この岩は、『ニーラン神石(ニーランカントゥイ)』と呼ばれているらしい。
竹富島の西側に位置するコンドイ浜、その北側に、海に突き出すように形成された西桟橋。
それらのちょうど真ん中辺りに、人知れずポツンと佇む一つの岩があった。
腰の高さくらいの岩だが、周りには海と空以外何もないので、その存在は異彩を放っている。
相変わらず、海はどこまでも青く、広く、雄大だ。
空との境界線がくっきりと分かれ、胸のすくような潮風が、俺の髪を優しく撫でていく。
「りうちゃんは昔、崖から落ちたことがあったんだよね」
「うん、高い崖から落ちて、気を失ってしまったの。落ちた後の記憶は無くて、気づいたら家で寝ていたんだけどね」
以前俺は、荒廃した不思議な世界にタイムトラベルのようなことをした。
夢の中のような話、異世界転生物語のような話だったが、あれは夢ではないと今でも確信している。
そこで、“もう一人のりうちゃん”と出会った。彼女から聞いた話では、りうちゃんは幼い頃、崖から転落し、生死の境をさまよったそうだ。その時の衝撃で、りうちゃんの魂はふたつに分離し、一つはこの世界に、もう一つは荒廃した未来の異世界に飛ばされたという。
そのことについて、りうちゃんのお母さんーーーしおりさんに今朝、尋ねてみた。もちろん異世界での話はしていない。ややこしくなるだけだから。
「りうから聞いたのかしら?そうね。あれはびっくりしたわ」
「やっぱり、本当の話だったんですね」
「ええ。りうが崖から落ちたと島の人に聞いて慌てて見に行ったら、そこにはもうりうはいなかった。沖に流されてしまったのかと青ざめたけれど、捜索していると、ニーラン神石の脇で横たわっていたの」
「その時、息は…」
「正直、もうだめかと思っていたわ。でもね、意識は無かったけれど、傷ひとつなく、ちゃんと息もしていたの。なんでこんなところに、とも思ったけれど、その時はりうの命が無事だったことが何よりで、急いで家に運んで…」
しおりさんは、その時のことを話してくれた。
落ちた崖は、ニーラン神石のあるここよりもずっと遠くだ。まさか落ちた後に歩いてここまで辿り着いたとは思えない。なにより、落ちた衝撃で気を失い、その時の記憶もりうちゃんにはない。
「ニライカナイの伝承って、知ってるよね?」
「あ、うん。前に話したほら、“もう一人のりうちゃん”から聞いたよ」
「チュッチュした子ね」
「そ、その話は良いでしょ!あれは仕方なくだったんだから」
俺が偶然訪れたその“異世界”で、“もう一人のりうちゃん”と出会い、紆余曲折を経て、今居る元の世界に帰るために、儀式を行ってもらった。その儀式では、諸々の理由があって、りうちゃんのコピーと濃厚なキスをすることになったのだ。お互い、裸で。
思い出すと、むずむずしてしまうので、頭を振って思考を振り払う。
「本当に何の記憶も無いの?」
「うん、見つかった時はここで寝ていたみたいだけど…」
そう言って彼女はニーラン神石の脇に腰を下ろした。
見た目はただの岩だが、確かにどこか神聖な雰囲気が漂っている。
地元の人だろうか、あるいは旅行客だろうか、ニーラン神石の上には青錆のついた五円玉がいくつか供えられていた。
ニライカナイ。
この島に伝わる伝承で、遠い東の海の彼方にあるとされる伝説の楽園だ。竹富島に住む島民なら、皆、この話は知っている。
そこにまします神々は、この島に五穀豊穣をもたらすために舟で訪れるらしい。その舟を縄でこのニーラン神石にくくりつけて係留するとのことだ。
伝説の類をそのまま信じる訳ではないが、やってきた神々が、りうちゃんを見つけ、治癒を施した後で帰り際にここに横たえていってくれたのかもしれない。
「ニライカナイの神様が、わたしを助けてくれたのかもしれないね」
ニコッとりうちゃんは笑う。
そう思うと、ニライカナイの神々に感謝をしたくなる。
晴天微風の良い天気。
りうちゃんの提案もあって、今日もコンドイ浜で遊んだ後に、竹富島の集落を周っていた。
集落の中心部には、竹富島唯一の竹富郵便局や、こちらも竹富島唯一の学校、竹富小学校・中学校がある。
りうちゃんの母校であり、みずきくんが現在通っている学校だ。
敷地は広く、正門の入り口にはプランターが置かれていて、色とりどりの花が育てられている。
集落の中のいくつかの家は、寂れてしまっていて、人の営みを感じないものもあったが、この学校は綺麗に整備されていた。最近リフォームされたのだろうか。沖縄らしい装いもあるが、都会にあっても違和感のないような造りになっていた。
「懐かしいなぁ」
「一年くらい前までは、りうちゃんもこの学校に通っていたんでしょ?」
「うん、もう随分前のことのように感じちゃうよ」
「りうちゃんは、どうして東京の高校に進学したの?」
竹富島には高校がない。なので、島民の子どもたちは、この竹富中学校を卒業すると、家業を継いだり、就職をする子もいるらしい。進学をする子は、石垣島にある高校へ通う子がほとんどだそうだ。
「お父さんとお母さんに相談してね、ちゃんと日本を見て、それで将来を決めなさいって」
「それで石垣島の高校ではなくて、東京に?」
「うん、お父さんはすごく心配していたんだけど、お母さんが、東京への進学を強く勧めたの。この先、大学や就職のことも考えて、一度都会に出てみなさいって」
「りうちゃんは不安じゃなかったの?」
「そりゃ不安だったよ。だって、15年間この島からほとんど出たことすらなかったんだもん。でも、興味はあったの。テレビとかネットとかで都会の風景を観たりして、一度行ってみたいなって思っていて」
俺も就職を機に上京したのでよく分かる。憧れと不安と期待。色んな感情が入り混じっていた。今となってはもう、その時の気持ちはあまり覚えていないが、少なくとも不安はあったはずだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「そうだね、夜になるとこの辺ってハブが出るんだっけ?」
「うん、私はあまり見たことがないけど、でもハブは毒も持っているし、夜行性だから夜は外出を控えないといけないの」
お昼をだいぶ過ぎてから竹富島を一周ぐるっとまわっていたこともあって、太陽はもう水平線に沈もうとしている。
空の色が、青と紫のグラデーションを成し、とても美しい。こんな空は、都会ではまず見ることができないだろう。西桟橋の先端からサンセットを見たかったが、そうこうしているうちに夜になってしまうので諦めよう。この島では、夜は深い。昼の時間が長いせいで、19時でもまだ明るいが、一旦夜になると、信じられないくらい深い闇が広がるのだ。
※※※
「今日は最終日だし、また一緒に寝よっか」
「え、いいの?だって昨日…」
「大丈夫大丈夫。お母さんにちゃんとキミの分も用意してもらったから」
昨晩、俺はりうちゃんとふたり同じ布団で寝た。泡盛を飲んで酔っ払っていたせいもあってか、遠慮もせずにぐっすり眠ってしまった。
今朝起きた時には、もうご家族は朝食の準備をしていて、それはもう気まずいのなんの。
ただ、りうちゃんと俺が同じ部屋で寝たこと自体は何も問題がなかったらしい。
その辺は寛容というか、あまり気にしていないようだった。
お父さんーーーあきひろさんも、「おう!二日酔いになってないか?」などと、平然としていてくれたので助かった。滅茶苦茶に怒られることを覚悟していたのだが。
しかし、しおりさんにりうちゃんが怒られてしまった。
まさか同じ布団で寝ましたとは言えず、りうちゃんは自分の布団で、俺はその隣にタオルケットを敷布団代わりに敷いて寝た、という話をしたら、
「りう!彼氏さんに失礼でしょ!布団くらい余分にあるんだから、ちゃんと敷いてあげなさい」
と叱られていた。
本当は同じ布団でぐっすり安眠していたので、りうちゃんに胸の中で謝りつつ、
「あ、いえ、大丈夫ですよ。お気遣いなく」
などと、背中に冷や汗をかきながらそんなことを言って繕ったのだった。
なので今日は、俺の分の布団を用意してくれているらしい。
常識、というものはよく分からないが、一般的に、俺とりうちゃんが、同じ部屋で寝ることは、ご家族的に良いのだろうか。もちろんやましいことはなにもしていない…つもりだが、「なんて破廉恥な輩だ!」と思われてもたまったものではない。せっかく得かけている信頼をここで失う訳にはいかない。
だが、りうちゃんが言うには、本当に気にしていないらしい。というか、当然ふたりで部屋で寝るのだろうと思っていた節さえあった。
初日にみずきくんも含めて3人で居間で寝た時も、
「姉さんの部屋で寝なくて良いんですか?こんなところですみません」
と、かえって謝られてしまったくらいだ。
なので、そのお言葉に甘えて、今日もりうちゃんの部屋で寝かせてもらうこととなったのだ。
「お風呂どうぞー!」
奥の間からりうちゃんの声がした。ドライヤーで髪を乾かしているのだろうか、ぶぉーという音にかき消されないように叫んでいる。
「はーい!」
「じゃあお兄さん、入りましょうか」
今日が有栖川家で過ごす最後の夜ということで、俺はみずきくんと一緒にお風呂に入ることにした。初日の夜も背中を流してもらったが、どうやらみずきくんは俺のことを本当の兄のように慕ってくれていた。
それはとても嬉しく、一人っ子だった俺にも、本当の弟ができたようで、ちょっと浮かれている。
ふたりで湯船に浸かると、ざぶーっとお湯が溢れる。
有栖川家のお風呂は広く、まるで小ざっぱりした温泉の内風呂に入っているような気分だ。
「どうでしたか、竹富島。気に入ってもらえましたか?」
「うん、すごく良いところだよね。とにかく海と空が綺麗で。都会とは全然違うよ」
「それは良かったです。ボクも前に東京に遊びに行ったことがあったじゃないですか。あの時感じたんです。全然違う場所なんだなって」
「ははっ。息苦しかったでしょう?」
「いえいえ。ボクは逆に島から出たことがないので、すごく新鮮で楽しかったです。夜でもあんなに人が沢山いて、街明かりがずっとあって。眠らない街ってこういうことを言うんだなって」
「俺が住んでいるところは住宅街だから、都会の中では静かで暗い方だよ。新宿や渋谷なんかだと、本当に眠らない街っていう感じだね」
「へぇ…行ってみたいなあ」
「今度また遊びにおいでよ」
「はい、ぜひ!」
ふと、みずきくんに尋ねてみたいことが頭に浮かんだ。
「みずきくんは、中学校を卒業したら、どうするの?」
「今、すごく悩んでいて。姉さんみたいに東京の学校に進学するか、それとも石垣島の高校に行くか。でも、ちょっと東京には憧れているんです」
「そっか。東京も悪いところではないよ。ここみたいに、ゆっくりとはできないかもしれないけどね」
「それでも、やっぱり世間を知らないままでいたくないなって思うんです」
本当に、立派な子だなと思う。
俺が中学生の頃を思い返してみると、何も考えていなかったと思う。少なくとも、りうちゃんやみずきくんのように、将来の自分のことについて、真剣に考えるようなことはなかった。
若干15歳の少年が、こうして自分の未来を見据えて進退を思案している姿は、三十路の自分から見ても十分過ぎるくらいに眩しい。
「考えてみますね。また相談にのってください」
「もちろん、みずきくんの相談ならいくらでも。こんな頼りない俺でよければ、だけど」
そういって苦笑する俺を、みずきくんは笑ったりしなかった。
「ありがとうございます。…お兄さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
湯船の中で、みずきくんが顔をこちらに向けた。
男同士と分かっていても、ドキッとしてしまうほど、美しい瞳がこちらを真剣に覗いている。
「う、うん。俺に答えられることであれば、なんでも」
つられて俺も、湯船の中で姿勢を正す。お湯の中を見ないようにすると、自然と至近距離でみずきくんと視線が合った。
いつになく、みずきくんの表情は真剣だった。そして、
「お兄さん、姉さんのこと、好きですか?」
※※※
「あ、おかえりー!」
「た、ただいま…ってちょっとりうちゃん!?」
「だって、お風呂上がりは暑いんだもーん」
りうちゃんは、昨晩と同じように下着姿でくつろいでいた。いくら自室とはいえ、その姿で出迎えられると、心臓の鼓動が早くなる。
目のやり場に困って、窓際まで歩き、夜風にあたる。
「随分お風呂長かったねー、みずきくんと何話していたの?」
「え、あー、うん。みずきくんが中学卒業したらどうするの?って聞いてみた」
「おお!なんて言っていた?」
「悩んでるんだって。りうちゃんと同じように東京の学校に進学するか、それとも石垣島の高校に進学するか」
「そっかー、みずきくんも大人の階段をのぼるのかあ」
それは何かちょっと表現が違う気がする。
「それと…」
「うん?」
「姉さん、りうちゃんのこと、好きかって聞かれたよ」
「は?」
大きな瞳をさらに大きく見開いて、りうちゃんは口をあんぐりと開けて固まった。
「いや、俺もびっくりしたんだけどね…まさかみずきくんからそんなことを聞かれるとは…」
「キミが、私のことを好きかって?」
「そう」
「みーずーきー!」
りうちゃんは顔を赤らめて怒っているようだ。
「それで、キミは何て答えたの?」
「え?」
「だから、私のことが好きかってみずきくんに聞かれて、キミはなんて言ったの?」
「あ、えっと、うん。…『大好きだ』って、そのまま伝えたよ」
りうちゃんが固まった。完全に硬直した。
そしてその後、沸騰しそうなくらい顔を紅潮させて、シーツを被ってしまった。
「あ、あの、りうちゃん?」
「ワタシ、ニホンゴワカラナイアルヨ」
か細い声で謎の言語を話す少女になってしまった。
「な、なな、なんでそんな普通に言っちゃうの!」
「だって、本当のことを言わないのも悪いし…大好きなのは事実だし」
「ワタシ、ニホンゴワカラナイアルヨ」
「それはもういいから」
シーツから目元だけを出してこちらをじーっと半眼で見ている。
なんだか俺がいけないことをしたみたいじゃないか。
「み、みずきくん、なんて言っていた?」
「えっと、『ありがとうございます』って」
「みーずーきー!!」
「なんで怒ってるの」
「なんでも!」
りうちゃんは本当によく分からない。でも、言われてみれば、弟に知らないところであれこれ聞かれているのはちょっと怒る気も分からなくはないかもしれない。
悪いことをしてしまっただろうか。
「あのー、りうさん?」
「なあに?」
「怒ってる?」
「みずきくんには猛烈に怒ってる。明日覚えておけ!」
「ご愁傷様だ…」
朝食の用意をしているところを詰め寄られるみずきくんを想像して、ちょっと可哀想になる。
「俺にも怒ってる?」
「キミには怒ってない。けど」
「けど?」
「…なんでもない」
「え、気になるんだけど」
「気にしちゃだめ」
「は、はい」
年頃の女の子は難しい。三十路男子の俺に、その繊細な感情は分かるはずもなかった。
「…ねえねえ」
「うん?」
「今日、この部屋で一緒に寝るでしょ?」
「う、うん。せっかくしおりさんが布団もう一つ用意してくれたし」
「その布団なんだけどさ」
「うん?」
やっとシーツから顔を出したりうちゃんが、もぞもぞと布団の上を這って近づいてくる。
下着姿のまま四つん這いでこっちに向かってくるものだから、谷間がくっきりと見え、乳房が揺れている。
俺は再びドキドキしてしまう。
「布団、くっつけていい?」
「え」
「今日は、もっと近くで寝たい。一緒に」
今度は俺が赤面した。
こういうところ、本当に反則だと思う。
これがツンデレを極めた天然甘え上手か!
「だめ?」
そしてさらに上目遣いで、懇願するように迫ってくる。
彼女の綺麗な瞳と、そして滑らかな肌、胸が、俺の視界いっぱいに飛び込んでくる。
乳房を上から見下ろす格好になり、乳首がぎりぎり見えるかどうかという角度に、俺は耐えられない何かを感じる。
そんな格好で、表情で、「だめ?」と聞かれて、どこの紳士が「だめ」と言えるだろうか。
「う、うん、もちろん良いよ」
「やった」
小さく喜ぶと、りうちゃんは二つの布団の隙間を埋めるように敷き直した。
俺もそれを手伝い、布団に入る。
りうちゃんは、下着姿のまま、布団に入った。
「パジャマ、着なくていいの?」
「うん。…あ、えっちな気分になっちゃう?」
「ちょ!?そ、そんなことないけど、いやあるけど!」
どっちだよ。
「今日だけ特別。もう少ししたら着るよ」
「あ、うん、風邪ひいちゃうかもしれないし、その方が」
いや、このまま着ないでいてくれ。頼む!
あ、でも朝には着ていただきたい。
横になると、布団の隙間から、りうちゃんの胸の谷間が見えた。
彼女は童顔小柄だが、おっぱいはなかなか豊かなのだ。何度か拝ませていただいたことがあるが、改めてこうして間近で見ると、高校生にしては成長が進んでいるように感じた。いや、女子高校生のおっぱいなんて生で見る経験はないので、実際のところどうか分からないが、少なくともまな板のような薄さではない。しっかりと肉感があり、ふっくらとしっかりした膨らみがある。横になると、下側の乳が上側の乳に押されて、形がぷにっと変わる。それによって、よりくっきりとした谷間が形成されている。
ブラジャーにわずかな隙間ができて、その奥が影になっているが、そこには胸の頭頂部、つまり乳首があるのだろう。バレないように、さりげなく覗き込むが、暗くてよく見えない。
よく見えないからこそ、想像が掻き立てられ、性的な興奮が湧き上がる。
いかん。
誠に遺憾でいかん。
ここは聖なる場所。
りうちゃんのご実家、有栖川本家だ。
こんなところで煩悩をたぎらせる訳にはいかない。
そういうことは、せめて自宅の味気ない四畳半の部屋で行うべきだ。
一度目を閉じ、深呼吸。
興奮を抑えるために、副交感神経を優位にさせなければ。
4秒で息を吸って…8秒間かけてゆっくりと吐く。
そして、もう一度目を開く。
こうすれば、もう菩薩のように煩悩から解き放たれ、無心の境地に
(いや、無理だこれ)
目を開くと、相変わらず豊かに実った胸と、りうちゃんの薄い唇が至近距離にある。
その薄桃色の唇の間から、静かに吐息が漏れている。図らずして、それはとても色っぽく、妖艶さを感じざるを得ない。
りうちゃんはもう寝息を立てて眠っているようだった。疲れがたまっていたのだろうか。今日は一日歩き回ったし、ぐっすり眠ってしまっている。
一方、俺はそんなりうちゃんの無防備な肌を間近で感じ、全く眠りにつけそうにない。
このままその肌に触れてしまいたい衝動をグッと堪える。しかし、堪えれば堪えるほど、その意に反して、下半身がむくむくと起き上がってくる。
熱い何かが胸の内から喉元へ迫り上がってくる。
そうだ、パジャマを着せてあげれば…
そう思ってパジャマを手に、りうちゃんに着せようとするも、思いとどまった。
着せるためには、彼女の肌に触れて、体を起こさないといけない。
前にボタンがあるということは、胸に俺の手が触れてしまうかもしれない。というか触れないときっとボタンが止められない。
そんなことになれば、もうボタンじゃなくて俺自身が止められない状態になってしまいそうだ。
(名残惜しいが…)
俺はりうちゃんに背を向けて寝ることにした。当然、眠りにつけるはずはないが、このままりうちゃんのセクシーな姿を見続けていると、“儀式”をしにトイレに駆け込まなくてはならない事態になりかねない。
ご実家でそんな真似はしたくないので、なんとか朝まで耐えよう。
おやすみりうちゃん。家に帰ったら、賢者タイムへの道を走らせていただきます。
※※※
『まもなく、当機は羽田空港に到着いたします。ご搭乗の皆さまは…』
機内アナウンスとともに、ベルト着用サインが点灯する。
乗客がみな、カチャカチャとベルトを装着する。俺もそれにならってベルトを装着した。
「よかったの?」
「うん」
言葉は短かったが、迷いのない返事だということは伝わってきた。
石垣空港を離陸してから数時間、俺とりうちゃんはほとんど会話をしていなかった。
石垣空港まで、りうちゃんのご家族ーーーみずきくん、しおりさん、あきひろさんが見送りに来てくれた。
3人とも、笑顔で見送ってくれた。
あきひろさんからは、お土産の品としてミンサー織のコースターをふたつ、頂いた。ふたつ、というところに、俺はじーんとくるものがあった。
帰りの航空券を二人分用意してくれたのは、しおりさんだった。何から何まで本当にお世話になりっぱなしだった。
でも、これが、この帰路の切符が、りうちゃんの家族の答えなのだと感じた。
彼女と同じように、彼女の家族もまた、悩んでいたことだろう。
最近まで島を出たことがなかった愛娘が一年ぶりに帰郷し、家族と温かい時間を過ごした。このまま家族の下でずっと過ごさせてあげたい。慣れ親しんだ、この竹富島で。そんな思いもあったはずだ。
でも、羽田行きの航空券は、2枚、俺に手渡された。しっかり、両手で包み込むように、俺に持たせてくれた。
特に惜しむような言葉を口にすることはなかったが、ここに至るまでの葛藤を知らないほど、俺は子どもではない。だからこそ、この航空券からは、強いメッセージを感じるのだ。
「りうを、頼んだぞ」
そんな、心のメッセージを。
「ねえ、見て」
機内から見える窓の外は、もうすっかり夜になっていた。
キラキラとライトアップされる都会の街。何もかもが、島とは違う世界。
でも、その景色を見て、不思議と綺麗だなと思った。
隣に座る彼女も、そんなことを思っているだろうか。
「楽しかったよ、竹富島。りうちゃんのご家族にも会えて。すごく良くしてもらって」
「うん」
「やっぱり、寂しい?」
「…うん、ちょっとね。でも、大丈夫」
りうちゃんはそう言ってこちらを向いた。夜の都会の灯りを受けた瞳が、機内でもキラキラと煌めいている。そこには微かに涙の跡があるように見えた。
「大丈夫、キミがいるから」
また、かっこいいセリフをとられてしまった。
いつもそうだ。どっちが大人で、どっちが子どもか分かったものではない。
でも、そいういう彼女を、愛おしいと思う。
きっと、断腸の思いがあっただろう。でも、こうして東京に、自分の元に帰ってきてくれた。
だから、少しでも“彼氏さん”らしいことがしたくて、彼女の手を握ろうと思って、手を伸ばしかけたところで、
「うわぁ!」
突然、機体が大きく揺れた。
飛行機が、羽田空港に着陸した。
所在とタイミングを失った左手。
「さ、帰ろっか」
「あ、うん」
ベルト着用サインが消えると、乗客が次々と機外へ降りていく。
俺はりうちゃんに促されて荷物を取り出す。
彼女は荷物を受け取ると、ニコッと一度微笑み、出口へと向かっていった。俺はゆっくりとその後ろを歩く。
島時間から都会の時間へ。
せわしない東京の街へ、味気ない四畳半の部屋へ、ふたりはともに、帰っていく。
Fin.