あの夏の悶絶は思い出の中に(10日目#1)
Added 2023-11-16 14:32:40 +0000 UTC1. 百発百中 ハクは割り箸を綺麗にハサミでちょん切り、その断面をシンが持ってきた紙やすりで磨く。研磨された断面から削り粉がはらはらと熱い地面に落ちていく。 今年の夏休みの宿題──自由研究はこの波都の町の自然について絵付きでまとめたレポートにするつもりだったので、今年は工作は無しだと思い込んでいたのに、まさかこんなに本格的な工作をすることになるとは思ってなかった。 去年はモンスターがうようよいる迷路盤を作って、その前は確か紙粘土でカバの貯金箱を作ったのだ。どれもクラスメイトからの反響はかなり良かった。 特に迷路盤は順番待ちができるくらい大盛況だった。ただし、カバの貯金箱は"ある幼馴染"と取っ組み合いの喧嘩をした際に破壊された。ソイツはハクの貯金箱を破壊するだけ破壊してそのまま転校してしまった。ハクも相手の作品をぶっ壊したのでトントンだと思っている。 ハクも幼馴染の女も、二人とも監察役の神社の女にコッテリ絞られたのは言うまでも無い。 懐かしい思い出にふけりながらハクは割り箸に器用に輪ゴムを巻きつけていく。あぐらをかいて座っているその股の前にはたくさんの割り箸と輪ゴムが溜められている。 隣では、ダイチが割り箸に関するうんちくを語りながら割り箸を切っていた。そのうんちくを聞いているのはそばに座っているイチコちゃんとヒカリくらいのものだった。と言ってもヒカリは自分の"鉄砲"を作るのに忙しいのか、ただ頷いているだけなので聞いているのかどうかも怪しい。 ハクたちは朝っぱらから登美の川の岩場に集まり、"割り箸ゴム鉄砲"を各自一人ずつ作っている最中だった。 「あー私こういうの無理。ハク。私の作って」 ハクの右横に座っていたしずかがため息をついて制作途中の鉄砲をぽいと投げた。しずかの割り箸鉄砲は酷いもので、断面は歪んでいるし輪ゴムの巻き方もめちゃくちゃだった。 ハク「なんだよこれ。ぐちゃぐちゃだな」 ハクはしずかの投げた鉄砲を拾い上げて見回した。どうやらしずかは、人をくすぐるのは得意なくせに、工作は苦手らしい。 しずか「余計なこと言わないでいいから作ってよ」 しずかは残りの素材やハサミなんかを全部ハクに渡した。 ハク「お礼は?ジュースくれるとか?あ、お菓子でもいいけど」 ハクが調子に乗るとしずかは目を細めてハクを睨んだ。 しずか「は?あげるわけないじゃん」 「でもその代わり、作ってくれたら今日はこちょこちょしないって約束する」 ハク「なんだそれ…しかもいまいち信用なんねえし」 しずか「なんか言った?」 「文句言ったらこちょこちょするよ?」 しずかがハクの脇腹をつついた。ハクは飛び上がった。その際、呻き声も上げたのだが、周りの蝉の声と川の音が手伝ってくれたおかげで周りの皆には聞こえていなかった。 ハクは仕方なくしずかからの仕事を引き受けることにした。 第一回射撃大会。シンが今朝企画したその大会のためにハクたちはこうして必死に割り箸のゴム鉄砲を作っていた。 神秘の花園の調査がある中で、なぜいきなり射撃大会なのかと言えばそれはもちろん射撃がユウの得意分野だったからである。 昨日の一件でユウの心のうちを、ハクやシン、ダイチにたぶんイチコちゃんもようやく知ることができた。もちろん、最初から気づいていたらしい未悠やしずかにヒカリたちは除いて昨日ようやく知ったハクたちはまだ"完全"にユウの心のうちを理解出来てはいなかったが、なんとなくは分かっていた。 ユウは、つまりは自分に自信がなかったのだとそう言うことだ。だから無茶して修行などしていたのだ。 思えばユウは水泳大会でも負けてしまっていたし、超鬼ごっこでも敗北している。悔しさを感じて自信を無くすのも当然だとハクは思った。そしてそこから強くなろうと思うのも理解出来た。 だが、まだ分からないのは未悠の言っていたユウが"誰かに負けている"ということだ。ユウは誰かに負けていてその結果修行をし始めた、と。それはおそらく水泳大会とか超鬼ごっことかそういったゲームでの敗北では無い、とハクはなんとなく思う。 だからハクはまだ、ユウが本当に修行をしていた理由には辿り着けていない。それはきっとシンやダイチもそうだ。だからしずかに、お前たちはガキンチョだ、と馬鹿にされるのだ。 とにかく。自信を無くしているユウに再び自信をつけさせるためにシンはこの大会を企画した──とハクは考えている。もちろん、シンは直接ユウにそうは言っていなかったが、そういうことだろうとユウを除いて皆分かっていた。 だがこれはかなりの賭けだ。 ユウが勝てなければ再び自信を失うことになる。しかも得意分野で敗北すればその落ち込みはかなり大きいだろう。ハクで言えば絵で負けたり、走りで負けるのと同じことなのだ。想像するだけでゾッとする。 だが、この勝負は真剣勝負だ。ユウを勝たせるためのものでは無い。だから皆真剣に準備している。 ハクの向かいで背を向けてあぐらをかきながら座っている未悠は黙々と工作をしている。何度も微調整を繰り返しているあたり、この勝負に相当本気なようだった。 作り慣れているのかさっさと完成させてしまったシンは、秘密基地から持ってきたカラーペンでゴム鉄砲に迷彩柄っぽい着色を施していた。キュッキュッとマジックペンの先が割り箸の表面を擦る音が力強かった。 ユウはかなり工作が巧かった。 作るのも早く、おまけに丁寧だ。シンのものよりもずっと綺麗に作られている。 未悠が家から持ってきたコーラとかオレンジジュースの空き缶を三つ岩の上に乗せて準備は完了した。 ルールは単純。誰が一番少ない弾数で空き缶三つを倒せるか、だ。 シン「よぉし!俺が優勝してやんぜ!」 企画しておいてシンはユウに花を持たせるつもりなどないらしい。 それはダイチも同じようでさらに言えばハクもそうだった。そもそも手加減して勝たせてやるなんて相手に失礼だ、とハクは思っている。 射撃というのは思ったよりずっと難しかった。 強い日差しが空き缶に反射して眩しいし、いまいち正確な位置が掴めなかった。 一番張り切っていたシンは最下位だった。その次にヒカリで、その次がハクだった。ハクはしずかにも負けて馬鹿にされた。 シンはぶーぶー文句を言っていた。やれゴムの調子がどうとか、割り箸選びに失敗したとか。ハクも悔しかったのでその意見に同調していた。 しずかがそれを冷めた目で眺めていたのでハクもシンも黙った。 結局、負けず嫌いな人間というのは同じように最後に言い訳したがるのだ。 そう思うとユウもシンも自分も根は変わらない。と、ハクは感じた。 未悠は上手かった。が、意外な才能を見せたのはイチコちゃんだった。イチコちゃんはなんと四発で三つの缶全てを倒してしまったのだ。つまりミスは一度だけということだ。 残るはユウだけ。イチコちゃんはほとんど勝ったつもりでいたのだろう、ふふんと得意げに笑みを浮かべていた。ハクには、イチコちゃんがその笑みを無意識に浮かべているように見えた。 ヒカリ「ユウ!勝負所だね!」 イチコ「私に勝つには全部一発で倒さなきゃなんだよ?」 「同点は勝ちじゃ無いもんね」 ヒカリが励ましたのを掻き消すようにイチコちゃんはプレッシャーをかける。よほど勝ちたいらしい。 ユウ「だ、大丈夫だよ。全部一発で…」 ユウの手は震えていた。 当然だ。この勝負で負けるわけにはいかないのだから。 ユウは割り箸でできたトリガーに指を掛け、引いた。 一発。 二発。 三発。 それ以上をユウが撃つことはなかった。 ユウは宣言通りたった三発で三つの缶を撃ち倒してみせたのだ。 あまりに正確で無駄のない射撃にさすがのシンやダイチも興奮していた。ハクもびっくりした。 しずか「やるじゃん」 しずかが珍しくユウを褒めてニヤリと笑っていた。 その隣で未悠も嬉しそうに微笑んでいる。 イチコ「えー…うそぉ…」 イチコちゃんだけは心底落ち込んだようにしかめっ面をしていた。 ユウ「だ、だから言ったでしょ?」 「大丈夫だって!」 ユウはさっきまでとはまるで別人のように明るい声で言って胸を張った。 イチコ「く、悔しい…」 イチコちゃんはギリギリと食いしばっている歯と歯の隙間から熱の籠った声を漏らした。 その言葉を聞いたユウはなぜかすごく嬉しそうな顔をした。 ユウ「悔しい…って、本当に?」 イチコ「うん。そう言ったじゃん」 イチコちゃんはちょっと不機嫌そうに返事した。 イチコ「あー悔しい!勝てたと思ったもん!」 この中でも屈指の負けず嫌いの女の子は、込み上げる悔しさを押し殺すように背中を反らせたかと思うと、空に向かって声を上げて悔しさをぶちまけた。 ハク「勝ちを確信すんのはダメだと思うけどな」 「こうやって負けた時に悔しくなるし」 ハクは今後のためにと思ってアドバイスをしたのだが、イチコちゃんは不機嫌そうな目でハクを睨んだ。 イチコ「弱かったハクくんに言われたく無いです」 「黙っててください」 イチコちゃんはピシャリとそう言った。 思わぬ攻撃を受けてしまったハクがびっくりしたまま固まっていると、ダイチが肩を叩いて「今は何も言わない方がいい」と言って笑った。 イチコ「ユウ。私と一対一で勝負して!」 イチコちゃんはびしっとユウを指差した。ユウはギョッとしていたがすぐに「いいよ」と返事した。とても嬉しそうだった。 その後、二人は灼熱の川場で何度も勝負を繰り返したが、結局イチコちゃんが勝つことはなかった。 たっぷりと勝負したのでさすがのイチコちゃんも諦めがついたのか、最後にはユウの凄さを認めた。勝負が終わって実力を認められたのに、ユウはその時なんだか寂しそうだった。 シン「よし。まぁ今回はユウの勝ちってことで」 「次やる時は負けねえからな」 シンはユウを見て細い片眉を上げた。 シン「じゃあ午後からは花園探しにいくか」 「昼飯食い終わったら秘密基地な」 シンはそう言うと改造自転車に跨って颯爽と帰って行った。それを皮切りにハクたちも一旦それぞれの家に帰った。 帰り道ではユウがいつにない興奮気味な様子で射撃のコツやらなんやらを教えてくれた。ユウが嬉しそうにしていると、ハクもなんだか嬉しかった。 昼食は奈水が作ってくれたデッカいおにぎりを三つも食べた。 レイナ姉ちゃんは部活に行っているので家にはいなかった。ハクがここに来てからほとんどレイナ姉ちゃんの部活が休みだったので、昼間にレイナ姉ちゃんがいないのはなんだか変な感じがした。 ここにレイナ姉ちゃんがいたら弟の活躍を聞いてどう反応しただろうか。とハクはおにぎりを食べながら想像した。 素直に褒めてくれるから、それともいつもみたいにからかうのか。きっと後者だろう。ハクにはあのレイナ姉ちゃんが素直に褒めるところなんて想像できなかった。 だが、昨日のあのレイナ姉ちゃんの活躍──弟の救出劇──は今でもハクの目に焼きついている。あれだけ暗かったのに、レイナ姉ちゃんの勇姿はしっかりと脳内に映像として残っている。 弟のために必死で山に向かい、弟のために迷いなく飛び込み、助けたあの姉としての姿はある意味ではレイナ姉ちゃんらしくないが、あの姿こそが本来の姿なのではないかとハクは考えていた。 だったらレイナ姉ちゃんはいつもバカなフリをしているのだろうか。 考えてみた。 でも多分それは違うな、と思った。 レイナ姉ちゃんは多分そこまで色々考えていない。ただその状況に応じて自然に自由に生きているのだ。だから普段はゆるゆるへらへらしているし、緊迫した状況下では同じように真剣な態度になるのだ。 なんて自由なんだろう。ハクはレイナ姉ちゃんが少し羨ましくなった。 ◯ ハクとユウが一緒に家を出て秘密基地のある林の方へ向かっていると、ちょうど視線の向こうにシンの後ろ姿が見えた。シンはイチコちゃんとヒカリと並んで歩いていた。 秘密基地にはダイチ以外の全員が揃っていた。未悠は恐らく誰よりも早く昼ごはんを食べ終えて誰よりも早くここに着いていたのだろうハンモックで昼寝をしていた。 トイレを太一に取られたせいで遅れた。こんなはずじゃなかったんだよ。と文句と言い訳を一緒にしながらダイチがハシゴを登って来た。 机の上に未悠の描いた地図を広げ、どこに神秘の花園がありそうかを皆で考える。奥の森は昨日探した──といっても隅々まで調査できたわけではないが──ので今日はそれ以外のところを探そうということになった。 ベンケイ山に行くというアイディアも出たが、しずかが断固として拒否し、もし行くならハクを見せしめにくすぐり殺すという脅しまでつけてきたので却下となった。 結局、ハクたちはイチバン山の近くの林を調査したり、奥の森へ続く丸太の橋のあたりの森を探してみたが何も見つからなかった。 ハクはふと、奥の滝が気になった。沙月のことを思い出したのだ。今日なら沙月はいるだろうか。いるなら誘ってやろうか。そう思っていたのだが、シンが「神社行って宮司さんから話聞こうぜ」と言って皆がそれに従って歩き出したので、ハクもそれについていった。 矢剱神社の宮司はハクたちガキンチョが鳥居を潜って境内に入ってくるなり、「そろそろ来る頃だろうと思っていたぞ」と言ってニヤリと笑った。手にはやはり竹箒が握られていた。 「例の花園の件だろう?婆の日記に興味深いことが書いてあってな。"眠森(ねむりもり)"の奥地にて砂浜を見つけ遊んだ、と。日付は今から半世紀以上も前だが…その頃から花園があったとすれば、その砂浜とやらとお前たちの探している花園には関連性があるかも知れぬ。私の知る限りあの森に砂浜などない。無論花園もな。つまり二つとも存在が怪しいと言う点では、共通しておるからな」 神秘の花園に加えて砂浜まで出てきたのでハクの頭はこんがらがった。 ハク「ねむりもり?」 シン「なんだそれ?」 「お主らが普段"奥の森"と呼んでおる森の正式な名前だ。なぜそう呼ぶかは──ううん、ここには怖がりがおるから説明せんでおこう」 宮司はしずかやイチコちゃんの方を見て言った。 ハク「奥の森に砂浜?」 「昨日行ったとこか?」 ダイチ「ありゃ砂浜じゃないだろ」 「どっちかと言うと崖だぜ」 「それに、"森の奥地"って書いてるんなら尚更ちがう」 確かに昨日ハクたちが見つけた海辺は森の奥地ではない。どちらかと言うと"森の外"だ。 ヒカリ「森の奥に砂浜って…変なのぉ」 ヒカリが首を傾げてふわふわと言った。興味があるんだかないんだか分からない口調だ。 ハク「うん──」 奥地に砂浜。確かに変だ。砂浜があるのは普通は森の外だろうとハクは思う。 シン「それで。その砂浜の場所は分かんないのか?」 「いいや」 宮司は即答した。 シンがガックリと肩を落とすと宮司は見兼ねたのか少し考え込むようにしてから言った。 「だが───そうだな。例えばこの波都の町の地図──出来るだけ古い目のが良いと思うがそれがあれば手掛かりになるかもな」 ハク「そんなのどこにあるんだ?」 「そんなもの隣町の図書館に行けばあるだろう」 シン「あそこ島の真反対だぜ?あそこまでチャリで行って地図見つけて帰るだけでかなり時間食っちまうよ」 「図書館ならこの町にもあるよ」 それまでふらふらとしていたヒカリが突然ピタリと止まって思い出したかのように言った。 全員の視線がヒカリに注がれた。 宮司も見ていた。 ヒカリ「まぁ、図書館っていうか図書室だけど」 大勢に注目されたヒカリは少し恥ずかしそうにしていた。 ダイチ「図書室がこの町に?どこだ?」 ヒカリ「診療所だよ」 ヒカリはけろりと答えた。 未悠「もしかして──"資料室"のこと?」 ヒカリ「そう!」 ヒカリはまつ毛の長い大きな目をキラキラさせて未悠を見る。味方が増えて嬉しかったのだろう。 資料室。ハクもその存在に覚えがあった。あれは確か、超鬼ごっこで診療所を通り抜けた際に見かけたのだ。 ダイチ「診療所の資料室って、医学の本とかしかないんじゃないのか?」 ヒカリ「そんなことないよ。あそこ、病気の本とか以外にも難しい本はたくさんあるんだ」 シン「なんだ、ヒカリお前あそこ入ったことあんの?」 ヒカリ「あるよ。だってあそこうちのおじいちゃんの病院だよ?」 ヒカリは誇らしげに鼻息を立てた。 皆はああそうか。と納得していたがハクは初耳だったので一人で静かにびっくりしていた。 ◯ 玄関も裏口も常に開け放たれている"波都の町診療所"の中は建物が日陰に入っているせいもあってか涼しくて心地が良い。 ユウはツルツルしたひんやり冷たい床をぺたぺたと裸足で足踏みするように歩いている。気持ちが良いのだろう。 診療室のある廊下の突き当たりを曲がった先にはさらにドアが二、三枚ある。資料室はそのうちの向かって左側にあった。資料室の隣は病室である。向かって右側のドアにはプレートが掛けられていないため何の部屋なのかよく分からなかった。 ハク「ここの部屋は?」 ヒカリ「そこ?なんだろうね?鍵かかってて空かないんだよね。病室だと思うんだけど、倉庫かな?」 どうやらヒカリも知らないらしかった。 資料室には鍵はかかっていなかった。 濁った白色のドアを開けると、古臭い香りと共にむあっと重苦しい熱気が漏れてきた。 シン「おわっ!?なんだこりゃあ」 ハク「あっついな…」 ダイチ「こんなに熱がこもることがあんのか!?」 その空間だけ空気が澱んでいるように見えるほどに資料室にはたっぷりの熱がこもっている。広さは十畳少し。年季の入った灰色の書架が等間隔で並べられており、その圧迫感もまたこの空間のむさ苦しさを増幅させているように思えた。 書架には背表紙を見るだけで分かるくらい古そうな本がギッチリと並べられている。まだ本のタイトルを一つも確認していないし、中身さえ知らないが、ハクはここにある本が全てつまらなそうなものに思えた。 ハク「この中から探すのか…」 まだ部屋の中に入っていないのに、すでに汗が吹き出している。この中から、あるかも分からない地図を探すなんて気が滅入ってしまいそうだった。 未悠「ドアは開けておくけど、それにしてもこれだけ暑いと長居はよくないね」 「早く見つけて退散しよう」 未悠は廊下に置いてあったストーブをズルズル引きずってきて資料室のドアを開けたまま固定した。 シン「よし。さっさと終わらせるぞ」 シンは威勢よくズンズンと資料室に入っていく。 部屋の真ん中あたりに至ると、立ち止まって皆のいる方を向き舌を出して首を横に振った。 やはり中は相当暑いらしい。 資料室の書架の数は14。背中合わせに設置されている物もあるので思ったよりも多い。さらにそこにぎゅうぎゅうに本が詰められている。 部屋に入るなりユウがきょろきょろと辺りを見回していた。 ハク「なにしてんだ?」 ユウ「どの棚にどんな本が入ってるか書いてるものないかなぁって」 ハク「ああなるほど」 確かにそんなものがあれば便利だなと思った。 しかし結局そのような一覧表は見当たらなかった。 書架は天井まで届くほど高い──と言っても天井がそこまで高くないのだが──のでハクたちの背ではせいぜい2〜3段目の本を確認するのが精一杯だった。 ほどなくして、イチコちゃんとしずかがどこからか脚立を持ってきてくれたので手の届かない上の段まで確認できるようになった。 シン「おい見ろよこれ!昆虫図鑑だ!古いけど、面白そうだぞ!」 脚立に乗ったシンが書架のてっぺんにあった分厚い昆虫図鑑を抜き出し、脚立から飛び降りた。 ハク「どれ?」 ダイチ「おい俺にも見せてくれ」 ユウ「僕も僕も」 男どもはその古臭い図鑑に興味をそそられて一ヶ所に群がった。 しかし、背後からにゅうっと伸びてきた手が昆虫図鑑を取り上げてしまった。 不機嫌そうな顔をしたしずかが図鑑を持って立っていた。 しずか「あんたらさぁ、さっさと探せって言ってんの」 「長いことここにいたらほんと、ぶっ倒れるよ?」 ヒカリ「そうだよー」 「その図鑑読みたいなら借りて行っていいから後で読んだらいいじゃん」 ヒカリが書架の陰から顔をひょいと覗かせて言った。 シンは渋々図鑑を閉じて部屋を出てすぐのソファに置いた。 しずかの言うことはもっともだった。まだ資料室に入って十分かそこらなのに、まるで日向で目一杯運動したあとのようにハクは全身汗だくになっていた。 室内で風も通らず、汗を吸い込んだシャツが皮膚にへばりつく感触がハクには気持ち悪くて仕方がなかった。 ダイチ「窓開かねえのかここ」 資料室に入って三十分が経過した頃、ダイチが部屋の入り口の真向かいにある窓を開けようと試みた。 窓には日光にやられてほとんどボロ切れと化したカーテンがかかっている。 おそらく何年も開けられていない窓の鍵は錆び付いていて上手く開かない。 ダイチ「なんだよこれ。開かずの屋敷の戸より固いじゃないか」 シン「そういや、開かずの屋敷って結局どうなったんだろうな?」 図鑑コーナーを確認していたシンが思い出したように言った。 ハク「あれから誰も行ってないのか?」 ダイチ「行ってない…だろ多分」 しずか「もう行く意味なくない?」 しずかが投げやりに言った。 しずか「っていうかそんなことどうでもいいし」 「ダイチ。さっさと窓開けてよ」 ダイチ「無理だ」 ダイチはもう一度窓に手をかけて開けようとしたがやはり開かない。 未悠「キツかったら廊下で休憩したら良いと思うよ」 ちょうど、裏口を出たところの川で涼んでいた未悠が帰ってきた。イチコちゃんも一緒だった。 ダイチとしずかは揃って涼みに行った。 ふらりと出ていくしずかの姿を見てハクも行こうかと思ったが、やめておいた。 調査を始めて四十分。 ハクは壁際の書架に目を通していた。 「ハクくん、あれ」 いつのまにか隣にいたイチコちゃんが書架の上方を指差した。 汗ばんだ小麦色の腕が伸びる方向にあるのは、書架の一番上の段。指が差しているのは、一冊の本だ。 ハク「あれ、なんで書いてあるんだ?」 イチコ「"美涼諸島 富沖島の自然と歴史"じゃないですか?」 イチコちゃんはじっとその本を見つめたまま答えた。それから、私視力良いんですよ、と言って自慢げに笑った。 ハク「そんじゃああれ見てみるか」 ハクは脚立を探した。 脚立はちょうどシンが使っているところだった。 ハク「待つか…」 ハクがそう言って腕組みをするとイチコちゃんは怪訝な顔をした。それからちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめて言った。 イチコ「ハクくん。悪いんですけど私を肩車してください」 ハク「はっ?」 想定していなかった提案にハクは驚いた。 冗談かとも思ったが、イチコちゃんは大真面目な顔をしている。 イチコ「一刻も早くここから出ないとまずいですから」 「なので、早く、肩車を」 「それとも逆がいいですか?」 ハク「あ、いや。それは流石になぁ」 流石にハクがイチコちゃんに肩車してもらうのは想像できなかったし、イチコちゃんがハクを乗せて立ち上がれるとは思えなかった。 仕方なくハクはしゃがみ込んだ。 イチコ「いきますよ?」 イチコちゃんがハクの首を跨ぎ、腰を下ろす。 ずんとイチコちゃんのたいじゅうが首と肩にのしかかる。思ったよりも軽い。 ハクはイチコちゃんの細い足首を掴んだ。 イチコ「あ、わ。まだ動かないでくださいよ」 イチコちゃんは慌ててハクの頭を掴んだ。 ハク「よし、いくぞ」 ハクはうんと力を振り絞って立ち上がった。 イチコ「うわあ。揺れる」 立ち上がる際に大きく揺れ、バランスを崩したイチコちゃんはハクの頭をぽんぽんと叩いた。 ハク「仕方ないだろ…」 「ほら、早く取って」 イチコ「待ってください。もうちょっとだから…」 「あ、もう少し右…」 ハク「右だな。よし」 言われた通りに右に動く。 イチコ「あ、いや行き過ぎ。やっぱり左!」 ハク「左?」 イチコ「だから行き過ぎ!右!」 頭の上でイチコがわーわー喚く。 ハク「どっちだよ!」 肩車をしていると足が重くてつい大股で動いてしまう。 イチコ「だからつまり、右と左の間!」 ハク「わかんねぇなぁ」 イチコ「あ、そこ!そこ!うーんあと少し!」 ハク「よし…」 ハクは息を吸い込み、力を込めてつま先立ちになった。 イチコ「取れた!」 イチコの声がした途端、ハクは力が抜けてそのままスルスルとしゃがみ込んだ。 イチコ「い、いきなり座らないでよびっくりした!」 イチコはジタバタと脚をバタつかせて文句を言ってから降りた。 黄ばんだ白の分厚い本を持っていた。 『美涼諸島 富沖島の自然と歴史』 1950年代に書かれたという古い本だった。 1950年なんてハクはおろかハクの親さえ産まれていないはるか昔のことだ。そんな昔のことなんてハクには想像もつかなかった。 ハク「とみおきしまって書いてるな」 富沖島(とみおきしま)というのは波都の町があるこの島のことだ。 イチコが本を開けた途端、これまた古臭い匂いがふわっと舞った。 大昔の本の割には意外と綺麗だな。ハクはそんなことを思いながらイチコがページをめくるのを見ていた。 あるページでイチコの手が止まった。 【富沖島 島図 一九四〇年】 そこに描かれていたのは島の地図だ。 もう1ページめくると次は"一八八五年"と描かれた図が出てきた。 古い地図だ。古い、この島を記した地図だ。 ハクとイチコは目を凝らして眠森──奥の森のあたりに何か手掛かりはないかと探した。 何もない。今から百年以上も前だというのに地図に特に変わりはない。 矢剱神社さえ既に地図に記してあったくらいだ。 イチコはさらにページをめくる。 気づけば皆が集まってきていた。 本の後半のページに、えらく読み取りにくい図がデカデカと記してあった。 【富沖島 島図 推定 一六〇〇年代】 それは恐らく、この本に載っている中で最も古い地図だった。 「これは?」 誰が言ったのか定かではなかったが、誰かがそう言ったの同時にハクも地図上でそれを見つけた。 奥の滝と思われる淵のちょうど真上に何やらスペースが描かれていた。そこには黒く霞んだ文字で 何かが記されていた。 ハク「なんて読むんだこれ」 あまりに地図が古くあまりに文字も古いため読み取れない。 シン「沖って漢字があるのはわかる」 ハク「そうだな…」 ダイチ「"富沖島中海岸"じゃないか?」 しばらく文字と睨めっこしていたダイチが言った。どうやらなんとなくなら読み取れたらしい。 ハク「海岸?」 しずか「しかも中の海岸?それって…」 ヒカリ「砂浜ってこと?」 「え。でも中の砂浜?どういうこと?」 シン「そりゃもちろん宮司の婆ちゃんが日記に書いてた砂浜だろ!決まりだ!」 ユウ「でも、ここって、奥の淵の奥だよね?」 「今はここに滝が流れてるよ」 「もうないんじゃないの?」 イチコ「でも、宮司さんのお婆さんが昔行ったことがあるなら、まだあるかも」 ユウ「あの淵のどこにあるんだろう…」 ユウはじっと地図を睨みつけている。 皆。難しい顔をして悩んでいた。 だが、ハクはそうではなかった。この地図を見た通りに解釈していたのだ。 ハク「これ、そのまんまなんじゃないか?」 全員がハクに視線を向けた。 しずか「どういうこと?」 ハク「だ、だから、滝の奥に…あるとか」 これほど注目されるとは思っていなかったハクはやや自信無さげに言った。 ダイチ「滝の奥?あの淵の滝の奥か?」 ハク「そう思うけどな…」 「それだ」 黙っていたシンが口を開いてそう言い切った。 今度はシンに全員の視線が向く。しかしシンは動じない。ハクはそれを見てシンが羨ましくなった。 シン「それに違いない」 「思えば、あの滝の奥なんて調べたことなかっただろ?」 シンは全員の目を見て言った。堂々としている。 全員が頷いた。 シン「そうと決まったら早速調査に行こうぜ!」 「全員泳げる格好になって奥の滝に集合だ!」 シンはそう言うなりさっさと資料室を飛び出して行ってしまった。どたどたという足音はあっという間に遠くへ消えた。 ハクたちも資料室を出た。ヒカリと脚立を運んでいたしずかが、シンのやつ脚立片付けてからいけよな、と文句を言っていた。 久しぶりに診療所から出ると、外は猛暑日のはずなのに凄く涼しく感じた。 外はこんなにも明るかったのか。そんなことさえ思った。 そして少し、この外の世界が懐かしく思えた。