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第8話:バレンタイン・エロティック




「という訳で、今日は、ガトー・ショコラを作ります」


有栖川りうシェフはそう、高らかに宣言した。




どういうわけか、先日りうちゃんが家に遊びにきた日に、今日の予定を空けておいてと言われていた。お菓子作りをするから食べてみて欲しいんだとか。

俺のカレンダーが仕事以外の予定で埋まることはないし、りうちゃんの手作りお菓子なんてこちらからお願いしてでも食べたいくらいだ。


「はい、シェフ。楽しみであります!」


そういうことで、当然のように今日、俺はりうちゃんの家にお呼ばれしている。

丁寧に敷かれた絨毯に座り、漫画を拝借する。りうちゃんが持っているこの漫画が面白くて、実は続きが気になっていたのだ。読みながら、ガトー・ショコラの完成を待たせてもらおう。


でも、ひとつ聞いておかなければならないことがある。


「あ、あの。ところでりうちゃん」

「なあに?」

「その格好は...」

「メイド服だよ」


それは見れば分かる。

彼女は、丈の短いメイド服を着ていた。いわゆるお金持ちのお屋敷に仕えるような本格派メイドの服装とは少し違う。ポップな可愛さを全面に押し出した、コスプレやメイド喫茶に居そうな雰囲気だ。


なぜ、彼女がこのようなメイド服を持っている?


掛け持ちでアルバイトをしていると言っていたが、その片方がメイド喫茶だったりするのだろうか。この類の店が大流行したのはひと昔前だが、場所によっては未だに根強いファン層に支えられ、賑わっていると聞く。


そんなお店で、何処の馬の骨とも分からぬ男子たちに、

『お帰りなさいませ。ご主人様♡』

とか言っているのか!?

生きとし生けるもの全てを魅了せしめるあのスマイルで、ハートのオムライスを提供しているのか!??


「うわああああああっ!!」

「ちょっと!?...そんなに、変かな...」

「あ、ご、ごめんちがう!りうちゃんのメイド姿は本当に可愛い!冥土の土産に持っていきたいくらいに!」

「何その駄洒落」


プッと吹き出し、彼女は口元に手を当ててクスクス笑う。


機嫌を損ねなかったようでホッとする。

しかし、もし俺の勝手な妄想が現実だったとしたら。例えそれが、アルバイトの賃金を対価に仕方なくやっていることだとしても、やっぱり嫌だ。ヤキモチを焼いてしまう。


「エプロンなの、私の」

「え?」

「メイド服をエプロンとして使っているの」

「マジですか」

「うん。おかしい、かな?」

「おかしくなんてないよ!でもなんでメイド服なんて持っているの?バイト先のメイド喫茶から借りて来たとか?」


俺氏、さりげなく確認しちゃう。

こういうところは情けない。と、思いつつも、やっぱり気になってしまう。


「メイド喫茶でバイトしたことはないなあ。ああいう接客業は私ちょっと苦手で...普通に自分で買ったんだよ」

「だ、だよねー!うん、すごく似合ってるよ!でもどうしてメイド服を選んだの?」

「だって...可愛いんだもん」


その照れた顔の方が可愛い。しかもメイド服を着ながら。

感無量である。


「今の、もっかい言って?」

「やだ」


自分の勝手な妄想の当てが外れて安堵したのか、すぐ俺は調子にのってしまう。

それにしても、予想が外れて本当にホッとした。


「お願い!」

「絶対やだ」


彼女は、プイッと後ろを向いてキッチンに向かってしまった。




※※※




「今日は何の日でしょう!」


漫画を読んでいたら、唐突に水を向けられた。

完全に忘れていた。そうだ、今日は、


「あー、バレンタインデーかあ」


2月14日。

本日は、とりもなおさず、聖バレンタインデーだ。

日本では、単にバレンタインデーと呼ぶことが多い。


聖バレンタインデーは、ローマ帝国時代の歴史にちなんだ日だ。

当時のローマ帝国は、国軍兵士たちの士気低下を防止するため、兵士の結婚を禁止していた。兵士たるもの恋などにうつつをぬかすでない。邪念を捨て、国のために闘え、という訳だ。

しかし、愛する人間同士が互いに結ばれたいと願うのは、いつの時代だって変わらない。そういった恋人たちのために、ローマ帝国の皇帝に秘密で結婚式を執り行っていたのが、キリスト教の聖バレンタイン司祭。この件が帝国側に露呈し、聖バレンタイン司祭は生贄という形で殉教する。

この話に由来し、恋人たちが愛を祝う記念日として設けられたのが、聖バレンタインデー、とのことだ。

無宗教な日本では、そこまで厳密な日という訳でもなく、女性が男性にチョコレートを贈る日、とされている。好きな人なら本命チョコ、社交辞令なら義理チョコ。




学生時代は、この日にいくつのチョコレートを貰えたか、が男子の中でステータスとされていた。俺8個〜、俺5個しかもらってねえし。などとリア充男子たちがチョコ自慢をしているのを、教室の隅の方で他人事として眺めていた。


(ふん、どうせ義理チョコの寄せ集めパックだろ)

(俺の1個は本命だぜ...母さんのな!!)


口には出さず、そんなことを脳内で叫びながら帰路に着いたものだ。


頭を振って、ビターな青春時代の思い出を振り払う。


キッチンに立つりうちゃんは鼻歌まじりに、しゃかしゃか、とチョコレートとメレンゲを混ぜている。

「バレンタインデーに、りうちゃんの手作りガトーショコラを食べさせてもらえるなんて...」

涙で視界が滲みそうだ。じーん、と胸が熱くなる。



母さん、俺、母さん以外の女の人から、バレンタイン・チョコを貰ったよ。



郷里の母に、文の一つでも綴りたい気分だ。


「ね、味見してみる?」

りうちゃんが振り返って訪ねてくる。













ひらり、とメイド服のスカートが舞い、可愛らしいパンツがチラッと見えた。ブルーの縞パンツ。


「あ、味見!?」


俺はそんなにパンツ好きだと思われているのか。いや、りうちゃんのは大好きだけれども。

それにしても味見とは。

白パンツと縞パンツとでは、味が違うのか。そんな、まさか。


「うん、あとはオーブンで焼くだけだから」

「あ、チョコの方ね」

「え?何を味見するつもりーーー」

「いやいや!そりゃチョコでしょ!あー、楽しみだなー!...って」

「はい」













はい、と言われて絶句する。

ボウルで混ぜたチョコレートを人差し指で掬い、俺の方へ差し出す。

これを味見するということは、すなわち、りうちゃんの指を咥え、舐めるということに他ならない。


「早くしないと垂れちゃうよ」

「いや、えっと、あ、はい!」


ええい、ままよ!


漫画本を床に置き、彼女の方へ擦り寄る。

トロ〜っとした指先のチョコレートを眺める。部屋の電気が反射して、なんだかとても...えっちだ。


俺はゆっくりと口を開け、彼女の指を自分の口内へ挿入する。

そして、噛まないように気をつけながら、優しく口を閉じ、舌を使って指先のチョコレートを舐めとる。

彼女の指の、第二関節辺りまで舌を伸ばし、吸い取るようにしながら引き抜いていく。


これ、やりたいより、やらせたい。


素直にそう思い、素直に反省した。



ちゅぽっ...



エロティックな音を立てて、彼女の指を口から引き抜いた。


「どう?」


心臓がバクバクと強く唸っている。

すごく性的なことをしているようで、背徳感と高揚感が、チョコレートとメレンゲの如く混ざり合い、俺の内側を熱く焦がしている。


「お、おいしい...!」

「良かったぁ」


彼女は、満面の笑みで満足そうに笑った。

俺も、出来上がりが楽しみ、なんていうことを言いながら、実は心は上の空だった。


もちろん、バレンタインデーに手作りチョコレート菓子を食べさせてくれるという彼女の図らいはとても嬉しい。しかし、この棚からぼた餅とも言うべき、エロティックなシチュエーションが勝ってしまった。

正直、チョコレートの味を吟味する心の余裕はなかった。


(完成したらちゃんと味わおう...)


嬉しそうな彼女の笑顔を見ながら、少しばかりの罪悪感を覚え、胸中で謝る。



母さん、俺、美少女女子高生の指先を咥えさせてもらったよ。



郷里の母に文を綴るのは、またの機会にしよう。




※※※




ガトー・ショコラを全て平げ、2人はゆっくりコーヒーとカフェオレを愉しんでいた。

「めっちゃくちゃ美味しかったよ!あんなに美味しいガトー・ショコラなんて、人生で初めて食べた」

「キミは大袈裟だなあ」

「本当だって」


彼女の作ったガトー・ショコラは、洋菓子店顔負けと言っても過言ではない出来栄えだった。

控え目ながらも、甘味が内側からふわっと広がり、しっとりとした舌触りの良い食感とふんわりした軽さが共存していた。


「りうちゃん、なんでこんなに料理が上手なの?」

「うーん。自分では普通の学生に毛が生えたくらいだと思うけれど...」

「それはあり得ないって。上手過ぎるよ」


珍妙な表現はさておき、これで毛が生えた程度なら、その毛はアマゾン流域の熱帯雨林さながらに繁茂していることになる。


「そうかなぁ。でも、そう言われると嬉しいよ!ありがとう」

「こちらこそ、美味しいバレンタイン・チョコをありがとう」


人生で初めて貰った、母さん以外からのバレンタイン・チョコレート。

それは、彼女の手作りガトー・ショコラだった。嬉しくて口元がにやけてしまう。


お酒を飲んだ訳でもないのに、今日という幸福な1日に陶酔してしまったみたいだ。つい、大胆な言葉が口を吐いて出る。


「ねえ、りうちゃん」

「なあに?」


彼女はカフェオレを啜りながら、上目遣いにこちらを見る。


「今夜、その、俺の家に泊まりに来ない?なんだか今、すごく幸せでさ、もっとりうちゃんと一緒にいたいなー、なんて」

「いいの?」

「もちろん」

「やった!行く行く!ゲームもしたいし、片付けて準備したらすぐ行くから先に...あっ」


何かを思い出したように、りうちゃんが口元に手を当てた。


「どうしたの?」

「...寝返り打ったフリしておっぱい触らないなら、行っても良いよ?」

「あ、あの時はたまたまだって!本当にそんな気はなかったんだって!」

「ふーん」


くそっ!また俺をいじって遊ぶモードか。

ふん、そっちがその気なら...


「りうちゃんだって、この前、夜中に俺のち...股間触ってきたじゃん」

「は!?///ち、違うし!あれは掛け布団を直そうとしたら当たっちゃっただけだもん!キミが変な態勢で寝ているから」

「ほほーう。偶然だった、と?」

「だからそう言ってるでしょ!」


ガトー・ショコラの残り香を部屋に、2人はやいやいと、言い合いを続けるのであった。





fin.

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