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[JP_コラム] コラム書き放題ぢゃん 根底にある燻りの話

7月27日から8月27日までの予定(8月1日にお知らせメールが届いたのでもしかしたら31日までかも)のわたくしのこの夏休みなのですが、かみ砕いてみると今無料期間な訳です。

新規会員登録が出来なかったりするので一般的なサブスクのソレとは違うのですが、だったらこのタイミングならもう少しわたくしの自由にコンテンツが作れるんじゃないかと思ったのです。

実は書き溜めてて出すタイミングを見誤ったコラムが15ほど溜まっています。とはいえまだ清書しないと出せそうもないので一気に出せるわけではないのですが、この際バシバシゴリラの如く投げつけていこうと思います。

と言っても、これを書き始めてから期間が経ってしまったので投稿数そのものは少ないかも。

/早速一つ目。好きな作品の話(?)

まず一つ目のうんこを。コラムの後半に行くにつれてどんどん特定の人たちを傷つける文章になっているかもしれません。

ふと、ネタの引き出しとなる今まで読んできた作品や好きな作品を見つめなおしたときに、つくづく趣向が海外向けじゃないなぁと感じてます。

まずわたくしは、ジャンプ作品が基本的に好きではありません。嫌いじゃなく好きではないって話です。ジャンプ+ではいくつか定期的に読んでいるものはあります。一番好きなのは茶んた先生の「サチ録」です。

週刊漫画作品に触れてこなかったわけではないのですが、なんだか微妙にどの作品にも食指が動かなかったし、凄く"偽物"って感じがして入り込めなかったんですよね。

好きな漫画家の一人に山田玲司という先生がいるのですが、彼が過去に描いていた「絶望に効くクスリ」というドキュメンタリー対談漫画があります。そのなかである人物に最後に言われた言葉が、『本当のような嘘ではなく、嘘のような本当を描いてください』と言われたそうです。わたくしにとって多くのジャンプ作品が『本当のような嘘』に感じるのかもしれません。

ただそれは、後に語るかもですが"ジェンダーギャップ"が大いにある可能性が合います。

;"約"を付ければ0% - マンガというもの乖離

何か月か前のニュースで「マンガのAI翻訳事業をしているスタートアップ企業に、大企業や大手出版社・政府などが計29億円以上の出資をした」というものがありました。

AI翻訳の是非はいろいろ言われていますが、この背景予想を語っていると長くなるのと話が逸れるので一旦置いておきます。

そもそも海外で日本のマンガが人気だとか言っていても、翻訳されている作品は全体の2%ほどしかないと言われています。そしてその殆どがジャンプ作品で、その次がアニメ化した作品になるかと思います。

つまり海外の殆どのアニメファンはそのままジャンプ作品のファンと言っても過言ではないでしょう。なので恐らくわたくしよりも海外のアニメファンの方がジャンプ作品を読んでいると思います。陸上のノア・ライルズ選手が所々で見せるオタクネタ元もジャンプですし。

もしマイナーな作品のモノを読んだことあるよ。という人がいても、それはファンメイド、つまるところ違法品・著作権侵害品の可能性が高いです。それが横行するぐらい、翻訳に多くの日本の企業はお金をかけていません。そして翻訳依頼しても「小林さんちのメイドラゴン」や「僕の心のヤバイやつ」で顕著になった"作品と全く関係のない翻訳者の思想をねじ込む"という事件からの不信もあります。この辺りの問題からも"AI翻訳"に期待していることもあるかもしれません。

まぁつまり、わたくしの好きな作品が翻訳される対象でないとなかなか多くの人に刺さるエッセンスが作品に込めること出来ないのかなぁと、簡単に考えただけですが思ってしまいます。たまに読んでいる作品が打ち切りになるとか言ってる人がいますが、わたくしの場合は好きで読んでるマンガは、無事に完結を迎えるも特に話題にならずアニメ化の話も無くその後作者が行方不明になる作品です。

具体例を出すとなんだか失礼になりそうなのでやめておきます。

少なくともわたくしは昔から『人気のあるものはあまり好きじゃない』という嫌な体質があります。上で言ったものに加えてクリシェがやだって事かなって思うので、誰しもが少なからず思うものだとは思うのですが、正直ストレートにドラゴンボールやワンピースや呪術廻戦やらNARUTOやらが好きでありたかったと思います。だけどなんだか、楽しく読んでいてもジャンプクリシェ展開になった瞬間に『寒いなぁ』と思って読むのをやめてしまうのですが、よせばいいのにその作品のレビューを読むと、そのジャンプクリシェ展開になった回で「やっと面白くなってきた」なんて評価されてたりするんですね。

勿論それって、"ジャンプ読者が求める展開"だということなので、わたくしのような感覚の人は置いてけぼりで当然だと思うのですが、ふと寂しくなることがあります。

これはどの国でもそうだと思うのですが、マンガに限らずその時に大ヒットした作品は、その時代の人たちが求めていた・漠然と思っていたものを具現化されたモノだと思っています。

また、逆説的に大ヒットして多くの人が目にした結果、共通認識によって思想が画一化されたとも言えます。

つまるところ一番読まれている作品=ジャンプ作品がマンガ・アニメメディアの雰囲気を作っているし大多数の人の代弁者でもあるわけです。

;代弁者である例。だけどここでは語ってられない

ここでわたくしの気持ちの代弁者の話をすると年齢がばれそうなのですが、最近の国内外で大ヒットした作品から引用しようかと思います。まぁ正直、日本はバブル崩壊以降"失われた30年(そろそろ40年)"と言われる未だ続く暗黒時代に生きているのでその世代をひっくるめたものと思って下さい。

此処で引用したいのが『進撃の巨人』です。

おいおい話が違うやないか、大人気作品やないかとお思いかもしれませんが、かの作品は作画も含めて凄く異質で例外です。

いや、言い方を変えると、諫山創先生以降の世代にとって非常に強烈に刺さる作品なのです。すべての事象が何の象徴として描いているのかに言語化できなくとも気付くぐらいに。

なので、作品から引用するというよりも諌山創という人物が生きた時代とはなんなのかっていうモノからの引用になるかと思います。

後もう一つ言うと、進撃の巨人ってエロコンテンツと相性悪いのでその観点からは参考にしにくいです。

;Jadis, si je me souviens bien…

早速ですが、諌山先生が生きた時代を辿ってみます。長くなります。

生まれは1986年、同い年生まれに『ワンパンマン』のONE先生や『僕のヒーローアカデミア』の堀越耕平先生、『東京喰種トーキョーグール』の石田スイ先生などがいます。とてつもない世代ですね。

当時のジャンプは420万部を突破しドラゴンボールも連載中、後に進撃の巨人が連載する月刊少年マガジンはヤンキーものやお色気モノなどマガジンを象徴するものが連載されていました。そしてチェルノブイリ原発事故が起こり、前年のプラザ合意を起因とするバブル経済が訪れた年でもあります。

バブル経済は当時日本中がアホになったと言っても過言ではないくらい何の努力もせずにお金が舞い込む時代ですが、しかし自意識の輪郭はっきりしだす小学校にあがる頃の93年にはすでにバブル経済はとうに崩壊しており、2年後の95年に阪神淡路大震災とカルト宗教団体による地下鉄サリンテロが起こります。

バブル経済を調べると「ジュリアナ東京」という当時有名なディスコが象徴的なモノの様に出てきますが、それが営業していたのは91~94年、すでに崩壊していた年でしたがそれまでバブル崩壊を信じたくない浮かれポンチな大人たちは踊り狂って見ないふりをしていた様ですが、この95年で決定的に精神的にもバブルが崩壊した年でしょう。そしてエヴァンゲリオンが放送開始しますが、放送していたテレビ東京系列の限られた地域のみだったのでリアルタイムでは見ていなかったと思われます。

96年、『ポケットモンスター赤/緑』が発売します。まさに対象年齢だった諌山少年が手にしたかどうかはわかりませんが、これによってこの世代の精神年齢が止まります。次の年にアニメも始まりますが、当初のアニポケシリーズ構成担当であった首藤剛志氏は3年目ぐらいにある種の夢落ちで現実を見せるエンドで終わらせる予定でした。しかし10年以上の計画となってそのシナリオは没となり、子供たちは成長できないまま止まってしまいます。

余談ですが、そのシナリオの片鱗やエッセンスは首藤氏死後も引き継がれて、本来最終回だったその様子は20作目の映画『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』で逆にサトシが見る夢として描かれました。

97年、神戸連続児童殺傷事件が起こります。当時14歳だった少年により5人の小学生が殺傷被害を受けた猟奇殺人事件で、その中でも衝撃的だったのが切断された男児の頭部を中学校正門に置き、その口の中に犯行声明文が挟まれていたことでした。

98年、自殺数が3万2千人を突破します。1日100人自殺する時代です。19歳以下の自殺数は700人以上いました。リストラによる大量解雇による雇用の不安定も問題になり、学校ではいじめも深刻化。恐らく当事者であったであろう人が「小説家になろう」などで小説内にディティールの細かいいじめ描写を書いています。

99年に中学校入学、最も多感な時期。女子高生を中心としたファッションに「ヤマンバ・ガングロ」とかいうオルタネイティブファッションが流行り出します。日焼けだけでなく極度に黒いメイクをし、真っ白な口紅と大きく塗った真っ白なアイシャドー、バチバチのつけまつげに顔シール、ミニスカートに地面につくダルダルのルーズソックスという出で立ちで、比較的メイクを抑えたギャルでさえそのダルダルのソックスに地面の汚れがが付くことも気にせず歩いていました。

メイクを落とさない為に風呂に入らず歯もティッシュで拭くだけだったりの「汚ギャル」と呼ばれる者もいたとテレビで放映されていたようですが、それが誇張されたものだとしてもそれらが代表的に取り上げられイメージづけられました。

すなわち『女性が汚くなった・女性に幻想を抱かなくなった年』とも言えます(勿論それで性癖を壊された人達もいますが)。諌山先生でいうと姉と妹がいたので『他人の女性にも幻想を抱かなくなった年』という言い方が正しいかもしれません。

もしかしたらこの女性感もあって後に語る、創作の上での話だとは思いますが諌山先生の

「「恋愛」とかってバカみたいじゃないかと思う」

という発言の一端を担っているのかもしれません。勿論 「愛や恋だけじゃなく現実で起こっているモノを見ろ」 という社会派な観点で言った発言でしょうが。

女性ってものでもう一つ言うと、援助交際も問題になります。つまり少女売春です。少女たちに値段が付いた時代でもあります。

今まで記述したように、思春期までの(そしてこれからも)86年生まれは非常にグロテスクな世界で育ちます。日本がどんどん落ちていく時代、その上メディアでは82年から86年生まれの者を「キレる17歳世代」「理由なき犯罪世代」「酒鬼薔薇世代」とまるで犯罪者予備軍のようにカテゴライズし、あたかもこの暗い原因を若者達に押し付けているかの様でした。

程度の差こそあれ、血みどろで人が理不尽に死ぬ漫画もより増えていきます。HELLSINGドラゴンヘッドバトル・ロワイアルなどなど。

ついでに言うと、『バトル・ロワイアル』は非常に重要で象徴的な作品です。物語のディティールなどはともかく、その構造は『受験戦争』です。大人たちが組み上げたシステムで生き残るために仲間や友達であったはずの同級生と戦わされておりそれが今にも続きますが進撃の巨人の頃には少し様子が変わり、のちの作品では本格的に分断が始まります。

しかし一方で、アニメ版『ワンピース』が放送開始します。ワクワクやドキドキに、そして希望に満ち溢れた冒険がテレビには映し出されています。それぞれのキャラが悲しみを抱えていてもほぼ気にせず、そして未来に絶望はせず、「腹減ったー!」とマンガ肉を楽しそうに食って海賊の王を目指しています。街ではバブルの残り香がする「小室サウンド」が流れ、何に対してかやたらと感謝をするバンドやら青春を謳歌しているような曲を歌うバンドが増えてきますし、『だんご3兄弟』という未就学児向けの曲のCDが約290万枚の歴代最ヒットを飛ばし、社会が考えなくていいものを求めて幼児化します。

わたくしがワンピースに感じている「偽物」という感覚はこの様なギャップから来ているのかもしれません。恐らく日本で一番ワンピースが好きな世代は1970年代(もしくはもうちょっと前)生まれの人達ではないでしょうか。学生時代はバブルの旨味を摂取しながら育ったが社会人になる頃、またはなって数年にはそれが消失したものの、あの好景気はまだ何処かに眠っているんじゃないかと探していた世代です。つまり尾田栄一郎先生と同年代ということなのですが、尾田先生と諌山先生が生きた日本は全く別物なのです。

なんかバカにしているように読める文章になってしまってすいません……。

それでも同時代に、カウンターカルチャーのように音楽分野では「ヴィジュアル系」が台頭します。

常に"痛み"を唄ってきた『DIR EN GREY』を始めとしたヴィジュアルバンドに熱狂したファン達は、パンクファッションやゴシックロリータから流れをくむファッションをし、そして痛みを求めてカッターナイフで現実を求めてリストカットに興じます。血や傷ってのが現実の象徴になります。だからこの世代は身体欠損描写が大好きです。3歳下の吾峠呼世晴先生とか。

何故痛みを求め自分を傷つけるのか。

それは諦めではなく、何も考えなくなった夢見の社会から目を覚ますための手段としての自傷行為です。

現在にも続く、カッターナイフというものは、痛みや自傷とともにグロテスクの象徴でもあります。店舗数を増やし始めた100円均一ショップで身近で安価に手に入る刃物を犯行に使うという表現がフィクションでも多く使われました。

エヴァで言えばアスカが操縦する弐号機の武装のプログレッシブ・ナイフはカッターを模し、アスカ自身は当時の中学生の投影です。

わたくしを美少女ゲームの沼に引きずり込んだとある作品でも少年がカッターナイフで大柄のヤクザのおっさんの頸動脈を斬る犯行が描写されました。

そして進撃の巨人で言えば対巨人用の兵装・立体機動装置の超硬質スチールの剣がカッターを模し、比較的若い世代がソレを振るっています。巨人のモデルは昔困らされた居酒屋の酔っぱらいであると何処かで見たので、それが本当ならば戦っている相手はそういう大人達ということになります。

カッターナイフは痛みとグロテスクの象徴でありながら若者の反抗の象徴でもあります。幼児化よりはマシとはいえまだ学生から抜け出せていませんね。

ただそういう意味からいうと、調査兵団の全体の空気が変わる頃に使う武器が更新されるのも象徴的です。

2001年、言わずもがな9.11です。『ヒーローという幻想』が消え、本当に助けてくれるのはぴちぴちタイツのヒーローではなく軍人や消防士という地に足ついた現実で頑張っている人たちだということに気付かされます。この背景は2008年公開『ダークナイト』に繋がります。この映画はそれなりに日本の男性たちに影響し、「とりあえずダークナイトの話を振ってれば男どもは喜ぶ」として馬鹿にされます。

少し飛んで05年、諌山先生がデザインの専門学校のマンガ学科に入学し、そして運命の06年にマガジングランプリにて『進撃の巨人』で佳作をとります。この作品は0巻として読むことが出来ます(アニメDVD第一巻の初回特典なので新品では無理)。

諌山先生が美大ではなく専門学校に入学したというのが重要です。

日本国外では馴染みのない言葉かもしれませんが、「美大マンガ」と呼ばれるものがあります。ここで言うそれは美大生や美術のことを描いたものではなく、美大出身の漫画家の作品の事を、半ば揶揄してそう呼びます。

体系的に美術を学ぶのでその歴史や法則など、自分で調べたり見つけずともその技術を学ぶことが出来ますし、結構な確率で80点の作品を産みだします。しかしその過程でその人が持つ"外連味"とも呼べるとがった部分や歪んだ部分は均されてしまいます。完全に才能の世界と思われるマンガ会にセンスでなく技術で描いてるマンガをバカにする感じで言う事もあるかもしれません。少なくともそういう作品は翻訳されるほど有名ではないです。

じゃあ「専門学校マンガ」は良いのかっていうと、わたくしの感覚ではもっとバカにした言葉です。件の専門学校はちゃんとしていると思いますが、凡百の専門学校は別にわざわざ学校で学ばずともいい内容であったり、講師陣も大学教授になれなかった上に社会人経験も乏しい人物であったりするので本当にそこでしか学べない事ってあまりないイメージです。ちなみにわたくしも専門学校出身です。

それらのことから、かの作品は美大出身には描けません。描けても相当な労力を消費し多くの休載を重ね、結果完結に至れなかった可能性はあります。凄い飛躍した理屈ですけどね。

/今回はここまで。

少なくとも日本が未だ歩んでいる"失われたn年"時代に生きている一人であるわたくしの一部を、失礼にも諌山先生を通してお伝え出来たかと思います。勿論この中でも中期・後期の世代はこれと全く同じ地獄にいるわけではなく、また別の形で受け入れて生きています。作品で言えば『タコピーの原罪』や『ブルーピリオド』などになるかとおもいますが、こっちは何か言えるほど詳しくないので語れません。

途中までではありましたが、それでも語った背景から、あの名作が生まれた理由が見えてくるものと思います。しかしあれだけ言いたいことを修飾せずストレートに描いた作品でもこの空気感を海外に伝えることは難しくも思います。

まだまだ長くなりそうなのと書いてたらこの夏休みが終わってしまいそうだったので今回はここまでとしておきます。続きはこのコラムがそれなりのレスポンスがあって気分が乗ったら書こうかと思います。

結構グロテスクな内容でしたが、次回があるとすればもっと前の世代の話を絡めて一層グロテスクな文章になるかと思います。

 


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