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メランコル
メランコル

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後悔

性的なコンテンツを期待して支援してくださってる方、ごめんなさい。もうなんか恒例化してますけどまた絵が描けないモードに突入してしまいました。すみません。。


数年前父の前立腺癌が発覚して仕事をやめ、家族で支え合いながら去年の半ばまで闘病した末に父は癌を克服し、よかったよかった、、さあまた絵を描きまくるぞー!と思った矢先、今年の1月に今度は母が軽度の脳血栓(厳密には脳じゃなく頭蓋内血栓)を患った為、また仕事どころじゃないぞ、、、という状況になり、それが良くなってきたと思ったら20代の頃から親しかった友達の母の認知症が急激に悪化し、かなり暴言や暴力性が酷いため、同居し介護をしてた友人は疲弊しきってノイローゼ状態に陥ってしまい、なのでわたしが代わりに行政と掛け合って彼女の母を保護してもらう算段をつけたり、介護のために仕事をやめ無職のまま貯蓄も底をついて一人取り残される形になる友人の生活保護申請のあれこれを手伝ったり、、という感じで色々忙しくて中々絵を描く時間を確保できず、、、という状態でした。


今もこの友人の生活保護の件は手続きを進めてる最中で、あとどれくらいかかるかはちょっと不明…という具合です。


で、その友人と先日通話をしていて、あの頃はこんな事があったよね、あんな人もいたよね、という話になって。


2011年の3月初頭、大震災が東日本を襲う数日前にわたしと同い年の友人Uが癌で亡くなりました。まだ20代でした。


Uは上記の友達と同じバイト先で働いてて、私が夕暮れ時に路上でギター抱えて歌ってると、仕事帰りによく寄ってくれました。


知り合ったのは亡くなる1年くらい前だったと思います。

知り合った頃、Uは抗がん剤治療と手術を無事終えた直後で、後は回復を待つだけだーと言ってました。


本心を言うと、それを聴いた時「本当に、、、?」って不吉な予感がしてました。

常にどんな時も明るく朗らかで優しい人だったけど、抗がん剤治療の影響もあってUはひどく疲弊していて顔色が悪く、食事量も少なくて、治療が成功してあとは回復を待つだけという医者の診断とUの言葉を信じたい反面、心の何処かに不安がずっとありました。でも、もちろん言えませんでした。


当事者である本人が一番再発を恐れてるだろうし、周囲が不安がってたら余計に本人の辛さが上乗せされることになると考えたからです。だから「あとはリハビリして回復を待つだけ」というUの言葉を信じることにしました。


知り合って数カ月後、スタバで話してる時、最悪に不謹慎な質問だと自覚しながら、あえてUに尋ねました。


「もし…万が一余命を宣告されるようなことがあったら、どう生きたい?親密な誰かに寄り添ってほしいとか思ったりする?」


なるべく重い雰囲気にならないように、「あくまで、私だって誰だっていつかは皆死ぬし、誰だっていつ余命宣告されるか分からないもんだしねw」みたいなトーンで。


Uは一瞬何か躊躇うような表情を見せ、答えるのに幾らかの間が有りました。


そしてその後何かを決心したようにはっきりした口調で言いました。


「自分は、生きた証を残したいだとか、特別な事をしたいとかそういう事は思わない。今まで通りバイトして、スマホでゲームして、こたつでテレビ観て、スタバで友達とコーヒー飲んで、ただそうやって普通に生きて死んでいけたらいい」


絶望的にバカな私はUのその言葉をそのまま受け取りました。真に受けました。


わたしがそれを尋ねた裏には一つの意図がありました。


「もしも誰かに寄り添ってほしいなら、一人で孤独に死んでいくのが怖かったら、その”あなたの傍で寄り添う誰か”にわたしが立候補することを、あなたは許してくれますか?」


わたしはUが好きでした。特別な好きでした。抗がん剤治療でどんなに辛くても弱音を吐かず、明るくて、人に優しくて、人生に前向きで、いつも凛としたUの笑顔が好きでした。憧れでした。特別でした。


だけど、癌という重い病を患い、術後の闘病生活に苦しんでる人に対し「恋を仄めかして擦り寄ること」はなんだか相手の弱みにつけ込むような、不誠実な感じがして、だからはっきりと言えませんでした。遠回しにUの意思を確認することしか出来ませんでした。


Uは「普通に生きて普通に死んでいけたら良い。特別な事は何もいらない」とわたしに言いました。だからUの意思を尊重するしか出来ませんでした。


で、数日前に友人と話してて、あんな人もいたよね、こんな事もあったよね、そういえばUも・・・


「でもあの人は一人でそっと死んでいくことを選んだから、早すぎる死ではあったけど、Uの人生を最後まで全うしたんだと思う」


「え?なにそれ、、私が聞いた話と違う…」


わたしの言葉に、友達が驚いたように返しました。


「え…?」


今度は私が。


「Uは生前言ってたよ。本音を言えば、恋もしたかった。このまま自分が死ぬのだとしたら愛する誰かに傍にいてほしい。余命1年の花嫁って映画を見て、その主人公に自分を投影する気持ちもある。もし癌が再発して死ぬとしたらああいう最後が良い。本音はね、、、でもさ、自分が死んだ後、遺された側の辛さを思うと・・・多分きっとこれでいいんだよ」


Uは職場で友達や同僚にそう話していたそうです。


わたしが尋ねた時には、全く違う答えを言ってたのに。


10年間、ずっと心に引っかかってた違和感の答えが理解った瞬間でした。


ある寒い日、わたしと、音楽仲間と、Uと、友人でうどんを食べに行きました。


当時私はめちゃめちゃ貧乏だったので外食する余裕がなく、皆で外で食べる時、私はお水だけ注文して、食べ物は帰りにスーパーで半額処分品を買って、家で一人で食べるという生活をしてました。


音楽仲間や友人は、、、なんというかとても自由に生きてる系の人達なので、わたしが横でお水だけ飲んでても意にも介さず自分が注文したうどんを淡々と食べてワイワイ話してる系の人達でした。彼らは、私の貧しさに対し変に同情したり気を使ったりしないでくれるから一緒にいて楽でした。


わたしの向かい側にUが座って、うどんを食べてました。


「ちょっと、、抗がん剤治療の影響でまだ食欲なくて、、、食べ切れなさそう。自分の食べ残しだけど、、、不快じゃなければ、食べて?」


Uは優しく笑いながら、わたしにうどんを半分くれました。


うどんの丼を受け取る際、指が一瞬触れました。


その指から伝わる体温を、ずっと離したくない衝動に駆られました。Uを抱きしめたい気持ちになりました。同時に、相手もわたしと同じ風に感じてたのを、表情や挙動から感じ取りました。


言外の確信があったからこそ、わたしはスタバでコーヒー(厳密にはわたしだけ水)を飲みながら尋ねました。


「もし、、、余命が告げられたら、誰かに側にいてほしい、寄り添ってほしいと思う?」


Uの逡巡、迷い、決断。


「今まで通り淡々と生きて普通にそっと静かに死んでいけたらそれで良い」


わたしは絶望的に馬鹿でした。


「本音を言えば、誰かに傍にいてほしい。でも、自分が死んだ後、遺された側の苦しみを思えば、、、きっとこれでいい」


つい先日まで、知りませんでした。


Uの本心を。


「抗がん剤で髪もほとんど抜け落ちて、体もボロボロで、生殖機能も失って、こんな自分じゃあなたには到底釣り合わない」


ここまで明確な言葉ではなかったけど、もっと全然抽象的で、実体のないふわっとした言葉で、かなり遠回しに、そんなふうなニュアンスの言葉を聞いたのを覚えてます。


だから、「寄り添ってほしい?あなたがそれを望むなら、望んでくれるなら、私はあなたの傍に居たい」と思って、だから、聞きました。尋ねました。余命が分かったら、どうしたいか、どう生きたいか、寄り添ってほしいか。


「いいよ、いらない」


Uがなぜあの時、はっきりとした口調で私を拒んだのか。


理解するのに10年かかりました。友人から重要なヒントを得てようやく真実を理解しました。


電話を切って、お風呂に入って、シャワーの蛇口を捻った瞬間、こらえてた涙が溢れだして、悔しくて、無念で、みじめで、自分の頭を何度も殴りました。


もっと自分が強い人間なら、もっと勇気があれば、あの時Uの言葉に怯まず「それでも傍に居たい」といえてたら。


「もしあなたの癌が再発して、いつかこの世からいなくなってしまっても、あなたと二度と会えない未来を絶対に呪わないと誓うから、傍にいさせてください」


わたしが本当の気持ちを伝えることが出来てたら。


ほんの数ヶ月でも、限られた時間でも、きっともっと色んな場所に二人で行けて、きっともっと色んなことを二人で楽しんで、病状が悪化して入院してどこにもいけなくなったって、病室で手をつないで、言葉を交わして、二人で、寄り添って、そうやって、そんな風に、そういう可能性だってあったのに、わたしは、何も出来ませんでした。


もしわたしが気持ちを伝えて、Uが承諾してくれてたら、わたしは絶対にUに「少し名残惜しいけど、この人生で良かった」って言わせる事が出来た自信があります。


愛してました。大好きでした。絶対に幸せに出来た自信があります。私にならできたはずでした。でも、出来ませんでした。Uが自らの末路を選択した時、阿呆のようにそれをそのまま鵜呑みにして、ただ遠くから見守る友人の一人であり続けることしか出来ませんでした。


後悔と無念が濁流のようにこみ上げてきて、涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになって、過呼吸で息が出来なくなって、結局体も洗わず泣くだけ泣いてお風呂から出ました。


深夜だったので両親は寝てて、この気持ちをどこにぶつけたらいいかわからなくて、40度のラム酒をラッパ飲みして盛大に吐き散らしました。


誰にでも良いから聞いてほしくて、ネットの友人片っ端から「辛い。無理。たすけて」ってメールして、返事をくれた人にありのまま話しました。


「きっとUはあの世で君の事を」


「やめて。それ以上言わないで。今それ言われたら11階から飛び降りないでいる自信ない。死んで本当に会えるなら11階の窓側の部屋って環境はすごく便利なんだよ」


「ごめん」


もう酷いもんでした。完全にただの八つ当たりでした。わたしから頼って相談したのに、心配して相談に乗ってくれた人がわたしを案じて口にする全ての正論に喧嘩腰で食って掛かりました。一番許せないのは自分自身でした。やり場がなくて人に牙を向けました。翌日冷静になってから友人に謝りました。彼女は「だいじょうぶ。わかるよ」って許してくれました。


何が悔しいって、結果的にUの選択が正しかったことです。


もしあの時Uが正直に「本音を言えば誰かに側にいてほしい。支えてほしい」って言ってくれてたら、わたしは即答で「その誰かに立候補します」って言っただろうし、そのままお付き合いする形になって、その日からUが亡くなるまでの数ヶ月のなるべく多くをUと一緒に過ごしたと思います。


「あなたがいなくなっても、あなたに二度と会えない自分の人生を絶対呪わない」


格好つけてそんな事を言って、わたしはこういう性格だから、きっと本当にもっともっと親密になって、毎日一緒に過ごして、沢山一緒に笑って、沢山の思い出を二人で積み重ねて、そうして、すぐ真横で、一番近くでUの最期を看取る形になっていたら、後追い自殺をしなかったとは言い切れないです。私はとても弱い人間です。Uはその事を理解していました。


「でも、自分が死んだ後、遺された側はきっとすごく辛くなるでしょ。だから、きっとこれでいい」


Uの選択に生かされた10年だったのだと理解しました。


わたしは2年前、元々住んでた街から2つ離れた町の団地に引っ越しをしました。


生前のUは、奇しくも今私が住んでいる団地と同じ団地のどこかに住んでいたらしいことを今日さっき知りました。


友人が昨日送ってくれた、亡くなる2ヶ月ほど前、生前最後にUと撮ったという写真を今もパソコンの左端に表示してます。優しく凛とした笑顔でピースをして、ネイビーのニット帽がかわいくて、わたしはこの10年間折々Uの事を思い出してたけど、心の何処かで「思い出を美化してるだけだ。思い出だから美しく感じるだけだ」みたいな感覚もありました。


でも友達に送ってもらった写真を見て、違う、美化なんかじゃない、本当に美しいひとだったんだって改めて思い知ったし、それが嬉しくて、悲しくて、寂しくて、写真から目を離せなくて、だからデスクトップの左端にずっと表示してます。これを書いてる今も。


多くの人が、出来事が、私の人生を通り過ぎていきました。


私はいくつかの喪失をしました。


二度と取り返しのつかない、過ちを正すこともできない、ただ思い出して無念に思い、わびしく思い、後悔と慟哭に埋もれ、ひたすらに寂しいばかりの喪失です。


それでもUの選択が今私を生かしてるのだとしたら、だって、あの時Uが別の決断をしていたら、わたしは独り遺される事に耐えきれず、今ここにいなかったかも知れなくて、この世にいなかったかもしれなくて、でも今普通に生きてて、辛いこともたくさんあるけどなんとなくしあわせだと感じる日もあって、嬉しい日もあって、こんな自分を慕ってくれる人達がいて、笑いあえる友達がいて、一緒に御飯を食べたり散歩する両親がいて、わたしは今間違いなくしあわせです。心から。


10年という猶予期間があったから、今、こんな風に、比較的冷静に、真実を受け止める事ができてるんだと思います。


わたしにとって絵は仕事でした。使命でした。責任でした。これを読んでくれてる皆様との繋がりでもありました。生活の支えであり、心の支えでもありました。


だけど元々性的な事に抵抗感が強く、最初は「エロなら下手くそな自分でも売れるかも」なんていう打算から始めた同人活動でした。想像以上に応援してくださる方が増えて、期待を寄せてくださる方も増えて、それに伴い責任を感じるようにもなって、気がつくと追われるように朝から深夜までひたすら仕事をする毎日になっていて、燃え尽き症候群みたいな感じで性的な絵をぱったり描けなくなったのが2018年のことでした。


その時binさんという青年からファンボックスを設置してみてはどうか?という提案を頂きました。


その時私は安定して絵を生産できる状態じゃなかったので「コンテンツを提供できないのにお金だけいただくような事になったら申し訳ない」と言ってやんわり拒否の意を示しました。


binさんは言ってくれました。


「あなたが絵を描けない時こそ、生活が苦しい時こそ、そんなあなたを支えることができたなら、それは私達ファンにとって大きな喜びでもあるのです。絵は描ける時に、また描きたいと思った時に描いてくれたら良いし、無理はしないでください。今はとにかく休んでください。そのための幾らかの糧として、ファンボックスを設置していただけたら喜んで支援します」


binさんだけじゃなく、他にも数人の方から同じような進言をいただいて、そうしてfanboxを設置するに至りました。


だからわたしのfanboxというのは成り立ちからして他の作家さんのfanboxと違い、「コンテンツ提供するから支援してね!」というものではなく「正直もう描けるかどうかもわかりません、期待に添えるかどうかもわかりません、そんな状態でお金を頂くことが正しいことなのかどうかもわかりません、でも、こんな自分をそれでも支援し続けたいと申してくださる方がいるなら、その手段をこちら側から断ち切るのも不誠実かも」というところからはじまり、なんとなくそういうスタンスで細々続けてきたものでした。


正直今は性的な絵を描ける精神状態ではなくて、友達の生活保護申請の肩代わりとかで忙しかったりするのもあって、性的なコンテンツをいつ提供できるか全く不透明だし、そんな状態で支援を頂く事に申し訳無さを感じてもいるけれど、当初の設置理由に倣い、ファンボックスは残しておこうと思います。


皆さんから頂いたコメントを折々読み返して、心が折れそうな時の支えにしてたりもするので、そういう意味で残しておきたいのも正直あります。


「今後はもう安定供給できなさそうです…」という主旨の文章は度々載せてきたけれど、今回またあえて重複するような話を掲載させていただいたのには大きな理由があります。


あなたにとって大切な人がいて、もしまだ伝えられていない本当の気持ちがあるなら、生きて、伝えられるうちに、伝えてあげてください。


伝えたい本音を飲み込んだまま、自分か相手のどちらかが死んでしまって二度と伝えることさえ叶わなくなってしまうのは本当にとても、とても、とても辛い事です。悲しくて、悔しくて、不甲斐なくて、やるせなくて、無念で、体ごと心を引き裂かれるような強烈な後悔に苛まれます。


あなたと生きたかった。


もっとずっと沢山一緒にいたかった。


それが叶わないなら、せめて残された時間を一緒に過ごしたかった。


あなたともっと、あと1つでも2つでもいいから、少しでもたくさん、一緒に笑いたかった。横に並んでなんとなく暖かい気持ちで歩く夕暮れを過ごしたかった。


あなたの嬉しさや幸せにわずかでも貢献したかった。


壮麗なチャペルも華やかなウェディングドレスも大勢の参列者もいらない、無機質な白い病室でいいから、友人や家族だけでもいい、わたしとあなたの二人だけでも良いから、心と指輪を交換したかった。


もっと、もっと、もっと。数え上げればきりがないよ。


自分にほんの少し勇気があれば叶えられたかもしれないのに、叶えられなかった架空の思い出。いくつだって紡げる。何時間だって、何日だって、何週間だって、何ヶ月だって、何年だって、だって、10年経ってもまだこんなに好きなんだよ。消えないんだよ。絶対に。消せないの。後悔も好きもさみしさも無念も全部。


だから。


もし、あなたにとって大切な誰かがあなたの声の届く場所にいるなら、どうか、居なくなる前に、伝えられるうちに、伝えてください。後悔しないように。


自分が生きていられる時間も、大切な人が生きていられる時間も、想像より全然短い事だって当たり前のようにあるものだから。


生きてるうちに、大切な人に、大切な気持ちを、伝えてください。


まだ色々気持ちの整理がつかないので、性的なコンテンツを制作する元気は湧いてこなくて、情けない話ですけどただ生きてるだけで精一杯で、ふと気を抜くとあの人の元に逝きたい気持ちに流されそうになるし、だから多分しばらく、性的な作品を作ることは難しいと思います。


大切な人を失って、人生に躓いて、生活が破綻して、実家に戻ったのが2012年、1年以上無職引き籠もりを続けて、なんとなく思いつきでワコムの6000円のペンタブをアマゾンで買ってパソコンで絵を描くようになり、身の程も知らず同人活動を始めたのが2013年、今日まで生きてこられたのは、Uのおかげであり、支えてくれた両親のおかげであり、応援してくれた皆さんのおかげでもあります。


絵を描き始めた頃、自分が「絵で食べていける」なんて正直思ってもいませんでした。

なんせ1年以上無職の引き籠もり状態だったので、せめて親に「人生再建の努力はしてる」というアピールをしたかっただけでした。


でも色んな方々の声援、「男性にとって刺さる性描写」が全然わかってなかった私に色々なアドバイスを下さった方々のおかげでやんわり食べていけるようになって、絵が描けない時期にも支え続けてくださった方々がいて、そうして今に至ります。


多くの方からの信頼や期待や支えがあってこその今だと思うから、わたし一人の一存で11階のベランダから放り投げるのはやっぱり違うと思うし、多分なんだかんだいいつつメソメソ泣き言撒き散らしながら結局生きていくんだと思います。


気持ちに整理がついて、また性的なコンテンツを作り上げるモチベーションが湧いたら、今までのように自分なりの精一杯で作品を作ると思うし、でももう二度と新しい作品を作れないかもしれないし、今後の事は自分でも全くわからないです。


ただ今後どうなるのであれ、この数年間わたしの作る作品を愛好してくださった皆様への感謝の気持ちが消えることも揺らぐことも絶対にないし、死ぬまで感謝してるし、だからわたしは「無念も後悔もあるけど、でも幸せな人生だった」と心から思えるし、だから、命が続く限りちゃんとわたしの人生を生きたいって思います。わたしにそう思わせてくれる重要な存在のひとつが、今これを読んでくれてるあなたです。


ありがとう。ほんとうに。


いつかまた新しい作品を作れる日が来たら、そのパッケージを見て「お…こいつはやべぇwww」と思っていただけたら、また作品を通じてコミュニケーションできたら嬉しいです。


これを読んでくれてるひとりひとりの人生が豊かで暖かく幸せなものであってくれることを、あるいは今この瞬間豊かさや幸せと遠い場所にいても、いつかいずれそれに触れられる日が来ることを、あなたの心がやんわり幸せを感じて、生きててよかったって思える日が訪れることを、心から祈ってます。


ではまた。


ありがとう。

Comments

ありがとうございますToT 人にも自分にもなるたけ公平に愛情を傾けられる人間になっていきたいとおもいます

メランコル

序盤読んで戦慄しましたが「理解ある嫁」展開でほっこりしましたw

メランコル

ただ、嫁にクレジットカードの明細見られて「何これ?」って言われたときは「やべぇwww」ってマジで辞めること検討しましたけどね...性癖見て爆笑してましたが。

ten-kao

前も言いましたが、支援やめませんて!世の中メランコルさんの事を見てる人がいて、ブログを楽しみにしてる人がいるので、もうちょっと自分の事を愛したってくだされ!

ten-kao

心の傷を掘り返すような痛みを伴う経験、、敢えてこの場で話してくださってありがとうございます。。。 「努力は必ず報われる」と人は言うけれど、現実には報われない努力の方が遥かに多くて、「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉も日本では流行ったけど、一つのバッドエンドを迎えた後も人生は冷酷なくらい淡々と続いていくものだし、嬉しかったことも、悲しかったことも、失敗も、無念も、苦悩も、後悔も、出来るだけ多くを成長の糧にして、自分も生きていきたいって思います。 PIXIVが知らない間にアカウント停止されてて…コメント欄に投稿していただく形になっちゃって本当に申し訳ないです。。 でもbinさんがコメントで綴ってくれた経験談には深みと人生的な教訓が込められていて、わたしひとりで独占するのはもったいない…とも思っちゃうので、コメント欄まで含めて読んでくれる人達の心にも何かしら響いたらいいなって思います。 言葉にして、伝えてくださってありがとうございます。 いつも本当にありがとうございます。

メランコル

それでも相手の役に立てるならいい、という願望に献身的になった私は、彼女の心の壁の前で、徐々にボロボロになった。今になって考えてみれば、彼女は明らかに私を拒否したことは一度もなく、全ては私の思い込みだったかもしれない。しかしその冷たい目線から、彼女が友人と話す時耳に入ってくる会話の内容から、彼女は私のことが嫌いという結論に辿り着いた。 彼女が私をボロボロにしたではなく、彼女の目に映っている自分の姿はどれだけ醜い存在なんだという事実が、自分を打ち負かしたのである。 その後私は半年間休学し、彼女の存在を忘れようとした。 大学に戻って、時々見かける彼女の姿に、ドキドキと自己嫌悪が胸の一番奥に刺さる。 急いでその場を後にすることしか出来なかった。 今の彼女はどこにいるのか、何をしているのか、思う度に心がジンジンと痛くなる。 あの時の自分ができなかったこと、自分がもっと頑張っていたら、違う未来が訪れたかもしれないこと。 そういう苦痛に苛まれているのは今のメランコルさんも同じだと思います。 一度諦めていた夢を拾うことはできる、かつて自分を阻んでいた困難を今の自分なら乗り越えられる、なぜなら自分は成長したから。 しかしどれだけ頑張っていても、あの時のあの人は、もう戻って来ない。 成長する自分と永遠に後ろに残された過去、それは人生という道を歩むほど距離が引かれていて届かなくなるという残酷な現実。 メランコルさんを慰める言葉はない、慰めて治る傷ではないのを知っています。 だから今は、時間がその傷の痛みを和らいでくれるのを祈るしかありません。 思い出す度に疼く傷だけど、その痛みと和解できる日が来るよう祈ります。

bin_222

メランコルさんとUさんの恋話を読んで思ったこと。 本当はもっとプライベートな形で話したかった、こんな公なところに自分の過去を晒すのは若干恥ずかしさを覚えます。しかしpixivアカウントが停止された今はDMを送ることもできず、ここで自分の気持ちを綴るしかありません。 自分もかつて恋をした。 相手は大学の同級生で、周りの人より無性に距離をおかずに近くまで話しかけてくる人だった。 その時の自分はひとりぼっちだったことも効いたんだろう、よっぽどあの人に惹かれていた。 この人のことをもっと知りたい、この人を支えたい、この人のためなら全てを捧げてもいい そんな衝動に駆られながら、同じ教室にいる彼女の横顔をドキドキしながら眺めていた。 あの人の全てが輝いて見えた、普通だったはずの顔たちも魅力的に感じていた。 しかし彼女はレズだった。 初めてそれを告げられた時、単に「あ、そうなんだ」と何もなかったようにその事実を飲み込んでいた。 しばらくしてから、あれは彼女からの「あなたのことを好きになる可能性はありません」という遠回しの拒絶だったかもしれないことに気づいた。 そんなことを本人に確認するわけもなく、私は今まで通り友人として彼女に接してきた、日々膨らんでくる絶望感を抱えながら。 翌年のバレンタイン、なぜか彼女にプレゼントを贈りたくなった、きっかけは彼女が言った「バレンタインなら自分もチョコを渡されて欲しいなぁ」という戯言だったかもしれない。友人という身分を踏まながら、敢えて心を込めて豪華に用意して、授業の後に人気の少ないところでこっそりと渡した。 その日の夜に、「恋人でもない人にこんな貴重なものを贈るのは頭がおかしい」と酷く罵られた。 自分はひたすら謝りながら、もうこんなことをしないと再三に保証をして、やっと許してくれた。 彼女も彼女なりの良し悪しがあるから、不意に逆鱗を踏んだかもしれないと、自分を慰めていた記憶がある。 あの日以来、彼女からの接し方や態度が変わった。 「相手はレズでもあの人を支えたい」という変な自己肯定感に走り出した自分は、相手の目にはただの「必要以上に絡んでくる邪魔者」にしか映ってないのを薄々読み取っていた。

bin_222

気分が落ち込んで立ち上げれない時は誰にもあります、気にしないでください。 それよりpixivアカウントが停止されていたみたいで、何が起きましたでしょうか?このままメランコル先生はインターネットの彼方まで消えて戻れなくなるのかとても心配です!

bin_222


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