世界はいつだって正しくて眩しくて、正しいのが世界なら間違ってるのはそれを映し出すわたしの眼球の方で、眩しさに耐えかねて、正しさに花が咲く。
優しい人が残酷だった。
可哀想な人が偉かった。
目眩がして顔を天井に向けてきっちり5秒、刻むように数えてストンとスイッチを切るように顔を床の絨毯に向ける。
ねえ、わかってるよ。
わたしが間違ってるしわたしが悪いし全部わたしのせいだし自覚あるし言い訳する気もないしだから何度も謝ったじゃん。
どうしてそんな風に責めるみたいに正しいことをいうの?
そんな風に悪魔みたいに嘲笑って振りかざしたら、まるで正しい言葉が殺戮兵器みたいじゃん。
正しさでいっぱい血が流されて、正しさで沢山の人が死んで、正しさが、正しさで、正しく、正しいの?
右目の上半分の視野欠損の影響でわたしが描く絵は大概左上ににょきっと引き伸ばされたみたいになんかこう曲がる。
そうなるって経験的に分かってるから出来上がった画像の左上をクリックして適切なくらいのところまで真ん中に寄せて縮める。
正しいバランス。
それでも大体ちょっとずれてるけど。
正しいかどうかを判断するわたしの視界も結局右目の上半分欠損してるから。
視野の一部欠損ってそんなに生活困らない。
視野が完全になくなるわけじゃなくて、脳の便利機能的なやつで本来見えてないはずの部分の映像が補完されるから、なんとなく感覚的には普通に今までどおり見えてるように感じられる。
ただ実際には見えてないから急に物体が眼前に現れたりする。
でもそんなこと稀だから日常生活で困ることってほとんどない。
ただ絵を描く時だけ、やっぱリスク犯してでも手術しておけばよかったなと思う。
右目眼底骨折した時視神経に刺さった砕けた骨の破片。
でも、絵を描かない時はほとんど気にもならないし何も困らないし、別にこのままでいいやと思う。
右目の下の骨が若干、触らないとわからない程度にだけへこんでるのがコンタクト入れたり外したりする時だけ厄介だけど。
正しく視えないほうがいいことも世の中にはたくさんあるから。
正しく視えてしまったら、なんか嫌になっちゃう事結構ある。
たとえば蛍とかさ、もともと蟲が好きな人はいいけど、わたしみたいに蟲が苦手な人は、ただ遠くでぼんやり光ってるくらいの感じが良くて、正確に形状が分かるくらい近くにこられたら普通にビビって悲鳴上げて逃げる。怖い。
もちろん比喩。
怖いものはもっと別にある。
見たくないものはもっと別にある。
見ないように心がけて、うっかり視界に入らないように。
常に、常に、常に。
背後から迫る夕闇に右側から振り返れば、見たくない影だけ視野補完の原理で視界から消失して、いつもどおりのただの道。
怖いことなんてなにもないんだよ。
ミュールを履くには寒すぎる季節になってきた。
露出するとすぐに肌ががさがさになる。
痛痒いようなチクチクが足元から広がって、体中に広がって、頭の中に広がって、世界に広がって、咲く。
血を流すより簡単な方法で正しさを証明できたらいい。
原子爆弾よりも危険な愛で世界を支配しちゃえばいい。
どうしてどうしてどうして。
世界は今日もすこぶる正しくて、枯れるべき花は枯れるべきまま咲き誇って、誰も、誰も、誰も見ない足元の路肩で傲慢に咲いていて、今日も咲いていて、枯れるまでの事を煉瓦に刻む装置みたいにただそこに、ここに、灰色の絨毯の床に。
ようやく眠くなってきた。寝よう。
おやすみ``