ぽつ...ぽつ...うぃーん。
ぽつ...ぽつ...うぃーん。
フロントガラスを雨粒が滲ませる。それらを左から右へ、ワイパーが追いやっていく。
生憎の雨。
早朝から雨模様だった空は、予約していたレンタカーに乗り込むと同時に、雨粒を降らせた。
旅行の日に雨が降れば、それはそれは気分が落ち込むものだが、俺の心はそうでもなかった。雨とワイパーのイタチごっこを眺めながら、天気とは対照的に晴れやかな気分だ。
助手席に座る女の子は、不慣れな手つきでシートベルトを金具に差し込んでいる。真剣な表情が幼げで愛らしい。
そんな彼女と、年の始めに「旅行に行こう」と話をしていた。
思いつきでつい口から出たことだったが、こうして二人で車に乗ると、現実味が実感として湧いてくる。
年始はいつも仕事が何かと忙しい。だが、今年は奇跡的に暇だった。
大型プロジェクトを入札すべくプロポーザルに参加した我が社だったが、企画部の上司が、しょーもないプレゼンテーションを宣ったために、他の大手コンサルタント会社に企画を持って行かれてしまったらしい。
社内的には大問題らしいが、おかげで仕事は減り、年始のゴタゴタ騒ぎに巻き込まれずに済んだ。
結果、こうしてりうちゃんと初めての旅行を謳歌できる。
持つべきものは、大事な時にしょーもないプレゼンテーションをして、部下の働き方改革を推進してくれる“有能”な上司に他ならない。
「よい...しょ。おっけー!お待たせ」
「よし!じゃあ出発しよっか?」
「うんっ」
サイドブレーキを解除しドライブギアに入れると、コンパクトカーは走り出す。
休日だというのに、思いの外、道は空いていた。
都内の環状線から中央自動車道に入り、高速道路をひたすら西へ。
八王子の辺りでは、工場やラブホテルと思しき看板が高速道路沿道にそびえていたが、山梨県に入り、談合坂サービスエリアが近づく頃には、自然の中を突き進むような気持ちの良い景色が視界に飛び込んでくる。
「休憩しなくて大丈夫?」
「そうだなあ、道も空いてるし、ちょっと一休みしよっか」
彼女に促され、談合坂サービスエリアに車を停める。
ここは、中央自動車道随一の広大なサービスエリアだ。慣れていないと迷子になってしまいそうなくらい。
「ね、スターマックスあるよ!美味しいもの売ってるかも〜!」
「お、行ってみよう」
世界的なコーヒーチェーン店「スターマックス・コーヒー」。フレーバーな香りのコーヒーや独特のお菓子類が豊富で、若年層に特に人気の高いコーヒーショップだ。
「キミは何にする?」
「んー、ちょっと眠気もあるし、ホットコーヒーにしようかな。りうちゃんは?」
「私はねー、ホットのミルクティとドーナツ」
「あー、ここのドーナツ美味しいんだよね〜」
「うんうん。後で分けてあげるね」
「半分こしよう」
「4分の1ならあげる」
彼女は意外と食い意地が張っている。
旅行費用は、全額自分が負担しようと思っていたのだが、それはダメだとりうちゃんは頑なだった。
りうちゃんは、バイト代のほとんどを学費に充当しているし、まがりなりにも自分は社会人だ。少ないとはいえ学生の稼ぎとは違う。それに年の功。旅行代金くらい全部支払ってカッコ良いところを見せたいという思いもある。
けれど、
「それはダメだよ。私も一緒に行くんだから、半分出す」
半分はさすがに払わせすぎだ。豪勢な旅という訳ではないが、宿代や食事代、レンタカーや高速道路の料金など、全てを含めたらそれなりの金額になる。それらを学生である彼女に半分負担させるようなことはしたくない。しかし、全額奢り、と言うと彼女は頑として首を縦に振らなかった。
何度かの押し問答の末、基本的には俺が代金を払うが、旅の途中でのコーヒー代やおやつ代を、彼女が払う、というところで妥結した。
そんなので本当に良いの?と彼女は申し訳なさそうな反応だったが、それ以上は自分が譲らなかった。
「はい、ホットコーヒー」
「ありがとう。...骨身に沁みる...」
「あはっ、おじいちゃんみたい」
車へ戻り、エンジンを掛ける。目的地のナビを確認すると、まだ結構距離がある。
今回の旅の目的地は、そう。白川郷だ。
白川郷は、岐阜県の北に位置し、世界遺産にも登録されている合掌造りで有名な郷だ。
梁と呼ばれる屋根の骨組みが、手のひらを合わせて合掌しているような形をしていることから、この建物に「合掌造り」という名が付けられたらしい。数日前、写真を検索してみたら、茅葺き屋根がかなり急な傾斜を成しており、正面からはおにぎりのような三角形に見えた。
「ね、音楽聞こ!ドライブには音楽だよ」
「良いね。そうしよう。んー...」
コーヒーを啜りながら、自分のスマートフォンと車載のカーナビをBluetoothで接続する。
昔、適当にダウンロードして今でも意外と気に入っている洋楽をかける。
彼女も俺も、アニメソングやゲームソングを好んで聴くことが多い。でも、なんとなくのんびりとした旅には洋楽が合っているような気がした。
「珍しいね、洋楽なんて。歌詞の意味分かるの?」
「いや、全然」
「だよねー。でも、なんか良い、うん。こういう雰囲気好き」
そういえば、自分が幼い頃、父さんとよくドライブをした。
週末の天気が良い日。母さんに怒られた後。学校で嫌がらせを受けてしょぼくれていた日の夜。
「よし、ちょっとドライブでも行くか」
父さんはそう言って、俺をちょっとした非日常へ連れ出してくれた。
俺は、たまに訪れるその時間が、幼心ながら楽しみだった。
助手席に座り、よく分からないボタンをいじくり回して、「そこは触っちゃダメだ」と注意されたりしたっけ。なんだか、コックピットに乗って、これから世界の外へ旅立とうとしている飛行士にでもなった気分だった。
その時も、父さんは洋楽をかけながら車を走らせていた。
当時はもちろんBluetoothなる機能はなくて、カセットテープを車載器に入れて音楽をかけていた。
カチッ...サー...
カセットテープの再生ボタンを押した時のカチッという硬い音。
続いて、砂嵐が吹くようなサー、という音。
いかにも懐古的なこの音を思い出し、懐かしく思う。
「父さん、この曲の歌詞、どういう意味?」
「そうだなあ、恋はいつだって盲目っていう」
「ホント?」
「いや、本当は全然分からん」
父さんもあの時、意味も分からず洋楽を流していた。俺はそんな父さんの冗談に笑い、でも、なんだか流れてくるテンポが心地よかったのを覚えている。
ドライブには洋楽。
そんな習慣が染み付いたのは、その時からだったのかもしれない。
車はサービスエリアを抜け、さらに西へ向かっていく。
都内を走っている時に降っていた雨は、気付くと止んでいて、透き通った青空に薄い雲がちらほらと流れている。
気分も空も、晴れやかだ。
「ふんふんふーん。もぐもぐ」
りうちゃんは、スターマックスオリジナルのドーナツを食べながら、洋楽を口ずさんでいる。
登坂車線でスピードを落とし、横目で彼女を見ると、嬉しそうに上げた口の端に砂糖がついている。こういう無邪気なところが子供っぽくて可愛らしい。
「りうちゃん、ドーナツちょっとちょうだい」
「いいよ、ちょっとだけねー」
彼女は一口分を千切り、俺に渡してくる。
...チッ。あーん、してくれるかもと微かに期待していたのに。
ハンドル操作に注意しながらドーナツの切れ端を左手で受け取り、口に放り込む。ふわふわとした生地に堅めのシュガーが絶妙にマッチしている。
「りうちゃんは、ドライブとか旅行とか、結構したことあるの?」
「ううん、ふぇんふぇんふぁい、ふぁららふぉんふぁ」
「食べてからで良いから」
本当に、この子は大人っぽいところと子供っぽいところが極端だ。
「ふぅ。全然ないんだよね、今回はすごく久々。だからね、今、すっっっごく楽しい!」
あー!頭を撫で回したい!この笑顔。なんという天使かな!
「それは良かった!俺もりうちゃんとドライブ旅行ができてすごく楽しいよ」
「ねー!私もー!」
登坂車線が終わりに近づき、車線を右側に変更する。アクセルを踏み込み、少しスピードを上げて車は進んでいく。
※※※
全く渋滞は無く、予定していたより随分早く高速道路を降りた。
長野県に入ると、都内とは打って変わって、道の両脇に雪が盛られている。
スタッドレスタイヤを装着しているものの、これからさらに山深い場所を走っていくことになる。速度を落とし、慎重なハンドル操作でゆっくりと国道を走る。
雪の積もる山道にヒヤヒヤしていたが、隣では、わーっ、と雪を見てはしゃぐりうちゃんがいた。
「すごい!都内と全然違うねー!雪がどんどん綺麗になっていく」
「東京でも雪は降るけど、やっぱり山奥の雪はなんか違うよね」
「うん。パウダースノウって言われたりするけど、見るだけで柔らかそうって分かるもん」
道路の色が黒から白へ変わり、遂に近づいてきたんだな、という実感が湧く。
ゆっくりと走ってきたが、それでもまだお昼前だった。
「ちょっと、寄り道していこっか。まだ早いし」
「うん!というか、どこに行く予定なの?今日」
「秘密」
「むーっ...」
そう。
実は、今回の旅先は、彼女には伏せていた。
体調が回復し、元気になった彼女に、サプライズをしてあげたかったのだ。
昼食や観光を兼ねて、岐阜県高山市街へ。
観光地だからだろうか、高山の街には至る所にコインパーキングがある。なるべく覚えやすいパーキングに車を停め、冬用のジャケットを羽織る。
車の外へ出ると、骨まで凍ってしまうのではないか、と思わせるような寒さに身震いする。
りうちゃんは、マフラーや耳当てで防寒をしているものの、あまり寒さに驚く様子はない。
時代劇の城下町を思わせる街並みを堪能しながら、品の良さそうな蕎麦屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませー!」
元気の良い店員さんが出迎えてくれる。座敷を案内され、りうちゃんと向かい合って座る。
運ばれてきたお茶を啜り、一息。温かい。
二人とも、温かいつゆの付いたせいろそばを注文し、ずずっと啜る。
「美味しいねー!あったかーい!」
「あ、この蕎麦湯トロトロしてる」
「ほんとだ!濃厚」
温かい蕎麦を頂き、お腹が満たされたところで、高山の街を巡る。
道路脇の側溝には掻かれた雪がこんもりと盛られている。夏にはきっと、清流のような流れがあって、風情豊かなことだろう。
「何あれ、飛騨牛握りだって!」
「ほんとだ、お寿司、なのかな?」
「行ってみよ!」
そのお店では、新鮮な飛騨牛を握り寿司で出す、粋なおもてなしをしていた。
飛騨の地元ならではの一品だろう。
「ふふーん、奢ってあげよう」
りうちゃんが得意げに言う。さっき蕎麦を食べたばかりなのに、彼女は結構大食いだ。だが俺もぜひ食べてみたい。
川の流れに棹ささず。せっかくの彼女の申し出だ。ありがたく奢られることにする。
「いただきます」
決して脂っこくはなくサッパリとしているが、牛本来の旨味が凝縮され、包まれたしゃりに溶け込んでいる。肉汁が湧き出し、舌の上でとろける。これは絶品だ。
もぐもぐ。てくてく。
二人並んで、飛騨牛握りを頂きながら食べ歩き観光をする。
「こういうのってさ、なんか、旅行してるー!って感じするね」
彼女は美味しそうに飛騨牛握りを食べながら、さぞ楽しそうに笑う。
自分も、そう思う。
その地方独特の空気に身を包み、美味しいものを食べ、街をぶらぶらと歩く。
旅行の醍醐味は、こういうところにあるのだろう。
※※※
午後3時を回ると、太陽が傾き始めた。この季節は日が短い。
高山市街から車で1時間ほど北上したところに、今回の目的地「白川郷」はある。
「わぁ...」
車から降りると、りうちゃんが感嘆の溜息を吐く。
辺り一面の白銀世界。
焦点を失うほどの白さ。
郷を見下ろすこの高台からは、合掌造りの家々が一望できる。
郷を囲む山、川沿いに生える木々、そして郷。
全てが純白の雪に包まれ、世界はしん、と静まりかえっていた。
郷全体が、白いシーツを被っているかのよう。
「すごい...」
この光景は、素晴らしかった。
俺も、寒さを忘れて白川の郷を見下ろした。
春には美しい花が咲き、夏には明るい緑が萌え、秋には稲が黄金色に染まる。
そして今、冬には、郷は清く白いヴェールで着飾っていた。
本当に異世界に来てしまったんじゃないか。
眼前に広がる非日常感に、そんな錯覚さえ覚えた。
「ありがとう」
急に、そんな言葉が彼女の口から漏れた。
それは、自分に対しての言葉だったのか、あるいは、この光景に対するものなのかもしれない。
「ここが、今回の目的地。白川郷だよ」
「ここが、白川郷...」
「りうちゃんがさ、雪が見たいって言っていたから。寒くてあったかい。そんな場所を探して、ここが良いかなって」
寒くてあったかい。
そんな場所を二人は求めた。だから、綺麗な雪と和ならではの温かみが共存するような場所、そんな所に、彼女と一緒に行きたかった。
求めていた場所は、ここだった。
「すごく...すごく素敵な場所。ありがとう」
「どういたしまして。でも、りうちゃんのリクエストが無かったら思いつかなかっただろうし。こっちこそ、ありがとう」
そう言うと、雪景色を背負って立つ彼女は微笑んだ。
それはまるで、睦月に降り立った一人の天女のようだった。
※※※
白川郷はマイカー規制がなされていて、観光客は入り口の駐車場より中には車で入ることができない。しかし、宿泊客は例外で、宿まで車で行くことができた。
両側を合掌造りの家々で囲まれた道をゆっくり走る。
風情のある土産屋が何軒か建ち並んでいる。帰りには、旅の記念に何か買っていこう。
道を進み、一番奥の方までやってきた。左側に一軒宿がポツンと建っている。その駐車場に車を停めた。
ここが、今日、二人が泊まる宿だ。
「のっ...ちょっ...わぁ!!」
素っ頓狂な声と共に、りうちゃんが消えた。
...と、思ったら、雪の中に埋もれていた。
「ちょっと!気をつけて!」
「た、助けてぇ...」
雪の中からりうちゃんを引っ張り出す。腰の高さくらいまで積もっていると思っていたが、場所によってはもっと深いらしい。
「ちょ、あんまりひっぱっちゃだめだって。ゆっくり慌てないで...って、うわぁ!?」
ドサッ。
自分も彼女同様、雪の中に埋もれてしまった。つ、冷たい。
ヘルプ・ミー!!
「大丈夫ですか?...よっこらせっと」
品の良いおじさんが、自分とりうちゃんをひっぱり上げてくれた。
「す、すみません。つい、ハマってしまって」
「気ぃつけてくださいね。端の方は雪が深いんですよ」
自分たちを助け上げてくれたこの方は、この宿を経営者だった。
雪だるまさながらになった俺とりうちゃんは、バサバサと雪を払い、宿へと足を運ぶ。
入り口に、傘を被った狸の置物が置かれている。傘の上には雪が積もっていた。
「良いもの見せてもらいやした、ケッケッケ」
そんな感じの表情でこちらを見ている。狸め。
「お部屋は一階の奥の間になります。お夕飯は18時半頃でよろしいですか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。お風呂はついてございませんので、温泉施設に行かれると良いです。来た道を5分ほど歩くとありますので。天然温泉で、気持ちが良いですよ」
「わぁ!温泉。ぜひ行かせていただきます」
りうちゃんが食らいつく。
温泉かあ。冷え切った体にはさぞかし温かく感じられることだろう。早く入りたい。
宿の中を歩き、奥の間へ進む。
調べたとおり、合掌造りの内側は、木製の梁に茅葺屋根が丁寧に添えられており、三角形を成している。途中、雰囲気の良い囲炉裏があり、ここで夕飯をいただくとのことだ。
なんと情緒溢れる晩だろう。
部屋は広すぎず狭すぎず、程よいアットホーム感があった。
畳が敷かれ、ストーブで暖をとる仕組みだ。渋い色のコタツが和の雰囲気に彩りを添えている。
「ね、りうちゃん。温泉行かない?」
「行くー!もう体冷えちゃったもんね。荷物整理したら、行こう」
※※※
天然温泉というだけあって、自宅の風呂とは格別だった。
体が芯から温められ、風呂上がりには汗が噴き出るほどだ。
寒い夜道を歩いて宿に戻ってきたにもかかわらず、まだ体が冷え切っていない。長距離運転の疲れも十分に癒えた。
お風呂のあと、囲炉裏を囲んで夕餉を頂いた。
素朴だけれど新鮮な川魚や山菜などが御膳に並ぶ。中でも朴葉味噌という料理が絶品だった。
朴葉味噌は、飛騨高山地方の郷土料理だそうで、朴の葉の上に自家製の味噌や薬味、キノコや山菜を乗せて焼き、白米と一緒に頂く。味噌の甘辛さと炊き立ての白米が、存分に食欲を刺激する。
田舎ならではの良さ、そんな雰囲気と一緒に存分に舌鼓。お腹だけでなく、心まで温かくなるような素敵な夕餉だった。
部屋に戻ると、コタツは片付けられ、代わりに二人分の布団が敷かれていた。
「美味しかった...」
「ねー!温泉も気持ちよかったね」
「うん、露天風呂もあって、最高だった」
まだ就寝には早い時間だが、せっかくなので布団に潜り込む。電気は点けたまま、ぬくぬくと温かみを享受する。
彼女も自分に倣い、布団に入った。
こっちを向くと、彼女との距離が一層近く感じられ、ドキドキしてしまう。
何を隠そう、女の子との初めての旅行なのだ。
しかも大好きなりうちゃんと。この一夜に心動かされない訳がない。
いつもと全く違うのは、温泉だけではない。
自分たちを囲むこの郷の空気。それは都会では体感することのできない静寂さを纏っている。
しん、と世界は静まり返り、時間ごと止められてしまったかのよう。
無音。
時折、ピシッと、雪の重みで枝が折れる音が驚くほどに反響する。
布団の擦れる音一つが、確かな存在感を持って音を形成する。
それほどに、静謐な山郷だ。
「ねえ、りうちゃん」
「なあに?」
「旅行、来て良かった?」
ふと、聞いてみたくなった。
今日一日ずっと楽しそうな彼女の表情を見る限り、楽しんでくれていることは分かっていたが、それでも彼女の口から感想を聞いてみたい。
「うん、もちろん。最高の思い出だよ!楽しすぎて、眠れるか心配」
「あははっ、それは良かった。俺もすごく楽しい」
「うん、分かる。今日一日、ずーっとキミ明るいもん」
「え、バレてた?」
そりゃそうだ。りうちゃんと初めての旅行。行きたかった「寒いけど温かい」場所。
シチュエーションもロケーションも、最高なのだから。
「俺さ、こんなに早くりうちゃんと旅行できるなんて思ってもいなかったよ」
「そうだね、考えてみれば、まだ出会って2ヶ月くらい?」
「うん。こんなに短い時間で、自分のことを信用してくれたんだなって思って、なんか嬉しくて」
「私も不思議。こう見えて、結構警戒心は強い方だって自負はあるのに。キミといると、すごく落ち着くの。でも、こうして自分でも自分に驚く感覚って、心地良いんだなって」
そう言ってりうちゃんは少し頬を赤らめた。
「そ、そんなこと言われたことないから、なんか嬉しいというか、照れるっていうか...でも、どうしてかな。俺、自分で言うのもなんだけど、魅力とかゼロだし、イケメンでもなんでもないし」
「人の本当の魅力って、外見とか目に見える能力じゃないんだと思う。それは内側から溢れ出てきて、きっと言葉では説明できないよ。でも、私にとってキミは、すごく、魅力的だよ」
露天風呂に浸かっていた時以上の、火照りを感じた。
多分、今自分は紅潮している。顔が熱い。
りうちゃんは反則だ。
時たま、意図せずに直球を投げ込んでくる。豪速球を。
計算じゃない彼女の素の想いということが分かるからこそ、どぎまぎしてしまう。
「あ、ありがとう...なんか俺、めちゃ嬉しい...あと恥ずかしい。でも俺もりうちゃんのこと」
「ねえ」
言葉を遮られた。
でも、その後に続く言葉は纏まったものではなかったので、りうちゃんに譲る。
「ねえねえ」
「うん?なあに?」
「あのさ」
「うん」
「そっち、行っていい?」
虚を衝かれた。
そっちってどっち?
「え?ここ?」
自分の布団を指差すと、彼女はコクリと頷く。
まじっすか。
「どどどどど、どうぞ!!」
ガバッと布団をあげ、端による。彼女の潜り込むスペースを空ける。
「じゃあ...おじゃましますっ」
仔猫が潜り込むように、彼女が布団の中に滑り込んできた。
「あー、あったかい。キミ体温高いのかな?」
「あ、いや、ふ、普通だと思うけど。っていうかそのなんだっけ、えっと。その、良い旅行だよね、ハハッ」
一気に緊張の糸が張り詰める。
(ち、近い!!やばい!!)
助手席に座っているのとは訳が違う。
彼女の体温も、匂いも、息遣いも、全てが間近で感じられる。
唇を開く時に発する微かな音さえも、ノイズキャンセリングイヤホンから流れてくるかのように鮮明に鼓膜に届く。
「今日はここで寝ちゃおうかな」
「え、ええっ!?」
「...だめ?」
「え、あ、いや、おっけーおっけー」
だからその上目遣いは断るの無理だって!!
「ほら、キミ布団からはみ出しちゃうよ、ちゃんと掛けないと風邪ひいちゃう」
そう言って彼女が自分に布団を掛けてくれた、その時。
むにゅっ。
衝撃が疾った。
「ああああぁぁぁあああ!」
「ちょ、ちょっと何、いきなり叫ばないでよ」
「ご、ごめん!でもちょっと!...あ、そうだ!りうちゃんエビ!」
「えび?」
「エビみたいな格好して!」
彼女は自分の方を見て訝しんだが、言われたとおりにする。
「こ、こう?」
むにゅっ。
「ひゃぁあああぁぁあぁあぁあぁ!!」
彼女の下腹部で、股間が圧迫された。
ドキドキは違う意味のドキドキに移ろい、体の一部の血流が急加速し、そして一瞬にして肥大化する。
「ち、違う!そうじゃない!逆!えびだって!」
「だからエビでしょ?海老反りって言うし、こうじゃないの?」
「スーパーに売ってるようなやつ!茹でた後の!お腹丸めて!!」
落ち着け。落ち着くんだ俺!
こう言う時は...そうだ、素数を数えるんだ。
1...2...3...4...
「4は素数じゃなーいっ!」
「それくらい知ってるよ!じょ、状況は分かった...///あの、あれ、ね?」
「あ、はい...すみません///」
「普通に言ってくれれば良いのに...///」
普通には言えないでしょう。
なおも下半身の膨張現象は収まる気配はなく、これでは二人ともお腹を丸めた状態で一夜を明かさなければならない。体が痛くなりそうだ。
「はぁ...はぁ...り、りうちゃん、ちょっと素数を数えて」
「そ、素数?なんで急に?」
「いいから!」
「んっと...1、2、3、5...」
落ち着くんだ。これが悟りを開く漢の素数瞑想だ。
「13、17、23...」
「ぶー!残念。19も素数でした〜」
「...」
むにゅっ。
「ぎゃああぁぁあああぁっ!!」
「いじわるするから仕返し」
「すみません!すみません!19は素数ではありません!」
いや、素数でしょう、普通に。
※※※
その後、恥ずかしさを通り越えたのか、りうちゃんは度々自分のお腹を俺の股間に押し当てて、俺の反応を楽しんでいた。完全に遊ばれてしまった。
そして正直、何度か暴発してしまいそうになった。
勘弁してください。
しばらくして、まだ膨張現象は続いていたものの、りうちゃんが動かなくなったな、と思ったら、スー、スー、という寝息が聞こえてきた。
一日はしゃいで楽しんで、そして気付いたら寝落ち。まったく、こういうところは子供っぽい。
彼女の布団に戻してあげようかと思ったが、明日の朝、怒られそうだなぁと思って、そのまま自分の布団で寝かせてあげることにした。それに、せっかく一つの布団の中で一緒に眠れるのに、この機を自ら逸するなどという勿体無いことはできない。
男の諸事情たるものは不安の余地があるが、物理的に触れなければ大丈夫だろう。多分。
部屋の電気を消し、布団を掛け直す。
今日は本当に充実した一日だった。
日常から抜け出し、非日常をりうちゃんと二人、存分に楽しんだ。
いつも思うが、彼女と過ごす日々はまさに夢のようだ。本当に夢じゃないかと思い、頬をつねってみるが、痛いだけ。その痛みが現実であることを教えてくれるので、ちょっと嬉しい。
仔猫のように丸くなって寝息を立てる彼女の頭をそっと撫でる。さらさらとした髪から淡く良い香りが漂う。
彼女を起こさないように、静かに布団を抜け出し、そっと、障子戸を開けて縁側に出た。
身を切るような寒さが体を凍てつかせる。
闇夜には、眩しいくらいの有明月が浮かび、白川の郷を煌々と照らしていた。
縁側に腰掛け、部屋にあった膝掛けを掛ける。
本当に静かだ。
何の音もしない。
自分たち以外に宿泊客がいないということもあり、静謐さはより一層深いものに感じられた。
切り取られたこの空間は、今、自分と彼女のためだけにあるように思えた。
ぼんやりと、有明月を眺める。
ふと、今は亡き父さんのことを思い出した。
なぜだろう。ドライブの時も、父さんとの思い出を反芻した。
それは俺を、悲しい思いにはさせなかった。心に大切にしまってあったアルバムをそっと置いていってくれるような、そしてその柔らかい表紙に触れるような、そんな感覚が心に宿った。
父さん。
昔父さんは、俺に、こんなことを言っていたよね。
「お前にも、いつか大切な人ができたら、その人のことを、目一杯大切にしてあげなさい。これ以上ないくらいに。それから、その人と一緒に、目一杯幸せになりなさい」
「父さんには、そういう人がいるの?母さんのこと?」
「そうだな。母さんと、お前だよ」
そう言って、父さんは照れ臭そうに笑っていた。
父さん。
俺、大切な人、できたよ。
父さんと、母さんと、同じくらいに。
守られるだけじゃなくて、守ってあげたい、力になってあげたいって、本気で思える人が。
一緒に幸せになりたいって思える人が。
まだまだ、俺はこんなだけど、いつか彼女の力になって、癒しになってあげたいって思ってる。
ちっぽけな俺だけど、全部を捧げても、大切にしたいって思う人。
俺は、父さんみたいに立派じゃないし、母さんみたいに賢くないけど、でも、彼女を想う気持ちだけは誰にも負けない。だから、見守っていてください。
※※※
いつの間にか、寝ちゃっていたみたい。
電気が消えている。
隣にいた彼は、いなかった。どこに行ったんだろう?
...あ。
縁側の方から声が聞こえてきた。そんな寒いところにいたら風邪をひいちゃう。
でも。
その声を聞いて、私は再び目を閉じた。
いけない、と分かっていても、こんなに静かだから聞こえてきちゃうよ。
まったく、そういうところ、詰めが甘いんだから。
呼び戻したいけど、今はそっとしておこうかな。
(いつも、ありがとね)
心の中でそっと呟く。
さっきまで彼がいた場所に顔を埋めると、まだほんのり熱が残っていた。
温かい。
音を立てないように静かに呼吸してみる。
布団の中からは、ほんのりと、彼の匂いがした。
Fin.
れぶん
2021-07-02 04:52:08 +0000 UTCPoppin_Oyaji
2021-06-12 23:54:35 +0000 UTCれぶん
2021-01-17 11:25:16 +0000 UTCyoshinomura
2021-01-14 04:00:46 +0000 UTCれぶん
2021-01-12 09:41:49 +0000 UTCしょこにゃん
2021-01-11 20:03:00 +0000 UTCれぶん
2021-01-11 03:36:42 +0000 UTCメイ
2021-01-11 01:15:46 +0000 UTC