが……この船に仕掛けられた爆薬は時間差で次々に爆発するよう組んでいるらしくて……その爆発が船の沈没を速めるらしいんです。今はまだ浸水もPCの予測通り推移してますが、次に爆発が起これば予測よりも早く船は海底へ沈んでしまいます……』 千沙 「いざとなったら窓から飛び降りるから心配するな! もう1階分登り切れば水面よりは上に出れるだろう?」 皐月 『千沙さん……この船の規模では海面を泳いで逃げるというのは不可能です……』 千沙 「不可能? いやいや、私はこれでも泳ぎは得意な方だ! 乗船するとき着ていたウエットスーツも着ているんだ、少し泳ぐことぐらい苦にはならんぞ!」 皐月 「いえ、この規模の船が一気に沈むとなると、例え水面に出られたとしても沈むときに起きる“引き込み”が広範囲にわたって起き、それに巻き込まれてる事になります」 千沙 「巻き込み?」 皐月 『お風呂の水面に手を広げて一気に浴槽に沈めればお湯はその沈んだ手の方に流れを作って水面のお湯を引き込むでしょ? その理屈と同じです。この引き込みは人間の力では抗えないと聞きます……」 千沙 「そんな事……やって見なくては分からんだろっ! その沈没が起きる前に脱出してしまえば……」 皐月 『いいえ、それももう無理です』 千沙 「なぜ?」 皐月 『もう時間です……次の爆発が来ます!』 ――ズズズズン!! ゴゴゴゴゴッッ……ズズン!! 皐月の予言が的中するかのように再び船底が爆発を起こし船を大きく揺らす。 ドローンのお陰で階段付近まで辿り着いた千沙だったが、その衝撃で上へと繋がる階段が崩落してしまう。 水嵩はいよいよ千沙の首元まで浸かるくらいまで増え、ドローンから手を離せば再び身体が水没してしまうのが目に見えて明らかだった。 千沙 「か、階段が……崩れ落ちたぞ! しかも……上は……火の海だ……これでは上の階には上がれない……」 皐月 『(ザ……ザザ……)安心して……さい! (ザザ……ジジジジ……)元より階段は使うつもり……ありませんでしたから!』 耳栓もせず海中に居た時間が長かったせいか、それとも今の爆発が原因であったかは定かではないが……耳奥の通信機からは不快なノイズが走るようようになり皐月との通信を徐々に困難なものに変えていく。 しかし、皐月が言った“階段を使うつもりはない”という言葉を裏付けするかのようにドローンは千沙を連れ階段の先へと引っ張っていく。 階段の先はすぐに袋小路となり部屋も見当たらなくなる……こんな場所にドローンを飛ばして一体何をするつもりなのか? そう疑問を持ちかけた時、皐月の操縦するドローンは貨物用のエレベーターの前で動きを止めた。 千沙 「おいっ! まさかエレベーターを動かすつもりか? 無駄だぞ! この通路には電気が通っていないんだろう? エレベーターなんて呼んでも来てはくれないぞ!」 皐月 『違います! (ザザザ……)エレベーターを使うんじゃありません! この縦の通路が欲しかったんです!!』 そのように通信を返すとドローンは千沙が掴んでいる手とは別の手を2本出しエレベーターの扉を力任せにこじ開け始めた。 電気の通っていないエレベーターの扉はマシンの手の力に素直に応じ左右に大きく開き、千沙に普段見る事の出来ない配線などが剥き出しになったエレベーター通路の内部を見せる。 千沙 「まさか……ココを飛んでいくって言うのか? このドローンで?」 皐月 『そうです。階段を上がってもまた通路を渡らなければ次の階段には辿り着けません。(ジジジ……ザーザー……)でもエレベーターの通路なら……』 千沙 「なるほど……上昇さえ出来れば最短で最上階まで飛ぶことが出来るってわけだな?」 皐月 『(ピガァ……ザザザ……)えぇ、もうこれしか脱出の方法はありません! (ジジジ……ザザザ……)いくらドローンが早くても通路を行ったり来たりすれば間に合いませんから』 千沙 「お前は……どうするんだ? 時間がないのはお前も同じだろ? そこは何処なんだ? 甲板に近いのか?」 皐月 『私は(ザザ…ザザザ……)です。(ガガガ……ピィーーガガガ……)ですので、問題……(ガガガ……ジジジジ……)せん……』 千沙 「皐月! 通信機の調子が悪い! 途切れそうだ!」 皐月 『え……ぇ、こち……も……(ジジジ、ガガガガ)聞こえず……く、なって……(ピキィィーーガガガガガガガ……)』 千沙 「いいか、絶対にお前も脱出するんだぞ!! 聞こえているか? 絶対だぞ! 私を上に運んだらドローンの操縦をやめてすぐに脱出するんだ!! 私は意地で泳いでこの船から離れて見せる!! だからいいな? 上についたらすぐにその場を放棄して逃げろ! 分かったか?」 皐月 『(ピィーー、ガガガガガガガガガガガガガ! ザザザザ……ザァ……………………)』 千沙の言葉が伝わったのかどうかの返答はノイズ音だけになった通信機から返ってはこなかった。 急に仲間との通信が絶たれそれまで支えてくれていた言葉が聞けなくなるや否や急激に不安な気持ちが強くなっていく千沙だったが、皐月の操縦するドローンのカメラがレンズを動かして何やら合図を送る様に瞬きをして見せ、千沙に“準備は出来たか?”と聞くかのようなアクションを送ってくる。 千沙 「あぁ……分かったよ……。従えばいいんだよな? お前のプランに……」 千沙の独り言にカメラを頷かせるように動かして見せるドローン……。皐月に音声は届いてはいないが彼女がどんな言葉を発しているかは表情を見て察している。 千沙 「いいぞ……連れてってくれ。そしてこの脱出が終わったら……次はお前の番だからな? 忘れるなよ?」 ドローン越しとはいえ差し出されたその手は紛れもなく皐月からの救いの手だった。 最後の言葉が伝わってくれていれば良いのだが……皐月は気付いてくれただろうか? 理解してくれただろうか? 一刻の猶予もないこの状況で仲間を遠く離れた指揮船まで送り届けるなど……それこそ船と心中を考えなくては達成など出来やしない。 先に送った舞華たちならまだしも……船底近くにいる自分を助けようとしているのだから尚更船からの脱出が遅れるのは分かり切っている。 皐月は船から逃げないつもりかもしれない……。 皐月は誰よりも真面目だから……仮とはいえ譲ってもらったコマンダーとしての役割を、命を賭して果たそうとしているのではないだろうか…… 千沙は一抹の不安を抱きながらも再び皐月が見ているであろうドローンのカメラに向かって顔を頷かせて見せる。 その頷きを見るや否や、ドローンのプロペラは先程まで以上に回転力を増し千沙の身体をエレベーターの通路へと引っ張り出していく。 縦通路の上からは、爆発の影響からか火の粉や鉄材の破片がバラバラと降り注ぎとても安全な逃げ道だとは言い難い。 しかしこの道を通らなくては生還の道は無い。 その証拠に、千沙がドローンによって宙を舞った直後に船底より最後の爆発が差し込まれた。 千沙の丁度足元……僅か数ブロックしか隔てていない貨物フロアに用意されてあった爆薬が……船を沈める最後の起爆を行った。