雨
Added 2020-05-09 13:52:35 +0000 UTCテレビが今日は絶対晴れだと言うから馬鹿みたいに信じて出かけたら帰り道の途中で思い切り雨が降ってきて、灰色の地面がみるみる黒に近い濡れた灰色になっていって、雨に濡れたコンクリートの匂いみたいなのがして、前髪がおでこに張り付いて、靴の防水加工よ負けるな・・・と祈るけど祈りはすぐ敗北して靴の中もぐしょぐしょになって、濡れた靴下のあの嫌な感触。
近くの建物の軒下にでも避難すればいい話なのだけど、なんだか悲劇の真っ只中に立つヒロインみたいな気持ちに段々なってきて、それがなんだかちょっと心地よくて、急に降り出した大きな雨にあえて濡れてみる。
あるよね、そういうこと。
靴の中まで浸水した時点で自分の中の「濡れたくない自分」みたいなのが抵抗を完全放棄して、いっそどこまでも濡れ浸ってやろうみたいな気持ちになって、降り注ぐ雨が強ければ強いほど前後不覚の物語性を帯びはじめてテンションあがるみたいな。
交差点で目の前を通るバスの扉に映り込んだびしょ濡れの自分の前髪が無様な感じになってないか一応確認しようと凝視してたらタイヤが跳ね上げた水をめっちゃモロにくらって、なんか漫画みたいだなって思ってまたテンションあがる。
濡れて張り付く髪も、濡れて張り付く服も、濡れてぐちょぐちょの靴下も、心地悪かったそれらがなんかもう逆にひんやり気持ちよくなってきて、テンションあがる。
夏に向かって生えた花をつけない強靭な草たちが空から降る水の威力でばしばし叩かれて、容赦なく叩かれるたびに揺れてて、叩かれて揺れるけどそこに生命の悦びのような深い緑が躍動を湛えて、なんかもうテンションあがる。
シャツが濡れてブラ紐透けるかもとか一瞬冷静に考えそうになる自分がひどく無粋に思えて、テンションせっかくあがってるのにそうゆう事考える自分が嫌で、だからすぐに忘れて、もっと濡れたくて空を見て、交差点の信号の前で、儚げかどうかは分からないけどまあ痩せ型だしパッとみ儚そうに見えるだろうということにしてアイプチで拡張した二重のラインが崩れない程度に目を少しだけ細めて空を見上げてる自分今めっちゃヒロイン感出てるとか思ってテンションあがる。
アイラインは水で崩れないタイプだし、まつげは元から長いタイプだし、日焼け止めなんかまた塗り直せばいい。
道路脇に出来た水たまりの水に制服のスカートの内側が半分くらい映りかけて、今日は無礼講だとくと拝めよみたいに誰でもない誰かに対して思って、言うほど周囲のサラリーマンとかはわたしのことなんて見てもいないし気にもしてない風で、濡れて透けた女子が目の前にいるんですけど全然大して気にもしてない風で、きっと本当にただ気にもしてないだけなんだけど、本当は透けたブラ紐とか見てめっちゃ気にしてるけどあえて気にしてない風を装ってくれてるんだったらいいなって妄想して、そういうことにして、だからそのサラリーマンの人の頑張ってごまかす感じにセットしたらしいハゲ頭が突然の大雨で結構えげつない感じになってることも今日だけは可愛げとして受け止めてあげてもいいかなみたいに不遜に思って、交差点の、角が擦れて消えかけた白線に落ちる雨たちを眺めて、それが伝って集まって落ちる道路脇の排水溝の柵を眺める。
信号が変わって、皆急ぐようにわたしを追い越して往く中をあえてゆっくり歩く。
ゆっくり歩くわたしが邪魔になるほど交差点は混雑してもいない。邪魔になりそうだったら普通に空気読んで急いで渡るけど。
自分がゆっくり動くと、皆が1.5倍速で動いてるみたいに感じて、どんどん大きくなる雨の音がその加速度を効果的に演出して、わたしの時間だけが表面張力のようにゆっくり交差点に滞留して、雨が、空気が、酸素が、音が、光が、その場しのぎの似非芸術を組み上げていく。
わたしだけがその瞬間のその交差点の完全な美しさを正しく感じてて、その交差点を渡るわたし以外の全ての人と物と車と水が芸術を構成する一部分みたいな錯覚。
ひとつの完成形を示した交差点を渡りきる頃、躍動に幾らかの羞恥が混ざりはじめて、いや、シャツ普通に透けてるしこれは普通に恥ずかしいだろうという気持ちになってきて、恥ずかしいというか、恥ずかしがらねば駄目なやつだろうこれは、という気持ちになってきて、義務感にも似た羞恥に手を引かれるように駆けて帰る。
あがりすぎて弾けたテンションの跡地には妙なシニカルが無表情に鎮座していて、もう散々充分濡れたのに今更街路樹の葉っぱの下を選んで水たまりを踏まないように大股の早足でずんずん歩く。
多分可愛げの欠片もない女子らしくない自分の走る挙動にまた少し恥ずかしくなるけど、濡れてるんだから透けてるんだから1秒でも早く家に帰るべき。
街路樹を抜けて最後の交差点を赤に遮られること無くストレートに渡りきってわたしが住む団地に続く坂を登る途中でさっきの紳士的な無様ハゲのおじさんとは別の中年を追い越して、坂の終わりにある階段を1段飛ばしで駆け上がって、自転車の侵入を阻止するためにありますみたいな「円」の漢字みたいな形状の鉄パイプみたいなやつのとこで90度ターンした時さっき追い越した中年と目が合って、目が合った瞬間中年男性が目線反らして、あ、お前、もしや今見たなって思って、でも今日は無礼講だ許すと思って、柵を越えて団地に続く最後の曲線の坂で普通に息切れ。
家までダッシュでゴール出来ると思ったけどペース配分間違えたなと思って、粗い呼吸をすると水が唇から少し入ってきて、雨の味がして、靴がぐちょぐちょなのをなぜかまた急に意識して、これはもうしっかり乾かしてもダメかもしれないな、変なニオイしちゃうかもしれないなと思って、そうしたらなんだか今日はもっと濡れてもいいかみたいな気分になって、最後の坂はゆっくり登りながら路肩の草たちを指で弾くように撫でて、草たちの先端に溜まった水の玉を指で集めて、それを舐めてみたい気持ちになるけど我慢する。
子供の頃なら気にせず舐めたと思うけど。
草についた雨特有の味。
わたしは覚えてる。
子供の頃にそれを舐めて、草についた雨の味がすると思ったのを覚えてる。
懐かしい気持ちと、懐かしくなる程度には年月が経ったんだなって感じて、同じ速度で世界は今後も淡々と進んでいくだろう事を感じて、雨は既に少し弱まっていて、それもなんだか少し悲しくて、折角走って帰ってきたんだからできれば家についてから大雨のピークを迎えてほしくて、そうしたら「負けたけど勝った」みたいに思えたのに、最後の坂で既に雨は弱まっていて、そのまま止むのか、まだしばらく弱いまま続くのか、またさっきみたいに強くなるのかは分からないけど、でももうハイライトは過ぎたんだと思って、寂しいような気持ちになる。
団地の側面の壁が見えてきて、駐輪場の自転車達のお尻についてる赤いキラキラするやつがどれも濡れていて、濡れてもさほどキラキラはしていなくて、光じゃないとそれはキラキラしないようで、だとしたらわたしがさっき交差点で感じた無敵感もただの錯覚で、それは照らされたわけじゃなくただ濡れただけで、濡れた女がいただけで、濡れて若干増すのは輝きではなく無粋なエロさくらいで、そこに自分が勝手に感じてた物語のヒロインっぽさみたいなものはきっとなくて、なんだか少しだけがっかりする。
現実はいつだってそうだ。
物語みたいに然るべき推移を綺麗に順に辿って盛り上がってくれたりしない。
止みかけた雨の中団地に到着して、一階のポストの正面でひらひら揺れてる団地の掲示物がなんだかいつも以上にみすぼらしく見えて、空は相変わらず白っぽい灰色で、白っぽい灰色の向こうには空がちゃんとあることを感じて、でもなんだか目に映る全てに詩的な意味を与えていく事にも既に飽きてきてて、自分ちのポスト確認して、何かのチラシが1,2枚入ってるのを雑に掴んで、ポストを閉めて、階段を今度は手すりに掴まりながら1段ずつ億劫にのたのた登って、1段登るたびに靴がジュプジュプ嫌な音を立てて、なんだかさっきの坂の下の階段より随分水が重く感じて、水が煩わしくて、このまま部屋に入ったら玄関の床濡れちゃうな・・・と思って、少し嫌な気持ちになって、でも諦めるしかない。
かばんの内ポケットから鍵を出して、家の鍵を開けて、ドアを開けるといつもの家の匂いがいつもより強烈にして、家に帰ってきた事をすごく感じて、玄関のオレンジのライトを付けて、ぐしょぐしょの靴を脱ぎながら少し心が安心する。
靴下も玄関で脱いで裸足になって、かばんを玄関マットの脇に置いて、脱いだ靴下を指先でつまみながら爪先立ちでお風呂に直行する。
まだ外が明るいから電気は付けずにお風呂場の脱衣所に入って、濡れてゴワゴワに重くなったシャツとスカートと下着を雑に脱ぎ捨ててカゴに順次放り込んで、全部脱いだ後に「あ、そうだタオル」と今更気づいて、うちではタオル類は全部居間の箪笥に仕舞ってあって、浴室や脱衣所には1枚もなくて、でも雨に濡れたまま取りにいくのとシャワー浴びた後の綺麗な状態ならそっちのほうがマシというか今更めんどくさいしどうでもいいやと思ってコンクリートむき出しの薄暗い浴室でシャワーを浴びる。
散々濡れたけど雨の水とシャワーの水は別の世界からやってきた別の液体みたいに感じて、雨で縮こまった皮膚達がシャワーのお湯でふやけていく。
雨でずぶ濡れになって帰宅してすぐシャワーを浴びる時、やっぱり特有の匂いがする。
匂いに敏感。
匂いは色んな事を思い出させる。
いい思い出も悪い思い出もあるけど、匂いで思い出すのは悪くない思い出のほうが多い気がする。
楽しかった日の事とか、懐かしい気持ちになる思い出が呼び起こされる。
夢は大概嫌な事ばかり思い出させるから、わたしにとって匂いと夢は対極の存在。
夢より匂いの方が好きだし重要。
好きな匂いでいつも満たされてたらいいのにと思う。
だけど匂いを強く感じるのはいつも一瞬で、すぐに何も感じなくなってしまう。
時折また強く感じるけどやっぱりまた一瞬だけ。
いつもなら橙色の電球をつけて入るお風呂場の、雨の午後の薄暗さは妙に印象的で、顔にギリギリ掛からない距離でシャワーを顔に向けると、水の粒が沢山顔に向かってくるのを感じて魅入ってしまう。
それは空から落ちる雨を見上げるよりもリアルで、空から落ちてくる雨はどこから落ちてくるのか正確にわからないけど、シャワーの水はどこから溢れてるのか、その根源が目視で直感的に分かるからだと思う。
あと、密度。
どんな土砂降りよりもシャワーの水のほうが密度が高くて、水の粒の存在をはっきり感じられる。
交差点で見上げた白に近い灰色から無際限に落ちてくる水達の束より、シャワーのノズルから放たれるそれのほうが確かな感じがする。
全身あたたまるまでシャワーを浴びて、肌のケアの詳細描写とかは魚鱗癬のアレのため楽しくないから割愛。
お風呂を出て、全身に保湿クリーム塗りたくって、髪をドライヤーで乾かして、乾ききる頃には身体もほぼ乾いてて、タオルいらないなってなって、まだ両親が帰ってきてない誰もいない廊下に出たらリビングのカーテンが全開気味に空いてて、どうせ誰も見てないって判ってるけど、何かから隠れるように身体を丸めてマヌケな動作でイソイソと自室に戻る。
寝間着代わりの紫色の変な柄のシャツとユニクロかどこかで買ったいかにも安っぽいハーフパンツを着用して、自室の小さめの窓から外を見るとまだ雨は降っていて、窓から見る雨の景色は、なんだか自分がさっきまでいた世界とは別の世界に見えて、雨の交差点で感じた一瞬の芸術の質感は確かに鮮明に残ってるのに、それは夢の中の出来事みたいで、夢の中みたいだけど雨が降り出した直後の濡れたコンクリートの匂いを覚えていて、すぐ横で信号を待ってたけど目が一度も合わなかったおじさんの禿げた頭と、濡れてるけど全く透けてはいなかった20代くらいのOL風の髪の長い女性と、階段を登り終えた直後振り返って翻った自分のスカートの裾越しに目が一瞬合って速攻逸したおじさんのことを思い出して「奴の視線の感じは、多分やっぱ見てたのかな、見えちゃったのかな」って冷静にまた考えて、でもまあ階段1段飛ばしで駆け上った自分の責任だしなみたいに思って、しかし自分程度のでもうっかり見えたらつい見てしまう程度には価値があるのかみたいな事を考えて、すぐに別の事が頭に浮かんで忘れる。
その日その後何をしたかは思い出せない。
記憶はそこで終わってる。
でもあの日の雨が降り出した瞬間から、部屋で雨の外を眺めた時の気持ちまではわりとはっきり覚えてる。
10代の夏の日の事。
もう10年以上前のことなんだなぁって思いつつ、こうやって一つ一つを詳細に思い出して文章化していくとついこないだの事みたいにも思えてきてなんだか不思議。
自分は痴女では断じてないとキッパリ言い切れるけど、階段でパンツ見えた疑惑の時の「こんなんでも、価値があるのか?」みたいなあの感覚は、20代なかばではじめて身体を売った日にも感じた気がする。
こんな身体でも、彼らにとっては性的な価値があるんだろうか、みたいな。
別に性的な事が好きなわけじゃなく、見られるのが好きとかじゃ無く、ただ価値があるのかどうなのかを純粋に知りたい、確かめておきたいみたいな感覚。
初めての恋人との関係が「肌を晒す→翌日からギスギスしだして1週間後に破局」っていう流れだったのもあって「自分の身体にはそういう魅力や価値がないのだろう」みたいになんとなく思ってて、だからあの階段でおじさんと目が合って一瞬で逸らされた時、「あ?もしや価値があるのか?」ってなって、なんかそういう事を確かめたいみたいな感覚がずっとあった。
本当に好きな人と断固性的な関係になりたくないのは、結局のところ自分のセックスアピールに絶望的に自信が無いからで、なのに身体を売ったり平気でできちゃうのは、その絶望的に枯渇した自信を、金銭と付帯する欲望で少しでも賄えるような気がしたからなんだと思う。
自分の裸体には金を払っていただくだけの充分な価値がある、なぜなら金を出して買う人間がこれだけいるのだ、みたいな事を確かめて自信に繋げたかったんだと思う。
結局どれだけ金で売ってみたところで自信と呼べるほどの自信なんてつくわけもなくて、市場価値の低下に伴い「不毛だな」と感じてやめたけど。
性的な事が好きとか嫌いとかとは別の部分で「この肌には価値があるのか?ないのか?」みたいな、それを確かめたいみたいな意識がずっとあった。
自分でここまでを読み返してみて、前半の雨の描写だけできっちり終わらせとけば詩的な良さがあったかな・・・後半の性に関する描写で詩的な赴きが全部台無しだな・・・と思ったけど、ピュアな詩っぽく飾り立てるのも姑息な気がしたから洗いざらい書いたった`~`
文章を書く人のうちの一部は「沢山の人から評価されたい沢山お金が欲しい」みたいな事とは少し違う意味合いで「自分の書く文章は人にとって価値があるのか?無いのか?」みたいな部分を純粋に確かめたくて書いてるんじゃないかって感じがする。
自信があるから書いてるんじゃなくて、自信がないから確かめたい。
その感覚は多分わたしの、自分の肉体的価値を確認したい欲求と似た何かなんだろうなって感じる。
どれだけ認められても評価されても何も一つも満ち足りる事はないのだけど、それをせずにはいられない。衝動。
止まない雨はないと人は言う。
けど止まない雨も時々ある。
それとてそれが悲しい雨とは限らない。
ただ止まないだけ。
そして別に悲しいわけでもない雨は淡々と降り続けて、だけどやっぱり気付くと止んでる。
結局止むんじゃねーかって話なんですけど。そうなんですけど。
いつの間にやら「自分の肉体的価値を試したい」みたいな欲求は無くなってた。
今はかなりどうでもいい。
でもじゃあそんな事を確かめたくて新宿で身体を売った日々が無為だったかっていったら、そうでもないような気がする。
雨が止まない間は傘が必要で、傘もないなら申し訳程度のドラマチズムが必要で、両方ないと流石にちょっと死にたくなる。
傘が無いからドラマ仕立てにしてホロ酔った。
金で身体を売る自分ドラマに自分でホロ酔った。
ありがちで安っぽいドラマだけど、なにもない空っぽよりは幾分マシだった。
乾き飢えて悶えて、しかし何もしないまま藻掻く自分をただ傍観してるよりはよほどマシだった。
満たされることは無かったけど、結果的に雨はやんだ。
パンチラ一つであれこれ考えてた10代のピュア全開だった頃のほうがきっと価値があったんだと思う。
肉体的には勿論圧倒的にだし、精神的にも。
十代の子なんかより熟れた肉体の方が魅力あるんすよみたいな惨めったらし事は自分は言いたくない。
どう考えても10代の肌の方が綺麗だし魅力的だしそれは男性的な性欲とか度外視して普通に女性目線から見てもはっきり分かる。30代より10代の子の裸体のほうが美しいし魅力的。圧倒的に。なんかこう肉の付き方のシルエット的な部分でどう頑張っても30代は10代に勝てない。
JK大好きなおっさんの気持ちとか正直わかる。分かってしまう。魅力的だもん。普通に。物体として。
汚れちまったなぁ、衰えて萎びちまったなぁみたいな実感がある。
若さへの羨望も人並みにある。
けど雨は上がった。
それはわたしにとって結構重要なこと。
プラスでもマイナスでも虚無の0のままよりはいい。
雨の話。