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シニンノカゲ:7章part2

2. 藤島邸 羅那たちは律儀に湯呑みの洗い物までして帰って行った。 帰り際、羅那は真冬に何か頼み事をしていた。 どうやら藤島小百合を救済出来る可能性に賭けた調査に関するものらしい。 水羽はため息をついた。 勢いで協力するとは言ったものの──。 結局、一番頼りないのは自分だ。 非力な女子高生が怪異に挑む方がよっぽど恐ろしいだろうに、退魔の力を持つ自分の方が藤島小百合を恐れている。 いや実際に藤島小百合の手下に取り囲まれて殺され掛けたんだから無理ないでしょ。なんて言い訳は通用しない。 水羽は退魔師なのだから。 今回こそ汚名挽回の機会だ。 いや。そんなこと言って汚名を被ったまま死ぬ可能性もある。 でも。きっと、挑まないよりマシなのだ。 砂利を踏む音がして、境内を見て回っていた寒川が帰ってきた。 彼女の様子からも、恐怖は感じない。 水羽からすれば特霊課なんてエリート中のエリートだ。今回の事件もこれまで片付けてきた数々の事件と同様の存在に過ぎないのだろう。 だから恐ることなどないのかも知れない。 実際、旧校舎で怪異たちに囲まれた時も寒川は水羽を抱えた上で逃走するという冷静かつ大胆な判断を下した。 水羽とは作りが違う。 「大丈夫?」 不安が顔に出ていたのか寒川が水羽の顔を覗き込んだ。 「あ、はい。問題ないです」 「そうは見えないけど。不安なら…退いてもいいのよ」 寒川はそう言って腕を組む。 それは足手纏いだから身を引けということかそれともただ心配しているだけなのか。 多分、足手纏いだと思われているのだろうな。 そう思った。 「ここで挑まないと一生後悔しそうなので」 もっと強く言い返したかったけど、これが精一杯だった。 「随分と気合いが入ってるのね」 水羽のちょっとした怒りなど寒川には届いていないのだろう、寒川は他人事みたいに言った。 「…そうでもしないと押し潰されそうなんです"退魔師"という肩書きに。分からないですよね…寒川さん、エリートだから」 今度は強く言い返してみた。 「エリートねぇ」 寒川は夕暮れの近い冬空を見上げる。 「そう見えるのかな」 「違うんですか」 「貴女から見てそう見えるのならそうなのかも知れない。でも私は私をエリートだとは思ってない。自分でそう思っているうちは"アマ"だと思ってるから」 寒川は片足に体重をかけた。 スタイルが良いからどんな格好でもいちいちサマになる。 「私はね、こう見えて怠け者なところがあるから。だから何か目標があった方が強くなろうと思える。けどね…あまりに高すぎる目標や手の届かない目標というのはかえって逆効果だったりする」 寒川はふうと白い息を吐く。 ──どうせ、本当の一番にはなれないんだからね。 寒川はそう言った。 「本当の…一番ですか」 「ええ。警察のトップには最初から興味はないけど…退魔師のトップに憧れたことはあるわ。だからそのために鍛錬してきた。でも…世界を知って絶望した。こんなにも強い人たちがいるんだってね」 寒川は自虐的な笑みを浮かべた。 「退魔師會に名を連ねるような人たちと私の実力差は…とても修練なんかで埋まるようなものではなかった」 思い返すと懐かしい話よ。と寒川は続ける。 「だから一度、退魔師を辞めて警察官になった。ここならトップになれるかもって思ったけど…ああいう組織のトップってまた違うのね。強ければ良いわけじゃないし、色々…汚いこともしていかないといけないから。それでまぁ色々あってまた退魔師に戻ったんだけど。今度はね…もうトップを目指すつもりはなかった」 「どうしてですか?」 気づけば水羽は寒川の話に聞き入っていた。 「警察官だったころにね…担当した事件で被害者に感謝されたことがいくつかあったの。その時、退魔師でいた時よりもずっとやり甲斐を感じた。これが自分の求めていたものだって思った。退魔師の時、つい強さばかりを求めていたけどそれは私には合っていなかったんだって気づいた。誰かを助けるために動くのが自分に合ってるんだってね。だからね…別に自分の望む役割じゃなくても、自分には適した役割があるんだってそう気づいた」 寒川は羅那たちが帰って行った鳥居の向こうを見つめた。 彼女たちの姿はもう見えない。 「それが私の場合は多分、警察官として動くことだったんだと思う。気づいた頃には警察官を一度、辞めていたから…すぐには戻らなかったけどね。特霊課が出来るまでは」 「ようは諦めが肝心ってことですか」 なんだかそれは悲しい気がする。 「そうよ」 寒川は即答した。 「でも…なにも向上心を持つのをやめろということじゃない。上ばかりを見ていると自分の実力以上の行動をとろうとしてしまいがちだからね…そうするとパフォーマンスにも影響が出る。それがよくない。だから、大切なのは"状況によって諦めの心を持つこと"かもね」 「状況によって…?」 「今の状況で自分に出来ることは何かを探ること…かな。今の私に出来るのは警察官としての情報を提供し、警察としての力を正しく使うこと。つまり、自分の実力を把握して、いま何をやれるかを見極めること」 水羽はとっくに手の届かない存在を目指すことを諦めたつもりでいたけれど。 それでも、"彼女ら"とつい比較してしまっていた。 その時点で、諦められていなかったのかも知れない。 自分にしか出来ないこともあると分かっていたのに。 力の劣る自分にも、やれることはあるのかも知れない。 強者たちと比較ばかりしているのではなく、やれることをやって目の前の事件を解決すること。またその助けになること。 それが自分に出来ることだと水羽は思った。 「ありがとうございます」 気づけば水羽は寒川に頭を下げていた。 「いつの間にか説教くさくなっちゃったわね」 寒川は鼻で笑った。 「私も、やれることをやるつもり。"汚れ仕事"もね」 「汚れ仕事って…」 「彼女たちの中に首無しがいるかもって話」 寒川の顔が少し強張った。 「でも…何も感じなかった…ですよね?幻覚なんでしょうかねやっぱり…藤島小百合の…」 「その時が来れば分かるでしょうね。彼女たちには酷かもしれないけれど、もし彼女たちの中に首無しがいるなら…始末はする。汚れ仕事は大人がやらないと」 寒川は自身の銀色の指輪を見つめた。 ──2022年12月20日午後17時── "藤島"の表札は既に無い。 半開きになっている門には枯れた蔦が絡まっており、羅那が門を押し開けると蔦はぷちぷちと切れた。 玄関前には沢山の枯葉が溜まっている。 この家には裏庭はないようで、松の木や沢山の植物は全て玄関の庭に植えられている。 廃墟だから植物もほとんど枯れているかと思いきや、意外と元気に伸びていたりする。 「本当にここ…なんだよね」 羅那に続いて乃恵が恐る恐る門を潜った。 「うん。寒川さんから聞いた住所はここだから合ってると思う。ここ以外に空き家もないし」 ここ。 ここで、"彼女"──藤島小百合は生まれ育ったのだ。 いくら事件解決のためとはいえ、本来なら不法侵入である。でも、やはり彼女について情報を得るためには生家を訪ねなければならない。 だから、ここに来た。 何かあった際の責任は、寒川が取ってくれると自分でそう言っていた。 玄関の引き戸に手を掛け、引く。 戸に引っ掛けた羅那の指が滑る。 戸は施錠されていた。 「鍵…か」 乃恵が鍵穴を指でつんつんと触る。 「ちょっといい?」 叶夢が羅那と乃恵の間に入ってきた。 「開けてみる」 叶夢は屈み込むと、肩に掛けているスクールバッグのファスナーを開け、中から二本の針金のようなものを取り出し、鍵穴に挿した。 「あ。それ前にも使ってたね。羅那が襲われた時…」 「あ…あの時は叶夢ちゃんが開けてくれたんだね」 羅那がくね子に襲われた時、押しても引いても開かなかったドアが開いたのは何故だったのかあの時は逃げるのに必死で考えていなかった。 「うん。昔っからこういうの得意でさ」 叶夢は鍵穴と睨めっこしながら、針金を動かしてがちゃがちゃと音を立てている。 羅那には一体、どうやっているのかまるで分からない。 「いけたと思う」 叶夢は鍵穴から針金を抜いた。 羅那たちは顔を見合わせ、それから引き戸に手を伸ばした。 三人で同時に戸を開ける。 今度はガラッと勢い良く戸が開いた。 懐かしいような、でも嗅いだことのない他人の家のにおいがふわりと香る。 玄関は狭く、二人並べばいっぱいくらいの広さだった。 「今更だけどさ…ここ…何も出ないよね」 乃恵が目を細めて玄関の向こうを見つめて言った。 「ここで命を落としたわけじゃないから大丈夫だと思うけど…ただ、本人の強い思い入れのあるものが遺ったりしてると、ちょっとした霊障はあるかも」 羅那が言うと、乃恵は唇をきゅっと内側に巻いて、羅那の肩に手を置いた。 「思ってたより暗いね」 叶夢がスマートフォンのライトをつけた。 時刻は夕暮れ時だ。まだそう薄暗い時間帯ではないが、灯りのない廃屋は十分暗い。 「あ。これ…」 叶夢の照らした灯りに映し出されたものに羅那の目が留まる。 玄関の靴箱の上に手のひらほどのサイズの石がある。石は和紙のようなものの上に置いてあり、表面に"大水神"と記されていた。 「この石がどうしたの?」 ここに入るのが恐ろしいのか、乃恵はまだ玄関に完全に足を踏み入れないまま言った。 「これ、古井戸村に根付いてる水神信仰の石だよ」 羅那は古井戸村に赴いたことはないが、そのことは知っている。 「じゃあ…ふじし…じゃなくってあの鏡の中の女は古井戸村と関係ある?」 乃恵がようやく玄関に入ってきた。 「そうなのかな。そう考えた方が良いかも。だから"贖う者"についても知ってたとか…」 「両親がそうだった…とかかもね」 叶夢はライトであちこちを照らして周囲を観察しながら言った。 もし、藤島小百合やその両村が古井戸村にゆかりのある人物であるならば、あの村で起きた惨劇や"贖う者"について知っていてもおかしくない。 羅那たちは靴を脱いで室内に上がった。 台所も、風呂場も、和室も、応接室もカビが生えていたりするけれど、廃れているような印象は思ったほどなかった。 家具や食器なんかも恐らくほとんど全て残されている。 寒川によると藤島小百合の死後も両親はしばらくこの家に住み続けていたようだ。 いくら娘が自死したとは言え、自室で死んだわけでもないので、彼女の死がこの家を離れる理由にはならなかったのだろう。 両親がこの家を離れたか、それともどちらも亡くなった結果、空き家になったのかは分からないようだ。 妙に急な階段を上がって二階へ向かう。 「昔の家って何故か階段が急だよね。私のおばあちゃんの家もこんな感じ。落ちたらどうすんのって感じ」 後ろの乃恵はブツクサと文句を言いながら階段を登っていた。 二階には部屋が二つあった。 一つは恐らく寝室として使われていた部屋で、置いてあるものからして両親が使っていたと思われた。 そして奥の部屋は、四畳半の和室だった。 入り口のドアの正面奥には窓があって、その向こうにはベランダがある。 窓の傍の勉強机を見て、羅那は部屋に入るのを躊躇った。 ここだ。 ここが、彼女の部屋だ。 入り口から見て左側にはタンスが置いてあり、右側には押し入れがある。 それ以外は特に何もない。 ここに、何か彼女のことを知ることの出来る情報があるかも知れない。 「入るね」 羅那はゆっくりと彼女の部屋に足を踏み入れた。 畳の井草がささくれ立っていて、靴下越しに足裏をちくちくと刺激する。 この部屋は陽当たりが良く、夕陽が眩しいくらい部屋を照らしている。 「なんか…がらっとしてるね」 乃恵がぐるりと部屋を見渡して呟いた。 「そうだね…」 羅那もそう思う。 例えば制服とか通学鞄とかそういうのくらい残っていても良いと思ったけど──よく考えれば、彼女は学校で命を絶ったのだから、その時に身につけていたものはここには残っていないのだ。 「布団だけか…」 叶夢が押し入れを開けてため息をついた。恐る恐る動いている乃恵とは真逆で、叶夢の動きには躊躇がない。 タンスには彼女のものらしき衣服が畳んだ状態で収納されていた。 「ここには流石に何かあると思うんだけど…」 羅那はちょびっと後ろめたさを覚えながらも勉強机の引き出しを開けた。 学生なら、こういうところに大事なものをしまっているものだ。 でも。 引き出しは軽々と開いて、その軽さの通り中にはほとんど何も入っていなかった。 怪談イベントのチラシが数枚残っているだけだ。 施錠されていない鍵付きの引き出しの中にも、漫画や小説が数冊収納されているだけであった。特に何か手掛かりになりそうな点はない。 「なんか…」 窓からじっとベランダを見つめていた乃恵が口を開いた。 「…何もないね」 乃恵の一言が羅那の心臓をどくんと強く打つ。 そうだ。 ここには、何も無さすぎる。 他の部屋にはあれだけ物が残っているのに、この部屋にだけ物が無さすぎる。 「やっぱりさ…彼女は自殺以外の大罪を犯していて…それで、親はそれを隠したくて…彼女のものを処分したとか?」 乃恵は手を後ろで組んで、くるりと振り向いた。 「どうだろう…」 つまり何か家族にしか知られていないような罪を藤島小百合が犯していたということか。その場合、小屋での自殺は最終手段──強い贖罪の意思を示すもの──だったと言うことになる。 でもそれにしては、物の残り方が中途半端にも思える。 彼女以外に誰も使わないであろう勉強机は置いてあるし、衣服だってそのままだ。 そもそも、私物を捨てるほど忌み嫌われているのなら生前から何らかの対処を施されていてもおかしくない。 いや。 彼女は異常に暴力的であったとも言われているし、生前は親も手を出せなかったのかも知れない。 「どうだろう…」 羅那はもう一度、そう言った。 「そうだとしたらさぁ」 隣の寝室から叶夢の声がした。 いつの間にか一人で寝室の方に戻っていたようだ。 「こんなの…置いておくかな」 寝室から戻ってきた叶夢は写真立てを持っていた。 「これは…」 羅那と乃恵は同時にそう言って、叶夢の持っている写真立てにはまっている一枚の写真を覗き込んだ。 少し色褪せた写真には、校舎のようなものを背景に三人の人物が写っている。 二人は大人の男女だ。そしてその二人に挟まれるようにして一人の少女が立っている。 真っ黒い髪に白いカチューシャをした色の白い細身の少女は、三白眼の目を細めて微笑んでいた。 背後にある看板には、姫咲学園入学式と書かれている。 羅那はその写真に、彼女の顔に見入っていた。 これが、生きていた頃の藤島小百合。 何人もの生徒を攫っては嬲り殺した悪霊になる前の彼女の姿。 羅那が遭遇した時や、美愛の記憶で見た姿とはそう大きく変わらないはずなのに、やはり何かが違う。 それは肌の色とか目つきとかそういうことではない。 多分、生者と死者では目には見えない部分が違うのだ。 「これ、寝室に飾ってあったよ。すごく大事そうなところに」 「じゃあ…」 乃恵が羅那の顔を見てから、私の推理は外れか、とため息をついた。 「そうかもね。ご両親も一緒に写ってる写真をわざわざ飾ってるなら乃恵ちゃんの推理とは違うかも」 「写真が撮影されたのは高校の入学式だもんね…彼女が自死するだいたい一年前で仲良さそうだから…やっぱり、家族に嫌われてた線は薄いかな。まぁ、その一年間で何かあったかも知れないけど」 叶夢は写真を自分の方に向けてまじまじと写真を見つめた。 「じゃあ、やっぱり彼女の罪は自死ってことになるんだ…」 乃恵は天井を見上げた。 死した藤島小百合は贖う者に成ることに拘っていた。 そして彼女の家計はどうやら古井戸村とゆかりがあるらしい。 そうなると、彼女は贖う者の存在を自死するずっと前から知っていた可能性がある。 つまり、彼女が罪を犯すより先に"贖う者に成ろうとしていた可能性"もやはり大いにある。 「この前言ったようにやっぱり贖う者に成りたいと思ったのが先で、"罪"は後からついてきたんだと思うよ」 「強盗して逮捕されたとかじゃなくて、逮捕されたくて強盗したみたいな?」 乃恵は変な例えをした。 羅那は頷いた。 「それってやっぱり神様に会うため?」 「そうかも知れない。でも、そうだとしたら…他にも方法はあると思う。そもそも贖う者に成れば神様に会えるなんて…一説に過ぎないわけだし」 神との謁見が目的なら、払う犠牲に対して望みが薄すぎる。 「じゃあ…何が目的で…」 乃恵が顎を触る。 目的。 贖う者に成る目的。 罪を犯し、それを償いたいわけではないとするのなら。 贖う者に成ること自体を目的としていたならば。 永久の苦しみを浴び続ける贖う者に成りたい理由とは。 羅那の脳裏にとある可能性が浮かぶ。これは贖う者に関して神衣から教わってからずっと羅那の頭にぐるぐると渦巻いていた可能性だ。 あまり考えたくないこと。 もしこれが事実なら、藤島小百合はやはり救いようのない存在となるのだから。 でも、その可能性も念頭におかねばならない。その可能性を考えるためにここに来たようなものなのだから。 藤島小百合を救えるか、救えないかを見極めるために。 「私、気になってることがあって」 羅那はスマートフォンを取り出した。 「この前、サイトに届いたメールあったでしょ。彼女と友達だったって人のやつ。あれに、彼女が自傷行為を行なってたって書いてあったんだけど…」 羅那は、この前届いたsokiなる人物からのメールを開く。 そこには確かに、藤島小百合が校舎裏の小屋で自傷行為に浸っていたことが記されていた。 このsokiの証言全てを鵜呑みにすることも出来ないが、もし事実だとするならば── 「彼女は、その…苦しみたかったんじゃないかな」 羅那が言うと、乃恵はぽかんと口を開けたまま固まった。 「苦しみ…たい?」 「うん。神衣さんは贖う者に成ろうとする者の中には"本当に苦しみを受け入れて償いを求める変わり者"もいるって言ってたけど…贖う者に成るために自死という罪を犯したかもしれない彼女の場合は、それには当てはまらないよね」 「うん…」 乃恵はぽかんとしたままゆっくり頷いた。 「だとすると彼女は別の目的を持っていると思うんだ。つまり…何が言いたいかというと…彼女は、罪を償うために苦しむんじゃなくって、"苦しむために罪を償おう"としているんじゃないかな」 友人を遠ざけるほどの異常な自傷行為が事実なら、もしかすると藤島小百合という女子生徒は肉体への究極の苦しみを求めて贖う者を志したのではないか。 「そんなこと…ある?ようは…ドM過ぎるってこと?」 乃恵は理解できないと言ったように顔を顰める。 「でも、メールには暴力的だとかって書いてたじゃん。そう言う人ってドSじゃないの?」 「海外のシリアルキラーで、過度なサディズムとマゾヒズムが共在していたって事例は聞いたことあるよ」 叶夢は言って、本で読んだことがあるんだと付け加えた。 「アルバート・フィッシュだね」 羅那が反射的に返すと、叶夢はニヤリと笑った。 「ドSでドMか…なんか凄いね…。でもそれで贖う者に成ろうとするの?」 「私、こう言う話はよく分からないけど…ザディズムの場合は他人を虐めたら気持ちが満たせたけど、自分への苦しみはどうにもならなかったのかも。異常だと思われるくらいの自傷行為に浸っても満たされなかったんじゃないかな。それで…贖う者の存在を知っていた彼女は、飛び切りの苦しみを味わうために贖う者になることを決めた…とか」 大人になれば、彼女もSMの関係みたいなのを誰かと結べたのかも知れないけれど、彼女は神からの罰を選んだ。 それは、他者に頼んでも満たせないほど異常にマゾヒズムが膨れ上がっていたからかも知れない。 何故、そのようなマゾヒズムを宿すことになったのかは、今となっては分からない。 「うーん…でもそう決めるには証拠が無さ過ぎるよね。この部屋」 乃恵はこの部屋にいるのに慣れてきたのか、ゆらゆらと揺れながら爪先で畳を突いた。 「うん…何も無さすぎるからそう思ったんだ」 「え?」 乃恵がキョトンとした。 「私、ここの部屋のものってもしかすると、彼女が自分で処分したんじゃないかなって思ってる」 「あーなるほど」 叶夢が小さく相槌を打った。 「どういうこと?」 乃恵は眉を寄せる。 「だって彼女は自分がいつ死ぬか分かってたわけだよね。だったら、事前に私物を処分することも出来るでしょ」 「うんうん。でも、なんのために…あ、確かに自分が死んだら見られたくないものとか残っちゃうもんね」 乃恵は心当たりでもあるのか少し照れ臭そうに言った。 「ってことは、この部屋にも彼女がドMだった証拠が残ってたかもってこと?道具とか…雑誌…?とか」 「うん。あくまで推測だけど、自死する前にどこかで処分したのかも。知られると…困るから」 自分の性的嗜好など、死後であっても誰かに知られたくはないだろう。 この部屋に足りないのは、彼女の趣味などを知る手掛かりとなるものだ。 誰もが手を出しているだろう小説や漫画に関しては数冊残ってはいるが、本を収納するスペースに対して残っている冊数は明らかに少ない。 衣服や布団など生活に必要なものも残っている。 残っているものは、彼女の心を感じ取れるようなものではない。 残されたものはどれも、彼女の趣味嗜好の滲んだものではないと羅那はそう感じた。 彼女は趣味…それも知られたくないものを選んで破棄したと考えられる。 漫画や怪談イベントのチラシなんかを残してあるのは、それは彼女にとって知られても良い趣味だったからだろう。 この部屋の妙なからっぽ感は、きっと彼女がこの部屋から"自らの心の奥底に潜む欲望を満たすもの"を取り除いたことによって生じているのだ。 sokiなる人物の証言が確かであるならば、彼女の深層に潜む欲望のカケラの一つや二つこの部屋に残っていてもおかしくはないのに。 「sokiって人の言ってることが嘘って可能性もあるけどね」 叶夢が冷静に言った。 それはその通りで、今のところはsokiの証言を裏付ける証拠がない。 でも、sokiの証言が嘘であるならば、嘘をつく意味が分からない。 藤島小百合に対して怨みを持っているわけでもないはずの人物が何故、奇妙な嘘を吐くのか。 だから今はsokiの発言こそが真実であり、この部屋に残されたものはその真実を掻き消すようなものばかりであるとそう考える他にない。 それに、そう考えた方が藤島小百合が贖う者を志した目的の説明が一応はつくのだ。 悪霊と成り果てた藤島小百合が生者を捕えて嬲り殺している様を見れば、彼女に異常なザディズムが宿っていたことは納得がいく。 死してなお異常なザディズムが宿り続けているなら、異常なマゾヒズムも存在していてもおかしくはない。 だがそれを満たす方法はきっと、悪霊と成った彼女には存在しない。 故に彼女は、自分を犠牲にした生前より残酷な方法を選んでまで、より強く神からの苦しみを求めているのかも知れない。 一般的な怪異が救いを求めているのに対し、藤島小百合が求めているのは、苦しみなのか。 羅那はこれまでそんな死者と巡り会ったことがない。 異常なマゾヒズムが動機であることも、彼女が自らの命を絶ったことこそが大罪であることも全て羅那の推測だ。 これが全て事実であるかどうかは、じきに分かる。 彼女と対峙する時がすぐ目の前まで迫っているのだから。 「なるほどねー」 乃恵が分かったんだか分かってないんだか分からない声でそう言って腰に手を当てた時。 生温かい風がベランダから吹いてきた。 そこで羅那たちは顔を見合わせた。 「そろそろ…出た方が良いかもね」 叶夢が苦笑いをした。 羅那たちは早足で藤島邸をあとにした。 あの時、ベランダの窓など誰も開けていなかったのだから。 ※ 彼女は私が守る。 あの日、何があったのか私はハッキリとは分かっていないのだけれど、彼女がもう生きていないことは分かっている。 でも、彼女は普段と変わらない。 旧校舎であれが起こる前と何ら変わらないのだ。 だったら、このままでいて欲しいと思う。 例え、彼女がこの世に居続けることが良くないことなのだとしても。 私にはもう彼女しかいないし、彼女にも私しかいないのだ。 絶対に彼女だけは私が守る。 それがルール違反だとしても。 ※ ──2022年12月21日午後16時半── 放課後の教室。自席に座る羅那を囲むようにして、乃恵、叶夢そして歌巴と澪がいる。 羅那が直接、口を使って全員を集めたのはこれが初めてだった。 しかもここは、愛維の教室ではなく羅那の所属する二年四組の教室だ。羅那が自分の呼び掛けで乃恵たちを自分の教室に集めること。これも、初めてである。 ここの方が、都合が良い。 羅那は皆に"話したいことがある"とだけしか伝えていないから誰もこれから羅那が何を話すのかを知らない。 羅那はリュックからミックスジュースを取り出し、机に置いた。 羅那が動くたび、全員の視線が羅那を追う。 羅那は膝を曲げ、椅子の上にちょこんと三角座りをし、眼鏡を掛け、膝にブランケットを掛ける。 これが、いつも羅那が自宅で部屋にこもっている時に見せる隙だらけの姿だ。 この格好で本を読んだり、原稿を書いたり、心霊の情報を集めている。 叶夢がくすっと笑った。 「羅那…どうしたの…?」 澪が心配そうに羅那を見る。 「大丈夫。正常だから。正常すぎるくらい」 羅那は顔を上げ、澪を見てニッコリと笑った。愛想笑いではない。 「っていうか…羅那が眼鏡かけてるところ…初めて見たかも」 歌巴が珍しげに羅那の顔を覗き込む。 「家ではよく掛けてるんだ」 「っていうかそのブランケットいいね。愛用してる感あって」 乃恵が羅那の膝の上のブランケットを摘んだ。 「これ小学生の頃に買ってもらったやつ。ずっと使ってる」 「物持ち良いね…」 乃恵は呆れてるのか引き攣った笑みを見せた。 「そういうとこなんか羅那ちゃんっぽいねぇ」 叶夢がまるで子を見るような目で羅那を見つめて近くの机に腰を預けた。 「叶夢。お母さんみたい」 歌巴が叶夢を指差し、ぷぷっと笑い声を漏らした。 「言い方はおばあちゃんみたいだったけど」 乃恵が追撃すると、叶夢がおいおいと乃恵の肩を叩いた。 「それで…話って?」 緩やかになっていた空気に澪の冷静な声が差し込まれた。 澪だけはまだ、羅那たちのいる空間の少しだけ外にいるように思う。 羅那は笑顔を消して背筋を伸ばした。 「うん。明日。みんなで旧校舎に行きたいんだ。 叶夢ちゃんと乃恵ちゃんとはもう話が出来てるんだけど」 羅那が言うと、歌巴と澪の顔に緊張が走る。 「やっぱり…そうなる…よね」 歌巴は俯いた。 怖がりの彼女にとっては旧校舎なんて地獄のような場所だ。 近づくこともしたくないであろうに、立ち入るなんて最悪だろう。 だからこれまで、歌巴はことあるごとに羅那や事件から距離を置いていたのだ。 歌巴が色々な用事を優先していたのも、きっと羅那や心霊から離れたいから。 それは分かっていた。 分かっていたけど言わなかった。言えなかった。 でも今は違う。 遠慮するつもりはない。 している余裕もない。 遠慮する必要もない。 「歌巴ちゃん。ムカつく…よね」 羅那は、俯いている歌巴の顔に少し視線を向け、口角を弛めた。 「え?」 歌巴が少し顔を上げた。 「こんなことになったのも全部、全部…歌巴ちゃんのせいじゃないから」 「い、いやそういうわけじゃ…」 歌巴は両手を振る。 「いいんだよ。実際そうだから。こんな怖いことに巻き込んじゃったのは、私のせいだから」 羅那はそう言って立ち上がった。 「だから、いくらでも私を恨んでくれて良い。私って、心霊のためならだらしなくなっちゃうところ、あるから。呪物買うためにバイト代全部注ぎ込んじゃうこともあるし、偽物の呪物を掴まされたこともあるし…。あの夜、旧校舎に入るかどうか迷った時、私にも好奇心があったんだ。だから…愛維ちゃんの味方した」 あの日。あの夜。自分の好奇心を殺していれば、愛維にキッパリとNOを突きつけていれば。 「えっとその…別に羅那を憎んでるわけじゃなくって…そりゃあ羅那が愛維を止めてくれたら良かったなとは思うけど…。でもそれは私もそうだし…」 歌巴は言いたいことがうまく言葉にならないのか、苦しげに身振り手振りをする。 「つまりさぁ…」 歌巴の眉間に皺が寄る。 「今、ここにいないけどぉ…えっとその…愛維にムカくんだよね」 歌巴は真っ直ぐに羅那を見つめ、拳を握り締めた。 その瞬間、歌巴の顔から恐怖の色が消えた。 「愛維はいつもいつも自分勝手で…もちろん優しい時もあるし、一緒にいて楽しい時もあるけど、 でも、でも、自分勝手なところは駄目!愛維のことは嫌いじゃないよ?でも、でも、でも…だからもうっ遠慮しない」 歌巴は唇を震わせて続ける。 「もし愛維が見つかったら言ってやる!ぜんぶ愛維のせいだよ!って!そしたら私もスッキリして色々…変われる気がする」 歌巴は最後にハァッと大きくため息を吐き、ようやく口を閉じた。 全てを吐き出した歌巴はぐったりと背を丸める。 想像していなかったほど色々と歌巴が吐き出したので、羅那もきょとんとしてしまう。 「今の…やばかった?」 歌巴は眉を上げて周囲を見渡した。 最高だったよと叶夢が言った。 「うん。最高だった。ま、まぁ…責任はやっぱり私にもあるから…愛維ちゃんに怒る時は、一緒に私にも怒ってくれるとスッキリするかな」 羅那はえへへと笑ってもう一度腰を下ろした。 「今のでかなりスッキリしちゃった。それで…明日…行くんだよね」 歌巴は近くの椅子を引っ張って羅那の前に座った。 歌巴の顔は、憑き物が落ちたような顔だった。 「うん。やっぱり、あの夜旧校舎に入った人みんなで立ち向かった方が良いと思うから。私たちが呪われてる可能性もあるからね。それに…みんなの力じゃないときっと勝てない。警察官の寒川さんと退魔師の水羽さんも一緒だよ。計画はもう考えてあるんだ。それは後で話すね」 計画は既に昨日、乃恵と叶夢と練った上で寒川と水羽にも連絡した。 「了解。愛維…無事なのかなぁ。ずっと考えないようにしてたけど…」 歌巴は膝の上の手をモニョモニョ動かした。 「無事だって信じるしかないよ。不安だけど…どれだけ慌てても仕方ないから」 羅那たちが乗り込んだ時には既に手遅れで、もう少し早く乗り込めば助かったかも知れないなんて結末…そういうことも考えるけれど、万全な状態で挑まないと須崎伽耶たちの二の舞になる。 だから今は、プラスに考える方が良い。 羅那がそう言うと、歌巴はそっかぁと頷いた。 それからまたぴたりと動きを止めて、歌巴はぶるっと身震いをした。 「ね、ねぇなんかさっきから寒気するんだけど。ここにオバケは流石にいないよね」 「歌巴ちゃん。それ、正解だよ」 「えっ!?」 歌巴は椅子から飛び上がった。 「大丈夫。オバケはいないから」 羅那はリュックから、布に包んだマスコットを取り出し、机に置いた。 「これ、呪物。とある女子高生猟奇殺人鬼が鞄につけてたやつね。歌巴ちゃん、よく分かったね」 「えーっ!?なにそれっ。怖過ぎでしょ」 歌巴は椅子ごと羅那から離れた。 「すごいもの持ってきてるね…」 叶夢は感心したように頷いていた。 「歌巴ちゃん。布に包んで鞄に入ってる呪物を察知するなんて流石だね」 「え?だって怖いし…」 「歌巴ちゃんさ、怖がりってことは霊を探知する能力が高いってことでもあるんだよ」 「そう…なの?」 「うん。だからね明日は歌巴ちゃんに怪異を探知する役割を担ってもらいたいんだ。それで、澪ちゃんにはそのサポートをして欲しい」 怖がりの歌巴だからこそ出来る仕事だ。ただ、怖がり過ぎても大変なのでそこは澪のサポートが必要だった。 歌巴と付き合いが長くて仲の良い澪なら、歌巴の些細な変化にも気付ける思ったからだ。 澪は無言のまま頷いてから、少しだけ口端を上げた。 「明日はみんなにそれぞれ役割があるから…それをきちんとこなせば…彼女をやっつけられるよ。全部…終わらせられる」 羅那の声が、羅那たちしかいない夕焼け色の教室に静かに響いた。 「全部…か」 澪がぼそりと言った。 「全部、元通りにしたいね」 歌巴が立ち上がって手を伸ばした。 羅那が目をぱちぱちさせていると、歌巴が手を動かし、そこでようやく羅那は歌巴の手に自分の手を重ねた。その上に澪の手が重なる。乃恵の手が、叶夢の手が。 五人の手が重なる。 こうして見ると、叶夢の手が意外と背の高い乃恵と同じくらい大きいことに気づいた。 「みんなでお化けをやっつけるぞー!」 歌巴の声が高らかに響き渡る。 四人の声がそれに重なる。 羅那の声が、叶夢の声が、乃恵の声が、澪の声が。 今なら、どの声が誰の声か容易に分かる。 重ね合った手が沈み、勢いよく宙に上がって散った。 ◯ 同日。伊勢ヶ野霊園にて、羅那は手を合わせて友人と向き合っていた。 漆家之墓と彫られた墓石はまだ新しく、潤の両親の名前はまだ赤い。 羅那は潤に、手を貸して欲しいなんてことは言わなかった。 ただ見ていて欲しい。 犯した罪を背負い続ける姿を。 潤の犠牲を無駄にしない姿を。 二度と同じ過ちは犯さないと。 羅那は決して、死者となった潤に囚われているわけではない。 死者がどう考えているかなど、分からない。 どれだけ考えたところで答えは出ない。 怪異となったものはともかくとして、安らかに眠っているであろう死者の考えを勝手に決めつけるのもどうかと思う。 だから、本来ならば潤に関してもそっとしておくべきなのだろうと思う。 それでも。 潤の死の責任が羅那にあることは事実だ。 誰にも責められたことはないし、潤がそう思っているとも思えないけれど。 それでも羅那がそう思うからそうなのだ。 罪の意識は無理やり掻き消そうとしてもこびりついて消えない。 法を犯したわけでもないのに。 死者に囚われ続けることは、死者の安らかな眠りを妨げる。 だから早く、この罪の意識とやらを無くしてしまうのが羅那と潤のためなのだ。 でもそうはいかないのだろう。 これは死者の問題ではなく、生者である羅那の問題なのだ。 罪の意識を消すことは出来なくても、きっと薄めることはできる。 今回の事件を解決できればきっと、犠牲者を出さずに解決できればきっと。 ほんの少しくらいは気が晴れるかもしれない。 そう考えないと、罪悪感に押し潰されてしまいそうだった。 貴女は死者に囚われすぎている。 少し前に、羅那はとある退魔師に対してそう言った。 でもそれは羅那には恨む対象がもうこの世に存在しないからではないかとそう指摘された。 その通りかも知れないとその時少し思った。 でも、違う。 自分にも恨む対象はいるのだと気づいた。 "虎谷羅那"という存在がそうだ。 自分こそが恨む対象であると退魔師と話したあの時は気づかなかった。 だからあんなことを言えたのかも知れない。 ──今ならどうかな。 羅那はそんなことを思う。 今の羅那は、友を失った恨みを自分に向け、自分を恨んでいる。 贖罪と称して、自分の身を犠牲にする。それは、あの退魔師が妖怪たちにやろうとしていた復讐と何が違うのか。 自分の身を犠牲にすれば、誰かは哀しむ。その哀しみはきっと連鎖する。哀しみの中には羅那と同じような罪悪感を抱く者も現れるだろう。 少し前までは死者に囚われるなと言い切ったけれど、完全に死者のことを切り捨てられない自分もいる。 それは潤が特別親しかったからだろうとも思う。 生き残り、罪を背負った自分は何をするべきなのか。 正解は、分からない。 ただ今は、罪を背負って償い続けることが自分のためである気がする。そしてそれは、きっと死者である潤のためにもなるのだ。 羅那は立ち昇る線香の煙を見つめながらゆっくりと立ち上がった。


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