プールで泳いだ後の独特の気怠さを纏って、帰路についた。
俺、りうちゃん、そしてミーちゃん。
3人がテーブルを囲んで座ると、四畳半はさらにその狭さが誇張される。りうちゃんとミーちゃんが小柄なのがせめてもの救いといったところだ。
さて。
人の姿を成した仔猫のミーちゃん。
彼女のこれからを、考えなければならない。今日中に。
今日は休日だが、明日になればいつもの平日が始まる。俺は会社へ行かなければならないし、りうちゃんも学校やアルバイトがある。つまり、平日の日中は、ミーちゃんが一人で生活しなければならないのだ。
「とりあえずりうちゃんの家に…っていう訳にもいかないんだよね?」
「うーん。本当はそうしてあげたいんだけど、私のアパートは奨学生専用の借り上げだから、他の人を寝泊まりさせるのは基本的にはダメなんだよね」
りうちゃんの住んでいるアパートはそういう決まりがあった。仕方のないことだ。
もちろん、両親や友達と日中、常識の範囲内で交友するために招くことは許可されている。
それに、大きな声では言えないが、俺も、何度かりうちゃんの家に遊びに行って、寝泊まりしたことがあった。しかし、もしバレてしまったら大変なことになっていただろう。見ず知らずの三十路男を奨学生用のアパートに寝泊まりさせている、という事実は、どう考えても常識の範疇を超えている。
ミーちゃんの容姿なら、りうちゃんの友達とか親戚とか、そんな言い訳で通用するかもしれないが、それにしても長く居候することは難しいだろう。
となると…
「やっぱりキミの家に居させてあげることはできないかな?」
「そうなるよね…でも…うーん」
みーちゃんをチラッと見ると、俯きながら不安気な表情だ。自分の住む場所について、俺たちふたりが困り果てているところはなるべく見せないようにしたかったが、事情が事情なだけに、ミーちゃんにも間に入ってもらわないといけない。
そんな寂しそうな表情をされると、俺としても「ダメ」と一言で断ることはできない。
「もちろん、俺もそうできるならそうしてあげたいけど…こう、なんと言いますか。色々問題があるじゃない?ミーちゃんが仔猫のままだったら大家さんに交渉してペットとして飼うことは出来るかもしれないけど、この容姿だと、ほら、その…色々と…」
ミーちゃんはどう見ても、10代半ばの少女の姿なのだ。三十路の俺の家に住まわせるというのは、対外的というよりは、俺個人として大いに問題がある。
「そうだよねぇ。制服を着た私がいつも寝泊まりしているっていうだけでも危険域だもんね」
あなたが言うな、あなたが。
よく今まで通報の一つもなかったものだ。近隣住民の寛容さに感謝したい。
だからと言って、元々ミーちゃんが居たあの空き家に戻す訳にもいかないだろう。あんなところでは生活できない。この姿ならなおさら危険だ。
「うーん、やっぱり警察に相談した方が…」
「待って。だってミーちゃんが本当に猫の姿から人の姿に変わっただけだったら?この女の子の元なんていなくて、本当にミーちゃんが変身しただけだったら、大変なことになっちゃうよ」
変身って…。でも、俺も頭ごなしに否定する根拠は持ち合わせていなかった。
警察に相談した場合。
身元を調べて不明となった場合、ミーちゃんは養護施設に送られることになるだろう。最悪、身体中あちこち調べられて、もし、人間ではないかもしれないなんていう検証がなされれば、実験体にだってされかねない。
今でも、ミーちゃんが猫から人へ変身したのだと信じ切ることはできないが、有り得ない、ということこそ有り得ないのだ。
その昔、ガリレオ・ガリレイは、地球は丸いと提唱し、周囲からは嘲笑されバカにされ、挙げ句の果てに極刑に処された。
しかしどうだ。
実際、地球は丸かった。
今この世の中で、「地球は平面だ」なんて言えば、小学生だったとしてもバカにされるだろう。親御さんが呼び出されるかもしれない。
地球が丸くなければあらゆる物理法則が成り立たなくなることだって、学生でも十分に理解できる世の中だ。
だから今は、真実がどうかというよりも、ミーちゃんの身が一番安全に守られる方法を取るべきなんじゃないか。
「ね、お願い」
「お兄さん…」
ふたりのキラキラとした4つの瞳が、一点に俺を見つめてくる。
りうちゃんにしても、ミーちゃんにしても、この“アイ・ビーム”は反則だ。こんな風に見つめられて、冷たくあしらうことなんてできるはずがないじゃないか。
「はぁ…」
俺はふたりを前にして、首を縦に振るしかなかった。
※※※
ミーちゃんが現れてから、初めての平日。
とりあえずミーちゃんを俺の自宅の部屋に置いて、会社へ出勤した。
「今日は出歩かないようにね」
とミーちゃんに言いつけて出掛けたが、心配で仕事が手につかない。
あまりに気がかりだったので、その日は上司の怪訝な目も気づかないふりを決め込み、定時ダッシュで帰宅した。
ドアを開け、靴を脱ぎ、四畳半の居間へ急ぐ。
ミーちゃんは大人しく待っていた。りうちゃんが作り置きしてくれていた料理も綺麗になくなって、食器は洗われていた。
ホッと胸を撫で下ろし、深く息を吐く。ひとまず、無事だったようだ。
「ミーちゃん、大丈夫だった?何もなかった?」
「うん。空き家にいた猫ちゃんたちが心配だったけど、今日はお兄さんのお家にいたよ」
「そっかそっか。何もなくて良かった」
ふう。
とりあえず一安心したところで、グラスに氷を入れてアイスコーヒーを注ぐ。ミーちゃんには、冷たい牛乳の入ったグラスを手渡した。
「牛乳、美味しい。ありがとうお兄さん」
「どういたしまして」
初夏は日が長く、帰宅後もまだ暑さがじんわり残っている。
グイッとアイスコーヒーを喉に通すと、心地よく体がクールダウンされていく。
さて、これからどうしようか。
今日、りうちゃんはバイトがあるので帰りが遅くなると言っていた。それでもなるべく早く帰るつもりらしいので、もうじき帰ってくると思うのだが。
両手でグラスを大事そうに持って、ぐびぐびと牛乳を飲むミーちゃんを横目で見て、この先のことに頭を巡らせる。
もう、ミーちゃんを警察に突き出すのはやめた。彼女の体の持ち主がいれば、その子の記憶がミーちゃんの中に宿るまで、つまり記憶が戻るまでは、自分たちで面倒をみようと決めた。
だが、このままずっと俺の家に閉じ込めたままでは、いくらなんでも可哀想だと思う。そのうちストレスだって溜まってくるだろう。ミーちゃんが仔猫の姿だった頃は、もっとのびのびと暮らしていたはずだろうし。
そういえば、ミーちゃんって、どんな仔猫だったんだろう。
「ねん、ミーちゃん」
「うん?」
牛乳の入ったグラスをコトン、とテーブルに置き、こちらを見てくる。
こうして見ると、本当にただの可愛らしい少女にしか見えない。
「ミーちゃんって、どんな姿の猫だったの?ほら、俺、ほとんどミーちゃんと接点がないし、あの日はもう夜も遅くてほとんどミーちゃんを見られなかったから」
あの日、ミーちゃんを弔った日は、りうちゃんの方の印象が強すぎて、ミーちゃんの姿は覚えていない。
「うーん。りうちゃんの家の鏡で見た時は、白い耳がついていて、毛並みも白かったかも。尻尾にはね、りうちゃんが鈴をつけてくれたの。目はちょっと黄色っぽかったかな?あとは…あ、少し桃色の毛が混じっていて、それをりうちゃんがすごく珍しがっていたよ」
白い体に鈴。黄色い瞳に桃色の毛混じり。
俺は目を閉じ、猫だった頃のミーちゃんの姿を想像してみる。
今の姿からしても、きっと可愛らしい仔猫だったに違いない。
ということは、こんな感じで…
うぉぉぉぉぉおおぉぉぉお!!!
か、可愛い…!
そしてなぜかえっちだ!とてもえっちだっ!
脳内で、意図せず、今のミーちゃんと話に聞いたミーちゃんとを勝手に融合させてしまう。猫の姿を想像するはずが、なんだか擬人化させてしまった。
しかし、これはこれで、
(アリだな…)
この姿で、「遊んでにゃ〜ん♡」なんて言われたら、俺はイチコロだ。
ミーちゃんは半年前まで、
「こんな姿だったのかー!」
「そんな訳ないでしょ。ただいまー」
「あ、りうちゃんおかえりー!」
ハッとして後ろを振り返ると、呆れ顔のりうちゃんが立っていた。
「全くキミは」
「な、なに?」
「どうせ、ミーちゃんのことでエッチな妄想でもしていたんでしょ。鼻血出てるよ」
「えっ、うそ!?」
「うそ」
くそっ!!
どうしてりうちゃんは、毎度、俺の脳内の全てを言い当てるのか。ご明察にも程があるのだが。
「ミーちゃんも、エッチなお兄さんに慣れてあげてね」
「お兄さん、エッチなの?」
「いや、ち、ちが!」
違わない。
「ミ、ミーちゃんが仔猫だった時にどういう姿だったのか、聞いていただけだよ。」
「ふーん…」
何その疑いの眼差しは!
「あ、そっか。キミはミーちゃんをほとんど見ていなかったもんね」
「そうそう。りうちゃんに昔、尻尾に鈴を付けてもらったって」
「そうだよー!家にあったものだけどね。あれ、嫌じゃなかった?」
リウちゃんが尋ねると、ミーちゃんはニコッと笑った。
「すーっごく嬉しかったよ!初めてもらったプレゼントだもん」
「そっかー!それは良かった」
りうちゃんもつられてにっこり笑う。
本当に、微笑ましい光景だなと思う。まるで、歳の近い姉妹のようだ。
「それで、ふたりとも」
ふと、ミーちゃんがかしこまって口火を切った。正座をして佇まいを正したので、俺とりうちゃんも何とは無しにそれに倣う。
「私もお仕事しようと思う」
「え?」
「だって、お兄さんも、りうちゃんも、お仕事しているでしょ?」
俺は会社へ、りうちゃんは学校とアルバイトだ。
「それはそうだけど…ミーちゃんまで働かなくても」
「だって、お金のこととか、お兄さんとりうちゃんに甘えっぱなしじゃ申し訳ないし」
「そんなこと気にしなくていいよ。俺も一応、細々と働いているし、ミーちゃんの面倒を見るくらいならなんてことないって」
「うん。私も少し稼いでいるし、服のサイズも同じくらいだから、ミーちゃんの分は貸してあげられるよ」
それでもミーちゃんは、真剣な表情で首を横に振った。
働くと言っても…俺たちとは事情が違いすぎる。だって、ミーちゃんは、
「ほら、ミーちゃん、身分証明書がないでしょ?」
「身分証明書」
これにはりうちゃんも合点がいったようで、俺に続いて口を開いた。
「そうそう。お仕事をするにはね、自分がどこに住んでいて、どういう者ですよーっていう証明が必要なの。ミーちゃんは今のところ、名前も住所も分からないから…」
「むむむ…」
さすがに身分を証明できない謎の少女を雇ってくれる働き口は無いだろう、裏社会でもない限り。もちろん、そんなところでミーちゃんを働かせる訳にはいかない。
「でも確かに、ずっとキミの家の中で過ごすっていうのも、可哀想だよね。外に出たくなったりするでしょ?」
「だよね…」
やっぱり、りうちゃんも同じ考えに至ったらしい。
「私、ちゃんと働きたい。りうちゃん、おにいさん、何か良い方法は無いかな?」
うーん、困った。
身元不明、名前すら不明の少女を雇ってくれる、健全な働き口。そんなもの、存在するのだろうか。あまり遠くには行かせられないし、深夜に働かせる訳にもいかないだろう。なるべく近場で、日中、ミーちゃんでも働けるようなところなんて…
「ああーっ!」
「ちょっ、な、なに?」
突然、りうちゃんが大声を上げた。
「ある!ミーちゃんでも働けそうなところ、あるよ!」
「えっ、ほんとに!?」
「どこどこ?」
本当に、そんな場所が?
「ふっふっふ。私の情報網を甘く見るでなーい」
そう言って、りうちゃんは得意げに人差し指を立てて見せた。
不敵に笑うりうちゃんへ、期待に満ちたミーちゃんの眼差しと、不安に満ちた俺の眼差しが、注がれていた。
To be continued…
れぶん
2021-07-02 04:41:24 +0000 UTCメイ
2021-07-02 01:43:49 +0000 UTCれぶん
2021-07-01 10:37:07 +0000 UTCyoshinomura
2021-07-01 08:35:14 +0000 UTC