口数は少なかった。
「学校には行かなくて良かったの?」
「うん。本当は行かなきゃいけないんだけど、明日でも大丈夫だから」
「そっか。その...」
「うん?」
「あ、いや...ケ、ケーキ、お土産に持って帰らせてもらえて良かったね」
「うん」
ふたりは並んで歩く。彼女の自宅に向かって。
そこには、電話口で“みずき”と名乗った男性が来るらしい。
彼とりうちゃんがどんな関係なのか。彼女の横顔をチラチラ見てしまう。しかし、表情からは何も読み取ることはできなかった。
俺も一緒にいて良いのだろうか。もちろん、約束をしていたのは俺の方だし、俺にとってはカフェデートを妨害されたも同然だ。何者かくらい知る権利はあるだろう。
それと同時に、何者か知りたくもなかった。
最近の子はマセている。もしかしたら、りうちゃんの“元カレ”なんていうこともあり得なくはない。そこまで突っ込んだ過去の話をしたことはない。だから、そういった存在がいても何もおかしくないし、りうちゃんに何の落ち度もない。
そもそも自分は彼女の恋人という訳ではない。恋人のように毎日を一緒にすごしているだけの友達に過ぎないのだ。
※※※
みずき青年は、すでにりうちゃんの自宅アパートの前で待っていた。
りうちゃんが大きく手を振ると、俺を見るなり、丁寧にお辞儀をした。恭しいと言っていいほど丁寧に。
顔をあげると、爽やかな笑顔で、彼はもう一度会釈をした。
超美少年だ。美青年か。
りうちゃんと同い年くらいだろうか。
サラッとした黒髪が短く切り揃えられており、清潔感のあるブルーのシャツに紺のジャケット、チノパン。そして男の俺が見ても目を惹かれてしまうほどの整った顔立ち。
男として勝てる要素が見当たらない。
「すみません。デート中にお呼びたてしてしまって」
少しハスキーな声が色っぽかった。
「デ、デートだなんて、そんな。大丈夫です」
「みずきくんも急過ぎるよ。私も予定があるんだから、前もって連絡してくれれば良いのに」
「ごめんごめん、サプライズのつもりだったんだ」
サプライズでりうちゃんに会いに来た?このイケメンが?
心がざわついた。
一体この美男子は何者なんだ。確かに思えば、りうちゃんだって、超が付くほどの美少女だ。俺とこうして縁が出来ているのが奇跡なのだ。
俺とみずき。こうしてふたりが並んでいると、どう考えてもみずきとの方が彼女と釣り合うだろう。誰が見ても、俺がお荷物でしかない。
もう、元カレならそうだと言ってほしい。
こういう心のざわつきには慣れていない。三十路を手前にして、恋には初心者なのだ。
今カレじゃないなら何だっていい。俺だってこんな図体だが、りうちゃんへの想いは本気だ。
もし、彼がりうちゃんとやり直そうだなんて言い出したら、なけなしの勇気を振り絞って、彼に食ってかかるだろう。
りうちゃんの前に立ちはだかるだろう。
どんなイケメンだろうが、どんな好青年だろうが、りうちゃんだけは渡さない。絶対に。
「えーっと、みずき...さんはーーー」
「いつも姉がお世話になっております、彼氏さん」
※※※
カーペットの上のローテーブルを囲むように三人は座っている。
俺、りうちゃん、みずきくん。
「えっと...改めて。みずぎさんは、りうちゃ...さんの弟さん、ということですか?」
「はい。りうの弟、有栖川瑞稀(ありすがわ みずき)と申します」
弟。
りうううううう!!!それを先に言わんかーーーーい!!!
「姉がいつもご迷惑をおかけしてすみません」
「私迷惑なんてかけてないもーん。あんまり」
「姉さんはちょっと黙ってて」
黙ってて、と言われて、りうちゃんはみずきくんに舌を出すと、そっぽを向いて漫画を読み始めてしまった。
「あと、みずき、で良いですよ。それに敬語を使わないでください。彼氏さんの方が年輩ですし。恐縮してしまいます」
「えっと、じゃあみずき...くんとよばせていただき...あ、呼ぶね?」
「あはは...」
俺はみずきくんに、りうちゃんとは恋人同士という訳ではない、と先ほど簡単に説明した。それでもみずきくんは、俺のことを『彼氏さん』と呼ぶ。
「その方が親近感があって、ボクも嬉しいです」
なんというか。
この青年、有栖川瑞稀くんは、色々と完璧だ。
容姿端麗なだけでなく、礼節をわきまえ、年上を敬い、そして全く嫌味なところがない。
とても気持ちの良い美男子だ。さすがはりうちゃんの弟さんといったところか。
一方、姉の方は、ぐで〜、とだらしない格好で漫画を読んでいた。
見なかったことにしよう。
「それで、どうして突然こちらにいらした...来たのかな?」
タメ口はどうも慣れない。
「実は...両親から姉の様子を見て来いと言われまして。あ、彼氏さんにお世話になっていることは姉から直接聞いていますよ」
ドキッとした。
やましいことは無い...こともないが、一線は越えていない。ちゃんと彼女のことを大切にしているのは本当だ。
それでも、ご家族に全てを打ち明けられる訳ではない。秘密にしたい出来事も多い。
「そ、そうなんだ。えっと、こちらこそ、りうちゃ...りうさんにはお世話になりっぱなしで。大人なのに恥ずかしい限りだよ」
「そうだよー。私もいっぱいお世話して、お世話になって、おあいこだもん」
みずきくんに黙ってて、と言われたりうちゃんは、そう口答えをしながら、摩訶不思議なポーズで漫画のページを繰っている。
「姉さん、行儀悪いって。本当にすみません、ずぼらな姉で...」
「いえいえ、くつろいでいるということは安心している証拠だと思っているから、お気遣いなく」
社交辞令もそこそこに、好青年、みずきくんとあれこれ話が弾んできた。
好きなゲームやアニメの話。映画や小説のこと。
「ボク、実はRPGゲームが好きなんです」
「え、ほんと!俺も俺も!」
「良いですよね!次が気になるけどボス倒せないからレベル上げしたり...新しい武器が手に入った時の高揚感とか」
「そうそう!苦労して手に入れた武器はしばらく更新したくなかったりね」
彼と話しているととても楽しい。
りうちゃんとの会話に話題が尽きないように、みずきくんとも同じだった。
やっぱり、姉弟。似たもの同士だなと感じた。居心地の良さが格別だ。
彼の顔をよく見ると、りうちゃんのそれと同じく、澄んだ綺麗な目をしていた。そういえば目鼻立ちも似ているかもしれない。
初めは何者かと訝しんだが、見た目も中身も、姉弟と言われてストンと腑に落ちた。
その後、色々な会話をして、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
日が傾きかけたところで、
「あっ、すみません。ボクそろそろおいとましますね」
「え、そうなの?せっかくだからもう少し居ればいいのに」
「いえいえ。随分ふたりの邪魔をしてしまいましたし。このあとホテルまで戻らないといけないので」
邪魔だなんてとんでもない。すごく楽しい時間だった。なんなら自分の家に泊めてあげたいくらいだ。
「姉が元気にやっている姿もしっかり見られましたし、ちゃんと両親に報告できます。それに、彼氏さんのような素敵な方が近くで見守ってくれているので、ボク自身もとても安心です。ありがとうございます」
素敵な方。初めて言われたそんなこと。
「な、そ、そんなそんな!恐縮でございます」
最後はやっぱり敬語になってしまった。
「姉さん、あんまり無茶しすぎないようにね。この前、過労で倒れた話は父さんには内緒にしておいてあげるから」
「あー!ありがとう!持つべきものは優秀な弟だなあ」
「ゲンキンだなあ」
そう言って、みずきくんは帰っていった。
※※※
「みずきくん、すごく良い子だね...」
「そう?」
「うん。あー、また会いたいな。友達になりたいし、もっと一緒に遊びたい」
「いいねー、あ、ご飯作るね」
「あ、うん、ありがとう」
あれ?
なんだかりうちゃんの元気がないような気がする。
久々に弟さんと会って疲れたのだろうか。でも、りうちゃんは終始漫画を読んだりごろごろしながら会話に相槌を打っていたくらいだった。それに家族がやってきて疲れるということもないだろう。仲も悪い訳ではなさそうだし。
まあ、気を揉む必要はないと思う。
俺も、りうちゃん家にある漫画を読みかけだった。ご飯を待つ間に、続きを読もう。
...
...
...
「ねー」
「うん?」
「何してんのー?」
「この前読みかけだった漫画を読ーーー」
「ちょ、りうちゃん」
「うん?」
「その、なんていうか、セクシー度合いがすごいです」
「そんなことないよ」
「いやあるって!」
りうちゃんは、自分が漫画を読んでいる間に部屋着に着替えていた。
部屋着、というかもうほぼ下着の状態だ。
大きくUの字に空いた胸元からはしっかりと谷間が見えている。
裾のあたりを縛っいるので、縞々模様のパンツをはっきりと拝めてしまう。
その格好で、四つん這いになって迫ってきていた。
透き通る瞳が、自分に向けられている。
視線は彼女に釘付けになり、漫画本を閉じざるを得なかった。
「わたし、いつも一人の時は部屋を温かくして楽な格好で過ごしているから」
「い、今一人じゃないでしょ!俺いるでしょ普通に!」
「でも独りぼっちみたいなものだもーん」
「どうして?」
「キミの頭の中はみずきくんのことでいっぱいー」
「そりゃ、初めて会ったりうちゃんの弟さんだし、何より話もあうし良い子だし、すごく印象的だったよ」
「ふーん」
ずい、とまた一歩体をこちらに寄せてくる。
谷間が一段階ズームアップした。
「ちょ、りうさん!あの、刺激が強くてですね」
「おっぱい触る?」
「え!?いいの?」
「うそ。絶対だめ」
絶対、とまで言われると、それはそれで触りたくなる。
「がまんしろー、おとこだろー」
「男だから我慢するのが大変なんだって!」
「知ってるー」
「りうちゃん?」
さっきからりうちゃんの様子が変だ。体調には問題ないようだが、言動がなんというか、これは...そう。
「なーに?」
「りうちゃん、ちょっと今、猫っぽいかも」
「にゃーん」
「ぐ...かわいい...」
谷間寄せながらの“接近にゃーん”は反則だろう。
「じゃあ頭」
「頭?」
「撫で撫でして」
「あ、うん、それなら」
彼女の頭に手をのせ、左右に優しく撫でる。
こうしていると、本当に猫みたいだな、と思う。
そうか。
気づいてあげられなかった、彼女の気持ちに。
まったく。こういうところが俺のダメなところだな。
「りうちゃん、さっき寂しかった?」
「うん」
「今は?」
「もう寂しくない」
早い話、りうちゃんはヤキモチを焼いていたのだ。
相手の性別や家族であることは関係なく、俺があまりにみずきくんみずきくん言うものだから、彼女自身がないがしろにされていると感じたのだろう。せっかく、カフェデートをしていたというのに。
反対の手も彼女の頭にのせて、両手でわしゃわしゃと頭を撫でる。
「りうちゃん、もう一回にゃーんって言って」
「やだ」
「えー、可愛かったのに」
「やってって言われると恥ずかしいし」
猫じゃらしでも持ってくればやってくれるだろうか。今度試してみよう。
「ねえ」
彼女が下から見上げてくる。
「うん?」
「ご飯たべた後で、今日持って帰ってきたケーキ、一緒に食べよ?」
「うん、もちろん」
「いちごは半分私のだからね」
「はいはい」
そう言うと、彼女は俺の肩にコトン、と頭を預けてきた。
俺はそれを、控えめに抱き寄せた。
彼女の髪から、ふわっと良い香りがした。
fin.