あの夏の悶絶は思い出の中に(最終日)
Added 2023-12-29 16:28:31 +0000 UTC◎また明日 最後の日の朝も特に変わったことはなかった。 目覚まし時計よりもほんの少し早く目覚めるというところも、涼やかな空気が流れ込んでくるところも何もかもいつも通りだった。 窓の向こうの山から、蝉の声が聞こえてくる。最後の力を振り絞っているような力強くも儚い声だ。 机の上に散らかしていた宿題とか文房具をリュックに入れた。 住み慣れた場所。生まれた土地に帰ると言うのに、なんだか気持ちが落ち着かなくて最後の朝食の味がいまいちはっきり分からなかった。 歯を磨いている時も、トイレに入っている時も、落ち着かない。 家に帰ることが嫌なのではない。 ここから離れることが、このまま波都の町から離れることが気持ち悪いのだ。 心につっかえたものがある。 それは、まだやり残した事があるからだ。 やらずに帰れば、一生引きずりそうな大切なこと。 それを行動に移すか移さないかは、ハク次第だ。 何もしないで帰ったっていい。 全ては自分次第。 だからこそ、ハクはとても落ち着かないのだ。 これならいっそ、強制的にやれと言われた方が良い気さえした。 リュックを背負って一階港側の玄関から外に出た。奈水が前を歩く。腰は綺麗にくびれていて、すらりと縦に長いシルエットは、ハクの重い足取りなど気にせずにスタスタと進んでいく。 防波堤までの距離がいつもより短く感じた。 「忘れ物、ない?」 奈水が振り向いて聞いてきた。 ハクはすぐに頷いた。 やり残したことなら、ある。 奈水「なら良かった」 「後から気づいたら電話か何かしてね」 「送るから」 奈水は片手を挙げて電話をするような素振りを見せた。 奈水「また来たくなったらいつでもおいで」 「気にすることないからね」 「もうハクくんはうちの子みたいなもんだし、波都にもすっかり馴染んじゃったんだから」 奈水は、ははっと乾いたような笑い声を発した。 奈水の言葉はまるで母親の言葉と同じくらいすうと耳に入ってきた。 奈水「あっ。家出したくなった時も来ていいからね」 「ちょっと遠いけど、迎えに行ってあげる」 奈水はまた、はははと笑った。 ハクは奈水の言葉に安心感を覚えつつも、それでもやっぱりやり残していることに対するモヤモヤは拭えなかった。 またここに来る理由はある。 だからまたここにはきっと来れるのだろう。 でも、でもやっぱり、今じゃないといけない気がした。 この夏にやり残したことはこの夏のうちにやり切らないといけないような気がした。 港まで来ると、潮のにおいがより一層強く香る。 船着場にはいくつかの人影があった。 皆だ。皆がいる。 船着場のある防波堤の上の段にはレイナ姉ちゃんがあぐらをかいて座っており、その隣にはこころ姉ちゃんとダイチの兄の太一兄ちゃんがいた。 下の段には、シンたち皆がいる。 船は既に到着していて、低いモーター音を響かせていた。 「よっ!待ってたぞ」 シンが右手を挙げてニカッと歯を見せて笑う。防波堤の壁に腕組みをしてもたれていたダイチは小さく手のひらを見せるようにして「来たな」と言った。 ユウはその隣で頷いていた。 先に到着していたイチコと話し込んでいたヒカリと未悠としずかの視線もハクに向けられた。 見送ってもらえるのは嬉しいが、全員の注目や関心が自分に向けられるのはやっぱり照れくさい。 それにやっぱり気になるのは、しずかの視線だ。こんな時にさえ、ハクはしずかを直視できない。 ハクは錆びついた看板の時刻表を見る。出発まではまだあと少しだけ時間があった。 シン「えーっと俺たち全員がこうして見送りに来たのには訳がある」 シンが握り拳をマイクがわりにして声を低くさせて話し始める。 ダイチ「またそれ一からやんの?」 「さっきイチコの時にやったろ」 シン「ハクにはやってねぇだろ」 「イチコにはやったのにハクにはやらないなんて不公平じゃねぇか」 シンが喰らいつく。拳はまだ握られたままだ。 ダイチ「こんなもんに公平も不公平もあるか」 「時間ないんだからさっさと始めるぞ」 シン「ったくせっかちだな」 「ハク。お前は紛れもなく俺たちの友達なわけだ。まぁそんなこといちいち言うようなことじゃないんだけどさ」 「とにかく、俺たちの友情の証として、お前にとびきり良いものを託そうと思う!」 シンは腰に両手を当て、ふんと鼻息を立て、胸を張った。 ハク「なんか…くれるってこと?」 シン「そういうことだ!」 しずか「イチコの時もそうだったけど、あんたの言い方回りくどいんだけど」 シンの隣にいたしずかが毒づく。 シン「いちいちうるさいやつらだな。調子狂うぜ」 ヒカリ「この計画は私が考えたんだよー」 背の高いダイチの後ろにいたヒカリがぴょんぴょんと飛び跳ねた。 シン「ほら。俺からはこれ」 シンはポケットに手を突っ込み、中から細長いものを取り出してハクに渡した。 それは、ペンだった。 しかしハクの知っているようなペンとは少し違う。一見するとただのボールペンのように見えるのだが、長さが変だ。ちょっと長い。よく見るとそれは無理やり、別のペンをくっつけてあるようだった。 ハク「なんだこれ」 ハクは受け取った妙に長いペンを不思議そうに見回した。 見れば見るほど変だった。長さだけでなくグリップ部分がゴツゴツしていたり、ボタンの部分が大きかったり。 シン「これは"改造ペン"だ。俺のお手製だぜ?」 「しかもわざわざこのために作ったんだ」 「どれだけ試行錯誤したか…!」 シンは眉根を寄せて噛み締めるように言った。 上の段にいるこころ姉ちゃんが、あんたそれで私の筆箱からいらないペン持ってたんだ…と呆れていた。 シン「ボタンの部分を二回素早く押すとペン先がすげー勢いで飛んでくんだよ」 「学校で使う時は先生に取られないように注意しろよな」 果たしてこのペンを真に有効活用する日が来るのかどうかは分からないが、それでも、自分のために用意してくれたことが嬉しくてハクは自然に笑顔になった。 ハクがシンに礼を言うと、ダイチが前に出てきた。 ダイチ「そんじゃあ次は俺だ」 ダイチが渡してくれたのは、カラフルな色合いをした紐だった。 ハク「これは?」 ダイチ「靴紐だな」 ダイチはけろっと言った。 シン「うわっいらねぇ」 「地味だし」 隣のシンがうげえと顔を歪めた。 ダイチ「なんだよお前は」 「変なペンよりは使い道あるだろ」 「これは単なる靴紐じゃないぞ?」 「俺が勝負事の時にいっつも使う靴紐なんだ」 「まぁちょっと汚れてるけど、運気はバリバリに溜まってると思うぜ」 ハク「つまり、幸運の靴紐ってそういうこと?」 ハクは靴紐を受け取った。確かにちょっとくたびれているが、その分、ダイチの運気とか闘気が詰まっているような気になって、なんだか勇気が湧いてきた。 心に抱くやり残してことも、やり切れる気がした。 ユウ「じゃあ次は僕」 ユウがくれたのは手のひらほどの大きさの石だった。その石は黒透明で、キラキラ輝いている。 ハク「すっげえこれなんだ!?」 ハクはずっしり重たいその宝石を掌の上で転がした。傷や汚れがその石が自然から発掘されたものだということを物語っていた。 ユウ「ずっと前に山で見つけたんだ」 「でも、取れなかった」 「それがこの前、やっと取れたんだ」 ハク「そんなの宝物にしておけよ」 ユウ「そりゃあ宝物だけど、僕が持っていなくたっていいんだ」 「これってなんか僕が強くなった証なんだよ」 ユウはそう言ってハクの掌の上の黒透明の石を見た。 ユウ「多分、この石は、夏休み前の僕なら取れなかった」 「この町にハクが来てイチコが帰ってきて、色々あって成長したから取れたんだ」 「この石は、成長の結晶だと思う」 「だからハクに持ってて欲しくてさ」 「イチコには別の石をあげたから」 「それと、実はもう一つあるからいいんだよ一個くらい」 ハク「あ、もう一個あるのか」 ハクは笑った。でもその方が貰う方も罪悪感がなくて良かった。 成長の結晶。ユウはこの石のことをそう呼んだ。 ハクはこの夏に少しだけ大人になった。 でもそれはハクだけじゃない。皆そうだ。ユウもそうだ。これはその結晶なのだ。 それを自分に託されたハクは、ひ弱だった少年ユウの成長と勇気をそのまま託された気になってまた少し勇気が湧いた。 ヒカリ「次!私ね」 ヒカリはぴょんと前に出てきて、チャックのついた小さなビニールの袋をハクに渡した。 中には、薄い灰色をした何かの種がいくつか詰められている。 ヒカリ「これ、ひまわりの種」 ヒカリがハクの手にあるビニール袋を指差した。 ハク「ひまわりか…」 ヒカリ「そう。山の裏側の高原でわざわざ摘んだきたんだよ?」 「だから絶対植えて、絶対水やりして、絶対花を咲かせてね」 「そしたらさ、波都の町の自然が少しでも思い出せるでしょ?」 ヒカリは自信満々の顔をして言った。 さすがこの企画の言い出しっぺだけあってヒカリは贈り物にしっかりとメッセージを込めている。 ハク「そうだな。そうだな…確かにそうだ」 ハクは手の中にある種から芽が出てやがて大きなひまわりになるところを想像した。 この種は間違いなく波都の町の種である。そしてその花も間違いなく波都の花である。 ヒカリはいつでもこの町の自然を思い出せるように、この町の自然をギュッとこの種に込めて託してくれたのだ。 種は小さいけど、その思いはおっきい。 ハクはその小さくておっきな種をリュックにしまった。 ヒカリが後ろに下がると、入れ替わりに未悠が出てきて何も言わずにハクの右手首を掴んでひょいと持ち上げた。 そして、手に持っていた青と黒色のミサンガをハクの手首にきゅっと巻いた。 未悠「ハクがいま、考えてること、願ってることが叶うようにって、そう思って作ったんだ」 「だからこれを付けてたら、叶うかもね」 未悠は前髪をかき分け、青い髪留めを留め直した。 いま考えてること。願ってること。それは─── 未悠「まぁ、どんなお願い事かは、今は聞かないけどね」 「またここに来た時に教えてよ」 未悠はニッコリ微笑んだ。 ハクはおまじないの力をよく知っている。 実際、この夏には首にかかっているお守りに何度も助けられた…気がしている。 このミサンガが、ただの飾りでないこともよく分かっている。 だから未悠がつけてくれた手作りのミサンガからも力を感じた。 未悠の持つ冷静さが今まさに試練に直面しているハクに力を貸してくれているような気になった。 必要なものは全て揃った。 やっぱり、今、やっておかないといけない。 やり残したことを。 ハクはようやく心にそう決めた。 そうすると、すぅっとモヤモヤが晴れた。 「最後は、私…か」 しずかが小さい声で呟くように言って、ハクの前に来た。 見たところ手には何も持っていないようだし、ポケットも膨らんでいない。 まさか、贈り物と称したくすぐりでもお見舞いされるのだろうか。 ハクが余計なことを考えていると、しずかは「左手、出して」と命令するように言った。 ハクが戸惑っていると、しずかは今度は強めの口調で同じことを言った。 ハクが言われるがままに左手を出すと、しずかは咳払いをし、ふぅとため息をついて、それからまた咳払いをして、自分の左手首につけているクリアレッドの腕時計を外した。 いつもつけていた腕時計。 それを、しずかはハクの左手の手のひらに置いて、両手でハクの指を折り曲げ、腕時計を包ませた。 ハク「えっ!?これっ…」 ハクは指を開いてクリアレッドの腕時計をもう一度見た。 しずか「なに?いらないの?」 しずかが鬱陶しそうにハクを睨む。 ハク「いや、そうじゃなくて、くれんの?」 いつも肌身離さず持っていた腕時計だ。 それを貰って良いものなのだろうかとハクは子供ながらに考えた。 確かにこれはカッコいいし、好きだ。だからこそ、やっぱり、もらって良いとは思えない。 しずか「あげるって言ってんじゃん」 「私の気が変わらないうちにさっさと腕につけなよ」 「ほら」 戸惑っているハクに代わってしずかが無理やり腕時計をつけた。クリアレッドのその柔らかな腕時計は、どういうわけかハクの手首によく馴染んだ。 シン「まさかそんな!」 「これが昨日言ってたびっくりさせるサプライズか!?」 シンが興奮気味に言って目を輝かせるが、しずかは軽く首を傾げた。その表情はつまらそうな顔にも見えるし何か考え事でもしているような顔にも見えた。 「そろそろ時間だよー」 船頭が船から出てきた。 ハクは皆をぐるりと見渡した。イチコも同じようにしていた。 イチコはずっと黙ったままだ。その顔を見てみれば、おっきな目はうるうる潤んでいた。唇は震えていたし、鼻もひくひく動いている。 ハク「泣きそうじゃんか」 イチコ「だって寂しいもん」 イチコはそう声を漏らした。言葉を発してしまったせいで、イチコはわんわん泣き出した。 イチコを未悠が抱きしめた。 イチコは未悠のTシャツにぐっしょりとシミを作ってから未悠から離れ、ずるるっと鼻を啜った。 目はまだ真っ赤だ。 イチコ「みんなまたね」 「ハクも。次会ったら今度こそ、勝負に勝つから」 イチコはびしっとハクを指差した。 ハク「受けて立つよ」 次にここに来て皆で遊べるんなら決闘でもなんでもやってやる。 それに、勝ち逃げというのもあまりスッキリしない。 イチコ「じゃあこれからもずっとずっとライバル同士!」 イチコは泣き腫らした目できっとハクを見据えた。ハクは大きく頷いた。 イチコはもう一度、皆を見てから橋代わりの板を渡って船に乗った。 ハクは足先を船に向けた。 そのまま前に進みかけて、止まった。 皆を見た。 ハクは引き返して皆の方に向き直った。 「じゃあなハク」 シンが手を差し出した。 ハクはその手を握り返す。 柔らかいけど、自分よりも厚みのある男らしい手だ。 ダイチとも、ユウとも握手した。 ヒカリは手のひらを向けていたので、手のひらと手のひらをぱちんと合わせてハイタッチをした。 未悠とは、拳を突き合わせた。 拳を引っ込め、ハクは、未悠の隣のしずかを見る。 しずかの顔。ポニーテールのよく似合う顔。 ハクは視線をゆっくり上げ、しずかの目を見る。 切長で目尻が少し上がっている、二重瞼の綺麗な目。 よく見ると、瞳はすごく丸い。 ここまでじっとしずかの目を見たことがなかったから気が付かなかった。気が付かなかったけど、とても綺麗だと思った。 しずかの目はじっとハクの目を見つめていた。睨むでもなく、怒っているわけでもなく、何かを待っているような期待に満ちた目だ。 気づけば心臓の音が大きくなりすぎて、周囲の波の音も、船のモーター音もほとんど耳に入ってこなくなっていた。 「それじゃあ──」 しずかが口を開く。その口が、次の言葉を発しようとするのを止めるように、被せるように、ハクは思い切って口を開いた。 今しかない。 好きだとかそういう正直な気持ちを、前向きな気持ちをぶつけることは恥ずかしいことじゃない。 レイナ姉ちゃんがそう言っていた。 ハクは詰まりそうになりながら声を絞り出す。 「──しずか。また明日」 言葉はすぐに出てきた。 何を言うべきかは最初から決まっていたのだから。 じわっと熱いものが胸から滲み出す。それが頭に登ってきて、体温がぐんと上がる。 ハクは恐る恐るしずかの顔を見る。 しずかは、よく言ったと言わんばかりに 片眉を上げ、ほんの少し口角を上げた。 そして、 しずかが一歩大きく踏み出し、 その胸の辺りがハクの肩にぶつかるようにとんと触れる。 しずかの顔が視界から消える。 ちゅっと少し冷たくて柔らかい感触が頬に押し付けられて、瞬時に消えた。 ハクはゆっくりと首をしずかのいる方に向ける。 しずかがいる。 しずかは得意げな顔をして唇をぺろっと舐めた。 心臓は飛び出しそうだったし、耳の先まで熱く感じた。 頬にはまだ、しずかの唇の感触が残っていた。 シンとダイチは口を開けたまま呆然としていた。ユウなんかは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。 未悠は大人みたいに腕組みをして微笑んでおり、ヒカリはなぜか良い物でも見たように嬉しそうにガッツポーズをしている。 船にいたイチコは、白目を剥いて仰天していた。 レイナ姉ちゃんはケラケラとテレビを見ている時以上に笑っている。それから、しずかに、よくやった!と声をかけていた。 ハクはまだ固まっていた。 周りの騒ぎ声が小さく聞こえるほど、ハクは頭を覆う熱でぼうっとしていた。 しずか「言ったでしょ?」 「びっくりさせるって」 しずかは驚いているシンたちに向けて言って、再びハクの方に向き直る。 しずか「…えっと…鬼ごっこの時とかいろいろカッコよかったよ」 「ありがとね」 しずかの目を見ても、もう妙な緊張感は感じない。 心を覆っていたモヤはすっかり綺麗に晴れている。 しずかを見て感じるのはただ、喜びと安心と、そして、熱くてたまらない恋心。 「ありがとう」 ハクは顔を赤くしたまま、ちょっと俯いて恥ずかしさたっぷりに呟いた。 しずかはそんなハクの顔を愉しげに覗き込む。 しずかがニコリと歯を見せて微笑む。 「ハク。また明日」 しずかはそう言って、とんっとハクの胸を小突いた。 それに押されるようにしてハクはゆっくりと板を渡り、船に乗る。 船頭によって板が取り外され、ハクとイチコは島から完全に切り離された。 途端に、心の奥底から何かが込み上げてきた。 船が末潮港に向けて動き出す。 潮風が吹き渡る。 船はどんどん船着場から、防波堤から、島から離れていく。 シンとダイチが防波堤の上の段によじ登り、防波堤の先まで走ってきて大きく大きく手を振ってくれた。その後ろからユウが転びそうになりながらもついてきて同じように手を振る。 そんな三人の少年の姿が。 ぴょんぴょん跳ねながらおっきな声で何かを叫んでいるヒカリの姿が。 腕組みをしたまま恐らく微笑んでいるのだろう未悠が。 太一兄ちゃんに肩車をしてもらって手を振っているレイナ姉ちゃんが。 下の段の時刻表看板に手を添えて、まっすぐに船を見つめるしずかの姿が。 遠く遠くなっていく。 隣のイチコはまたわんわん泣きながらおっきく手を振り返している。 ハクはこんな時でさえ、同じように大きく手を振るのが恥ずかしくて、代わりにずっと右手を挙げていた。 イチバン山が、その上にかかる久しぶりに見る大きな入道雲が小さくなっていく。 目の奥が熱くなって、鼻がつんと痛くなる。 瞬きをすると、大粒の涙が流れ落ちた。 涙は潮風に乗って飛んでいった。 息を吸い込むと胸と喉が震えた。 やがて島は地平線の向こうに消えた。 まるでその向こうには何も存在しないかのように、真っ青な海だけが広がっている。 でもハクは知っている。 この青い海の向こうに、真っ青な空の下に、素敵な町があることを。そこには雄大な自然が広がっていて、頼れるリーダーであろうとする少年がいることを。皆のために自らの進路を犠牲にしようとする仲間思いの少年がいることを。強くなるためにもがいて成長を遂げた少年がいることを。恋とか好きとかそう言った気持ちを理解しようと悩む少女がいることを。誰よりも故郷の自然を大切に思う少女がいることを。性別の差を超えて勝負を挑む天下一の負けず嫌いがいたことを。 そして、普段は乱暴だけど、本当は友達を大切に思っている優しい心を持った少女がいることを。 そんな少年少女を見守る立派な大人たちがいることを。 その町のことを。木々の匂いを。踏み締めた土の感触を。たぎるような蝉の声を。森の冷たさを。淵の深さを。仲間たちとの会話を。冒険を─── ────ハクは一生忘れない。 広瀬 進 スポーツ推薦で高校から他県に進学。持ち前の運動能力とリーダーシップを活かしてラグビーで活躍。大学のラグビーチームではチームを何度も全国大会へと導いた。 その後は社会人チームに属して競技を続行する。 平山 大地 中学受験の道を選び、中学進学と同時に島を離れる。大学からは本格的に医学の道へ進む。無事に医師免許を取得し、現在は研修を受けている。波都の町に診療所を開くことを夢に掲げている。 空野 悠 この夏に得た経験から、学校では進んで班長などのまとめ役を買って出るように。中学の頃にはいじめられたり揶揄われたりすることもなくなった。 その後は芸術系の高校に進学し、波都の町から通学。大学も芸術系に進学、現在は立体造形の仕事に携わる。 久代 静雅 中高ともにヒカリと同じ末潮の学校に進学。しかし、中学に入った辺りから持病が悪化してしまい、高校在学中にはさらに別の難病に罹る。 学校の教師になるという夢を持ち、その夢のためにも闘病を続けるが高校を卒業したその年の春に十九歳を迎えることなくこの世を去る。 島波 壱子 この夏に得た経験と悔しさから、この年の二学期に行われた運動会では男子も負かすほどの成績をおさめる。 中学に進学するのと同時に陸上競技に出会い、高校では全国大会優勝を争うほどの選手にまで成長する。 その後は名門大学に進学し、陸上競技でも成績を伸ばして在学中にプロの選手となる。 木岡 光 高校までは島に住んでいたが大学進学と共に波都を出る。その際、ユウから父親のお下がりであるカメラをプレゼントされ、それがきっかけで写真に興味を持つ。 大学生活では勉学そっちのけで写真に没頭し、バイト代も全てカメラなどに注ぎ込んだ。 大学在学中から自費で小さな個展をやったり、写真集の出版をして積極的に活動する。 卒業後は経済的事情から写真の雑誌への売り込みなどを行い必死に働いていた。 そこで雑誌社の折原 明日香と再会し、いくつか仕事を紹介してもらうようになってからようやく少しは食べていけるようになった。 現在は仕事で全国各地を飛び回っていろんな写真を撮っている。 波都の町の残された自然をフォトブックにしようと試みている。 音石 未悠 得意のスポーツで高校から他県に進学。 大学ではスポーツはすっぱり辞め、勉学に勤しむ。 大学では主に地域活性化を学び、過疎地域の活性化を掲げるチームを結成して全国各地でイベントの企画等を考案実行している。 現在は主に故郷・波都の町をいかに保存して繁栄させていくかに焦点をあてて活動している。 「ふぅん。それで?」 四島あや子は興味があるんだかないんだかわからない反応を示した。 ハク「それでって?」 秋風の冷たい帰り道。頼まれたからせっかく一から丁寧に夏の思い出を話してやったのに、話を聞かせてくれと頼んできた本人の態度がこれではハクも納得いかない。ハクは不機嫌に質問を質問で返してやった。 あや子「だから、どうなのかなって」 あや子は顔を上げてその猫みたいなおっきな目でハクを見た。両手はセーターのポケットに突っ込まれている。 ハク「はぁ?だからどうなのってだからなんなんだよ」 ハクは苛立ちたっぷりに言ってあや子を睨み、背負っているランドセルの背負い紐を触った。 あや子「ハクは、その子のこと好きだったんじゃないの」 あや子は実に馬鹿にしたような目つきでハクを見た。笑みはない。眉を思い切り上げてわざと腹の立つような顔をしている。 ハク「お前なぁ…何言ってんだよ。なんでそうなるんだ」 あや子「そう考えるのが普通じゃん」 あや子は転がっている石ころを蹴った。意識してかしないでか、石ころはちゃんとハクの前に転がった。 ハク「そんなのお前に関係あるかよ」 「っていうかそういうの俺、分かんないし」 ハクはそうとぼけて、石ころを蹴った。 あや子にパスするつもりで蹴った小さな石ころは、冷たいアスファルトの上を転がって、側溝に落ちた。 あや子「あ、動揺してる」 あや子がハクの脇腹を突っついた。 ハク「もういいって!」 「お前、今日塾だったよな?」 あや子「違うよ。家庭教師」 あや子は真面目な顔で言い返した。 ハク「どっちもおんなじだろ」 「それじゃあ…また明日だな…」 「また明日」 「公園で」 ハクは途切れ途切れにそう言った。 今日、あや子と遊べないのはつまらないが、それでもやっぱり、また明日、と言うと安心する。 あや子「うん。また明日」 あや子は嬉しそうに微笑んで言って、ハクとは別の方向を歩いていく。 家へ向かうあや子の足取りは軽い。 また明日。会えると分かっているからだ。 また明日。会えなくたって、会えるような気持ちになれるからだ。 また明日。素敵な言葉だ。 ───END───
Comments
そうですね… 帰りの船が一緒だったイチコちゃんとはどんな会話がされたんでしょうね? 実は、元の話ではこのイチコにあたる人物と船を降りた後の港でやりとりがあるのですがこちらでは割愛しました。 イチコはハクをライバル視していますから、きっと最後にお別れする時も再戦を誓ったのではないでしょうかね。 それとも、イチコがハクに対して思っていることを伝えたかもしれません。 無論、恋愛的なものというよりそれは一種の憧れのような感情なのですが。 この時代のあや子の登場および、あや子とハクの直接の会話自体はちょうど3年ぶりくらい?ですかね! 久しぶりに描いたのに確かに安心感という安定感はありましたね…! それがまさか読み手の(´・ω・`)さんにまで伝わっているとは!嬉しいです!! 今はもう別の別の道、決して交わらない道を進んでいますがきっと思い出の中ではずっとライバル同士のはずです。 そうですね… ハクはいつも大人とはなんだとか好きとはなんだとか、色々考えては悩んでいて… すっきり解決したり納得したりしてる訳ではないけど、本人が気づかないうちに成長はしていますよね! 負けず嫌いなところとか恥ずかしがり屋なところは昔から変わらず…成長した部分の方が少ないかも知れません。 でも、どんな人もそんなものなのだろうとは思いますね。 私の作品などを、(´・ω・`)さんの心構えや考え方の参考にされるとは!…畏れ多いですが、少しでも何か役に立つことがあれば幸いです。嬉しいです。 次はいよいよ大学! 最後の青春にして最大の学生生活が描かれます! 大人なのか、やっぱりガキなのか、どっちつかず?の学生ライフをぜひご堪能ください! 最後までお付き合い本当にありがとうございました!!
Kara
2024-01-18 13:18:01 +0000 UTC14日目は無いに等しいほど短い時間でしたが、でも仲間たちとの別れ際のあの一瞬はきっとハクにとっては一日に匹敵するほど濃厚なものだったように思います。 誰が仕向けた訳でもないのに二人きりになっちゃったハクとしずかでしたが、あの偶然生まれた時間のおかげで最後のお別れでハクは想いを伝えることが出来ましたから、偶然には感謝しないといけませんね。 あの時間がなかったら…どうなっていたのか。もしかすると、しずかが無理やりにでもそういった時間を作っていたかも知れませんが。 透明なものってなんだか惹かれますよね笑 今でもそれは変わらない気がします。 何年経とうとも、その時計にはハクが波都で感じていた時間が刻まれているのでしょう! キスはしずかからの答えでもあり、この夏成長したハクへのご褒美でもあったのだと思います。 そうなんですよね。(´・ω・`)さんに言われて気づいたのですがしずかって「恥ずかしがり屋」ですよね… 確かに…なるほど…と、何度も頷いてしまいました。 だから恋愛に関して意外にも素直に気持ちを伝えられないし、怖い人、と思われることも多々あるのでしょう。でも、そうだからこそ素を見せた時に人の心を惹き寄せるんだろうと思います。これが結果的に"モテる"のかなぁと。 「また明日」はまさに暗号ですね! この言葉に好きという意味が込められているのは、この二人しか知りませんから。 勿論、また明日は友人として大切な人に送る言葉でもあるわけですが、ハクとしずかの二人の間だけには好きの意味が込められているのでやっぱりこれは暗号であり合言葉みたいなものなのですね〜 そんな、また明日、を使った気持ちの伝え方は実は結構思いつきで、最終話を書き始めてから思いついたのですが、自分でも自分を褒めてあげたいくらい上手くハマったかなぁと思っております。 お褒めいただきありがとうございます!! 嬉しいです。自己満のために書いていたオリジナル2作に費やした時間が今になって評価していただいたようで本当に嬉しいです。 あの数年間は無駄じゃなかったのだとそう心から思えました! ヒカリからの贈り物はきっと、この物語を最後まで読んで夏の波都の思い出を一緒に振り返ってくださった皆さんの中にもきっと添えられているはずです。 ハクの矢内家の庭にも、皆さんの心にも波都のひまわりの花は毎年咲くことでしょう!
Kara
2024-01-18 13:17:32 +0000 UTCあぁそっか…14日目は帰る日だからあってないようなものだったのか… しずかとばったり二人きりになった所は唾を飲む音まで聞こえそうな緊張感がありました 感情移入出来すぎてハクくんに乗り移ったかのようにスマートウォッチの心拍数表示も高まってました笑 しずかのクリアレッドの腕時計…めっちゃ童心を刺激する響きでかっこよくて欲しくなってしまいますね笑 みんなからとしずかからはキスと合わせて2つも贈り物を貰ってハクくん幸せ者過ぎますね! 「また明日」という言葉は恥ずかしがり屋の二人だけが互いの恋を確認できる暗号のようになってて好きという言葉を直接的に遣わない告白は本当に見事で驚嘆しました! あとがきにてリメイクを重ねた作品だったとありましたが本当にその仕上がってる感覚は読んでた時から感じてて読者にとっても確かな感覚でしたよ! ヒカリからの贈り物「波都産 ひまわりの種」は本当に素晴らしいアイデアで自分が貰ったかのようにテンション上がりました笑 矢内家の実家にはきっと今もそのひまわりの子孫が咲いてることを信じます 途中まではイチコちゃんと帰りの船が一緒だったようなので波都の仲間との完全な別れは少し先だったようですが去る者同士どんな会話があったか想像が深まりますね あや子!本当に久々なのに何故かそれを感じさせない安心感が凄くありました これが地元の仲間、ハクの人生最大のライバルの力なんでしょうか 地元に帰って来た途端に襲った安心感という現象に驚いてます 今その地元の物語である最初期の『あの日の悶絶は思い出の中に』小学編を読み返すとハクくんが本当に純粋な子ども過ぎてすごく切なかったです シリーズを通してハクくんは大人になることに困惑してることが多いです その困惑を繰り返すうちに同じ矢内ハクくんを追ってるつもりがいつの間にか人格が明らかに変わってた気がします もちろんここは変わってないなーって部分もありますが確かに純粋な少年に人格が形成されていく過程が描かれています 真面目に人生を考えさせられる大人なトークシーンが散りばめられてるのでその部分を読み直して自らの心構えや考え方の引き出しにしたり参考にしたいですね。 これはもはや矢内白という人間の自叙伝のようです。 あれから時が流れほぼ大人として人格が完成した矢内白くんの大学生活が始まるのが楽しみです!
(´・ω・`)
2024-01-15 08:30:18 +0000 UTCぺんだごんさん本作に最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました! 連載中は沢山コメントを寄せてくださって本当に励まされました!! とうとうハクのなつやすみは終わってしまいましたね…14日間というとどうでしょう…大人になった私たちからすれば多分、あっという間でしょうね。でも、少年ハクからするときっと凄く長い時間だったのだと思います。 ですのでぺんだごんさんのおっしゃる通り、記憶に残る素晴らしい夏休みだったと思います! 最後のお別れの港での光景、しっかりと胸に刻んでいただけたようで何よりです! 贈り物はきっとそれぞれがハクのことを思って選んだものだと思うので、個性が強く反映されていたのでしょうね! ちょっと遠回しな言い方でしたがハクは気持ちをしずかに伝えられたのでよかったです… 「また明日」はハクにとってもしずかにとっても深い意味がありました。特に、この二人にしかわからない意味も込められていますから、ハクからすればとても大事で印象深い言葉として記憶されていたのでしょう! 夏編にお付き合いただきましたから、その恩返しではないですけど…大学編は夏編を読んで良かった!と思ってもらえるようなそんな作品に仕上げるつもりです! しずかの死もこの夏の経験も何もかもが大学編の鍵となります。 ご期待下さいませ! 最後まで本当にありがとうございました!!
Kara
2024-01-14 13:19:47 +0000 UTC夏編最終話制作お疲れ様です! このシリーズが始まった時から毎週のように楽しみにしていました。 ハクの波都での夏休みが終わってしまったのですね。 でもハクにとってはこの夏休みは大人になっても記憶に残る素晴らしい夏休みだったはずです! 最後の港での仲間が集まって送別の言葉を送っているシーンで感動しました。ハクに対してみんなが差し出しているものが一人一人のキャラらしさが溢れ出ていて良かったです! また、ハクがしずかに対して思いを伝えることができて良かったですね!「また明日。」のしずかにとって深い意味があった事にも感動しました! 夏編を最後まで読んで大学編が今からとても楽しみです。しずかが亡くなったことによりハクの今後の人生にどう影響されるのか気になります。 ひとまず夏編完結おめでとうございます!
ぺんだごん
2024-01-04 04:13:00 +0000 UTC最後までありがとうございました!登場人物たちはすごく時間をかけて考えたのでそう言っていただけると救われます。 そうですね。書く必要があると判断した場合、この作品の登場人物たちを再び書く日が来るかと思います!その時はよろしくお願いします。
Kara
2024-01-02 13:26:13 +0000 UTC작품을 즐겨주셔서 감사합니다! 작품에 대한 평가를 주셔서 매우 고무적입니다! 앞으로도 잘 부탁드립니다! 作品を楽しんで下さりありがとうございました! 作品の感想を頂けてとても励みになります!これからも宜しくお願いします!
Kara
2024-01-02 13:24:00 +0000 UTC最高でした!とりあえず最終回お疲れ様でした。友達もそれぞれ個性があってすごく面白かったです。いつかあの夏のキャラのイラストとか見てみたいですね。しずかは残念ながら亡くなってしまいましたが、、また大人になった時の話とかあればいいなぁと思ってます。どこかの小説で未悠もユウもレイナお姉さんも出てきたら面白そうですね。
toshi0325monst
2023-12-30 11:23:09 +0000 UTC그동안 정말 재밌게 읽었습니다! 연재하시느라 고생 많으셨습니다! 한국에서도 늘 즐겁게 보고 있어요!
qidne13
2023-12-30 10:13:08 +0000 UTC