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あの夏の悶絶は思い出の中に(6日目#1)

1. 何のために戦うのか その日の午前中にイチコちゃんとの勝負の二回戦が行われることを知らされたのは朝食時のことだった。 「ハク。朝ごはん食べたらすぐ公園ね。イチコとの勝負やるから」 ハクと空野の面々がリビングで目玉焼きを頬張ったり味素汁をずずずと流し込んでいる中、しずかが開け放ってあるリビングの玄関に現れそれだけ告げると去って行った。 その言い方はあまりに淡々としていて、昨日の夕方の優しいしずかとはまるで別人だったが、むしろこっちのしずかの方が慣れていたので、ハクは不思議と違和感を抱かなかった。 早起きして家事をこなしている奈水以外は皆まだ寝ぼけ眼でぼーっとテレビを見ていて、しずかがやってきたことに特に反応もしていなかった。 しずかの顔を見た時、寝ぼけていた目がしゃきっと覚めて、ハクの心臓はドクドクと高鳴った。頭の中がぐんぐん熱くなるのを感じた。どうしてだか分からなかった。 ハクは急いで朝食を済ませた。毎朝出てくる焼き海苔四枚を咀嚼するのにえらく時間がかかった。 続いて歯磨きに取り掛かる。 空野家の洗面所には歯磨き粉がたくさんある。これは奈水の趣味らしい。ハクは毎朝、その日の気分で歯磨き粉を選んでいた。 その日はまだ試したことのない"竹塩"の歯磨き粉を使ってみた。 それはご飯にかけたらおかずになるんじゃないかと思うくらい塩っぱくて、無意識に咥えている歯ブラシをモグモグと咀嚼しそうになった。 ユウを誘おうと思ったが、彼は既に家を出ていて見当たらなかった。 どうせどれだけ急いで行ってもしずかには文句を言われるのは分かっていたが、ハクは一応、急いで公園に向かった。 公園の前にはシンがいた。シンは自慢の改造自転車に跨ったままハクを見つけるなり手を挙げた。 シン「よっ」 「奥の森行こうと思ってたんだけど、しずかに呼び止められたんだ」 しずか「ちょっと協力してもらおうと思ってて」 公園の入り口に立っていたしずかが腰に手を当てて言った。 その奥にはイチコちゃんが片足をベンチに置いて、ぐんぐんと太もものスジを伸ばしていた。イチコちゃんのそばにはヒカリとダイチもいた。ここにもやっぱりユウはいなかった。 ハク「ユウいねぇな。未悠もか」 ぐるりと公園を見渡した限り二人の姿は見当たらない。別に四六時中みんながみんな一緒にいるわけではないので不思議ではないが、ユウに関しては最近やたらと姿を消すことが多い気がするので少し気になった。 シン「ユウならさっき、奥の森の方に歩いていくのを見たぜ」 ハク「奥の森に?」 しずか「え?あいつが?」 ハクもしずかも同時に声を上げた。 シン「いやまぁ、さすがに一人で奥の森に行くってことはないと思うんだけどな。あいつ怖がりだし」 「未悠もさっきそっち方面に行くの見たよー」 地面にガリガリとらくがきをしていたヒカリが顔を上げて言った。 二人して奥の森に行ったのか。あの場所に行けるようになったのはつい昨日のことだし、連日行きたくなるのは当然だろう。ハクはそう思って特にそのことについて深く考えなかった。 ハク「それで、第二回戦は何で戦うんだ?確か走る系とか──」 しずか「その前に、ルール変更があるから聞いて」 ハク「なんだ?」 しずか「この勝負、先に三本勝った方が勝ちって言ってたけど、それをやめるの」 「で、三回勝負のうちたくさん勝った方が勝ちってルールに変更ね」 ハク「え?そんなことしていいのか?」 つまり、勝負を三回に限定し、二回以上勝った方が勝ちということだ。 そんなことをすれば、すでに一敗しているイチコちゃんが圧倒的に不利になる。今回負ければもう敗北が確定するのだから。 「それでいいんです」 遠くにいたイチコちゃんが腕のスジをぐんぐん伸ばしながら言った。 しずか「イチコが言い出したんだよ」 不思議そうにしているハクの心を読んだようにしずかが言った。 イチコ「その方が自分を追い込めるので」 負けたくないくせに負ける可能性が高くなる条件を追加するなんてとんだ変わり者だ。ハクは心からそう思った。だが、同時に不利な状況下で勝利することの喜びもよく理解できた。 しずか「それで…第二回戦はね、"障害物競走"だよ」 ハク「へぇ…」 てっきり坂道を走ったりとか直線勝負かと思っていたハクはやや面食らったが顔には出さなかった。 しずか「まず、スタートは公園の外からね。合図がなったらフェンスを超えて、それから鉄棒で逆上がり一回するの」 しずかは公園に設置されているミント色の金網フェンスを指差してから、次に鉄棒をさした。ハクはそれを目で追った。 しずか「で、滑り台に登って砂場に滑り降りたら、あっちの門で人をおんぶすんの」 あっちの門とは、シンやイチコちゃんの家のある海辺の方に続いている、いつも開けっぱなしの金網の門のことだ。 しずか「イチコはヒカリを、あんたはシンをおんぶしてね。おんぶした状態で橋を先に渡り切った方が勝ち」 しずかは説明を終えてから、「理解できた?」と言わんばかりにハクを見た。いっぺんに説明されたのでハクは全ての種目を整理するのに時間がかかったが、とりあえず首を縦に振った。 しずか「それじゃあ、私はあっちのゴールで待ってるからね」 「スタートの合図はヒカリに任せてるから」 しずかはくるりとハクに背を向けてゴール地点の橋の向こうに歩いて行った。ポニーテールがゆらゆら揺れている。 しずかの後ろ姿を見ていると、なぜかハクの闘志が前の戦いの時よりも激しく燃え上がった。 ヒカリ「二人とも。準備はいい?」 準備運動とイメージトレーニングを終えたハクはイチコちゃんの隣に並んだ。二、三メートル前にはミント色の金網フェンスが聳えている。高さは二メートルくらいだ。 スタート地点が坂道であるため、公園の方を向いて横に並ぶと、ついどちらかが勾配の急な方に立つことになる。 ハクはイチコちゃんを勾配のゆるい方に立たせてやろうと思い、立つ位置を変えた。 すると、イチコちゃんはすかさずハクの後ろを回り込んでまた勾配の急な方に立った。 ハク「いや、俺が急な方に立つからいいって」 イチコ「いえ。お構いなく」 イチコちゃんは真っ直ぐにフェンスを見つめたまま言った。 ハク「いやいやいいって」 これ以上、自分が有利な状態に立つのは気持ちが良くないので、イチコちゃんの後ろに回り込んでまた急な方に立った。 イチコ「いやいやいいんですってば」 またイチコちゃんが回り込む。 二人の負けず嫌いの譲り合いに、ヒカリはあははと笑っていた。 結局、ハクは折れた。イチコちゃんが上、つまり勾配が急な方に立ち、ハクがゆるい方に並んだ。 ヒカリ「それじゃあいくよ?」 「よーい…」 ハクとイチコちゃんの視線がフェンスの、自分が足を掛けることになるであろう箇所に注がれる。 二人とも片足を一歩前に出し、腰を低くしていつでも走り出せる構えを取っていた。 ヒカリ「…どんっ!」 ヒカリの合図と同時に、二人はほとんど同じタイミングでスタートを切った。 イチコちゃんと比べて、ハクはフェンスのかなり手前でジャンプに踏み切り、フェンスの金網に飛びついた。 がしゃんっと金網が揺れる。 がしゃんっ。ハクの隣の金網が揺れた。イチコちゃんが飛びついたのだ。 ハクはフェンスを飛び越えられる高さまで一気に登り切ろうとする。 「うあっ!?」 ぐんと勢い良く登りかけたハクの身体が下から引っ張られた。 靴のつま先が金網の網目に引っかかってしまったのだ。焦ったハクはついイチコちゃんの方へ視線向けた。 イチコちゃんは金網を飛び越え、雑草の生い茂る傾斜になった芝の上に着地した。 まずい! ハクはなんとかフェンスを飛び越え、芝の上に転がるように着地する。 その頃にはもう、イチコちゃんは鉄棒を握りしめて力一杯身体を振り上げているところだった。 ハクは焦りから足がもつれそうになりながら鉄棒まで走り、アツアツの鉄棒をお構いなしに握りしめてぐんと足を前方に蹴り上げた。 これも焦りからか、身体と鉄棒の間の距離が想定していたよりも空いてしまい、逆上がりにさえ苦戦してしまった。 その頃、イチコちゃんは滑り台を滑り降りるところだった。 ハクは飛ぶように走り、滑り台の段を飛ばし飛ばしで駆け上がり、半ばジャンプするように滑り台を降りて砂場に着地した。 イチコちゃんは門の前でしゃがみ込んで、ヒカリを背中に乗せている。 急げ! 「落ち着け!」 ハクの焦る気持ちは、門の前で待っているシンの掛け声によって僅かに冷やされた。 だが、門の前まで来たところでその向こうに待っているしずかの姿が目に入った途端、再び焦りが爆発した。 なぜか分からない。 ハクは焦りながら門の前でかがんだ。それと同時にシンがぴょんと背中に飛び乗ってきたのでハクは、シンをおんぶする体勢を整えることにほとんど時間を割かずに済んだ。 シンを背中に乗せて駆け出す。 リードしていたイチコちゃんは、ヒカリをおんぶするのに手こずり、さらに人一人をおんぶして全力で走っているせいでかなり減速していた。 まだ勝つ可能性は残っている。 ハクは、背中からシンの声援を受けながら必死に走った。太ももの前の筋肉が悲鳴をあげていた。 ハクの気持ちは燃え上がり続ける。 イチコちゃんに負けたくないから。でも、ただそれだけではない気がした。 負ける姿を見られたくない。 そんな気持ちがあることに気づいた。 誰に? 浮かんだのは、ゴール地点で待っているしずかの顔だった。 遠くにあったイチコちゃんとヒカリの背中がどんどんどんどん近づいてくる。そして、ハクがイチコちゃんと並びかけたその時、 「そこまで!イチコの勝ち!」 しずかの声が響いた。 ハクは僅差でイチコちゃんに敗れた。 よたよたとゴールを通過し、シンを降ろすとハクはその場に崩れ落ちた。脚が言うことを聞かず、立ち上がれなかった。 スタートで有利な場所からスタートしたにも関わらず負けた。 負ける姿を、見せたくなかったのに負けてしまった。 ずどんとした重苦しい悔しさがハクを襲った。 畑のそばでイチコちゃんが大の字になって倒れている。 「やっっっ──たぁっ!」 イチコちゃんは身体を丸めるようにしてぴょんと起き上がってガッポーズをしてみせた。顔には弾けるような笑みが浮かんでいた。 シン「やっぱ最初のミスが勝敗を分けたか…」 シンは顎を撫でながらやけに冷静に、ハクの敗因を分析していた。 ハク「…くっそー…」 「悔しい…」 地べたに座り込んだまま、ハクは言うことを聞かない脚をぺちぺち叩いてほとんど無意識にそう漏らした。 イチコちゃんの小さな顔がすごい勢いでハクの方に向いた。 ハクを見るイチコちゃんの目はきらりと輝いていた。 ハク「…なんだ」 イチコ「いま、悔しいって言いましたよね!?」 イチコちゃんは興奮気味に言った。 ハク「え…」 ハクは自分がいまそう言ったのかどうか全く覚えていなかった。 ぼうっとしているハクのそばで、イチコちゃんは込み上げてくる喜びを顔に滲ませていた。 しずか「これで二人とも同点だね」 しずかは、喜びを顕にしているイチコちゃん、そして敗北の悔しさと正体不明の虚しさに包まれているハクに対して淡々と言った。 しずか「最後の戦いももう決めてあるから」 「どっちが強いか。それがはっきりわかる勝負になってるよ」 それが一体どんな勝負なのかハクには想像もつかなかった。 ただ、"走る系"とだけ説明されていたこの勝負も実際にはユニークな勝負内容だったので、きっと最後の戦いもそういったものなのだろうとハクは思った。 ハクはようやく起き上がり、ほとんど無意識にちらりとしずかの顔を見た。しずかは別の方を見ていたがハクの視線に気がつくとハクの方を向いた。 ハクが慌てて目を逸らすと、しずかは不思議そうな顔をした。 しずかは何を思ったのか、いつもとは様子の違うハクに「どんまい」とだけ言って、イチコちゃんと一緒に公園の方に歩いていった。 ハクはその後ろ姿をぼーっと見つめていた。 「そんなにしずかばっかり見てどうしたの?」 突然、ヒカリがハクの顔を覗き込んできた。 ハク「うわっ」 いきなりヒカリの猫みたいなおっきな目が視界に飛び込んできたので、ハクはびっくりしてひっくり返りそうになった。 ヒカリ「そんなにびっくりしなくても」 「しずかがどうかしたの?」 ヒカリは遠くなっていくしずかの後ろ姿を見た。 ハク「えっ。いや別に」 「俺、そんなに見てたか?」 ヒカリ「うん。すっごい見てたよ」 ヒカリはキョトンとした顔で言って、それからなぜかニタッと珍しく意地悪そうに微笑んだ。 ハク「なんだろうな…わかんねぇや」 腕組みをしたハクを、ヒカリはまた意地悪な目で見つめている。 ヒカリ「ふーん」 「………」 「…まさか、負けたからってしずかにコチョコチョされなくて良かったーって思ってる?」 ヒカリは、少しだけ考えるような顔をし、間を開けてからそう言った。 ハクはそんなことは考えてもいなかった。 ヒカリ「しずかのコチョコチョもすごいけど…」 「知ってる?未悠のこちょこちょってさぁ、ヤバいんだよ?昔、しずかがえっとその…なんだっけ…"はんごろし"?にされたことあるくらいね!」 ハク「えっ!?」 まさかの情報にハクは、別にくすぐられるわけでもないのに凍りついた。

Comments

シンみたいに自分以外の勝負にも熱くなり、負けず嫌いだけど負けは認めるし、よそ者だって受け入れる…そんな器のでっかいガキ大将のような人物は、少なくともこの時点までのハクの友人の中にはいないタイプだったと思います。 なんせ地元ではハクがリーダーですからね。似たようなリーダータイプとはそりが合わないんですきっと。 そんなハクでさえシンを認めているので、シンという人物はカリスマ性のようなものを持っているのかもしれませんね。 ハクが彼から学ぶことは多そうです。 そうですね…!六日目にしてようやくハクはこの波都の町の人間になれた感じはありますね! みんながハクを受け入れたというより、ハク自身の心がようやく波都に溶け込めたと言って良いかもしれません! 溶け込めたら溶け込めたで、いざ離れる時が来ると寂しかったりするのですが…

Kara

一人で焦るハクに届いたシンの「落ち着け!」という掛け声と声援に“仲間”の頼もしさ大切さを感じました! 6日目、ハクはもう余所者ではなくなった感じがしますね!

(´・ω・`)


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