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メランコル
メランコル

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道と水と世界

想像以上に色んな事が連動して出来上がってるんだっていうのをすごく感じる。


水は地形に沿って少しでも低い方に流れるように、どこかで遮られれば迂回したり溢れたりするように、人の在り方もわりとそんな風なんだなって思う。


例えば特別好きでもないけど、別に嫌いでもない人と遊びに行く時。


体調がいいか悪いかでかなりテンション変わる。


めちゃめちゃ特別好きな相手だったらどんな体調でも無理してでも行くけど、そうじゃない場合は「今日は体調悪いし止めとこかな・・・でも約束したし、動けない程じゃないし、体調悪化して限界になったら帰ればいいし・・・」って感じでとりあえず行く。


行くのだけど、やっぱり体調が微妙だとイマイチ楽しめない。


健康な時なら普通に面白いと感じられるような事でも「ごめん・・・今その余裕ないっす」みたいになる。


健康じゃないとほとんどの事は楽しくない。楽しいはずの諸々がいちいちしんどくて辛い。


そして無理をした分だけ少しずつそれが苦痛になって嫌いになってしまう。


そんな感じで、最初は全然嫌いじゃなかった、むしろわりと好きだった、けどなんとなく無理しすぎてしまって「この人と会う=しんどい」みたいに脳の中でシナプスが結びついて苦手になってしまった人が何人かいて、苦手になってしまった事がいくつかある。


相手は何も悪い事とかしてなくて、むしろわたしを気にかけて誘ってくれて、そこにあるのは圧倒的に好意で、そう分かるのに「しんどいから苦手」みたいになってしまってすごく申し訳ない気持ちになる事がちょいちょいある。


気分はかなり体調に左右される。


気分と体調は連動してる。


魚鱗癬のケアの影響で、「出かける準備の時点で既に疲れ切ってて既に熱っぽい」みたいな感じだったり、免疫的な問題でどうしても体調の悪い日の方が多くて、体調に引きずられる形で気分が優れない日も多くなりがち。


医者でも色々漢方とか出してもらったり、母が健康オタクだから免疫上げるサプリみたいなのとかネットで買ってくれたりはするのだけど、正直効果あるのかないのか分からない程度な感じで、基本ほぼいつも体調悪い。


今日はわりといいけど。


20代の頃は「体調や病気を言い訳にしたくない」って思ってたし、辛くてもしんどくても自分なりになるべくアクション起こしてこうって感じで20代を走り抜けて、30歳になった時、色々精神的に滅入る出来事が連鎖的に重なったのもあって「なんかもう無理。頑張るの終わり」みたいな感じで心がポッキリいっちゃった。


少しでも体調を良くするには生活サイクルとか日々の運動とかそういうのが大事なんだと分かるし、運動はできる範囲でするようにしてるんだけど、サイクルだけはどうしても直らない。


夜は心がざわざわして、良い感情、悪い感情、色んな感情が渦巻くように湧き上がってきてうまく眠れない。


睡眠薬に頼ると今度は日中もずっと眠気がやばくて耐えられず寝てしまって、結局昼間寝たせいで夜寝れないってなる。


あと睡眠薬で無理やり眠ると何かこう独特な体調の悪さ、気分の悪さみたいなのがあって極力使いたくない。


なぜこんなにも夜眠る事が苦手なのかっていったら、体質的なものもあるんだろうけど、境遇的な部分もやっぱりあるんだと思う。


子供の頃から「両親がほぼ日課にしてる口喧嘩を終えて寝静まった深夜だけが安らかな心でいられる時間」みたいな妙な開放感があったし、学校で虐められてたりとかも当時はあったから、寝ようとして電気を消して、布団に入って目を閉じると嫌な考えが無限に浮かんできて眠れない・・・みたいな感じだった。


慢性的に睡眠不足だから何かを頑張ろうと思っても気力体力がついてこない。集中したくても集中できない。頭に情報が入ってこない。


学生時代~昼間の仕事をしてた頃はずっとそんな感じだった。


20代半ばでお金に困って夜の仕事をするようになった時、最初だけはかなり勇気がいったけど、実際やってみると肉体的にも精神的にもとても楽だった。


基本的に自分が嫌な事は全部NOで通していいお店だったし、リピートで指名してくれるお客さんはみんな優しかったし、何より「昼間の仕事に備えて夜強引に眠る」必要がなかった。


昼間は比較的眠れる。


夜寝ないで迎える朝は比較的精神的に穏やかだった。


夜寝て朝起きる時の気分は大体最悪で、体調も最悪で、なんかもうほんとしんどい。しんどいしかない。


でも夜通し起きてて迎える朝はなんだかちょっと安心する。張り詰めてたものが解けるような感じがして、比較的穏やかな気持ちで眠れる。


小学校高学年頃からそんな感じで、それはもう単純な睡眠障害というより境遇とか環境とか体調とかそういう諸々に連動したものなのだけど大概の医者では「ただ無理やり眠りに落ちる薬」を処方されるだけだから状態が「良く」はならない。


性的行為を伴う仕事に対してある種の後ろめたさみたいなのはもちろんあった。


同性異性両方からナチュラルに蔑まれる種類の仕事という認識はあったし、そういう扱いを受ける場面も度々あったし、でもその手の扱いに対しては子供の頃から虐められて慣れてたのもあって、さほど何も思わなかった。


自分の価値基準を振りかざして攻撃的に批判してくる人達より、わたしを必要としてくれる人がいるという嬉しさの方が遥かに大きかった。


それまで朝刊配達、倉庫内軽作業、デパートの社員通用口の受付、アパレル、介護とやってきたけど、どの仕事も結局「誰かが辞めたから、その穴埋め」として採用されただけで、わたしがやめてもすぐ次の誰かが来るだけだった。


夜の仕事は少し違った。


お客さんは「わたしに」会いに来る。


予約を入れて来てくれる人もいるし、なんとなく時間が出来て寄ったけどわたしがいなかったからその日は誰も指名せず帰りました、みたいな人もいる。


元々夜眠れないわたしにとって「夜の仕事」はなんら苦痛じゃなかったし、基本座っての接客だったから肉体的にも楽だったし、飲み物はフロアの人に言えば本物のお酒にもしてもらえるけど、お酒が苦手ならお酒と言うことになってる烏龍茶にしてもらうことも出来たから肝臓への負担とか考える必要なかったし、そして何よりお客さんの多くは「他の誰かじゃなく、わたしに」会いに来る。


その実感はわたしにとって大きかった。


わたしより可愛い子なんて他に沢山いるのにわざわざわたしを選んで来てくれる。


「あなたは水商売の鏡だ。あなたみたいな人に会えて本当に良かった」みたいに言ってくれた人もいる。


わたしより接客やサービスが得意なキャストだって他に沢山いる。


けど彼らがなぜわたしにそう言ってくれたのかもちょっと分かる。


わたしは礼儀作法とかマニュアルとか全然出来てないし、多分性的な意味での処理もかなり下手だったと思うけど、彼らが抱えてる孤独みたいなものに対して、同情とか哀れみじゃなくて「ああ、わたしと同じような寂しさが彼らの中にもあるんだな」みたいな気持ちで「嬢と客」っていうより二人でいる時間だけは本当に「二人の時間」だった。


わたし自身が演出とか演技じゃなく心からそう思ってその場にいたから、彼らはそれを感じ取ってわたしを選んでくれてたんだと思うし、だから「あなたに会えて本当によかった」って真剣な顔で言ってくれたんだと思う。


基本性的な接客をするお店だったけど、何割かのリピートのお客さんは性的な事を望まずただ一緒に過ごす事を楽しんでくれたりした。


手をつないで寄り添うみたいに座って、他愛のない話をして、今までどれだけ寂しい気持ちだったかを確かめ合うように、薄暗い、多分淫靡さを演出する為なんだろう赤いライトの下で、そこには奇妙な親密さがあって、彼らはそれを求めて会いに来てくれてたんだっていう実感がある。


わたしはわたしの個人的な事情とかも結構お客さんに話しちゃってたから、「もっともっと押して口説き落としてやる」みたいな人も少なくて、大人として、割り切って、ほんのひと時の心の癒やしとして、みたいな姿勢をすごく彼ら自身大事にしてたと思う。


そこに過剰な欲が絡むとわたしを不快にさせるとかだけじゃなく、彼らにとっても「特別な時間」が「ただの性欲処理の時間」になってしまう事を彼ら自身が感じてたんだと思う。


恋愛や結婚みたいな継続が前提の付き合いじゃない、あくまで疲れた羽を休める宿り木としての場だとお互いが理解して、一つの小さなソファーに寄り添うみたいに座って時間をすごした。


それでもやっぱり彼らは男性だから、男性の精巣は3日で満タンになるペースで自動的に精子を製造し続けるって何かで読んだし、男性の性欲っていわば女性の月経と同じで身体のシステム的に排出を必要とするものだから、そこはなんとなく「あ、今日は多分そういう処理も必要なタイミングなんだな」って察して、向こうは大概「いや、あなたとの時間をそういう欲望で汚したくない」みたいにやんわり拒むのだけど、わたしがすることを彼らは強く拒む事もしなくて、触り続けてるうちに次第にそういうモードに移行していくのが分かって、だけど性的な気分がどれだけ高まっても「野獣」にはなってしまわないように彼らが必死に何かを抑え込んでるのが分かって、わたしとの関係性を何より大事にしたいと思ってくれてるのが伝わってきて、その姿が可愛いと思ったし、射精をした後の、なぜか少し申し訳無さそうな顔をしてる彼らに、一瞬事後処理の手を止めてキスをしてあげると、初恋の相手と初めてキスをしたみたいななんとも言えない表情を彼らは見せてくれた。


「性処理」が目的で来るお客さんは大体事後手際よく会計を済ませたらそそくさと帰っていくのだけど、リピートで来てくれるお客さん達は大概お店から地上に出る階段の途中で何度もわたしに「今日はありがとう」って言って、お店の外まで見送る時も、何度もこっちを振り返って笑顔で手を降って、名残惜しそうに帰っていった。


彼らにはわたしが必要で、わたしにも彼らが必要だった。それは単に彼らが支払ってくれるお金という意味じゃなくて「彼らがわたしに傾けてくれるもの」がわたしにも必要だった。


時折わたしの仕事が終わるまで外で何時間も待っててくれて、お店を出てすぐの角から気まずそうに顔を出してきて「こういうの迷惑じゃない?お店側で禁止されてたり迷惑だったら言ってね」って、めちゃめちゃ気遣いながら出待ちしてくれてるような人もいた。


その人はアルバイトで生計を立ててて、ほとんど余裕なんてない生活なんだけど定期的にわたしに会いに来てくれて、だから連れてってくれるお店も普通に吉牛とかだったんだけど、厳しい生活の中でもお金切り詰めてわたしに会うお金を捻出して来てくれたんだと思ったらすごく嬉しかったし、本来お店の外で会うのは「外でなにかあってもお店側で守ってあげられないから」という理由で禁止だったんだけど、性的な目的以外でお客さんに誘ってもらった時は極力会うようにしてた。


向こうも「店の外で会って安く済ませたい」じゃなくて、あくまで「わたしが知らない事の中で、わたしが興味持ちそうな事を色々経験させてあげたい」みたいな気持ちで色々な場所に連れて行ってくれてたのはとても伝わってきたし、彼らの誘いにわたしが応えた時は、「あなたと一緒にあのお店に行くのがずっと夢だったから」みたいに言ってくれて、彼らも指名時間という形で最大限報いようとしてくれた。


人を物みたいに雑に扱うような客はそもそも一発で出禁だし、単に「サクッと一発抜きたい」みたいな人より「人としての交流」を望むお客さんが多いお店だったからわたしにとっても居心地が良かった。


仕事で「居心地がいい」なんて感じたのは初めてだった。


境遇とか、体質とか、経験とか、気質とか、あらゆる事が連動してそうなったんだと思う。


正直肌の病気がなかったら、30過ぎても細々と続けてたかもって思う。


あの仕事は自分には向いてたと思う。


辞める時もお店のオーナーからめちゃめちゃ引き止められて、だけどわたしの意思がもう決まってるって分かったらそれ以上強引に引き留めようとはしなくて、いつか何か困ったことあったらいつでも頼りにきなね?5万円くらいまでなら無利子無期限で貸してあげるからいざって時は頼りにきなね?みたいにすごく親身に言ってくれた。


その後またアパレルに戻ったんだけど「必要とされてる」の意味がやっぱり違うんだなって最初の店ではすごく感じた。


彼らが必要としてるのは、売上を取れる人材。


わたしである必要はないんだなって。


アパレルは通勤時間含めると15時間くらいずっと立ちっぱなしで、仕事中、店頭に立つ時はニコニコふわふわして穏やかに見せてても裏ではめちゃめちゃダッシュでテキパキ動くのが求められるかなり過酷な仕事だったから肉体的にしんどすぎて、さらに不眠症でどんなに疲れてても夜眠れないのも重なって、ほぼ寝ないで毎日15時間立ちっぱなし喋りっぱなしみたいな状況だったから後半はメニエール病的なのになっちゃって真っ直ぐ歩けなくなって最初のお店は3ヶ月も保たずに辞めた。


アパレルは派遣で2つの店舗でやったんだけど、2つ目のお店はそういう体調の部分も全力で配慮してくれて、わたしがうっかり出勤日勘違いして無断欠席した時すら、店長から電話かかってきて「今日って出勤日だよね?」って聞かれて「え!?あ・・・す、すいません!」って言ったら「あー、うん、体調がヤバいとかじゃない感じ?明日は来れそう?それならよかった」って全く怒ってなくて、他の人にはメッチャ厳しい店長なのにわたしに怒る事は1度もなくて、その店長も夜の仕事の時と同じくらい「わたし」という個性を最大限尊重して評価してくれてたのだけど・・・明らかに能力的に職場のお荷物状態だったし、店長が常に全力でフォローしてくれてた感じで、それがなんだか申し訳無さ過ぎてそこも長居できなかった。


他の社員さん達はめちゃめちゃ仕事出来る人達で、わたしより遥かに有能なのに店長から毎日ビシバシしごかれてて、それはもちろん彼らの能力を信じて期待してるから厳しかったのもあったと思うんだけど、わたしには「お前にスパルタ方式でやっちゃうと多分お前のいいところ全部死んじゃうと思うから。お前のそのふわっとした雰囲気とか、精神的に深くお客様に寄り添ってく姿勢がうちの他のメンツには無い一番の強みだと思ってるし、それはうちの店舗に今一番必要な種類の才能だから」って常に私に合わせた指導をしてくれて、わたしの苦手な伝票処理とかの事務的な部分も「お前にお前の得意を最大限発揮してもらうのが店長としての役目だから」って全部肩代わりしてくれて、そうなるとやっぱり「他の従業員との扱いの差」みたいなので不和が生まれがちで。


裏では「派遣だから自分らより給料いいんでしょ」とか「あそこの店舗まで商品取りに行くだけで随分時間かかったね?かかりすぎだね」とかわりと小言を言われてて、それ自体は「すんません・・・」で済む話なのだけど、わたしが妙に店長から優遇されてるせいで他の従業員のモチベーションが露骨に下がってピリピリしてしまってるのも肌で感じてた。


店長の期待に応えられる能力がわたしにあったらよかったんだけど、魚鱗癬のケア&通勤時間で出勤の4時間前くらいに起きないといけないのと、毎日終電で帰ってくるくらい過酷な環境だったから「これは根性だけでどうにかなるものじゃないな・・・」って痛感して、店長には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど3ヶ月くらいで退職した。


肌の病気とかなくて、体力に自信がある人間だったらあのお店でもっと真剣に頑張りたかった気持ちも正直ある。


そのお店の店長は本当に今まで出会った中で一番尊敬できる人だったし「この店長の為に頑張りたい」って思わせてくれる人だったから。


でも肉体的な向き不向きだったり、注意力欠陥で事務的な作業面でめちゃめちゃ足を引っ張っちゃったり、「実務的な仕事全然出来ないのに店長から気に入られてるってだけで全面的に優遇されてる、派遣だから正社員より給料もいい」みたいないびつな状況が他の真面目な正社員の人たちに負の感情を与えてしまったり。


その板挟みの中で、わたしをフォローする為に店長が本来背負わなくていい負担まで背負って憔悴してたのも分かったから余計に辛かった。


店長の期待と信頼に応えるには、あまりにわたしは無能過ぎた。仕事をする上での基本的な部分が水準を下回りすぎてた。


わたし個人の売上はそれなりによかったのだけど、成果が評価に直結する販売業で「他の事全然できないのに、客に気に入られやすいってだけで売上取れちゃう」っていうのは「頑張ってるのに売上に繋がらず、新米のわたしのフォロー(別のサイズをストック場にダッシュで取りに行ったり、他の店舗に在庫取りに走ったり、上の階までお直し出しに行ったり・・・アレな言い方をすると使いっぱしりみたいな扱い)に回される立場の先輩達」からは反感を買いやすくて、わたしの能力があまりに偏りすぎてたのが問題だったと思う。


アパレル店舗って雰囲気がかなり大事で、店員が売上最重視でめっちゃ鋭い眼光してるとお客さんが寄り付かなくなっちゃう。


わたしとかは派遣で個人ノルマ関係ないからっていうのもあって、なんかただふわ~っとそこにいるだけでよくて、店長から「店の雰囲気ギスってるからお前が変えてこい」みたいに店頭の全面に立たされる事も多くて、その分接客機会も増えて、サイズ違いや新品の在庫確認は接客に入ってない人が持ち回るシステムだったから、長年勤めてきた眼光鋭い系の先輩たちがわたしにお願いされて裏に取りに行く、、、みたいな場面も多くて、すごく気まずかった。


そして逆の立場の時、つまり先輩が接客入ってわたしがフォローに入る時、わたしはもう自分でも自分が嫌になるくらい要領が悪い。遅い。そして間違える。


だからよく舌打ちされたり露骨に睨まれたりした。彼女らにとっては1分1秒が接客機会のロスに繋がるから、わたしのミスが彼女らの売上成績にモロに反映される。


だから舌打ちされても嫌味言われても本当にもう足引っ張りまくりでごめんなさい・・・としか思えなくて、だから余計に辛かった。


自分に落ち度がなければ「あの人嫌な先輩」で済むけど、完全にこっちの落ち度だからすごくへこむ。挽回しようと焦って頑張るほど空回ってミスが増える。どんどん自分が嫌いになる。


接客以外の事もキッチリこなせてたら、もうちょっと色々違っただろうなって思う。


彼女たちは、わたしのことが個人的に気に食わなくて辛辣だったんじゃなくて、ただどこまでも純粋に仕事と売上に命がけだったから、失敗だらけで足を引っ張る新人=プロ意識が欠落してると感じてイライラしてたんだっていうのはすごく伝わってきた。


自分でも本当にうんざりするくらい、接客以外の能力があまりにも酷すぎた。思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなる。


識字障害で本社からの指示書読んでも内容ちんぷんかんぷんだったり、お直しやお取り寄せの伝票すら満足に書けなかったり、注意力欠陥で絶対にやっちゃいけない系の操作ミスやらかしちゃったり、目の前にある在庫の存在に気付かず延々探し続けたあげく別の品番と取り違えたりとかそういうミスがあまりに多すぎて。


焦ってテンパるから余計にミスる。けど店長以外からは常に急かされるから、冷静にゆっくりやる時間的猶予もなくて、ありえないようなミスを毎日連発しまくってた。


自分が社員の立場だったら流石にキレるわ・・・ってレベルで酷かったし、毎日自分で自分を殴り倒したいくらいの気持ちだった。


店長だけは「個々の能力を最大限引き出して、得意な人に得意な仕事を任せて、効率的に店を回す」がモットーの人だったけど、本社側は「1から10まで全部キッチリこなせてこそ一人前。そのうえで売上も取れれば更に上に登っていける」っていう社風だったし、店長以外の従業員も基本そういうスタンスだったから、わたしみたいな「得意」と「不得意」が完璧に分かれてるタイプには本当にしんどかった。


そしてそんな板挟みの中、文句一ついわず延々と私のフォローに徹して満身創痍気味な店長を見るのも。。。


色々な事情が複合的に絡み合ってて、全ての事がそれぞれに連動してて、だからほんとむつかしい。


一年で一番忙しいお正月の催事が終わったタイミングで退職した。


店長は最後まで手土産みたいなの用意してくれて優しかった。


他の社員さんたちも、仕事中はメッチャピリピリして厳しかったけど、皆で飲みに行った場とか、最後の日とかは普通にめちゃめちゃ優しくて、ああ・・・仕事に命賭けてるからこそ妥協や失敗が許せないだけで、人間的には全然ちゃんとした優しい人達なんだなって理解ったから余計につらかった。


彼らの期待と信頼に応えられなかった自分がすごく恥ずかしくて悲しかった。


それでもう完全に自己嫌悪というか、自分みたいな普通の事を普通にやれない人間はどこいっても足引っ張るだけで、上記の店長みたいな優しい人に負担を上乗せしてしまうばかりで、真剣な人達に嫌な思いをさせてしまうばかりで・・・って、社会人として雇われて働くのが怖くなった。


で、丁度その頃「素晴らしく糞ったれなこの世界に祝福を」にも描いたキヅキとの関係が破綻したのも重なって、鬱をこじらせて、働けないまま貯金が底をついて実家に戻った。


実家に戻って1年くらい何もせずぼんやりニート状態を続けて、毎日朝から晩までネットゲームとかして過ごしてて、経緯を知ってる両親からは特に何も言われなかったけど、やっぱり何もしないでタダ飯食べ続けてるのはちょっと居心地が悪くて、だから両親に「自分なりに在宅で出来る仕事を模索して、再起しようと頑張ってるんですよ」アピールがしたくて絵を描き始めた。


正直さほど売れなくても両親への「頑張ってるアピール」にさえなればいいかなくらいに思ってた。


結果的に想像以上に売れてしまって、こんな半端な気持ちじゃ作品買ってくれる人達に流石に申し訳ないぞ・・・と思ってだんだん真面目にやるようになって、そうしたらもっと売れた。


気付くと同人でご飯食べてる人になってた。


感謝。


この数年同人作家としてやってきて、本気モードの時は毎日20時間描き続けるみたいな感じだからハードと言えばハードなのだけど、精神的な意味ではかなり楽だった。


楽というかシンプルだった。


個人サークルだし、個人事業主という立場だから、わたしが失敗しても全部そのままわたしに返ってくるだけ。


自分の失敗のせいで誰かが責任を被るみたいなことがないし、誰にも怒られない。必要以上に焦ってテンパる事もないし、自分のペースで淡々と描いて提供するだけ。なんならお客さんに感謝だってされる。


欲しい人だけが買う。ほしくない人は買わない。とてもシンプル。


これは本当に精神的に楽。


作品の仕様も仕事のやり方も全部自分で決めて自分でやるだけだから、誰の指示にも従う必要がないし、「マニュアルと違う」みたいな理由で怒られることもない。


スタンスが違う同僚と揉めることもないし、体調不良で休んで他の人に迷惑かけることだってない。


夜眠れなければ夜眠くなるまで仕事すればいいだけだし、眠くなったら寝て、仕事したい気分の時にやって、休みたくなったら休憩して、全部自由。


仕事前に肌のケアに2時間かける必要もない。


肌がどんな状態でも仕事に支障がない。


頑張れる時きっちり頑張っておけば、体調悪いとき、気分が乗らない時好きなだけ休める。


3月からコロナの影響で父が休職してずっと家にいて、両親の口喧嘩の頻度が爆増してしまってなかなか絵に集中出来ないのと、元々性的な描写自体が苦手だったのが最近だんだん強くなってきて3月の半ばから絵の作業がほとんど進んでないけど、来月出す予定の作品はもう既に完成してるし、4ヶ月後に出す予定のも半分くらいは出来上がってるから、まあ今後は出来る範囲で気楽にやってこうみたいな感じ。


この6年くらいほぼ2ヶ月に1本ペースでリリースしてきたから、3ヶ月に1本にペース落とす事になんか妙な後ろめたさがあるけど、無理な状況で無理して作っても良い作品は作れないから、父の仕事再会の目処がついて家が静かになるまでは当面緩いペースでやってこうと思う。


一応親にも「絵の仕事にはかなり集中力が必要で、あまりうるさくされると作業出来ないから多少配慮してくれると嬉しい」みたいに4月の頭頃に伝えて、その時は親も「ああ・・・すまんかった・・・たしかに配慮が足りなかった。もっと考えるようにする」って言ってくれたんだけど、一週間もしないうちにまたうるさい我が家に逆戻りで、今まで何度となく「絵に集中したいから静かに」「すまん・・・今後は静かにする」っていうやり取りを繰り返しての今だから、多分もうこれは諦めるしか無いんだと思う。


仕事に集中するために家を出てく事も考えたけど、60代半ばを過ぎて、持病なんかもあって、今後どうなるか分からない親を置いて出ていくというのもなんだか気が引けて、あとなんだかんだでわたしも病的な寂しがり屋だから、うるさくても、イラッとする場面多くても存在してくれるだけで寂しさが和らいでる部分も大きくて、一人になったらなったで仕事は捗るだろうけど精神的にやばくなりそうだな・・・っていう不安もあって。


どうせ結婚とかはしないつもりだからお一人様コースは確定だし、両親が死んだあとで「もっと相手してあげてればよかったな・・・」ってなるくらいなら今後両親の介護とかで人生がまるまる潰れたとしても、そっちのほうがまだ自分的に納得出来る気がする。


ジェンダー的な問題と肌の問題が立ちはだかって恋愛だけはいつも上手くいかなかったけど、それ以外の、自分一人で出来る範囲の事で自分がやりたかったことはほぼ全部20代のうちにやり尽くした感あるから、今後どうなるにせよ「親のせいで自分の人生が全部台無しになった」みたいには思わないでいられると思う。


そもそも絵で食べていけるようになれたのも、鬱のドン底で実家に戻ったわたしを親がありのままただ迎え入れてくれて、そのまま1年以上引き篭もってたわたしに「いい加減働け」とも「鬱を治す努力をしろ」とも言わずただ見守ってくれたからだし。


普段悪く書いちゃう事も多いけど、実際人としてどうしようもない部分ばかりの親だけど、イチイチ声がやたら大きくて、わたしの意見とか気分とか完全無視でイラッとなること沢山あるけど、今だって実際親が連日やいやいうるさいせいで全然絵に集中出来なくて仕事が全く進まないような状態だけど、それは親のせいじゃなくコロナで仕事に行けない&外出もあんまりできない状況だからしょうがないことだし、感謝の気持ちもちゃんとある。


完璧な親ではないけど、最低な親でも無かったと思う。


元が自分本意で我の強い人達だし、わたしは逆にめちゃめちゃ打たれ弱いタイプだから完全に打ちのめされてもう立ち上がれません・・・みたいになること多々あるけど、彼らなりに、彼らの出来る範囲で精一杯親であろうとしてくれてた事もちゃんと分かってるから。


買い物行く度に「これ、お前好きだと思って買っといてやったぞ」って、大概わたしの好みと微妙にズレてて反応に困るんだけど、まあそれが正解かどうかじゃなくて、買い物してる時もわたしの事を考えてくれてるんだなっていう、そこが一番大事なんだと思うし。


仕事の邪魔されたら普通にわたしも文句言うし、直接言えない時はこういう場で愚痴るし、個人的な事情とか心境とか理解してもらえなくて頭ごなしに否定されたら「もう無理。こんな親やだ」ってなるし、でもわたしが我慢の限界突破して「そういう雑な扱いされると結構リアルに辛い」って正直に伝えれば、その場限りでもちゃんと心から反省して「すまんかった・・・お前がそこまで打ちのめされてるとは気付かなかった。もう少しお前の性格や気持ちを考えるべきだった・・・」ってなるから、どうせまたすぐ反省したの忘れてガーガーうるさくなるのは理解ってるけど、理解った上で結局わたしも許しちゃうし、それが家族なんだと思う。


今は収入も貯金もあるから家を出てこうと思えば簡単だし、仕事の観点からすれば家にいてもメリットよりデメリットのほうが遥かに大きいけど、なるべく家族を優先したいなって思う。


いつか遠くない未来に必ずいなくなって、もう二度と会えなくなっちゃうんだから。


いつかいなくなる日の事を想像するだけで猛烈な寂しさ込み上げてきて呼吸苦しくなっちゃうけど、でも、ちゃんと常にその気持を忘れないでいたい。


状況にただ流されるんじゃなくて、場当たりの欲求で短絡的な選択をするんじゃなくて、物事の優先順位をちゃんと真剣に考えて、その上で自分で決めるのが大事って思う。


いつかそれを失う日がきた時、後悔しないように。


今日はね、いつもよりちょっとだけ前向きでしょ。


コンサータっていう薬飲んだんだ。


これ飲むと悲しい気持ちがある程度鎮まって、気分が前向きになる。


物悲しい気持ちが完全に消えるわけじゃないけど、自分でも分かるくらい心が楽になる。


薬に頼って前向きになってもそれはドーピングと一緒だし、極力頼りたくないって思うけど、でも「脳の構造的な性質がもたらす病的な物悲しさ」は、薬でどうにかするしか無い時もあるんだ。


正体不明の苛立ちとか、怨念に似た鬱屈の感情とか、そういうのは薬じゃなく行動認知療法みたいな「物事の考え方、捉え方」でどうにかする方が正解な場面も多かったりする。


薬に頼っても余計悪くなっちゃう事がわりとあるから。


安易に薬に頼ってどんどん悪くなっていっちゃった人も何人も見てきた。


でもわたしみたいな「どういう考え方をしても、どういう捉え方をしても結局全部物悲しい、耐え難いくらい寂しい気持ちが常に消えない」みたいな感じだと、薬でそれを抑え込むしか無い場面もあって。


考え方や捉え方で変えられるのはモチベーションとかの部分で、「物悲しさや寂しさ」は考え方を変えても捉え方を変えてもやっぱりどうにもならなくて。


骨折や手術をした時、考え方や捉え方次第で痛みを消せますかって言ったらそれはさすがに無理っていうのと一緒。


痛み止めや麻酔が必要になる。


それと同じ感じで、わたしは心がずっと常に痛いから、耐えられない時は時々薬に頼る。


副作用とか反動も強いから、飲まないで済む時は極力飲まないようにしてるけど。


物悲しい気持ちに完全に飲み込まれると、もっと良くない状況になっちゃうから。


これ以上はヤバいなと思ったらどこかで歯止めをかける必要ある。生存術。


朝刊配達→アパレル→再び朝刊配達→介護→風俗→アパレル→同人作家って略歴だけみると「なにがどうしてそうなった!?」って感じだけど、身体的理由だったり精神的な事情だったりが根っこの部分で連動してて、ある種の必然としてそうなっていっただけなんだとも思う。


結果だけみると今は風俗もアパレルもコロナで地獄の様相だから、そうなる前に同人だけで食べていけるようになったのは本当に幸運だったと思う。


魚鱗癬の影響で免疫も普通の人より弱くて重症化しやすいから、外で働く仕事だと多分コロナもらってめっちゃ苦しんだ挙げ句死ぬとか高齢の両親を巻き添えにしたりとか普通に有り得る話だと思うし。


魚鱗癬とか発達障害とかがなかったら今も普通に風俗かアパレルで働いてただろうし、普通に仕事を失って無職になっちゃってたかも。


こわいこわい。


時々漫画とかで、石につまづいて転んだせいで意図せず銃弾を回避して生き残っちゃったみたいな描写とかあるけど、まさにそんな感じ。


運が良かった。


結局スランプで絵が描けなくて「コロナ関係ない業種」というメリットを全然活かせてない感じだけど、まあそれでも、ね。


多くの物事には成り立ちと因果があって、その出来事はただ漠然と偶然起こるんじゃなくて、色んな事情の絡みで結果的にそうなりましたみたいな事のほうが多くて、だから失敗しても必要以上に自分を恥じて悔いる必要はないし、成功の最大要因に限っては逆に運だったりするし、そういうものなんだくらいの気持ちで、僅かな可能性に賭けて、自分のしたいこと、自分にできることを精一杯やる以外無いんだと思う。


いい意味でも悪い意味でも全ての事は繋がってるから、精一杯生きてれば何かしらには自ずとなっていくし、色々言い訳して逃げの選択を続ければその累積で人生は暗い形に組み上がっていくし、でもまあ言い訳しがち逃げがちな性格というのも境遇や経験でそうなっちゃう部分大きいと思うから、それが悪だとも思わないけど。しかたなかったこと。


わたし自身言い訳して逃げちゃう場面の方が遥かに多いから、偉そうな事言えない。


偶然今は絵で食べれてるだけの自堕落ニートみたいなものだし。


どこかで挫折しても、気が向いたらまた立ち上がればいいし、挽回するには遅すぎたと感じるなら、今からでも挽回できそうな事を探してみればいいし、努力が足りなかったと思うなら今から納得いくまで努力してみればいいし、わたしみたいに身体的、性質的事情で「正攻法」が苦手なら健常者のルールに無理して従う必要だってないし、「人と違う」っていうのはそれ自体が個性だからその個性の活かし方を真面目に考えてみれば案外活路はあったりするし、切実な気持ちで生きて、自分なりの方法でその切実を形にして示していけば自ずと似たような人達が集まってくるし、辛いことも苦しいことも悲しいこともいっぱいあるけど、うまくいかない事ばかりだけど、でも人生ってうんざりするくらい色んな事が繋がってるから。


一つずつを大事にしていくしかないんだ。


仕切り直す事も新しく生まれ変わることも実際にはほぼ不可能だから、今からでも、遅すぎたとしても、淡々と今ある一つずつを大事にしていくだけ。


大事に出来ない時があっても勿論いいけど、全部を失った後で後悔しないようにね。


後悔してももう何も取り戻せないから。


残酷だけどそれが現実だから、後悔しないように今できる事を精一杯やるだけ。


全部ちゃんと繋がってる。


その原理原則を絶望の呪いみたいに受け取るか、そうであってくれてよかったと受け取るかは自分の生き方次第だから。


コンサータによる気分向上効果も半分くらいあるけど、考え方そのものは普段とそこまで大きく乖離してはいないと思う。


思い描いた全てを達成できるわけじゃないけど、望みの一つすら絶対達成できないってわけでもないからね。


達成できた分をちゃんと胸張って、今自分に出来ることを日々やっていくだけ。


全部ちゃんと大事だから。


ありがとう。


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