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第9話:その浜辺に落としたのは。



覆いかぶさるような澄んだ青空。

海岸沿いの県道からでも、波の寄せて引く音が心地良く聞こえてくる。


「海が見たい」


りうちゃんの一言から連休を利用して、俺たちふたりは秋田県の男鹿半島に来ていた。


東京から、在来線と新幹線に揺られること7時間。長旅を経てようやく到着だ。

ひとつ大きく伸びをして、宿泊予定のホテルのエントランスをくぐる。


「ようこそ、おいでくださいました」


品の良さそうなスーツを着た中年男性フロントマンは、自分たちの手荷物を持ってくれる。


「ありがとうございます。それにしても寒いですね」

「いえいえ、これでも今日は、この時期にしては珍しいくらい暖かいんですよ」


そ、そうなのか...恐るべし、東北。


そしてそのまま部屋へ通してくれた。チェックイン時間の少し前だったが、ルーム清掃が終わっておりますので、とチェックインをさせてくれたのだ。サービスが良いじゃないか。


「わぁ!すごいすごい」


部屋に入るなり、りうちゃんが感嘆の声を上げた。


「おぉー!お洒落な部屋だ」

「海の中にいるみたいー!」


部屋はツインルームで、綺麗に清掃が行き届いていた。

壁や床が、水色や藍色など海を連想させる彩りになっており、照明がしっかり部屋を照らしているので全体的に明るい。


海の雰囲気をお部屋でも。粋な計らいだ。


破格の宿泊料金だったので、こんな素敵な部屋とは思いもしなかった。


上着を脱ぎ、手洗いうがいをして、部屋に備え付けられたポットでコーヒーを淹れる。

りうちゃんもお茶と悩んだ末に、コーヒーを飲むことにしたらしい。

お互いのベッドに腰掛け、カップを片手にホッと一息。


「来ちゃったねー!秋田県」

「りうちゃん、ここ最近ネットで調べまくっていたもんね」

「楽しみだったんだもん。男鹿半島のサンセットってすごく綺麗なんだって。遮るものがないから、水平線に太陽が沈んでいく様子が見えるって」

「へぇ、今日は天気も良いし、見られるといいなあ」


男鹿半島は秋田県の北西端に位置している。日本地図のちょこんと尖った部分にあたる。すなわち、海の向こう側、西に沈む太陽を存分に拝めるロケーションだ。


部屋は暖房が良く効いていた。...というか、ちょっと効き過ぎなくらいかも。正直暑い。

この季節は、東京では暖かい日もあったりするが、秋田県ではそうはいかない。今年は雪が少なかったとはいえ、道路沿いにはこんもりと雪溜まりがあった。気温が全然違うのだ。


「今日はいっぱい遊んでもらうからね!」













シャツがはだけ、可愛らしいピンク色のブラジャーが丸見えだ。


りうちゃん、暑いからってちょっと大胆過ぎ!


目のやり場に困り、横を向いてコーヒーで口を湿らす。


「う、うん。最近あまり遊べなかったもんね。ごめんごめん」

「お仕事大変そうだし、あんまりわがまま言っちゃいけないって思うけど...ちょっと寂しかったんだよ」


最近は仕事が忙しく、夜も遅くに帰ってきて、りうちゃんが作ってくれたご飯を美味しく食べると猛烈な睡魔が襲ってくる。ろくに会話もせずに寝入ってしまう日々だった。


「ごめんよ。どうも疲れが溜まっていたみたい」

「うん、だから今日と明日は海の空気をたくさん吸って、遊んで休んで楽しく過ごそっ!」




※※※




堤防の隙間から浜辺に出ると、爽やかな浜風が吹き、オーシャンブルーが両手を広げて出迎えてくれた。

視界の端から端まで全てが、絵の具で塗られたような青。

海。空。そして浜辺の白。

全てが都会のそれらと異なっていて、現実なのに異世界に足を踏み入れたような感覚だ。


「ちょっと寒いけど気持ちいいね!」


りうちゃんは厚手のダッフルコートにマフラーと手袋で防寒している。自分も似たような格好だ。



トットット...と、りうちゃんは波打ち際の方へ走り出す。砂浜に足を取られないか心配だったが、意外と器用に浜を走っている。その後ろ姿が子供っぽくて愛らしい。

自分ももっと海の近くまで行ってみようと、りうちゃんの背中を追いかけ始めたところで、視界の端に人の姿を捉えた。


妙齢の女性だ。少し距離があるので表情までは良くわからないが、その格好はとても目立っていた。

金髪のロングヘアに全身黒の革ジャンに革パンツ。ハーレー・ダビッドソンにでも跨らせたら、それはそれは良くお似合いだろう。


りうちゃんもその女性に気づいたようで、視線を送っている...と思ったら突然彼女に近づき、声を掛けだした。


「ご旅行ですかー?」


自然な流れで俺もりうちゃんの後ろに立つ。


謎の女性は、りうちゃんと俺を一瞥すると、とても驚いたような表情を見せた。


ここまで近づくと彼女の容姿もはっきりと分かる。

年齢はりうちゃんより少し上、くらいだろうか。りうちゃんはそもそも童顔なので、ふたりが並ぶと、彼女は随分と大人に見えるが。

細身で目鼻立ちがくっきりとした、少し日本人離れしたような美人だった。


「あ、俺たちも旅行で来ているんです。えっと、そのーーー」


謎の美人は、大股で俺に近づくといきなり胸ぐらを掴んだ。嫌悪感を十分に帯びた顔で俺を睨む。

何か言いかけたが、諦めたようにチッと舌打ちをし、去っていってしまった。


唐突過ぎて空いた口が塞がらない。今のは一体...


「お、お知り合い?」

「まさか。え、俺何かしたっけ...?」

「声かけた、だけだよね...?」

「どういうこと...?」


なんだかすごく気分が悪い。どうしていきなり見知らぬ女性に胸ぐらを掴まれて舌打ちされなければならないのか。世の中不条理にも程がある。


「ちょ、ちょっとあっちいこ、ね?ここの浜辺には綺麗な貝殻が埋まっているらしいよ!」


りうちゃんの気遣いが有難い。

せっかくの旅行だ。よく分からないが、気を揉んでいても仕方がない。さっきのことは忘れて、りうちゃんとの時間を楽しもう...




※※※




「あ、これ綺麗ー!」

「本当だ、他のとは違うね」


俺とりうちゃんは、浜辺で綺麗な貝殻を探して遊んでいた。


真上を過ぎて傾きかけた太陽が、どこまでも静かな浜辺にほのかな暖かさを注いでいる。それでも寒さは東京のものとは比べ物にならない。正直ホテルに帰りたいなと思うが、りうちゃんは貝殻探しに夢中だ。せっかくだし、サンセットを拝むまでは付き合ってあげよう。


「あれ?これネックレス?」


紫色の綺麗な貝殻は、幾つか連なって輪を成している。


「あ、そうじゃないかな。手作りかも。それにしても本当に綺麗だね」

「うん、キラキラしていてすごく綺麗。ふふーん!日頃の行いかな」

「俺の?」

「私の」


さいですか。


やはり気になるのだろう。りうちゃんは貝殻探しをしながら、先ほど話しかけた金髪の女性の方をチラチラと見ている。

彼女は少し離れたところで砂浜に座り込み、じっと海を見ていた。


「あの人、すごくつらそう」

「つらい?あんな横柄な態度を取っておいて?つらいのはこっちだっての」


さっきの出来事を思い返して、ついムカッと口調が強くなってしまう。


「それは...ひどいと思ったけど、でも、きっとすごく苦しんでいる」

「どうしてそう思うの?」

「分からない。上手く言えないけど、でもそんな気がするの」


りうちゃんは、不思議な霊感でも持っているのだろうか。それともただの思い過ごしか。俺には全く分からない。


謎の美人女性は、長い金髪をバサバサと振ると、立ち上がり、堤防の中へと帰って行こうとしていた。


「あ、そうだ」

「え、ちょっ!?」


りうちゃんはそんな彼女の元へ、再び、トットットと駆け出した。


これだから好奇心の権化は...


あの様子だと、万が一、りうちゃんが乱暴されるかもしれない。正直、もう関わりたくないが、俺もりうちゃんの背中を追う。


「あの!」


りうちゃんが声をかけると、彼女はこちらを振り返った。りうちゃんを一瞥した時は無表情だったが、その後ろを追いかけて来た俺を見ると、また嫌そうな顔をする。

そんなに俺のブサメン具合が気に入らないのか。


「こ、これ!良かったらどうぞ」

「...!」


りうちゃんがさっき拾った貝殻のネックレスを差し出すと、表情が一変、すごく驚いた顔つきになった。


「どうしてそれを...?どこで!」

「あ、あ、あそこで拾って」


りうちゃんはさっきこれを拾った場所を指差す。

金髪の彼女はそれを、ひったくるように取った後で、ぼそっと、


「ありがと」


と言った。そして視線を外して、


「大切なものだったんだ」


とも。


「そうだったんですね、それは良かったです」


りうちゃんはにっこりと笑顔になる。


やはりりうちゃんの笑顔は男女関係なく、人を惹きつける魅力に溢れているらしい。

金髪の彼女は、ふぅ、と息をつくと、少し柔らかい表情をした。


「ゆうか」

「え?」

「あたしの名前。優しいに夏で、優夏」

「素敵な名前ですね。わたしはりうと言います。平仮名で、り、う、です」


りうちゃんのコミュニケーション能力の高さには舌を巻かざるを得ない。ほんの数十秒でここまで打ち解けるとは...それも、剣呑な雰囲気を醸したばかりの相手と。この好機に便乗しない手は無い。


「あ、お、俺はーーー」

「あんた、何者だ」


ダメだった。

敵意を抱いているのはりうちゃんじゃなくて、なぜか俺だけに対してのようだ。

彼女はまた舌打ちをすると俺から視線を逸らした。


「どうしてこの人を、そんなに嫌がるんですか?」


助け舟なのか、好奇心なのか、りうちゃんがストレートに聞いた。俺の心拍数が上がる。寒空の下、嫌な汗をかきそうだ。


優夏と名乗った金髪美女は、大きく溜息を一つ吐いた。


「...そっくりだったんだよ。母とあたしを捨てたあいつに」

「あいつ?」

「父親だよ。顔も声も、仕草までそっくりで、初めは本人かと思った」


そっくり、と言われても。

結婚はおろか、父になった覚えはない。まして、こんな金髪美女を子に持つ親になったつもりなど毛頭無い。


「でも、違うんだよな」

「はい、違います。俺は結婚していませんし、子どももいません」


今度ははっきりと、俺が答えた。


彼女はそんな俺を見ずに、遠く海を見た。なんとなく俺もそれに倣って海を見る。

太陽が傾き、海の色が少しずつ豊かになっていく。


切り上げるタイミングを見計らっていると、りうちゃんが彼女に話しかけた。


「ご事情は詳しく分かりませんが、つらいですね...」

「別に。つらくなんかない。あんな奴、もう死んでるんだし」

「亡くなられた...のですか?」

「知らない」

「え?」


今度は俺が声を上げた。

死んでいるのに、知らない、とは。



「知ってるかもしれないけど。行方不明になった人は、7年間が経つと法律で死亡したこととして取り扱うことができるんだよ。家族が死亡認定を希望していれば。父...あいつは、あたしと母さんを捨てて行方を眩まして、それっきりもう10年以上経つ」


そういう制度があるのか。だから“知らないけど死んでる”ということになるわけか。


「会いたい、と思ったことはないんですか?」

「ないね。顔も見たくない。いっそーーーいや」


本当に死んでいればいい。


その言葉を紡ぎたくなかったのか、一旦口をつぐんだ。


きっと、ふたりの間には、溶けることのない氷壁があるのだろう。父を亡くしている俺は、それでもふたりの雪解けを願うが、会うことも話すこともできないのでは、解きようがなかった。


「俺も幼い頃に父を亡くしているんです。俺の父さんの場合は事故でしたけど」

「そっか。つらかっただろうね」


ちょっとびっくりした。彼女が俺に対して、初めて優しさを見せたのが。自分が彼女の父ではないことが分かって、少し打ち解けてくれたのだろうか。


「悪かったね、つらくあたって。申し訳ない」

「いえ、気にしないでください。もしご本人だったら、あなたさまのお気持ちは当然ですから」


ふっ、と嘲笑気味に笑って、彼女はその場に腰を下ろした。俺とりうちゃんも砂浜に座る。


「あいつの話はもういいや。...これ」

「ネックレス、ですか?」

「そ。あんたが拾ってくれたこのネックレスさ、母さんがあたしにくれたプレゼントなんだ」

「とても綺麗です」

「ありがと。この辺ふらふらしてたら落としちゃって。必死で探していたんだけど見つからないから、諦めて帰ろうとしていたところで」


それを貝殻探検隊のりうちゃんが見事に見つけた。お手柄だ。


「お役に立てて良かったです」


りうちゃんの笑顔を見て、「あんた、可愛いね」と一言呟いて、彼女も笑った。

柔らかい表情の彼女は、とても綺麗だった。美人、の一言では物足りないくらいに、美しいと素直に思った。


「形見なんだ」

「え?」

「母さん、つい数日前に亡くなったんだ。末期癌でさ」

「そんな...」

「それで、昨日が通夜だったんだよ。ここは母さんの地元。元々あたしが住んでいた所だね」


優夏さんは、両親ともに失ってしまったのか。この若さで。


砂浜に並ぶ長くなったみっつの影を眺めながら、俺は心がギュッと締め付けられた。

父さんを失った時に経験した悲しみ、茫然自失とした日々。それらを思い返すと、両親をともに失った彼女の悲しみは計り知れない。


「あたし、18の時に家を飛び出してから今まで3年、一度も帰ってなくてさ。本当は母さんに会いたくて会いたくて、仕方なかった。でも、自分で決めた道だったから」

「決めた、道...」


ひとつ、小石を海に放り投げると、彼女は堰を切ったように話し始めた。


「抗癌治療って、すごく金がかかる。だから都会に出て、あたしが稼いで母さんに楽させてやりたい、せめて治療費の一部だけでもって。...あいつが消えてから女手一つであたしを育ててくれた母さんに、恩返しがしたくて。ひとりで立派に稼いでいけるようになるまで帰らねえ!とか啖呵切って飛び出したんよ」


かっこいいな、と思った。自分が同じ立場でもそんなことは絶対にできないだろう。


「母さんとは、手紙のやりとりを年に数回していたくらいでさ。その手紙読む度に、この海を、母を、思い出して。胸のところが熱くなったりして。本当は毎日でも書きたかったけど、あたし、甘ったれだからさ。きっとそんなことしたら全部中途半端になっちまうと思って。

 ...仕事は上手くいくどころか、自分の食いぶちを稼ぐだけで一杯一杯。母さんに仕送りなんてロクに出来なかった。親孝行しに上京して、親不孝者になってたんだよ、あたし」

「そんなことないです」

「良いって、気ぃ遣わなくて。実際そうなんだし」


本当にそんなことは無いと思っているのだが、なんというか、彼女はすごく気持ちの良い性格をしている。初対面なのに、お互いに気を遣わない関係を、無意識で構築していくような。...こんな、つらい状況なのに。


「あれ以来、初めてここに戻ってきたのが昨日。母さんのため、と思って飛び出して、帰ってきたら母さんはもう、喋らなかった。母さんの笑顔を取り戻したくて、必死に働いて。危ない目にも遭ったし、嫌なことも沢山あった。それでもあたしなりに精一杯頑張ってるつもりだったさ。

 『あたしが食わしてやるから。あたしが母さんの分まで!そうしたら、また一緒に暮らそう』って、最後の手紙に書いたんだ。

 ...でも、母さんはもう、笑ってはくれなかった。優夏、ってあたしを呼んで、昔みたいに微笑んでほしかった。母さんは...母さんはもう、死んじゃった。あたし、独りぼっちになっちゃったよ」


言葉が、出ない。

彼女の悲しみは、深い。この海の奥底よりもずっと。

何も言えないまま、何の励ましも与えられないまま、時間だけが過ぎていく。

永遠の別れが、沁みるほどの光をたたえた海原に溶けていく。


彼女は胸にギュッとネックレスを強く抱き、黄金色に染まる海を見ていた。

瞳から、表面張力に負けた一筋の涙が白い頬を伝い、夕日に煌めいた。


その涙を彼女は拭おうとしなかった。代わりに、母を呼んだ。


「母さん...母さん...!」


何度も、何度も、何度も。


「母さん!母さん!会いたいよ...お母さん...!」




母を呼ぶ彼女の声がどこまでも静かな浜辺に轟き、とろけるように、真っ赤な太陽が、水平線の彼方へ吸い込まれていく。

俺もりうちゃんも、彼女と一緒に黙って海を見ていた。




彼女が砂浜に落としたのは、形見のネックレスと一粒の涙。




本当は、母との思い出のこの場所に、後者を落しに来たかったんじゃないか。

傷心を癒すために、心にケリをつけるために。

そう、思った。






To be continued...

第9話:その浜辺に落としたのは。 第9話:その浜辺に落としたのは。

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