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あの夏の悶絶は思い出の中に(13日目#3)

3. 大きな山の上で イチバン山の登山口は登山口のくせに山の上の開けた場所にあると言うハクにとっては不思議な場所だ。 ここに来ると、超鬼ごっこでシンと戦ったことや、明日香と初めて会った時のことを思い出す。 閉じているところしか見たことがない登山口の木の門に取り付けられた無骨な黒々と変色した南京錠にヒカリが慣れた手つきで鍵をぶっさし、ガチャガチャと回した。 ヒカリの手つきは以外に乱暴だった。 門が開いた。なんてことはない。イチバン山山頂の道が続いているだけのはずなのに、門の奥の風景はなんだか鮮やかな緑──まるで春の山のようなそんな温かな自然──が広がっていた。 ハクはこころなしか、門の奥から春の太陽の匂いがした気がした。 シン「お!開いたな!えーそれじゃあこれより──」 シンが恒例の宣言をしようとぶつくさ言い始めたが、しずかが、そういうのいいから早く行くよ、と言ったので皆シンを置いて行った。 シンはすぐに慌てて追いかけてきた。重そうな荷物を背負っている割には身軽に走っている。 緑というよりは麗しい黄緑色の雑草や草木が生い茂り、そこに優しい色合いをした花々が生えている。 およそ安全とはかけ離れたベンケイ山に比べれば、イチバン山はゆるやかでハイキングにはもってこいの地形だった。 だから、登るのも楽しかった。 「その荷物の中身はなんなの?」 イチコがおっきな荷物を背負っているシンに聞いた。イチコがその質問をするのは、この山に入ってもう三度目だ。 シン「イチコはせっかちだなぁ!頂上に着いたらお披露目するって!」 シンがニカニカと笑顔でかわす。 しずか「どーせ、くだらないものでしょ」 シン「へっ!言ってろよしずか」 「絶対びっくりするからな」 しずか「びっくりしたからってくだらないものじゃないとは限らないでしょ」 「それで?ユウもその秘密を知ってるんだっけ?」 しずかは振り向いて、後ろを歩いているユウを見る。その目は少し妖しい。 ユウは敏感に何かを察知してしずかから距離をとった。賢い選択だとハクは思った。 未悠「なんかちょっと火薬くさいなぁ」 未悠はスンスンと鼻を動かして意地悪に微笑み、シンのリュックを見た。 未悠はおそらく、シンが何を隠し持ってきているのか察しがついているのだ。 ハク「かやく?爆弾?」 シン「爆弾じゃねえって!」 イチコ「まさかイチバン山を壊すつもり!?」 シン「だから違うって!」 シンは手を大きく振って否定した。 ハクは、爆弾まで行かなくても、それに近いことはシンなら十分にやりそうな気がした。 その後もイチコは二度ほど、シンに荷物の中身を聞いていた。そのたび、シンは話を逸らしてイチコの好きそうな話題を振った。 イチコはそれがシンの策略なのだと気づくこともなく無理やり取り替えられた話題について熱心に話していた。 山を半分ほど登った。 登山口のある開けた場所が随分遠く、下に、小さく見える。 さらにその下には空野家がうっすら見えた。 ユウとイチコは仲良さげに並んで話している。二人ともほとんど同じ歩幅だ。イチコと話しているユウはとても、嬉しそうだった。 ヒカリはなぜか一番後ろを歩いている。落ち着きなく動くその目は、まるで皆を観察しているようだった。 山頂に着いた。 【壱番山 山頂】 古びて黒ずんだ板の看板には、炭か何かでべったりとそう書かれていた。 ハクは少し駆け足になって山頂に飛び出るように残りの坂を登り切った。 山頂に出た途端、青空に飲み込まれた。 見上げればすぐ真上に真っ青な空がある。 澄んでいる。 ここには、余計なものがない。 なにも澱んでいない。なにも凝り固まっていない。 純粋な波都の自然がそこにあった。 暑さは確かに夏のようなのだが、吹いてる風は秋のようであり、日に照らされる草花の様子は春のようだ。 この山頂には、波都の町の全てが詰まっているような気がした。 疲れたとか、久しぶりだ、とか皆が口々に何か言っていたが、ハクの耳にはそのどれも届いておらず、ただ自分を包む青空と、その真下に広がる雄大な自然と町々に見惚れていた。 自然と人工物のバランスがガキンチョのハクから見ても美しいと思った。このバランスが少しでも損なわれたら厭だとも思った。 そしてふと思い出す。 未悠の言っていたことを。 彼女の不安。 波都の町がなくなってしまうという大きな不安。 こうして波都の町を、この島を見下ろしてみて初めてよく分かる。未悠がどうしてあそこまで不安に思っていたのか。 今でさえこの町は、島は、絶妙なバランスで保たれているのだ。 きっとあの作りかけの橋が完成すればそのバランスは容易く崩壊するのだろう。 ハクはそう思った。そしてやっぱり、寂しくなった。 「みんな集合!」 岩に座っていたヒカリが高い声で皆を呼び集めた。彼女は、高い菓子なんかが入っているおっきな缶を持っていた。 ヒカリ「じゃーん」 ヒカリは自慢げにクリーム色の缶を見せつけた。 シン「なんだ?お菓子?気が利くなぁ!」 シンが嬉しそうに言うと、ヒカリは目を細めて呆れ顔をみせた。 ヒカリ「じゃなくて、これはもっと大切なもの」 ハク「お宝?」 ヒカリ「そうそう!」 シン「なに!?早く見せてくれ!金塊とか!?」 ヒカリ「違うって。これからお宝になるもの、なの」 ヒカリはそう言ってクリーム色の缶を振って見せる。中から、カラカラと軽そうなとても金塊などからは発されないような乾いた音がした。 ヒカリはやはり乱暴な手つきで缶を開けた。中にはメモ切れみたいな紙が数枚と、鉛筆と消しゴムが入っていた。 ヒカリ「タイムカプセルって知ってるでしょ?」 「未来の自分とか友達にメッセージを書いて、それを土の中とかに埋めるやつ」 「それで何年か後に掘り返すの」 シン「楽しそうじゃねぇか!」 ダイチ「ヒカリも粋なことやるなぁ」 ダイチは腕を組みまるで親みたいに頷いていた。 ヒカリ「もちろん、掘り返す時は、ここにいる皆が揃った時だよ」 「だからそう…何年後になるか分からないけど」 「でも必ず、掘り返すの」 「皆でね」 ヒカリはぐるりと視線を皆に巡らせた。 ヒカリの言葉を聞いたハクは安心した。 波都の町を去るということが現実味を帯びてきたあたりからずっと抱いていたモヤモヤとした気持ちがサッと晴れた。 もう二度とここには来れないかも知れないという不安や、自分が単なる余所者に過ぎないのではないかという不安が一気に晴れた。 このタイムカプセルを埋めたからと言って、必ずハクがもう一度ここに来れるという確証はない。 だが、それでもここに再び来るための理由をヒカリが生み出したのは、ハクにとって嬉しくて、心強かった。 タイムカプセルを掘り返すためにまた来れる。 そう思うだけで、ハクは気が楽になった。 メッセージの内容はそれぞれ秘密にするという約束だ。皆、離れた場所でメッセージを書いた。 自分に書くか、誰かに書くか、それとも願い事を書くか。ハクは散々悩んだ。 シンなんかは黙っていられないのか、一人でメッセージ内容をぶつくさ声に出して思案していた。 それを近くにいたダイチに何度も注意されてた。 悩んだ挙句、ハクは再びここに戻って皆と再会しているであろう自分に向けてメッセージというかアドバイスみたいなのを偉そうに書いてみた。どうせ読むのは自分なのだからとんでもなく偉ぶってやった。 メモ切れを四つ折りにし、ヒカリの持つ缶の中に入れた。それから皆で協力してヒカリの持参していた小さなスコップを使い、穴を掘った。できるだけ、雨なんかの影響を受けなそうな箇所を選び、そこにおっきくて深い穴を掘る。 穴を掘るのは想像以上に大変だった。 ほんの数センチでも、かなりの時間を要した。 ようやく掘れた穴にヒカリがクリーム色の缶──タイムカプセルをそっと置く。 土が被せられる。 クリーム色のタイムカプセルが徐々に見えなくなっていく。 次にこの缶を見るときには、いったい自分は何歳になっているのだろう。そのときにはちょっとくらいお金持ちになっているだろうか。しずかには変わらない気持ちを抱いているのだろうか。地元の友人たちとは変わらずに仲良く毎日遊んでいるのだろうか。苦手な教科も得意になっているだろうか。 色んなことを考えているうちにタイムカプセルは完全に地中に埋まってしまった。 「よぉし!ここでお楽しみの時間だぞ!」 シンが叫んだ。あまりに大きな声だったので隣にいたイチコがビクッと方を震わせていた。 イチコ「いよいよ荷物の中身を見せてくれるの?」 シン「そうだ!」 「…俺、心残りがあったんだよ」 しずか「なに?」 シン「いつも隣町で花火大会があるだろ?」 「でも今年は無かったんだよ」 「なんか大人の事情ってやつらしいんだけどさ」 「俺はハクとイチコに花火を見せたかった」 「この波都の町の花火をな!」 シンが両手を広げて高らかに言うと、ダイチとユウがシンの荷物を開けて中から何かを取り出した。 まるで、打ち合わせをしていたような動きだ。いや、多分本当に打ち合わせをしていたのだろう、ユウはテキパキ動いているしダイチは嫌そうだった。 二人が荷物から取り出したのは、赤色とか黄色とかオレンジ色のキラキラした筒だった。筒には、ぶっとい文字で"鬼大和魂・獄"と書かれていた。 花火だ。 これは、打ち上げ花火だ。 ハク「花火か!?」 しずか「あんたたち本気?」 イチコ「えーっ」 ヒカリ「しかもこれ"アレ"じゃん!」 ハクを含めた皆が口々に驚きを口にしている中、未悠だけは好好爺みたいに手を後ろで組んでニコニコ笑っていた。 シン「そう!アレだ!」 ハク「アレ?」 シン「これはな、伝説の花火なんだ」 「あまりにすげーから売るの禁止!ってなった花火」 「レイナ姉ちゃんと太一にいと協力して手に入れたんだ!」 シンは自慢げに語っていたが、売るのが禁止された打ち上げ花火なんてハクなら怖くてとても打ち上げようと言う気にはならない。ここにきてハクは、シンたちの常識はずれの豪胆さに驚かされた。 しずか「どうなっても知んないよ?」 シン「安心しろ!」 「たぶん大丈夫だ」 シンは点火棒を取り出して慣れたように火をつけた。 ハクの心配が胸に溜まる暇もなく、打ち上げ花火に着いた火は火花となってシュウシュウと燃え上がる。 「離れろ離れろ!」 シンが慌てて打ち上げ花火から離れる。 そして。 花火は真昼間の青空に打ち上げられた。 当然、どんな価値でどんな色なのかよく見えなかったが、その爆発音だけは胸によく響いた。 花火大会なんかでよく聞くあのおっきくて重い、それでいて儚く消えてしまうあの爆発音だ。 カラフルな火花が空で爆ぜて消えていく。 「ほんとに。バカ。だよね」 隣にいたしずかがハクを見て言ってふふふと笑った。 ハクはそれに微笑み返した。なんだか久しぶりにしずかと同じ感情を共有できた気がした。 火薬の匂いが少し残る中、心地の良い風の吹き渡る山頂の草原でハクたちは寝そべっていた。 「あーあ。なんか明日でハクもイチコも二人ともいなくなっちゃうなんて想像できないな」 仰向けに寝そべっているダイチがぼやくように言った。 シン「やめろよ湿っぽいな」 どこかの親父みたいにシン片手で頬杖をつきながら寝そべっているシンが顔を顰める。 しずか「あんたそういうの苦手だもんね」 「でも、そーゆー奴ほど寂しがってたりするもんなんだよねー」 しずかがチラリとシンを見た。 シン「そんなことねぇよ」 「別に明日が最後のお別れってわけでもないだろ」 しずか「最後かもしんないじゃん」 「もう二度とこないかもよ?イチコはともかく、ハクなんかはさ」 しずかは今度はハクを見た。 まさか今自分にパスが回ってくると思っていなかったハクは目を丸くした。 ハク「いや俺は───」 俺もまた絶対に来る!そう言ってやりたかったがやっぱりそこまではっきりと言い切れなかった。 ハク「…まぁ、タイムカプセルを掘るときには絶対、来るよ」 ハクが言えるのは、せいぜいそれくらいのことだった。 しずか「ほんと?でもまぁ、来年は来ないってことね」 しずかは納得したように言ったが、どこか突き放すような言い方にも聞こえた。 未悠「来年もハクが来るなら、そのときイチコもいるだろうし、そのときにカプセル掘ってもいいんだよ?」 ハク「いやそれはなぁ」 たった一年でタイムカプセルを掘り返すと言うのもなんだか変な話だし、たった一年後にここに帰ってこれるような気もしなかった。 ヒカリ「タイムカプセルを掘り返すとき、皆どうなってるんだろうね」 ヒカリは視線をタイムカプセルを埋めたあたりに向けた。 シン「俺が予想してやるよ」 「まずダイチ。お前は背が高くなりすぎて天井を突き破って死ぬんだ」 シンはよほど自分の冗談に自信があったのかケラケラ笑いながら言った。笑っていたのはハクとイチコだけだった。 ダイチ「なんだよそのふざけた予想は」 「そんくらいデカくなったんならまずはお前を踏み潰すぜ」 ダイチの返しで皆が笑った。 シンは不服そうだった。 シン「なんでそこでウケるんだよ」 ダイチ「じゃあ予言者さんよ。俺の未来をちゃんと考えてくれよ」 ダイチが不服そうなシンをさらに揶揄うように言った。 シン「なに?」 預言者と言われたシンはすぐにまたご機嫌な顔になった。 ダイチ「だから、俺がどうするべきかってこと」 シン「どうするってなんだよ。お前なんか悩みとかあんの?」 ダイチ「あるに決まってんだろ。ないと思うか?」 シン「ないようにしか見えないな」 「お前が考えてんのはせいぜい何時にアニメが放送してるかとかサイダーの王冠のことばっかだろ」 ダイチ「それはお前だろ」 「まぁいいから、ご教授してくれよ」 シン「ごきょうじゅ?」 「まぁ、いいぜ。悩みはなんだ」 シンはひょいと起き上がり、あぐらをかいた。 ダイチ「俺は受験をするべきかどうかってことだ」 ダイチが言うと、皆、静まり返った。 ダイチ「なんだよ…そんな静かになんなよ」 「皆にも意見を聞きたいんだ」 ダイチは困った顔をしてため息をつく。 ヒカリ「だってダイチ。受験するってことは、波都の町から…っていうかこの島からいなくなるってことでしょ?」 ダイチ「まぁ合格したらそうなるよな」 ダイチは当たり前のことだと言わんばかりに言った。 話によれば、ダイチが受験しようとしている学校というのはここからかなり遠い場所らしい。 合格すれば、ダイチはこの島から引っ越すことになる。イチコと同じように。 ダイチは一応は受験をすることを前提として家庭教師をつけたり受験勉強に勤しんでいるという。 もし、合格すればダイチはあともう一年と少しくらいしかこの島にいれなくなる。 未悠「それは、私たちが決めて良いことなの?」 いつのまにか半身を起こしていた未悠が言った。 シンやしずかは聞こえないふりでもしているようにまるで無反応だった。 ダイチ「むしろ皆に聞きたいんだよ」 未悠「そっか」 「うーん」 「質問で返すけど、ダイチはどうしてそんなことを私たちに聞くの?」 ダイチ「え?そりゃあさ、よく分かんないけど、友達だからじゃないか」 「俺一人で勝手に決めて、勝手にさようならってそれはないだろ?」 「調子乗んなよ。別にお前がいなくたって寂しくはねぇよ」 これまで黙っていたシンがぶっきらぼうに吐き捨てた。 ダイチ「けっ!何言ってんだよ」 ヒカリ「そんなこと言いながらほんとは一番寂しがってるやつ〜」 ヒカリが妙なリズムに乗りながらシンの背中をちょんちょんつついて揶揄う。 シンはそれでもムスッとしていた。 ユウ「僕は寂しいよ」 「ダイチは背も高いし、いなくなったらなんか寂しい」 ユウは至って真面目に不思議なことを言った。 ダイチ「いやそれはなんか違うような気がするけど…」 しずか「最終的には、あんたが決めることでしょ」 「私たちに聞いてもさ、仕方ないよ」 しずかはやけにさっぱりきっぱりそう言い切った。 「そうだそうだ。そうなんだよ!」 シンが活気を取り戻したように顔を上げた。 シン「そうに決まってる!お前がそれ分かってないわけないんだ!なのにいちいち聞いてきやがってこのしみったれ野郎!」 「決めるならお前で決めろ!」 「俺たちに決めさせんなよ」 「行くなら行け!残るなら残れ!」 「どっちも止めないさ。ここにいるのは皆、そういうやつだ!」 「寂しいとか関係ない」 「別に、お前がここにいなくたって絶交するわけじゃないんだ」 「ハクとイチコもおんなじさ」 シンは熱を帯びた声で捲し立てた。 それを聞いたダイチは、ああそうかと納得したように言ってすっきりした表情を見せた。 ダイチ「全く。子供には難しい選択だぜ」 それからダイチは爽やかに笑った。 ハクは何も言えなかった。 明日、ここからいなくなる奴が書ける言葉などないと思ったのだ。 でも、シンの言うことが全てだと思った。 風が吹いてきた。 さっきより、少し冷たい風だった。 「ねえ」 しずかの声がした。 しずか「みんなさぁ、今、楽しい?」 それはまるで独り言みたいだったが、その言葉は確かに全員に聞こえていた。 「楽しいに決まってるぜ」 シンが迷いなく答える。 「つまんないって言う方がおかしいな」 ダイチが言い切った。 「楽しいよ。嫌なことが一つもないし」 ユウは澱みのないくっきりとした声で言った。 「すっごく楽しい!ずっと遊んでいたいくらい!」 イチコが無邪気に言って笑う。 「楽しいよ」 「うん!楽しくないわけない!」 未悠とヒカリが続けて答える。 誰も迷いがない。 「ハクは?」 しずかは仰向けに寝たまま、ちらりとハクを見る。 「楽しいよ。本当に」 ハクはちょっぴり恥ずかしかったけど、本心をそのまま口にした。 しずかの表情が綻んだ。 そして小さく「良かった」と呟いた。 ハク「そっちはどうなんだよ」 しずかは再び空を見上げた。 「楽しいよ」 「今がずっと続けばいいって思ってるくらい」 しずかの小さな声が優しく風に流されて、皆に吹き渡る。 ヒカリ「ずっと続けば良いよね」 シン「きっと続くさ。当たり前だ」 シンがおそらくなんの根拠もないのだろうがそうはっきりと自信満々に言い切ると、しずかは安心したようにふぅと息を吐いて、もう一度「良かった」と言った。 しずかの安心した顔を見てハクもなんだか嬉しくなった。 ダイチ「なぁ。流石にもう皆宿題やったよな?」 ダイチが突然、皆を現実に引き戻した。 シン「おいやめろよ ダイチ「絵日記くらいはできてんだろ?」 シン「絵日記は最初の二日目から書いてない」 ダイチ「何やってんだよ。今年の夏なんか楽しいことだらけだったんだから描くことには困らないだろ」 ヒカリ「そうだよ。シン」 「絵心のない私でも毎日楽しんでぜーんぶ描いたのに!」 ヒカリが得意の信じられないものを見る目でシンを見る。 シン「俺の場合は楽しすぎて絵日記どころじゃなかったんだよ」 「でも、確かにこの夏は最高だったな」 シンは宿題から話題を逸らしたかったのか、感慨深げに言ってふうと息を吐いた。 ダイチ「そりゃあそうだ」 「間違いなくこれまでで一番の夏だった」 ヒカリ「いろいろあったよね」 「水泳大会とか!超鬼ごっことか!」 未悠「ハクが一人で皆を逃したのは本当に凄かったよ」 イチコ「私からしたら、すごく悔しかったけどね」 「でも、そのあとの私との決闘でもハクは強かったし、真っ直ぐに勝負してくれて良かった!」 皆が口々に自分を褒めてくれるのでハクは小っ恥ずかしくて聞こえないふりをしていた。 でも、嬉しかった。 そこに、しずかが鋭い槍を放ってきた。 しずか「あんまりハクを褒めすぎない方が良いよ」 「調子乗って何しでかすか分かんないからね」 「こいつ、変に負けず嫌いだし」 しずかの言葉は刺々しかったが、恥ずかしさに襲われている今のハクにはそれがちょうど良くて、気持ちが妙に落ち着いた。 シン「なんだよしずか」 「最後くらいハクを褒めるとかそういうのないのか?」 シンが呆れた顔をしてしずかを見る。 しずか「最後って、まだ最後じゃないじゃん」 「最後は明日でしょ」 しずかはちょっと不機嫌そうに答えて、ぶちぶちと千切った草をシンにぽいと投げた。 ハク「じゃあ、明日は褒めてくれんの?」 ハクはほとんど冗談で言った。 しずかはハクを見て眉を上げ首を捻った。 しずか「どうだろうね?」 「ご褒美にそれくらいはしてあげても良いかなぁ」 ハク「もったいぶるなぁ」 シン「へへへ。しずかが人を褒めるところなんてそうそう見れるもんじゃねぇからなんだか楽しみだぜ」 しずかから投げられた草切れを弄び、地面に捨ててシンはニカニカ笑った。 しずか「そんな大したことじゃないし」 「でも。まぁ、ビックリはするかもね。みんな」 「ハク次第だけど」 しずかはやけに含みのあるような言い方をした。 それから一人で空を見つめて落ち着かないような様子で何度かため息を吐いていた。 ハクたちを飲み込む空が茜色に変わり始めた頃、ユウがいきなり飛び起きた。 ユウ「あ!僕カメラ持ってきたんだった!」 ユウは、岩の上に置いていた小さなバッグを漁って中からケース入りの銀色の綺麗なカメラを取り出した。 シン「うおっすげぇ」 ユウ「お父さんのだよ」 「貸してもらったんだ」 「これで、皆で写真撮ろうと思って」 ユウは難しい顔をしながら高価そうなカメラをいじいじと触った。 ハク「写真か…」 ハクは写真に映るのが苦手だ。嫌いではないのだが、撮影される時、いつもうまく笑えない。 シン「なんだよそれ最高だな!よぉし!並ぼうぜ!」 ヒカリ「早く撮らないと暗くなっちゃうしね!」 ハクたちは波都の町が見渡せるあたりでぎゅっと集まった。 シンは一番前のど真ん中に陣取った。その隣にはヒカリがいる。 ハクは、後ろに立った。 ユウが岩の上に上手にカメラをセットして忙しなく駆けてくる。 ユウ「急いで!たぶん五秒くらいしかない!」 しずか「ハク。あんたなんでそんな怖い顔してんの」 隣のしずかがハクを睨む。 ハク「いや別なそんなつもりは…」 しずか「笑いなよ」 ハク「笑えって言われて笑えるかよ」 しずか「あっそう」 「じゃあ」 しずかはハクの脇腹をぐにゅりと揉んだ。 しずかの指は見事にハクの脇腹のくすぐったいツボを捉えて揉み潰し、ハクはとびきりの笑顔を浮かべてしまった。 その瞬間、シャッターが切れる音がした。 ハク「おい!」 とんでもないところを写真に収められ、ハクはしずかに突っ込むように、しずかの肩を軽く叩いた。 しずかはイタズラっぽくくすくす笑っている。 しずか「感謝してよ?笑わせてあげたんだから」 ハク「そう…なのか?」 ハクが首を捻ると、しずかは「そういうことにしておきな」と言った。確かに、あのままだと自分だけ笑顔を見せていなかったかも知れないので、しずかには感謝するべきなのかもしれないとも思った。 でもやっぱり、納得はできなかった。 ハクはこの時、その一年後くらいに別の人物によって今と同じような状況を味わわされることになるとは思ってもいなかった。 下りは行きしなよりもずっと早く感じた。 坂道はやっぱりゆるやかで、まるでこの山が自分たちを優しく見送ってくれているように思えた。 下山した頃にはとっくに夕方になっていた。山の中だからだろう、ひぐらしの声がよく聞こえた。でもその声を聞いているといよいよ今日が終わるのだと実感して寂しさを感じた。 空野家への近道は使わなかった。 わざと遠回りにぐるりと回って登美の川まで出た。そこで、ダイチと未悠とはお別れした。 ハクは、二人の影が見えなくなるまで見送った。 フォーク道でしずかと別れた。 しずかはやっぱり、また明日と言って橋を渡って行った。 ハクもそう言いかけたのだが、気恥ずかしくなってやめた。代わりにシンやヒカリがイチコがでっかい声でまた明日!と言ったのできっと自分が言わなかったことにしずかは気づいていなかったようにハクは思う。 家の前で、シンとヒカリそしてイチコと別れた。 ユウと二人になったハクは、二階の玄関から家に入った。 夕陽の差し込む開け放たれた玄関はどこか物寂しげだ。古びた焦茶色の床や天井がそう思わせるのかとハクは感じた。でも多分本当はそれだけではない。 目の前のこの光景が最後だと分かっていたから、寂しく感じたのだ。 ユウが一階に降りて行く。ハクはもう少し、この見慣れた家を目に焼き付けておこうと、外に出てぐるりと家の周りを歩いた。 壁に立てかけてある錆びついたホーロー看板。いつのものかもわからないボロボロの広告の張り付いている壁。少し前までは蝉が毎朝鳴きに来ていた木。 そして。 ちょうど一階と二階の境目となっている石垣に和装の女が腰掛けていた。 宮司だった。 「ほぅ。思ったより早かったな」 宮司は訳のわからないことを言ったが、いつものことだからハクはそれほど気にしなかった。 ハク「なんでここにいるんだ?」 「不思議か?私とて別に神社から出られないわけではない。ちょっと散歩だ。用があってな」 宮司はすくりと立ち上がる。 「明日の朝の便で帰ると聞いた」 宮司は低い声でそう言ってカランカランと下駄を鳴らして歩く。ハクは頷き、宮司について行く。 「寂しいか?」 ハク「まぁ」 「なんだか、つまんないよ」 「早くまたここに来たいと思う」 ハクは、なぜかこの宮司には正直に気持ちを伝えられた。 「たいそう良い時間を過ごせたのだな」 「それは良いが、あまりここに囚われすぎるな」 宮司は言って、腕を組んだ。 ハク「どういうこと?」 まるで、ここが悪い場所であるような言い方に聞こえた。 「この町で過ごしたこと、この町で結んだ友情、友人感性すべてに心を奪われすぎるなとそう言うのだ」 ハク「それってなんで?」 「過去に囚われ過ぎれば今目の前に広がっている真実が見えなくなる」 ハク「かこ…」 「そうだ。お前は明日、ここを出るだろう?そうするとここで過ごしたことや友人たちはお前にとって過去のものとなる」 ハク「そうだな…」 「それに囚われすぎるな」 「過去というのはいつも大抵綺麗に見えるものだ」 「歪んだ過去は忘れてしまい、そうでない過去だけが残る。そしてさらに残った過去がより美しく見えるよう細工をする だから人は過去の思い出に浸りたがる」 「そして囚われる」 「過去は常に曖昧模糊としたものだ。決して現在と重ね合わせてはならない。現実での生き方を踏み誤ることになる」 宮司の言っていることは、分かるような分からないような話だった。ハクが難しい顔をしていると宮司は眉を上げた。 「難しいか?」 「つまり、思い出に囚われすぎるな、と言うことだ」 「前を見ろ。どうするべきかは常に今を、現実を見て考えろ」 それならばなんとなく分かった。 とにかくあまり後ろを向くな、と言う事だろうか。 ハクがそう言うと、宮司は、まぁそんなところだ、と言った。 ハク「宮司のお姉さん」 「お守りありがとう」 「なんとなくこれで助かったこともあったのかも」 ハクは首にかけているお守りをぐいと引っ張って宮司に見せた。 「うむ。またいつかここに来い。そしたら新しいお守りを渡してやろう。今度はもっとかっこいいのをな」 宮司はにこりと笑った。優しい顔だった。 ハク「ほんとか!じゃあ絶対来るよ」 ハクは嬉しくなった。その喜びはお守りが貰えるからというより、宮司の言葉でこの町に帰ってくることを歓迎されているような気になったからだ。 「さらばだ矢内ハク。達者でな」 宮司はそう言ってからんからんと下駄を鳴らして歩き去って行く。 オレンジ色の光が差す中、背を向け去って行く宮司の後ろ姿をハクはしばらく目で追っていたが、やがてゆらりとその影は揺れ、突然、見えなくなった。 リビングでは奈水が夕飯の配膳をしていた。ユウは自分の席に座って漫画を読んでいる。 レイナ姉ちゃんはいつも通りゲラゲラ笑いながらテレビを見てオレンジジュースをガバガバ飲んでいた。 レイナ「ハクあんた明日帰るんでしょ?」 「多分びっくりするよあんた」 レイナ姉ちゃんがオレンジジュースを並々注いだコップ片手に言った。 ハク「え?なにが?」 レイナ「ここがどんだけ田舎だったかわかるって話!」 「今私が見てるこのテレビって多分あんたが住んでる地域だととっくに放送されてるやつだったりするし」 「はーあ。いいなぁ都会は」 ハク「いや俺別に都会に住んでないって」 レイナ「あのねぇ」 「田舎から見たら大抵の都市は都会なの」 「まぁあんたも明日それを実感すると思うワ」 レイナ姉ちゃんは言ってオレンジジュースをまたガバガバ飲んだ。 「あーあ。もう夏も終わりか」 夕飯のオムライスを食べ終え、片付けを手伝っている時、洗剤で泡ぶくになった流し台に手を突っ込みながら奈水が呟いた。 ハク「あっという間だった?」 ハクは大人がどう感じているのか少しだけ気になった。以前、大人は時間の流れが早いとかそういうことを聞いた覚えがあったのだ。 奈水「うん?そうだねぇ。あっという間」 「だってさ、ハクくんが来たのがつい二、三日前のことって感じだもん」 ハク「うえっ。そんなに?」 奈水「そんなに」 「大人はねぇほんっとに時間が過ぎるのが早いのよ」 ハク「それってどうして?」 奈水「どうしてだろうね?」 「多分…もうたくさん色々経験しちゃったからだと思うよ」 「子供みたいに新しいことに巡り会える機会がほとんどないから、かな?」 ハク「そうなの?」 「俺も結構、いろいろ経験してると思うけど」 ハクはそういう自信があった。もちろん、大人に比べれば大したことはないのに、この時はなぜか張り合ってしまった。 奈水「そうなの?」 「だったらハクくんは人よりも早く大人になるかもしれないね」 「色々経験することは大事だからね」 「嫌なことも良いことも」 「それを成長に繋げられることが大人になれるかどうかってところ」 奈水はスポンジでこしゅこしゅと皿を磨く。 奈水「すぐに大人になるつもりなら…今のうちに楽しむことも楽しんでおいたら良いよ」 「大人になるとできないこと、沢山あるからね」 奈水はそう言ってハクから皿を受け取った。 ハクは、こうして無責任に皿を渡して洗い物を任せるのも、大人になると出来ないことなのかもしれないと思った。 おそらく最後になるであろう風呂から上がってポカポカしたままのハクが階段を上がるとちょうどレイナ姉ちゃんの部屋のドアが全開になっていた。部屋ではレイナ姉ちゃんが勉強机の椅子に座ってぐるぐる回転していた。 レイナ姉ちゃんはハクに気がつくと、ニタニタ笑った。 ハク「なんだよ」 レイナ「いやぁなんか浮かない顔してるから」 「ひひひ」 「あんたどうせ明日帰るのが嫌なんでしょ?」 ハク「まぁ嬉しくはないよ」 ハクは部屋に入った。相変わらず、豪胆な性格に反して部屋は綺麗だ。 レイナ「かっこつけんな」 ハク「つけてないし」 レイナ「あははは!」 「別にね、正直に感情を伝えることってのは恥ずかしいことじゃないのよ」 ハク「いや別に…」 レイナ「寂しいとか怖いとか、ムカつくとか、好きとか嫌いとか、そういうのは別に恥ずかしいことじゃない」 「特にね、好きとかそういう良い気持ちは積極的に伝えるべきなんだから!」 レイナ姉ちゃんは自分でそう言っておいて、良いことを言ってやった、みたいな顔をした。 ハク「でもやっぱり、そういうのって正直に言えないよ普通は」 レイナ「まぁな」 「だから正直ものって私はカッコいいと思うんだ」 「皆が照れくさがっている中で正直に前向きな気持ちを伝えるってのはすごくかっこいいし大人だと思うんだよ」 レイナ姉ちゃんはそう言ってまた得意げな顔をしてまたまたオレンジジュースを飲んだ。 ハク「そうか…」 大人のレイナ姉ちゃんがそう言うのならそうなのかもしれないとハクはそう思えた。 正直に伝える。例えば好きとかそう言う気持ちも。だったら自分もしずかに─── そこまで考えてハクは心臓がばくばくと大きく鳴り、体温が上昇するのを感じた。ハクは慌てて首を横に振ってその気持ちを振り払った。 ハク「レイナ姉ちゃん。俺、この夏、大人になれたかな」 しずかなんかには散々ガキンチョ呼ばわりされてきた。でもこの夏、色々と経験して、色々な話を聞いてきて少しは大人になれたのではないかという自負もあった。 ハクが聞くとレイナ姉ちゃんは眉を顰めた。 レイナ「あんたは大人になりたいの?」 まるで、ハクがバカみたいな質問をしたようなそんな反応だ。 ハク「ガキンチョよりはよくない?」 レイナ「はっ!」 「どうかねぇ」 「良し悪しよ」 ハク「おばちゃんもそんなふうなこと言ってた」 レイナ「つまりそれが正解だ」 ハク「でもガキンチョのままじゃダメだろ」 「バカにされるし」 レイナ「そうだなぁ…うん」 「安心しろ」 レイナ姉ちゃんはコップをとんと机に置いて、じっとハクを見た。脳天からつま先まで見下ろして、それからゆっくりと頷く。 レイナ「最初に会ったときよりは少しだけ、いいや、ずっと大人になったよ」 レイナ姉ちゃんは優しく言ってそっと頭を撫でてくれた。 よく日に焼けた大人の手のひらがハクの丸い頭に触れた途端、ハクは密かに抱いていたガキンチョのままという劣等感みたいなものが削ぎ落とされたような気がして落ち着いた。 レイナ「でも今はまだガキンチョでいいじゃん」 「人は余程のことがない限り、絶対に大人にされてしまうんだからさ」 レイナ姉ちゃんの言葉は削ぎ落とされた劣等感の下に剥き出しになっていたまだ未熟な大人の心に染み込んだ。 勉強机の向こうの開けっぱなしの窓からは、冷たい夜風が吹いてきた。


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