あの夏の悶絶は思い出の中に(9日目#1)
Added 2023-11-01 13:09:26 +0000 UTC1. 儚い海 待ちに待った朝がやってきた。 開けっぱなしで網戸にしてある窓の向こうから蝉の声が徐々に大きくなってきたのと同時にハクは目を覚ました。 寝ている間に蹴っ飛ばしたのであろうタオルケットは床に落ちていた。 今日からまた皆で揃って遊べる──というより調査が出来るのだと思うと、やけに興奮して昨夜はなかなか寝付けなかった。 最後に皆で集まって遊んだのが遠い昔というわけでもないのに、ハクは皆で一緒に行動できる喜びをおそらく他の誰よりも大切にしようとしていて。 この夏のこの町で皆と過ごせる時間は限られているのだ、と昨日思い知らされたのだから。 ギシギシと板を踏み締めて階段を下り、一階に降りると洗面所の方からおじさんが歯を磨く音が聞こえた。 リビングでは奈水が台所から朝食をテーブルに配膳している最中で、レイナ姉ちゃんはテレビの前にぼけーっと突っ立っていた。 「うわっ。ユウ。あんた星座占い最下位だよ!? 気をつけな!?」 リモコン片手にレイナ姉ちゃんが大袈裟に慌てた。 「ふ、ふぅん」 海を臨む窓からそよ風を浴びていたユウはそっけなく返事をした。 「こんなのアテにならないでしょ」 お盆を持った奈水がそう言ってレイナ姉ちゃんの後ろを通り過ぎた。 レイナ「いやいやこう言うのも案外バカにできないって」 「こう言うのって、信じちゃえば信じちゃうほど効果出るって神社の宮司さんが言ってたし」 奈水「だったらあんまりユウを信じ込ませるようなこと言わないの」 奈水に注意されたレイナ姉ちゃんはそれを聞いていたのかいないのか分からないような顔でじっとテレビを見つめて頬を膨らませていた。続けてテレビに映った映像を見てびっくりしていたので、たぶん、レイナ姉ちゃんの意識は完全にテレビに向いており、奈水の話は聞いていなかったものと思われた。 ユウ「別にそういうの気にしないから大丈夫だよ」 ユウはそう言って自分の席について腕を組み、ため息をついた。ハクにはユウが不機嫌なように見えた。 ◯ 朝一番からハクたち全員は秘密基地に集った。ユウもいた。 朝だからと言うこともあるかも知れないがやはりこの林の中は涼しい。周囲の木々から聞こえる蝉の鳴き声が暑さを掻き立ててくれるのがちょうど良かった。 ハクには、皆でこうして秘密基地に集まるのも懐かしく思えた。皆、それぞれ決まった席に座っていた。未悠だけがハンモックに寝そべっていた。 「さて。いよいよこの日が来たな。あの"神秘の花園"を見つける時が!」 シンが勢いよく立ち上がった。 「"あの"って、あんた昨日知ったばっかりのくせに」 ヒカリの髪を撫でていたしずかが鋭いツッコミを入れた。 シン「いいんだってそういうのは!」 「俺。計画立てて来たんだ!」 「この島のどこかに神秘の花園があるんなら、まずあんまり手付けてない隣町を──」 ダイチ「待て待て。その青い髪のお姉さんは、"この町"にあるって言ってたんだろ?なあハク」 話を遮られたシンは見るからに不快そうな顔をしていたが、ダイチはそれを無視してハクを見た。 ハク「うん。確かにそう言ってたな」 ダイチ「だったらこの"波都の中"ってことになる」 「隣町なんて調べる必要ないぜ」 ダイチの冷静かつ正しい提案にいきなり出鼻をくじかれたシンはさらに不快そうな顔をしていた。 未悠「でもどこから探す?こっち町の方が自然は多いし、結局探すのは大変そうだよ?」 未悠がむくりと起き上がってハンモックの上であぐらをかいた。 未悠「ねぇハク。そのお姉さんは他に何か言ってた?」 ハク「いや。なにも…」 思い返そうとしても何も思いつかない。 ユウ「イチバン山のてっぺんまでいく道の途中にあるお花畑みたいなところじゃないの?」 シン「それなら皆知ってるし神秘って言うほどじゃないんじゃないか?」 確かに皆が知っているような花園を神秘とは言わないだろう。知ってる人が少ないから神秘なのだ。ハクたちはその花園の"神秘"という部分に惹かれているのだ。 ハク「なあ。確か奥の森の──奥の滝に行く途中に分かれ道あっただろ?ほら、奥の滝に行かない方だよ」 奥の森の奥の滝──奥の淵でもあるが──に行くまでに分かれ道がある。左に進めば奥の滝で右に進めば新しい墓地とやらがあるらしい。 ハクにとってはその右側の道は未知の世界であった。 シン「墓地と星見の丘がある方か?」 ハク「そうそう。その途中にまた分かれ道があって、沼があるとか言ってたからもしかしたらその辺じゃないか?」 未悠「沼の向こうってこと?」 ハク「そう…じゃないかと思ったんだけど」 ダイチ「まぁ確かに沼の奥は行ったことないんだよな。道もなさそうだし」 「ってか、危ないから近づくなって言われてるしな」 シン「あの沼の奥は確かに道はないな」 「かなり深い森になってるし──あの奥に綺麗な花園があるとは思えないな」 シンはまるで危険で立ち入り禁止されていると言う沼の奥に行ったことがあるような口ぶりで言った。 しずか「え。あんた沼の奥行ったことあんの?」 しずかがすかさず食いついた。 シン「うん?まぁ、ちょっと前にな」 ハク「待てよ…。ずっとここに住んでる皆が知らないってことはやっぱり皆が調べ切れてない場所にあるんじゃないか?」 ハクは冷静になって考え直した。沼の奥はシンが調べている。怖いもの知らずで好奇心旺盛なシンが沼の奥まで行ってすぐに引き返したとは思えない。おそらく行けるところまで行ったのだろう。それでも花園らしきものに覚えがないならば沼の奥は"無し"だ。 イチバン山もこの島でイチバン高い山なのなら皆は登っているはずだ。それでも見つかっていないからやはりここも無しだろう。 皆は基本的に島の西側──奥の森とは逆側を拠点として遊んでいる。つまり西側は知り尽くしているはずだ。 それなら、それ以外の場所にある可能性が高い。 シン「だとしたらやっぱり奥の森じゃないかな」 「あそこはよく行ってるけど、全部調べ切れてるわけじゃない」 シンがハクの意図を汲んだように言った。 未悠「じゃあそこに決まりだね」 全員が立ち上がった。 ハクはこの調査に沙月を誘おうかと思ったが、なぜか皆に言い出せなかった。言えば皆は賛成してくれるのは分かっていたのに、なぜか言葉がうまく頭から絞り出せなかった。 どうせ奥の森のあたりに行くならば、沙月にも会うだろうしその時に合流すれば良いか、とも考えた。 皆が順に秘密基地を降りて苔のむした木の根やら石やらで歩きにくい林の中を進んだ。 ハクが地面から盛り上がった木の根の上だけを歩いて良い遊びをしながら歩いていると、隣にイチコちゃんがトコトコとやってきた。 「なにしてるんですか?」 ハク「ほぇ?あ、別に?」 完全に自分一人の世界に入っていたハクはびっくりして変な声をあげてしまった。 イチコ「まさか…木の根っこの上だけを歩いていい遊びでもしてるんですか?」 イチコちゃんはニコニコ笑った。 ハク「い、いやたまたまだよ」 ハクは慌てて言い訳をして根っこから飛び降りた。 イチコ「最初に言ってくれれば勝負できたのに」 イチコちゃんは悔しそうな顔をした。 ハク「なんだよそれ。勝負は勝負の時だけでいいんだって」 イチコ「うん。そうですね」 イチコちゃんはフフフと笑うとそのまま苔まみれの地面を見つめた。 イチコ「そういえば、ハクくんとちゃんと話すのなんだか久しぶりですね」 イチコちゃんは地面を見つめたままぼつりと言った。 ハク「あれ?そうだっけ」 ハクにはそんな実感が無かったが、実際、そうだった。 イチコちゃんとまともに話すのは久しぶりだった。 イチコ「ま、まぁライバル同士なのであんまり仲良くお喋りするのも良くないのでそれはそれで、うん、いいと思いますけどねっ」 イチコちゃんは突然、慌てたようにそう言ってなぜか胸を張った。 丸太の橋を渡って奥の森に着くなり、ユウは一人でベンケイ山の方に歩き出した。 しずか「あんたどこいくの?」 しずかが呼び止めるとユウは立ち止まったが振り向かずに「僕は修行あるから」と言って歩き出した。 ヒカリ「また修行?」 ヒカリが眉毛をこれでもかと言うほど寄せてたいそうつまらなそうに言った。 シン「そんなに毎日修行することないだろ。たまには遊ぼうぜ」 「修行してる仙人だって一日くらい休むと思うぜ?」 シンが言ってユウの肩を掴む。 ユウはそっとシンの手を除けた。 ユウ「僕には休んでる暇なんてないんだよ」 ユウは再び歩き出す。 イチコ「ユウはなんのためにそんな修行をしてるの?」 イチコちゃんの独り言みたいな一言がユウの歩みを再び止めた。 ユウ「なんのためって…強くなるためだよ」 「ここにいる誰よりもね」 ユウはそう言って振り返り、ちらっとイチコちゃんを見てからベンケイ山の方へ駆けていった。 未悠がユウの後ろ姿を心配そうに見つめていた。 なんだかあまり心地の良くない空気が流れた。 ユウは修行をするといって離脱しただけなのに、ハクはなぜかユウが拗ねてしまったような機嫌を損ねていたようなそんな気がしていたのだ。 しかしそんな空気も調査を始めればすぐに吹き飛んでしまった。 シンの提案でまずは奥の滝に行くまでの道やその傍にある林を探すことになった。 少し前、ハクはこのあたりで道に迷ってしまったのだが、その際に迷い込んだ道と同じかどうかもハクには分からなかった。この森はあまりに深いのだ。 今回は誰も道に迷わないように、いつも通っている奥の滝までの道にヒカリとしずかを配置し、林に調査に入っているハクたちと定期的に声を掛け合うことになった。 ハク同様に林に入っている未悠はさらに念を入れてコンパスまで持参していた。シンがそれを羨ましそうに見ていた。 皆が一ヶ所に固まって行動することは出来ていないが、それでもハクは満足だった。皆で同じ時間を同じことをして過ごすことに意味があるのだ。 奥の森のさらに奥の林はかなり鬱蒼としていた。前にハクが迷い込んだところよりも深い気がした。 足場という足場がなく、足を踏み下ろす場所に毎度困る。歪な形に盛り上がった木の根や、突然顔を出すヌルヌルした石や倒木などが調査の邪魔をする。まるで川底を歩いているように足が前に進まなかった。 おまけにここの蝉の鳴き声は尋常ではないくらいにやかましかった。あまりに大きいので、会話もろくに成り立たななかった。そのやかましさは、島に響き渡る蝉の声が全てここから発されてるのではないかと思うくらいだった。 「ひぃ。疲れるぜ。ユウのやつも来れば良かったんだ。何してるか知らないけど、こっちの方が絶対に修行になると思うけどな!」 シンがぶつくさとユウへの文句を垂れながら自分の身長の倍はあろう崖の上に手をかけてひょいと登った。 続いて背の高いダイチがさらに軽々と登り、未悠がそれに続いた。 ハク「先に登ってくれ」 ハクはイチコちゃんを先に行かせた。イチコちゃんはバカ丁寧に「ありがとうございます」と言って崖に手をかけたが、なかなか上手く上がれないようだった。 「ハク。ケツ叩いてあげてやれ」 上からシンがニタニタ笑いながら言った。 ハク「馬鹿言うなよ」 ハクはなるべくイチコちゃんを見ないように目を逸らした。 イチコちゃんは必死に、誰の力も借りずに登ろうともがいていた。極限にまで筋肉が収縮した細い腕は汗ばんで表面が艶々と光っている。 結局、イチコちゃんは未悠の手を借りて登った。悔しそうにしていたが、直後に登ったハクが足を引っ掛けるところを失敗し、一回下に落ちたのを見て機嫌を良くしていた。 ハクはムキになって今度は一発でスイスイ登ってやった。が、運の悪いことに壱子ちゃんはそれを見ていなかった。 どこまで来ただろうか。 もうとっくに、しずかとヒカリの声は聞こえない。 崖を登ったところでちょうど蝉の合唱の渦からも抜けたのか、突然あたりは静かになった。 聞こえるのは、海の音。 シン「おい見ろよこれ!」 シンが崖を登ってすぐの草木をかき分けて前に進むと、興奮気味に声を上げた。 ハクたちも釣られるように草木をかけわけシンのいる方へいくと、そこには真っ青な海が広がっていた。 ハクたちはいつのまにか、奥の森の深い森を抜け、島の最東端に出てしまっていたのだ。 未悠「いいね。これ」 未悠は静かに言って崖っぷちに座り込んだ。 涼しい潮風が汗ばんで火照ったハクたちの身体を冷やしてくれた。 未悠のサラサラした前髪が潮風になびいた。未悠は目を細め、海の向こうを見つめている。 海は静かだ。 海以外に何もない。 島も、岩の一つも見当たらない。 海なんてここに来てからすっかり見慣れているはずなのに、眺める場所が違うだけで全く違うものに見えた。 「あ、いた!」 後ろでガサガサと音がして、しずかとヒカリが現れた。 未悠以外の全員が海を見るのをやめて現れた二人の方を見た。 現れたしずかとヒカリを見たハクは、まるで旅行先でクラスメイトに会ったような気分になった。 シン「あ、お前らなんで来たんだ?」 シンがぽかんと口を開けてしずかとヒカリを見ていた。 しずか「なんでって、呼んでもあんたたちが返事しないから心配になって来たんじゃん。感謝しろよ」 ここに来るまでさぞ大変であっただろうにしずかは相変わらずの調子で言ってシンの胸を小突いた。 ハク「よくここが分かったな…」 ハクの関心はそっちにあった。なんせ、森に入ってから別に真っ直ぐここに来たわけでもないのだ。グネグネと道を曲がったり登ったり降ったりを繰り返し、はては小さな崖をよじ登ってようやくここに辿り着いたのだから。 ヒカリ「凄いでしょ?私の勘!」 ハク「勘なのかよ」 ヒカリ「私の勘ってよく当たるんだよ〜?」 ヒカリは目を細めてニタニタ笑った。それはヒカリが何か悪巧みをしている時や含みのある意味で何かを言っている時の顔だった。 ハクたちはしばらく、その崖に並んで海を眺めていた。 ハクは海を見るとつい泳ぎたくなるのだが、こうして眺めているのも凄く良いものだとハクは生まれて初めて感じた。 いや。 そもそも、ここから見えるこの海は、泳ぐためにあるのではないのだろう、とさえ思った。 シン「ここ。また来たいな」 ダイチ「でも道覚えてないぜ?」 未悠「大丈夫。地図に書いておくから」 未悠はそう言ってポケットから折りたたんである手製の地図を取り出した。ハクに渡したものとは別のものだ。 海を眺めて風を浴びていると、不思議と口数が減る。皆、そうだった。 まるで、眠っているときみたく心地が良い。 なんだか、夢を見ているようだった。 この夏に知り合った、これまでは顔も名前もその存在さえも知らなかった友人たちと同じ海を一緒に見つめているのは。 沙月の言っていたように、この夏の、この時間に、この海を、この友人たちと眺めることはもうないのだろうとそう思えば思うほどに、この瞬間が夢のように儚く思えた。