載せるものがないから前に書いたnoteから記事引っ張ってきた
Added 2020-10-26 15:05:25 +0000 UTCわりと、男性恐怖症ぎみ。
ぎみ。
そもそもバイのノンセクシャルだから男性にも女性にも恋愛感情自体は抱くし男性全部ガチで無理というほどじゃないのだけど、気味ではある。
嫌悪とかじゃなくて、ごく一部を除くほぼ全ての男性に対して漠然と怖さのようなものを感じてしまう。
女性に対してはあまり感じない。
今まで職場とかで接してきた人達、、、という狭い世界に限って言えば男性のほうが遥かに理性的な人が多かったし、女性の方が遥かに陰湿でヒステリックな人が多かったけど、でも女性が陰湿でヒステリックでもさほど怖くはないし、男性がとても理性的で優しくてもやっぱり怖い。
父が感情的になると大声を出す系の人なのと、子供の頃いじめられてた時、主犯グループみたいなのが男子達だったというのも幾らかは影響あると思う。
父は普段は穏やかなんだ。
ひょうきんで、くだらない冗談ばかり言ってて、ひょうひょうとしてる。
でも何か地雷を踏んでしまうと豹変する。
大声で怒鳴って相手を威圧しようとする。
本能的に怖くなるような声の出し方をする。
近年はもうないけど、稀に手を上げることもあった。
僕をいじめてた男子たちも、主犯格の子とかはもうずっと悪意全開な感じなんだけど、その取り巻きみたいな子たちは普段は別にそこまで冷たいとか嫌がらせしてくるとかでもなくて、でも主犯の子が動き出すと自ずと主犯の子を囲うように集合して暴力兵器に豹変する。
イジメられることが嫌とか、親に怒られるのが嫌とかっていうより、そういう相手の変化が何よりも怖かった。
そしてそういう場面だけじゃなく、性行為の際にも大半の男性は豹変する。
普段とは別の何かになってしまう。
だからどうしても重なってしまう。
だから性行為全般も苦手。
高校の頃電車で通学してたのだけど、満員電車の中で隣に立った見知らぬ男性がつり革に掴まろうと頭上に手を伸ばすだけで耐え難い恐怖が襲ってきて、反射的に自分の頭を手でガードしそうになって、段々お腹が痛くなってきて、耐えられなくなって度々途中下車したりした。
僕が「僕」という理由もやっぱりそういう部分に起因してたりする。
恐怖の対象と自分が同化してしまえば、脅威は脅威じゃなくなる。
「僕」と「男性」は対等。
そして「僕」って言っとけば基本的に男性の性対象にはならない。そういう目では見られない。だから怖くない。
男性に対して漠然と感じるその手の恐怖を女性に対しては感じない。
単純に筋力とかの部分で「一方的にやられる」という事がまずないのと、そもそも筋力に頼ってくる女性自体、自分は遭遇したことがない。
身体的な部分で女性は脅威じゃない。
女性は感情的になりやすいしヒステリーよく起こすし、派閥作って誰かを除け者にしたり陰口叩いたりみたいな陰湿で陰険な部分は男性よりかなりあると個人的に感じてるんだけど、でも「嗜虐的」とは感じないんだよね。
単に嫌いなものを排除しようとする、自分の立場を守ろうとする、そういう派閥意識みたいなのが強いだけで「嗜虐的」というのとは少し違うんだ。
男性が人に攻撃性を向ける時、僕の知るそれはほとんどが「嗜虐的」だったように思う。
父が大声で相手を制圧しようとする時、上司が部下を怒鳴りつける時、いじめっ子たちが僕の腕を掴んで「いじめ」をしやすい場所に強引に引っ張って行こうとする時、いつもそこに嗜虐的な色味を僕は感じてた。
彼らは自らの力を振りかざし相手を屈服させる事に対し、何かしら愉悦を感じてるように見えた。
性行為の時もやっぱりそう。
だから僕の中でそれらの経験と性行為の場面が重なってしまって、行為に及んだ後、行為に及んだ相手のことが少し嫌いになってしまうのだと思う。
力を振るう時、多くの男性は少しだけ愉しそうな目つきをする。
女性が大声でがなり立て力を振るう時、そこにあるのは殆どの場合敵意や防衛意識であって「愉悦の感情」は同伴しない。
だから女性が感情的にヒステリー起こしても、敵意のようなものをぶつけてきても、僕は恐怖とかは感じず「知らんがな」でやり過ごすことが出来る。
でも、まあ、彼氏や旦那に猟奇的な攻撃を加えてエクスタシーを感じる女性も一定数いるらしいし、妻による夫へのDVも実際は相当多いらしいから、あくまで「女性には嗜虐心がない」ではなく「僕の立ち位置だと、彼女らの嗜虐心に遭遇する事がない」というだけのことなのだと思う。
嗜虐心は男性にも女性にもある。なんなら僕の中にだってある。
そして重ね重ね書いてるように「普段理性的か、ヒステリックか」という観点で言えば男性メインで構成されてる職場の方が遥かに理性的に運営されてるように僕は感じたし、女性ばかりの職場は大概どこも地獄絵図だった。
理性で自分を律する力はやっぱり男性の方が強いのかなって思う。
でも、だからこそ怖いんだ。
男性がその「元来的に強い自制心を放棄して、嗜虐の笑みを浮かべる瞬間」が僕は怖い。とても。すごく。
以前ツイッターで
「ほとんどの男性は、ほとんどの女性をやんわり好きだけど、
ほとんどの女性は、ほとんどの男性がやんわり嫌い」
みたいなのが流れてきた。
僕はなるほどと思う反面、少し違うんじゃないかとも思った。
厳密には「ほとんどの女性は、ほとんどの男性がやんわり嫌い」なんじゃなくて、
「ほとんどの女性は、ほとんどの男性に漠然と、無自覚レベルで恐怖を感じてる」んじゃないだろうかって。
僕自身がそうだから拡大解釈的にそう思ってるというのもある。
でも過剰なほどに男性を敵視する子たちと話す際、往々にして「嫌いのその奥に”怖い”が潜んでる気がする」と感じる事がある。
怖いものと向き合っていくのは大変しんどい。つらい。逃げたい。嫌。
だけどビアンとかの人以外は、雌としての部分で男性を所望してもいる。
ほしいのに、怖い。
親密になりたいのに、親密になれば常に恐怖がつきまとう。
だから「嫌い」という事にしてしまう。
「嫌い」ということにしてしまえば、男性を遠ざけても、男性がいなくて超平和!という事にできる。
ハラスメントへの反撃とはまた違った意味で女性が男性を攻撃する時、そういう風に自分自身を納得させようとしてるように感じられる場面が折々ある。
そして「男性嫌い」を自称する女性の何割かは「男性への本能的な恐怖」に無自覚、、、というか、多分認めたくないみたいな心理が働いてるように感じる。
自分が、男共相手に恐怖を感じてるなんて認めたくない。
「怖い」なんて言ったら負けてるみたいだから。
自分の方が弱いみたいだから。
だから絶対「恐怖」については認めず「嫌い」で押し通そうとする。
そういう風に感じる事が往々にある。
繰り返しになるけど、そう感じるのは僕自身「男性が漠然と怖い」と感じてる人間だからというのが大きいし、そういうバイアスがかなりある前提で聞き流してほしい。
この「女性が男性に対して漠然と感じてる恐怖心」のようなものを女性が正しく自覚して、男性の側も「なるほど、そういう心理があるんだな。自分は嫌われてたんじゃなく、怖がらせてしまってたのかも」みたいに推し量って考えてみてくれたら、昨今悪目立ちする男女間の過剰な対立構造がもう少し平和的になるんじゃないかと勝手に思ったりしてる。
お互いに本当の本心では求めあってるのに、恐怖や誤解がその邂逅を阻んでしまうのはすごく勿体ないし悲しいことだと思う。
女性の自立大いに結構。
僕だって同人でそこそこ売れて世の一般男性並には稼いでる。
男性が怖い。
それはもうしょうがない。
だって男性の方が物理的に強いもの。筋肉量で圧倒的に敵わないもの。
男性が理性と自制を手放したら女性は一方的に嬲られる。物理の世界ではそうなってしまう。
だからどうしたって怖い。
どんなに丹念に調教されていて、人間に懐いていても、ライオンと同じ部屋で暮らすのはやっぱり怖い。
本能が恐怖を感じてしまう。
男性をライオンに例えてしまって申し訳ないけど、でも「力で敵わない相手と同じ空間に居合わせる」って、そういう感覚なんだ。
理解ってくださいとか配慮してくださいとかは言わないよ。
どう思うのも、どうするのもそれぞれの自由だから。
僕はジェンダーマイノリティだけど「マイノリティの事情をもっとみんな理解って!」みたいなことはあんまり思わない。
もちろん理解が広まって、人々が自然と寛容になっていったらそれに越したことはないのだけど、「我々の辛さを理解れ!!!」みたいに攻撃的に「一般の世界」を侵略するようなやり方は僕は苦手。
理解ってほしいなら、まず自分の側が相手を理解ろうとしなきゃって思っちゃう。
攻撃的に敵対的に処罰的に相手だけを悪者にして、自分の主張の正当性だけに盲目に固執してそれを強引に押し通すんじゃなくて、相手にだって立場と感情と境遇があって、そこで形成されてきたものに誰もが縛られながら生きてて、自分の側だって絶対に100%正しいなんて事は当然ないし。
自分はあなた達に一切配慮しません、あなたたちだけが我々に全力で配慮しなさいっていうのは一方的過ぎると思う。
少子高齢化、生涯独身の孤独死が社会問題化してる昨今だけど、「女性の権利拡大」とか「性的マイノリティの権利拡大」とか、もちろんそういう事も大事だし、その結果として自立した女性が増えて幾らか出生数が減る、幾らか独り身の人が増えるというのはしょうがない部分もあるとは思う。
でも過剰に対立や権利意識を煽り立てることで、本来不要なはずの孤独を過度に量産するべきではないと思う。
今って、孤独な人の数が必要以上に増えすぎてるように感じる。
理解を望むならそれは一方的でない相互理解であるべきだし、相互理解を望むなら闘争じゃなく対話が必要だし、本当の意味で快い生活を獲得する上で必要なのは敵意じゃなく愛だと思う。
僕らがその事についてもう少し真剣に考えて行動すれば、女性の権利、性的マイノリティの権利、障害者の権利、それと同時に「健康な普通の人たち」の権利も損なわれる事無く、色々なものを殺さずに調和を得ることも可能だと思う。
努めるべきはそこだと思う。
右手で多様性を訴えながら、左手で多様性を嬲り殺すようなのはやっぱり違うと思う。
愛情が正しく愛情として機能する世の中であってほしいし、少しでもそうなってくれたら嬉しい。
読んでくれてありがとう。
普段僕が書くものについてはそもそも読んでほしいと思って書いてないから「読んでくれてありがとう」とか思わないし言わないけど、こういう事柄については読んでもらう事に意味があると思うから、ちゃんとありがとうって言いたい。
そういう小さなところから始めたい。
愛を。
ありがとう。
Comments
こちらこそありがとうございます!
メランコル
2020-10-27 22:19:02 +0000 UTCありがとう
くな〜
2020-10-27 22:15:26 +0000 UTC