SIDE OF UPDATE〜希望の伝達者篇1〜
Added 2022-07-01 14:50:55 +0000 UTC1 脱出 非常事態を報せるサイレンが絶えず鳴り響く。 分厚い鉄のドアに取り付けられている小さな覗き窓の奥から、職員たちが慌しく走り回る足音や、怒りと焦りを滲ませた怒号なんかも聞こえる。 これは明らかなる異常事態であり、この独房に閉じ込められている"市澤 佳奈"が監獄船に投獄されてから一年で初めて感じる異様な空気感だった。 佳奈は確信する。この地獄の監獄船に崩壊の時がやってきたのだと。 「エンジン署長がやられたんだ!」 「うそでしょ?」 「ほんとだ!ほら…あのボクサーの男が…」 「ボクサーって言ってもアマでしょ!?」 「いやいや…それがアップデートを受けたとかなんとかって!!」 「まずいぞ…囚人たちが大暴れしてる…!」 「本部から応援を!」 「バカ!そんなことしたら責任取らされるのは私たちだよ?」 「今そんなこと言ってる場合!?」 これまで散々好き勝手してきた職員たちが大慌てしている様子を覗き窓から観察するのは佳奈にとって心地の良いことだった。 どうやら、何者かがエンジンを倒し、獄内で大暴動が起きているようだ。それだけではなく、先程船が大きく揺れてからというものの、船全体の動きが不安定だ。職員たちの慌てようからして、船自体がもう危ういのかもしれない。 他の牢屋は囚人が自由に出入りできるだろうが、佳奈のいる独房は厳重にロックされている。そのため、外側から開けてもらわない限り外には出られない。このままだと、船と一緒に海に沈む運命だ。 それもいい。佳奈はそう覚悟していたが、ビーッというやかましい音がしたかと思うと、次の瞬間、ガチャッとロックが外れた。 外から誰かが開けた様子はなかった。だったら、考えられるのは非常事態におけるシステムの異常か、それとも船全体のセキュリティシステムが何者かによってダウンさせられたか、だ。いずれにせよ、この好機を逃すわけにはいかない。市澤 佳奈は分厚い鉄の扉を押し開け、一年ぶりに独房の外へ出た。 一年ぶりとは言っても陽の光など届かない船内は何も変わらない。鉄の錆びついた臭いと人間の悪臭が立ち込めているだけ。だが、大勢の人間の自由を封じ込めていたこの巨大な監獄は今…その門をこじ開けられてしまい混乱状態に陥っている。 佳奈はできるだけ急ぎながらも、周囲の連中に気付かれないようにひっそりと甲板を目指した。 「おい!ちょっとアレ…!」 しまった。複数人の女看守共に姿を見られてしまった。奴らも今、囚人一人の脱走に時間を割いている場合ではないが、相手が市澤佳奈となれば話は別。殺人犯である佳奈を逃すわけにはいかないため、看守達は銃を構え佳奈の方に走ってきた。 佳奈「冗談でしょ…?」 こんなところで撃ち殺されてたまるか、と佳奈はくるりと方向を変え看守達とは逆方向に走り出す。途中、逃げ惑う他の囚人達とぶつかりながらもどこへ繋がってるかも分からない階段を駆け上がり、備品室と書かれた部屋に逃げ込んだ。 その部屋は薄暗くカビ臭い。丸窓が二つあり、荒れた夜の海が魔物のように大きな波を船に打ち付けているのが見える。 佳奈は息を潜め、大きな棚の陰に隠れた。ふと棚の方に視線をやればその棚にはいくつもの箱が積まれている。箱の面には「押収品」とマジックでテキトウに書かれており恐らくは囚人から押収した品々が収められているらしかった。 ここに使えるものがあるかもしれない。そう思った佳奈は急いで箱を開けた。いくつも開け続け、ナイフを数本手にした。そのナイフは使い古されておりとても切れ味が良さそうには見えないが武器としては十分だ。刃のギザギザも、そこにこびりついた恐らくは人間の血も…佳奈の脳を僅かに"興奮"させた。 さすがに上質なナイフや銃器なんかは押収品の箱に収められていなかったため今はナイフだけで乗り切るしかない。そうこうしているうちに佳奈を追ってきていた複数の看守が備品室に入ってきた。 佳奈はナイフで躊躇なく看守を一人…また一人と部屋の暗がりを利用して殺害した。背後からヌッと現れ、看守がその気配に気付いた頃にはもう遅い…佳奈の握るナイフの刃が首の皮膚を裂き、そしてその奥にある肉を切り裂くのだ。 あっという間に備品室にいくつもの血溜まりができた。 その血溜まりを見つめ、そして看守達のあの断末魔にもならぬ呻き声を思い出して佳奈はゾクっと震えた。それは恐怖ではなく悦びの震えだ。一年ぶりに感じるとてつもない快感だった。 佳奈が部屋から出ようとした時、ふと傍にあったモノが目に入り立ち止まった。それは野球なんかに使う木製のバットで、そのバットはこれまた「押収品」と書かれた箱に突き刺すように突っ込まれていた。気がつけば佳奈はこのバットを握り、引き抜いていた。このバットはここに投獄される前、誰かが武器として使っていたものだろう。だが、そのバットには人間の血は染みていない。ついているのは青い血…アップデーターの血のみ。だとするならば、このバットは間違いなく…"彼"…カイ・ブラームのものだ。佳奈はそう確信した。このバットは…アップデーターへの攻撃すら躊躇する程の心の優しさを持っているカイのものでしかあり得ない。 彼はまだ生きてるのだろうか。 そういえば看守が言ってた。エンジンを倒したのはアマのボクサーだとか。この船には数えきれない数の囚人がいるが、9割が女だ。男は残りの1割にも満たない数…。そうなると思い浮かぶのはライトという青年だ。 彼があの化け物のエンジンを倒したのだとするならば、彼自身もきっと無事で済んではいないだろう。 彼らのことを仲間と呼んでも良いのか、わからないが…少なくともここに来るまでは、"あの刑事"に全てをあばかれるまでは、仲間だった彼らの事が少しだけ…ほんの少しだけ心配だった。 彼らを個の巨大な船の中、一人一人探し回ってる時間はない。生きているなら、きっとまたどこかで会えるはず。 極力目立たないようにするため、佳奈は備品室で黒いレインコートを羽織り、闇に紛れながら再び通路に飛び出た。そしてまた甲板を目指す。 大勢の囚人達と看守どもでごった返している甲板では、猛烈な雨が船を打ち付けており、雨音に混じって悲鳴や怒声や銃声が聞こえて来る。 脱出用の船が次々と囚人達によって海に出されていき、その数はどんどん減っていく。 佳奈も逃げ遅れないよう、船に乗り込もうとしたが丁度その時、遠くの方で何かが目に入った。 一人の大柄な女を複数の人間達が抑え込んでいるのだ。 夜。しかも大雨の夜。最悪の視界の中、じっと目を凝らして見てみれば、抑え込まれているのはあのノロイだ。そして抑え込んでいるのは佳奈のかつての仲間たち。 それを見た佳奈は一瞬だけ喜びを感じたがすぐにそれはかき消された。仲間が生きてここまできている。だが、あんな化け物を相手にしているんじゃ逃げられる可能性は極めて低い。 仲間が生きていて良かったという気持ちより、"生きてると分かってしまった"という気持ちが強かった。目の前で仲間が生きて、懸命に戦っていると分かってしまった以上は自分がそこに参加しないわけにはいかない。 佳奈は体を震わせながらナイフを握りしめ、仲間達が奮闘している方へ足を一歩、また一歩と進ませた。だが、それ以上は足が進まない。 あそこにいるのは果たしてまだ仲間と呼べる人たちなのだろうか。いや、仲間と呼んでくれる人たちのなのだろうか。 はっきりとしないのに、そこへリスクを冒しに行く必要はあるのか。 佳奈は目を閉じ、歯を食いしばって込み上げてくる思いを押し殺し、遠くにいる仲間達に背を向けた。 船が次々と無くなっていく。これ以上は時間をかけられない。佳奈は急いで船に乗り込んだ。