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ハロウィンストリートの悪夢#2

2. 幻惑の家 ダイナーでは"ライラ"が既に読書をしてエリーを待っていた。 ライラはエリーの幼馴染で、エリーとは違って頭が良い優等生だ。 「お待たせ」 エリーは待たせたお詫びとしてガムを一枚、ライラに放り投げる。 ライラは片手でガムをキャッチし、眉を上げた。 「良かった。待ったフリしてて。本当はさっき来たとこ」 ライラは洋猫のような目を丸くして、開いていた本を見せた。 そのページには文字が印刷されていなかった。 「最悪。ガム返して」 エリーが手を出すと、ライラはすかさずガムを口に放り込んだ。 「また今度ね」 ライラがガムを噛みながらニヤリと笑う。 「ハロウィンどーする?」 ライラはメニューを眺めながら言った。 「どうっていつも通りじゃないの」 こんな田舎町ではハロウィンを楽しむことも出来ない。 同じ高校に通っている別の町の連中はハロウィンには盛大なパーティをしている。 でも、エリーたちリリアンウッドの田舎者は例の事件のせいでハロウィンの夜にはハメを外すことを許されていない。 代々町を治めているハーフィールド家がハロウィン事件以降、未成年はハロウィンの夜には外出してはならないことを条例としたのだ。 毎年ハロウィンの日には、エリーはライラとそれからカイリの三人で家でパーティをする。パーティといっても、三人のうちの誰かの家に行って、仮装をして、お菓子を食べて、学校で誰が好きで嫌いかとかそう言う話をするくらい。 仮装は本気でやる。 だが19時にはお開きだ。 特別な夜なのに、いつもより早くにお開きなんてつまらない。 例の事件が解決しない限り、たぶん、この町のティーンエイジャーたちは永遠にハロウィンを楽しめない。 その前に、リリアンウッドが消えてしまう気もするけれど。 「いい加減さぁ、くだらない条例もなくして欲しいよね」 ライラは首元まで伸ばした栗色の髪を指でくるくると巻きながら言った。 「仕方ないよ。あの事件のせいでこの町は暗いイメージばっかりだから」 エリーは"ハロウィンサンド"を、ライラはベーコンエッグを注文した。 「あの事件だけじゃないけどねー」 ライラがメニューを片付けた時。カラカラとドアベルの音がした。 「おっ。やっぱりここにいたか」 よく通る声がダイナーに響き渡った。その声が、自分たちに向けられたものであることは、声の主の顔を見るまでもなく、明らかなことだった。 「探したんだぞ」 "カイリ"はズボンやベルトにつけたアクセサリーをじゃらじゃらと鳴らし、ズカズカとやってきてエリーの隣に座った。 甘ったるい香水の匂いに少しタバコに臭いの混じった香りがエリーの鼻腔に飛び込んでくる。 青く染められた髪に大量のピアス。見た目の通りカイリは、エリーやライラとは別世界の人間である。 成長してカイリがこうなったのではない。カイリ小さい頃からこうだった。 それでも何故か、エリーたちは上手くいっていた。 「カイリ。今日、仕事じゃないの」 ライラが腕を組んでカイリを睨むように見た。まるで母親のようだ。 「まぁそうなんだけど、その前にお前らに話があって。これ見ろよ」 カイリは、お尻ポケットに差していた丸めた雑誌を抜き出し、テーブルに置くと、本のノドを押さえつけて開いた。 薄っぺらい雑誌だ。どうやら、隣町のローカル雑誌のようである。 「なにこれ」 エリーとライラは雑誌を覗き込む。 「ここを見ろよ」 カイリの黒く塗られた爪の先が、ページの隅っこを指す。 質の悪いモノクロ印刷の広告欄である。フィットネスクラブの会員募集の広告や、来年のサマーキャンプの募集などありふれた広告が並ぶ中──ひときわ目を引く広告が載っていた。 "黒いハロウィン事件"犯人の有力な情報を募集! 有力な情報→500ドル 犯人逮捕→1000ドル 黒いハロウィン事件は既に全世界に知れ渡っているし、今更、誌面でその名を見ても驚きはない。 だけど、小さな雑誌とは言え、地元の事件の名前が載っているのは不思議な感じはする。 「へぇ。良いね」 エリーは自分でもどうかと思うくらい冷めた声で言った。 凄い金額であるが、現実的ではない。 絶対に当たらない宝くじの賞金を見ている時みたいなもので、興奮はしない。 「これ、私たちで解決できたら合計1500ドルだ」 カイリはぱんっと両手を合わせ、指を絡ませた。 「まぁ…そうだけど」 それは、絶対に当たらない宝くじの賞金がもし当たったら…と考えるのと同じことだ。 「しかも、ハロウィンの呪いがなくなる!くだらない条例も消える!」 「あ。そっか」 突然、エリーの目に誌面の非現実的広告が現実であるかのように映った。 この町の"ハロウィンの呪い"がなくなること。 それがエリーにとって、高額な賞金よりもずっと現実的な報酬に思えたのだ。 途端にエリーの目に、"黒いハロウィン事件"に関する広告のその文字がくっきりと映し出される。 会うたびにピアスの数が増えている気がする店員のマイクがハロウィンサンドとベーコンエッグをテーブルに並べた。 「それで。アテはあんの?」 エリーは、両肘をテーブルに突いてカイリを見た。 「ないからここに来た」 カイリは自身たっぷりに両手を広げ、けろりとそう言った。 「そんなことだろうと思った」 ライラはフォークとナイフで丁寧にベーコンエッグを切りながら言った。 「手掛かりがあったらもう一人で動いてるよ」 「だよねー」 エリーは生返事をして、ハロウィンサンドにかぶりついた。 ピーナッツバターとバナナの甘みと、そしてベーコンの塩っぱさが舌を乱暴に侵食していく。 身体が思っていたよりもこの甘塩っぱさを求めていたせいか、エリーはすぐにもう一度、サンドにかぶりつく。 そんなエリーをライラがベーコンエッグをもぐもぐと咀嚼しながら怪訝そうに見つめている。 ライラはこのダイナーのサンドが嫌いなのだ。 「それ、毎年食べてるけどさ。いつものエルヴィスサンドと何が違うの」 「ピーナッツバターが黄色く着色されてるとこ」 エリーはぺろりと唇の周りについた黄色いピーナッツバターを舐めた。 「そんなもんいつも喰ってたら本当にエルヴィスみたいになるぞ」 「あんなにロックに生きれるならそれで良いや」 こんな退屈な町で生き続けるよりずっとずっとマシな気がする。 「そんなことより。どうだ?この話、乗るか乗らないか」 カイリがエリーとライラを交互に見た。 「乗った」 どうせやることはないし、ハロウィンにハメを外せるようになるなら悪い話ではない。 「ライラはどうする?」 カイリがライラを見る。 ライラは、ベーコンエッグの最後の一口を放り込み、もぐもぐと咀嚼しながら難しそうな顔をした。 「頼むよライラ。このヤマを乗り越えるには優等生の脳みそが必要なんだ」 カイリはエリーに肩を寄せ、祈るように指を組む。 ライラは品定めでもするようにエリーとカイリを 交互に見て、口の中のベーコンエッグをごくりと飲み込んだ。 「仕方ないね」 ライラは言って、唇を舐めた。 「決まりだな!それで…どこから調べる?」 「待って。その前に…情報を整理しておいた方が良いんじゃない?」 腰を浮かせたカイリをライラが制止する。 「ああ。そっか」 カイリはまた、腰を下ろした。ちゃりんと腰のアクセサリーが鳴った。 「二人とも、既に囁かれてるいくつかの説のことは知ってる?」 ライラは咳払いをする。彼女は意外と、"こういう話"に詳しいのだ。 「"黒いハロウィン事件"の真相にはいくつかの説があるのは知ってる?」 「聞いたことあるよ。全然、覚えてないけど」 テレビや雑誌なんかで特集されている時に目にした気がする。 「仕方ないから説明してあげる。仕方ないからね」 ライラは背筋を伸ばして姿勢を正す。 「まず一つは、ハーフィールド家の陰謀説」 「ハーフィールドって町長の?」 カイリが腕と長い脚を組んでエリーを見たので、エリーは頷いた。 「そう。事件当時って、町長を選ぶ選挙期間中でもあったの。本命は代々町長を務めて来たハーフィールド家の長女"トミー・ハーフィールド。そして彼女を脅かしたメライア・ルックウッド氏。 地元新聞はルックウッド氏がやや優勢って報じてた。でも、選挙終盤でハーフィールド側が優勢に立ったの」 「へぇ。良い勝負だったんだな」 カイリは細い眉を曲げながら苦しげに言った。選挙とか政治とかそういう話は苦手なのだ。 「選挙結果は知っての通り、ハーフィールド側が勝ってる」 「それで、その選挙と黒いハロウィン事件にどんな関係があるの?」 エリーは腕を組んで、カイリとほとんど同じポーズをとっていることに気付いて、すぐに腕を解いた。 「最初に殺された"メレディス・ブレイク"って元々、陸軍の人だったってうわさ知ってる?そのあと、傭兵やってたとか。メレディスには黒い噂があって…暗殺なんかを請け負ってたとか」 「殺し屋ってこと?」 殺し屋なんて、映画の中の話だと思っていた。 「そう。まぁ噂だけどね。つまり…メレディスはルックウッド氏が雇った殺し屋で、ハーフィールド側の候補者だったトミー・ハーフィールドを暗殺しようとしてたんじゃないかって話。で、返り討ちにあった…みたいな」 「殺し屋が殺し屋にやられたってところ?」 本当に映画みたいな話である。なんだかまた、この事件が非現実的な話に思えて来た。 「メレディスを殺したのが殺し屋なのかは分からないよ。普通にハーフィールド側の誰かかも」 ライラは手のひらを突き出して首を横に振る。 「ハーフィールドの誰かかもって…普通の人間が元軍人の殺し屋を殺せるか?」 カイリは煙草を一本抜いた。 「どっちにしてもさぁ。なんかあり得なくない?町長選挙のために人殺すかなぁ」 例えばここがニューヨークとかそういうデッカい都市ならばともかく、こんな片田舎の町の選挙で人の命が関わるとは思えない。 「それは私もそう思うんだけど、殺人現場のメレディス・ブレイクの家から、ルックウッド氏との関係性を示すような物証がいくつか見つかってるらしくてさ。そこからこの説が囁かれるようになったんだよ。でも、結局この説は否定されてる」 「否定って?」 カイリが天使の羽模様がプリントされたライターで、煙草の先っちょに火をつけながらモゴモゴと言った。 「何年か前にハーフィールドさんが否定したの」 「それ怪しくないか」 カイリはふうと煙を吐いて顔を顰めた。 「うん。でも、そういうことになってるから」 ライラは済ました顔のまま、カイリの吐いた煙を手で払った。 「二つ目は"錯乱説"。被害者のメレディスが危ない薬か何かをやってて、殺人鬼も全部幻覚だったってオチ」 「それはないだろ。なんで幻覚に殺されるんだ。そもそもメレディスの近隣住民も犯人の姿を見てるんだろ?実際、それで何人か口封じ的に殺されてるわけだし」 「そこは私にもよく分かんないけど…メレディスが錯乱して近隣住民を殺して、最後に自分で自分の首を切ったとかって言われてるね」 ライラは人差し指で自分の首を切る真似をした。 「錯乱説も巻き込まれた近隣住民の遺族から否定されてるよ。で、最後は"亡霊説"。犯人はゴーストってこと」 「一番ありえないじゃん。それ」 エリーはハロウィンサンドの最後の一口を放り込んだ。 「亡霊だけは勘弁だぞ。捕まえれないし」 カイリは顔を顰めて灰皿に吸殻を落とした。 「亡霊じゃないことを祈るしかないね。それで、どうする?これから」 エリーは安っぽい紙ナプキンで口を拭いてグシャグシャに丸め、カイリとライラを見る。 「まずは事件現場から見に行く?今、入れるのか知らないけど」 ライラも紙ナプキンで口を拭いて、丁寧に折り畳んで空き皿に置いた。 「あそこなら簡単に入れる。もう長いこと見学ツアーもやってないしな」 カイリはそう言って今度こそ立ち上がって先に店を出た。 「ほんと、気が早いんだからさぁ」 ライラは、揺れるドアベルを見てはぁと息を吐いた。 エリーとライラがカイリを追うように店を出ると、カイリの姿は道路を挟んだ向こう側にあった。 カイリはひしゃげた道路標識の下で、数人の女たちと何やら話をしている。 近くにはオープンカーが停められている。 その"目が穢れるような連中"が視界に入ってすぐ、エリーは視線を他所に逸らした。 あれは、"エイザ"たちだ。 「カイリぃ。あんたノロノロし過ぎだよ。もっと働かないと…恩恵は受けられないよ」 背の高いブロンドの女がカイリを見下ろして言った。 隣にいるウェーブのかかった髪をした女がけらけら笑う。 「私は自分の仕事は自分のペースでやるんだ。とやかく言うなよ」 カイリは両手を広げた。 「それは私も賛成だな」 オープンカーの運転席にいたエイザが言うと、カイリも周りの女たちも黙った。 白金色に鮮やかなパープルやブルーのグラデーションがかけられたサラサラの髪。目尻の吊り上がった大きな目。 エイザは美人で小柄だが、その凶暴性が指先にまで滲み出ている。 「仕事はゆっくりやれば良い。期限を守れるならね。分かってると思うけど、"ハロウィンパーティ"でノルマを達成出来れば良いんだから。でもそれが出来なかったら…カイリ…お前はもう用済みになるよ」 エイザが首を捻ってカイリを見る。 カイリは引き攣った笑みを浮かべていた。 「お前には何としてでも仕事を捌いてもらうよ。あそこの…お友達二人を巻き込んでもね」 エリーはじっと、地面に落ちている石ころに視線を落とした。 エイザの目が自分とライラを捉えているのは分かっていたけれど。 「あいつらは関係ないだろ?」 「それはこっちが決めること。それじゃあ頼んだよ」 エイザはニッコリと微笑むと、オープンカーに仲間たちを乗せ、爆音を鳴らして通りの奥へと消えていった。 ひしゃげた頼りない道路標識の前にぽつんとカイリだけが残された。 「カイリ。いい加減、あの人たちとは縁切りなよ」 エイザたちがいなくなったが早いか、ライラは腕を組んでズンズンとカイリに近づいていく。 「簡単に言うなよ。この町にいる限り無理だ」 カイリには親の遺した多額の借金がある。 それは、こつこつと働けば返せなくもない金額ではあるようなのだが──。 「手っ取り早く全部から解放されてこの街から出るにはエイザたちからの仕事が一番良いんだ」 昔から、誰よりもこの街から解放されることを望んでいるカイリにとっては、長い時間を掛けてコツコツと借金を返すという選択肢など無いようなものだったようだ。 「仕事って…イケナイ仕事じゃん」 ライラが頬を膨らませてカイリを睨む。 エイザはエリーたちよりも二つ歳上の不良少女である。 だが、最近は単に不良少女と呼ぶにはあまりに危険すぎる存在となっていた。 今年だけでもう三回も街の警察に逮捕されているのだから。 「エイザと関わってんのはこの街を出るためだ。この街を出たらエイザとも縁切れるだろ。それに…黒いハロウィン事件を解決できれば…すぐにでも街を出られる」 カイリはぎゅっと拳を握り締めると、エイザの捨てていった吸殻を踏み潰した。 「なんかシラケさせて悪かったな。行こうぜ。メレディスの家に」 カイリは、曇った秋の空にふうと息を吐いた。 メレディスの家は大きな通りからは少し離れたところにある。 通りの傍にある木々に囲まれた小道を抜け、車の一台も通り抜けられないようなさらに細い道をゆく。そうすると、メレディスの住んでいた地区に着く。 山と沼地に近く、また、近くに使われていないスクラップ場があるだけの、人通りの少ない場所だ。 メレディスの経歴が噂通りならば、きっと目立つことを好んでいなかったと思う。 そうなるとここは、彼女にとってうってつけの場所だったと言える。 エリーがここに来るのは初めてではない。これまでに何度か訪れたことはある。 例えば鬼ごっこやかくれんぼをする際には、このあたりは便利だった。 なんせ、誰もここまで追ってこないから。 「この子。見つかってないね」 ライラがぼそりと言った。 何のことかと思っていると、ライラの視線が電柱に貼り付けられた"たずねびと"の張り紙に向けられていることに気づいた。 「ああ…行方不明の…」 雨風ですっかりボロボロになってインクの滲んだその"たずねびとの張り紙"には、笑顔を浮かべる少年の顔写真が印刷されている。 "トミー・ヴェナント"。 失踪当時12歳。トミーは昨年、行方知れずになってそのまま、一年近く経つ現在まで見つかっていない。 トミー少年が最後に目撃されたのは、昨年のハロウィンの日である。 この行方不明事件も、ハロウィンの呪いだと騒ぐ者もいる。 メレディスが殺されたのも、トミー少年が消えたのもハロウィンの日だからそう思うのも無理はないけど、エリーは偶然だろうと思う。 ハロウィンの日に事件が起こったのは、たったの二度だ。人がいなくなったり死んでいるのに"たったの"なんて良くないとエリーも思うけれど、日にちが重なっただけで呪いだとか騒ぐのはどうかしている。 そもそも、殺人事件と行方不明事件とでは事件の種類が違い過ぎる。 呪いだとかなんだとか騒ぐ奴らがいるから、自由が制限されてしまうのだとエリーは思う。 行方不明から一年近くが経ち、エリーでさえもトミー少年のことは忘れかけていた。 それでもきっと、遺された家族たちはトミーのことを毎日、いや、毎秒考え続けているのだろう。 エリーにはその気持ちを推し量ることは出来ないけれど、きっと、胸が張り裂けそうな気持ちなのだと思う。 行方不明事件を呪いだと騒いでいる連中は、トミー少年の家族たちを前にしても"呪い"の一言で事件を片付けることは出来るのだろうか。 エリーはなんだか、二十年も前の殺人事件より、こっちの方を優先して解決するべきな気がした。 先頭を歩いていたカイリが立ち止まった。 「よし。着いたぞ」 カイリの前には、燻んだ水色をした平屋の一軒家がある。 何度見てもやはり、"普通の家"だ。 芝生がぼうぼうと伸び切っている庭には、メレディスのモノなのかそれとも誰かが放置しているのか分からない随分と古い車が一台、停まっている。 庭の周りは金網で囲まれている。金網は事件後、現場ツアーで金を取るために設けられたものだが、もうほとんど倒れてしまっている。 「日が暮れる前にさっと調べちゃおうぜ」 カイリは躊躇なくほとんど役割を果たしていない金網のフェンスを押しのけて芝に入った。 エリーとライラは顔を見合わせた。 二人とも、ここに立ち入るのは初めてだったのだ。 エリーとライラはちらちらと互いの目を見てどちらが先に敷地内に入るか駆け引きしていた。 人が残酷に殺された場所なんて立ち入る気にならなかったし、そもそもここには入ってはいけないのだ。 けど、自由のためだ。 エリーはそう言い聞かせてフェンスを押し除けて中に入った。 伸びた雑草がエリーの首のあたりをくすぐる。 小道からたった数歩だけ敷地内に入っただけ。それなのに、エリーの目にはなんだかここが小道までとは別世界のように思えた。 きっと気のせい。 気のせいなのだけれど。 秋の澄んだ空気とか、夕暮れ時の風の匂いとか、そういうものがここには流れていない──気がした。 伸びた雑草を掻き分け、踏み付けながら、進む。 気のせいか足が重い。 それに──ここまできておいて気が進まなくなってきた。 引き返してしまった方が気分楽になるとさえ思った。 当時、事件に巻き込まれて殺害されたとされる近隣住民たちの住んでいた住宅はもうない。 つまり今は完全に、このメレディス邸を覗いて周囲に住宅は無い。 「見ろよ。これが名物の黒いシミだ」 先に玄関まで進んでいたカイリが、デッキを指差す。 彼女の生首が置いてあったとされるデッキの一点には、黒いシミが染み付いていた。 「うわぁ…生々しい」 ライラが顔をしわくちゃにした。 黒いシミのことは昔から聞いていた。 だから、そのシミを目にしたところで特に驚くことはなかった。 いや。 普段ならば、もう少し恐怖心とか嫌悪感を感じていたかも知れない。 だけど今は──。 ここに立ち入ったことに対する罪悪感が強いからか、シミを見ても何も思わない。シミへの恐怖心より、罪悪感が勝っている──気がする。 いや。 入るなと言われている場所にエリーが入るのは別に初めてのことじゃない。 でも。 でも。 ───"誰かに見られているかもしれない状況"でこんな場所に立ち入るのは初めてだ。 感じる。 さっきから、誰かの視線を、どこからか。 そのせいで、シミのこととか事件のこととかそういうことがどうでも良くなる。 一刻も早く、立ち去りたいと思ってしまっている。 「どうかしたの?」 きょろきょろと辺りを見渡すエリーの視界にライラが入り込む。 「ううん…なんでもない」 エリーは首を横に振って、視線を玄関に戻した。 きっと気のせいだ。 殺人現場に入り込むのが初めてだから、過敏になっているだけだ。 この辺りには"浮浪者"がいるから気を付けろと大人から言われたことがある。 だからもしも誰か潜んでいるなら、その浮浪者かも知れない。 まさか、浮浪者がメレディスの家を棲家にしているのか。 いや。空き家なんて他にもあるし、わざわざ陰惨な殺人現場を選ぶ変わり者はいないだろう。 それにここは、ツアーも催されていたような場所だ。 そういえば、今の町長になってから浮浪者もほとんどいなくなったと誰かが言っていたか。 玄関のドアは施錠されておらず、カイリはまた躊躇なくドアを開けて中に入った。 夕日が僅かに差し込むだけの薄暗い室内には、エリーの思っていたような殺人現場とは程遠い光景が広がっていた。 机や椅子、ソファなんかは綺麗に並べられているし、割れたガラスなんかが散らばっているわけでも無い。 殺人現場らしいのは、せいぜい絨毯に遺された大きくて真っ黒いシミくらいのものだ。 それもそのはずで、事件当時、警察が証拠品となるモノはほとんど回収してしまっているし、その後はツアー用に整備されてしまっている。 事件当時の生々しさなどほとんど残ってはいない。 「なんか隠し部屋とかないか?」 カイリは絨毯を捲ったり、壁にかけてある絵画を外したりして好き放題に探索している。 「隠し部屋なら本棚の後ろでしょ」 ライラがペシペシと本棚を叩いて、その細い腕でなんとか本棚をスライドさせようとするが本棚はびくともしない。 仕方なくエリーも本棚を押した。 が、本棚の後ろには何もなかった。 「そろそろ日が暮れるね」 窓から差し込む濃厚なオレンジ色の光を見つめ、ライラが呟く。 「なにもないね」 エリーは腰に手を当て、息を吐く。 物置や地下収納までチェックしてみたが、何も見つからなかった。 「ま、よく考えれば現場に手掛かりがあるんならとっくに見つかってるか」 浴室からカイリが出て来て言った。 「そんじゃあ今日のところは一旦──」 カイリがそう言った時。 エリーが、ライラが、カイリが──三人が同時に裏の窓を見た。 窓の向こうの草木がさわさわと揺れている。 「ねぇいま──」 ライラが窓をじっと見つめたまま黒目だけをエリーとカイリに向ける。 「ああ──」 ──誰かいた。 つい数秒前、裏から枝か何かを踏むような音がした。 そして振り返ってみれば、裏の草木が揺れていた。 カイリは裏の戸を開け、飛び出した。 「誰だ!おい!待て!」 「カイリ!」 相手が何者かも分からないのに追うのは危険だ。 エリーはカイリを追って裏庭に出た。 カイリは深く生い茂った草木を掻き分け、奥へ奥へと進んでいく。 「待ってカイリ!」 エリーはカイリを見失わぬよう、カイリをだけを見つめてひたすらに走る。 伸び放題の草花の根は思っているよりも硬く、うまく掻き分けられずに転びそうになる。 雑草が森のように生い茂っていた裏庭を抜けると、そこでカイリは立ち止まっていた。 「くそ。見間違い…か?」 カイリは眉をひそめて首を捻った。 「はぁはぁ…何か見えたの?」 ようやく追いついたエリーは自分の膝に手をついて息を整える。 カイリは首を横に振った。 「いいや。でもなにか…いたよな」 「それは私も思うけどさ…」 エリーたちは音と、揺れる草木しか見ていない。 だからあれは、動物かも知れない。 ずんっずんっと乱暴に雑草を踏む音が聞こえて来た。 「ちょっとちょっと二人とも!あんなところに置いていかないでよ!」 ライラが泣きそうな顔でエリーとカイリを見て高い声を上げた。 頭には落ち葉が乗っかっている。 「あ…ごめん」 ライラはエリーとカイリとは違って俊敏に動けない。 さっきはカイリを見失うわけにはいかなかったから、エリーはライラを置いて行ってしまったのだ。 ライラを待っていたらカイリを見失っていたかも知れないから。 「ホラー映画だったら私、今ので絶対死んでるから」 ライラはそう言ってぶるっと震え上がった。 「誰かいたのは間違いないな。この辺を縄張りにしてる浮浪者かもしんねーけど」 「犯人は現場に戻るって言うけど…まさか犯人だったりしてねー」 ライラは腕を組み、辺りを見渡した。 「でも二十年も前の事件なのに今さら戻る?現場にはろくに証拠も遺ってないのに」 現場には証拠品と呼べそうなモノは遺っていなかった。 「犯人が現場近くに住んでるとか?それで気になって見に来ちゃうとか」 ライラが振り向いてメレディス邸を見た。 エリーももう一度、殺人現場の方を振り返る。 窓の向こうの室内にはもう眩い夕陽は差しておらず、ぼうっと薄暗くて薄気味悪かった。 その日の調査はそこで打ち切りになった。 エリーはてっきり、調査はその日でお終いにするものだと思っていたのだけれど、エリーが思っていたよりカイリは調査に本気だったし、ライラも何故か調査に前向きだったからひとまずハロウィン当日まで調査を続けることになった。 エリーは調査に乗り気ではなかったわけではない。 だけど、最初の調査の手応えがあまりに無かったからカイリもライラも諦めるものだと思っていたのだ。 三人の調査はほとんど毎日続いた。 メレディスがよく訪れていたというドラッグストアにも行ったし、図書館で事件当時の新聞記事を読み込んだりもした。 しかし、一向に手掛かりは見つからなかった。 当時、大人たちが必死に手掛かりを探しただろうに何も掴めなかったのだ。小娘のエリーたちが今更何を探そうと無駄なのかも知れないとエリーは思っていた。 それでも何か、当時の捜査に見落としがあったことを願ってエリーたちは調査を続けた。 「あーあ。今年もハロウィンは条例を守って楽しまないとってことになりそうだね」 ライラがフォークでベーコンエッグを細かく細かく切り刻みながらぼやいた。 「いよいよ"ハロウィンパーティ"に行くしかないんじゃない?」 エリーがハロウィンサンドを頬張りながら言うと、隣のカイリが慌てて人差し指を口に当てた。 「ばーか。お前らは来んなよ。エイザたちに巻き込まれたらどうする」 このリリアンウッドでの"ハロウィンパーティ"というのは、ハロウィン当時の夜に秘密の場所で行われる秘密のパーティのことだ。 不良のエイザがかつて慕っていた上級生たちが創設したもので、現在はエイザが仕切っている。 街の条例にうんざりした若者たちが鬱憤を晴らすのを目的としたパーティで、そこでは酒や煙草はもちろん、"危ないキャンディ"が販売されることでも有名だった。 そのキャンディを売り捌くのがエイザからカイリに与えられた仕事なのだが──。 「お酒も飲むつもりないし、煙草もね。もちろんキャンディだって。だけど、雰囲気だけ楽しみたいなって」 若者たちの集うハロウィンパーティがどのようなものなのか見てみたい。 「馬鹿エリー。あそこにいて酒も煙草もキャンディもやらないなんて不可能なんだよ」 「そうだよ。あんな場所に行ったら、"ここ"もっと悪くなるんだから」 ライラは人差し指でつんつんと自分の頭をつつき、それからカイリを見て、あっ、と口を開けた。 「ったく…。とにかく、ハロウィン当日は私はパーティに行くから調査は無理だ。仕事があるから。その日中にノルマを達成できなきゃ……まぁ考えたくないな」 カイリは苦い顔をして煙草を灰皿に押し付けた。


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