第七話バッドエンドを書き上げて、次に取り掛かる前の束の間の休息などとっておりました。『シン・仮面ライダー』見てきたんで、感想はこの記事の末尾にでも。
で、早いものでもう4月。
今月の支援者さん向け小説ですが。
同率1位が並んでいたので、どうしたものか悩んだのですが、古い選択肢から優先していく原則がありますので、今回は触手目隠しシチュを採用します。悪しからずご了承ください。
今月もお仕事が忙しい時期なので、あまり無理はしない感じにしつつ。とはいえルリルナの第八話、すなわち最終話に着手という大イベントもありますので、支援者さん向けを早めに片付けられると良いんですがね。
こんだけ書いてても、自分の筆の進みだけは自在にコントロールできた試しがないので、どうにもこうにも。まぁ頑張るしかないですな。
ルリルナ本編ストーリーが佳境に入ってしまってるおかげで電子DL版の作業も進んでないし。楽しみにされている方がいらっしゃいましたら、お待たせして申し訳ないです。気長にお待ちいただければと。
そんな感じで。お仕事が忙しい皆さんも、この春から新生活な皆さんも、頑張っていきましょうねー。
さて、以下は『シン・仮面ライダー』のネタバレ感想になりますので、ご興味のある方だけどうぞ。
ではでは。
こんなに予算をかけて、こんな贅沢なB級映画を撮っていいんですか!?(失礼
といっても別にこれは貶しているのではなく、むしろ私個人としてはすっごいプラスポイントなんですけれども。
そもそもですね、元祖仮面ライダーというのが、ものすっごいツッコミどころ満載のB級なノリの作品であって、正にスナック菓子のようにその軽いノリなのに面白かったところが魅力であり親しまれた理由でもあったわけですよ。
たとえば一例としてですが、このとある原作エピソードの概略を読んでみてくださいよ。
……ツッコミどころしかないでしょ?w これだけ全ての文にツッコミどころがあるプロット、書けって言われても難しいぜ?w
でも面白いんだよ。それが昭和の仮面ライダーだったのさ。
おそらく、普通の監督が仮面ライダーのリメイクをしようと思ったら、マーベル映画みたいなスタイリッシュな感じに作るんでしょうけれど、庵野さんはマニアなので、このB級なところを捨てられなかったんだろうな、と推察しました。
『シン・仮面ライダー』中盤に出て来る怪人たちのB級なテイスト、そういう意味ではリスペクト精神にあふれてたんだと思うのよね。コウモリオーグとか、あんなに小刻みにバサバサ羽ばたかせなくても、もっとスタイリッシュにできるだろ、と思うんだけど、あの滑稽なバサバサ具合のB級っぽさね、私は嫌いになれなかったのw
サソリオーグとか、令和でやっちゃダメなレベルの昭和B級ノリなんだけどw そこで「まぁ仮面ライダーだからなぁ」と思えるかどうかで評価が真っ二つに割れるタイプの作品だと思います。
ぶっちゃけ、昭和の仮面ライダーに思い入れのない人を楽しませようっていう要素はかなり少ないですね。
マニアの思い入れ目線を抜いて、客観的に評価したら10点満点で6点に届くかどうか、くらいの出来だと思う。
予備知識無しに、素直に一つのヒーローもの作品として見ようとすると、昭和ライダーマニア故に割愛できずに入れ込んだ「こだわり」要素がことごとくマイナスに作用して視聴者を混乱させる、みたいな感じだと思う。
そのかわり、庵野監督の「こだわり」に膝を打つタイプの同類が見るならば、10点満点評価で5000点ですw 私は5000点分の満足を得て帰ってきました。
まぁでも、やっぱりね、今まさに『ルリとルナ』を書いている私にとって、すごく刺さるストーリーでした。
いくつか抱いた感想の一つが、「ヒーローが泣くところを描いてくれてありがとう」、だったんだよね。
『シン・ウルトラマン』にせよ『シン・仮面ライダー』にせよ、あまりにも知名度が上がりすぎて、その存在が当たり前になってしまった、そんな彼らを一度原初の姿に戻す、その前提を確認する、みたいな意図があったんだと思うんですよね。
ウルトラマンも仮面ライダーも有名すぎて、またあまりにも親しまれすぎてさ、彼らが我々地球人・一般市民を守るのが「当たり前」になり過ぎてる部分があると思うんだよ。
でもね、彼らは本当は異質な他者であって、最初から人々を守ってくれて当然な存在じゃなかったんだよね。
ウルトラマンに、地球全体を守らなければならない義理なんてない(初代マンにはハヤタとの事故があるけど、それだって日本全体、地球全体を背負わなきゃいけないほどではない)。仮面ライダーだって、ショッカーから抜けた後、できるだけ見つからないように潜伏して逃げ回ってたって全然おかしくないですよね。設定的には。
にもかかわらず、彼らが自己保身に徹するのではなく、体を張ってぼくらを守ろうと決意して戦ってくれたのは、奇跡のように尊い事なんだ。『シン・ウルトラマン』も、『シン・仮面ライダー』もその一点を描こう、思い出させようとしているという意味で徹底されているし、見事に仕事をやり遂げたんだと私は評価しています。
だから、『シン・ウルトラマン』でも『シン・仮面ライダー』でも、ヒーローたちは最初に登場する時はまるで我々が知っているヒーローではないかのような、違和感のある、ちょっと違う姿で登場する。明るい子供向けヒーローだと思っていたら、シン仮面ライダーの冒頭は凄惨なゴア表現による重々しいバトルで始まる。それは石ノ森原作の実はけっこうヘヴィーでシビアな設定も捨てずに取り入れたいってことでもあるし、よく知られ過ぎたヒーローを一度見知らぬ形で登場させて、そのイメージをリセットさせる意図もあったと思うんです。かれらは「当たり前に人を守る」存在ではない。迷いもあり、痛みに戸惑い、戦いへの忌避感もある。
でもそういう他者で異質な主人公が、ついに「俺の知ってるあの仮面ライダーだ!!!!」っていうところへたどり着く瞬間が、もう最高に気持ち良くて素晴らしいカットになってるんですよね。
シンウルの時はザラブ星人のエピソードで変身してビルから登場するシーンで。今回のシン仮面ライダーではショッカーライダーに対峙してダブルライダーが変身ポーズを決めるところで、その最高の興奮がやって来て、もう本当に素晴らしくて脳汁出まくりました。
もうね、他にどれほどアラがあっても欠点があっても、あの瞬間の気持ち良さだけですべて許せちゃうw 私の場合はそういう感想でしたね。
私はね、ヒーローというものに対して「人を守るのが当たり前」だというような、そういう見方接し方をしたくないんです。
かつてヒーローに憧れた者として、自分自身の中にも、1%でも良いからヒーローを内面化していたい。誰かを救う、誰かのためになるならって頑張る思いを、ちょっぴりでも持っていたい。
もちろん、ただの社会人に過ぎない私に悪の組織と戦う機会なんてないし、そんな勇気もないけど、でもそういう気持ちを内面化することで、たとえば駅でたまたまハンカチ落とした人を見た時に、それを拾って渡してあげるくらいの行動にはなってくれる。そういう善意として、自分の中の「ヒーロー」を忘れたくないんだよね。
ヒーローは「他の誰か」じゃない、私の中にもちょっとだけ居るんだって、そう思えなかったら、ヒーロー番組を見て憧れた子供時代の自分に顔向けできないじゃないですか。
エロシーンさえあればいいR18小説である『ルリとルナ』で、ヒロインたちが戦う理由と決意を描かずにいられないのも、同じ気持ちからです。
だから、『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』がどちらも、ヒーローの苦悩と決意に寄り添って、そこを描こうとしている作品であったことが、私にとってとても大事なことだったし、作品としても素晴らしいところなんだと、思っています。
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