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シニンノカゲ:1章part2

2. 血の警告 翌日の朝。羅那は電車の中で、車窓の向こうの冬らしい曇り空を見つめながら旧校舎に行くことばかりを考えていた。 確かに、羅那にも旧校舎の噂を確かめたいという好奇心はある。 数年前の生徒たちの集団失踪事件。 その失踪事件と関係があるかも知れない七不思議。 そして愛維の言う未来予知の妖怪くだんの噂。 どれも羅那の興味をそそる。 特に、羅那も聞いたことがなかった"くだんの噂"。その噂が事実であるならば、それはつまり妖怪が旧校舎にいるということだ。 妖怪。それは怨みを持って命を落とした人間が化ける通常の怪異とは違う。人間やそれ以外の動物が化けることもあれば、時には物体が化けることだってある。 妖怪とは人々の営んできた習俗が産むものでもある。信仰心が産むものでもある。恐怖心が産むものでもある。 妖怪は人々から恐れられ、ある時は親しまれ、またある時は神として崇められることもある。 それが妖怪なのだと思う。 少し前に、人と妖怪の大きな戦争が終結した。大勢が犠牲になったと聞いた。でも最後は、妖怪たちも救われたのだと──聞いている。 妖怪たちのほとんど全員が、浄化したのだと──聞いている。 もしも旧校舎に妖怪くだんが出るのなら、妖怪はまだこの日本にいるということだ。 確かめてみたい。 そんな気持ちが羅那の内に沸いている。 それに。未だに失踪したままの生徒たちの手がかりも見つかるかも知れない。 勿論、旧校舎に立ち入ることはルール違反であるし、だいいち危険だ。 本当に怪異が出れば、大事になる。 羅那も愛維たちも当然だが退魔のプロでは無い。ど素人だ。 だけど、たった一度。たった一度、旧校舎に立ち入るだけなら──。 それで、自分の気も、愛維の気も晴れると思う。 そもそも怪異などそうそう遭遇することなどない。 羅那は、心霊オカルトサイトの取材で既に何年も怪奇スポットに足を運んでいるが、妙な噂が立っていても現場に行ってみればなんの変哲もないただの廃墟だったことがほとんどだ。 今回もそうなのかも知れない。 だけど、単なる噂だとしたら、説明がつかない事もある。 生徒の集団失踪事件。 あれは新聞にも載っていた、本当にあった事件だ。 ──だとしたらやっぱり噂は本当なのかな。 羅那の気持ちは、揺れていた。 噂が本当であって欲しいと思う気持ちと、噂のままであって欲しいという気持ちの間で。 噂が噂なら、愛維たちが危険な目に遭うことはない。 だけど、噂が噂でないのなら…間違いなく、危険な目に遭うだろう。 今、退魔師には頼れない。 でも。その分、羅那たちは噂の真実に近づくことができる。 失踪事件の真実にも。 羅那はマフラーに口元をうずめた。 程なくして最寄りの駅に着いて、ドアが開いた。 新校舎に移転してから、通学時間は短くなった。その気になれば自転車でも通えるのだが、通学定期の期限もまだ残っているため羅那は電車通学を続けていた。 高校の最寄り駅である"黒谷駅"は、改札を出てからもしばらく構内の通路を歩かねば駅の外に出られない。 この通路は近くの歩道橋とそのまま繋がっており、眺めは良いから羅那は好きだった。 黒谷駅周辺は、たぶん、田舎だと思う。周りにお店はいくつもあるけれど、都会のような煌めきがない。 校舎移転で都会の学校に通えると期待していた生徒たちの中には、この黒谷駅の環境にがっかりした者も多かったようだが、夏まで通っていた校舎のあった土地もどちらかというと田舎だったし、羅那はこういう場所の方が落ち着く。 沢山の生徒やスーツ姿の大人たちに混じって階段を降り、ようやく駅前広場に出る。 タクシー乗り場のあるロータリーには噴水があり、たまぁにカップルなんかが座っているのを見かける。 近くにはちょっとしたスーパーやらがあって、電車が来るまで時間がある時にはそこで惣菜パンやお菓子を買って食べる事もある。 駅前広場を抜けて狭い歩道をゆく。この時間は通勤通学の者でいっぱいだから、すれ違うのに苦労する。 コンビニに立ち寄る。 いつも通り、ミックスジュースを買う。 会計を終えてから、雑誌のコーナーをちらりと覗き見る。 そして思う。このコンビニは"分かってる"と。 ここには、心霊オカルト専門誌の"月刊U"が置いてある。 月刊Uには、羅那のイチオシのライターが寄稿している。 羅那の愛読書だが、コンビニに置いていることは稀だった。 多分、コンビニで月刊Uを買っているのは、羅那だけだ。 その証拠に、羅那が買うとそれ以降は次号が出るまで一切、補充されない。 羅那はいつも帰りにUを買う。だから今日も、放課後に買うつもりでいた。 ジュース片手に、部屋でじっくり月刊Uを読む時間は最高なのだ。 今月号は確か、宇宙人特集だったか。考えるだけで胸が躍る。 羅那はまだ見ていない雑誌の中身をあれこれ考えながら通学路に戻った。 羅那は大勢の生徒が歩く表通りではなく、少し遠回りになるが住宅街を抜けていく道を選んだ。 こっちの方が、好きだ。 住宅街を抜けて、大通りに戻るとそこでようやく校舎が見える。 元は私立姫咲学園だった──西倉山高等学校の新校舎が。 校舎は潰れてなくなった校舎と比べるとかなり大きいし、綺麗だ。 だけど、校舎と呼ぶには違和感がある。 これは、校舎というより──洋館。そう呼んだ方が羅那にはしっくりとくる。 勿論、内装は一般的な校舎とそう変わりはないのだけど。 校舎の後ろには大きな山がある。名前は知らない。 対応が追いついていないのか門柱にはまだ、かつての校名が刻まれたままだ。 校門を抜けるとここにも噴水がある。 気のせいだ。 気のせいだと思うけれど、校門を潜ると、空を覆う雲がいつも鉛色に変色するような気になる。 学校なんて、そもそも楽しい気持ちで行くところではない。だから、どんよりしてるのだろうと思っている。 昇降口に入った時、羅那は校内の異変に気がついた。 いつもは、なんだかだらっとした空気が流れている昇降口。 その昇降口の空気が、なんだか落ち着かない。 上履きに履き替え、未だに見慣れない豪勢な玄関ホールへ上がると、大勢の生徒たちがホールの奥に群がっていた。 ここが洋館だと錯覚しそうになる玄関ホール。 落ち着きのない空気の発生源は、ここだ。 羅那は吸い寄せられるように生徒たちの群れへと近づいていく。 ホールの奥。トロフィーやら盾やらが飾られたショーケースや棚の上──その壁に──。 真っ赤な文字が羅列されていた。 べったりとした赤黒い文字のようなものはまるで血のようだった。 こんなもの…昨日までは無かった。 「ねぇこれ何?」 「こわー。いたずら?」 「っていうか何て書いてあんの。読めなくない?」 壁にべったりと記された文字の羅列を見た生徒たちは口々に疑問を口にしている。 あちこちから真っ赤な文字をスマートフォンで撮影する音がする。 羅那の心臓がどくんと痛み、手のひらにじわっと汗が滲む。 ──これは。 羅那はじっとその赤文字を見つめていた。 周りの生徒たちがあの文字を読めないのも無理はない。 文字は比較的、丁寧に書いてある。 だけど、読めない。 当然だ。 ──これは、警告文だ。 羅那は静かに息を飲んだ。 ◯ 授業中も羅那はノートにひたすらあの文字の示すメッセージを書き続けていた。 何度も何度も、何度シャープペンシルの芯が折れても、書き続けていた。 玄関ホールに書かれていたあの文字。あの、血のような文字。誰も読めていなかった文字。 あの文字のことを知らない者があれを読めるはずがない。 あれは、"鬼界文字(きかいもじ)"だ。 鬼界文字というのは、死者と死者がやり取りする際に使用する文字だと言われている。 死して、"鬼"籍に入った者が住まう世"界"でのみ通用する言葉。 羅那は一時期、鬼界文字を熱心に研究していた時期があった。だから、読めた。あの壁の文字を。だから、戦慄した。 あの壁には── "私たちに近づくな" そう書いてあった。 まるで、警告文だ。 "私たち"とは──鬼界文字を操る死者のことか。 死者。 この辺りで死者がいるのは──旧校舎か。 ならばあの文章は、旧校舎には近づくなということになるのか。 ──考え過ぎかな。 否。羅那たちが旧校舎を調査することに決めたのはつい昨日のことだ。そして今日、あの警告文が描かれた。 偶然か。 偶然でないなら、羅那たちが旧校舎に入ることを知った死者があの文章を書いたのか。 何故。 もしも死者があの文字を書いたならば、その巣に入り込む羅那たちは格好の獲物のはずだ。 むしろ、おびき寄せようとするものではないか。 何故、警告するのか。 あの文字は、いたずらか。 その線も考えたが、この学校で羅那以外に鬼界文字を操ることのできる者など、羅那の知る限りいない。 羅那でさえ、読むことは出来ても自在に文章を書くことなどままならないというのに。 もしも死者ではない生者があの文字を書いたならば、相当な知識を持っていないと書けない。 だとしたら、やはりあれは死者からの警告文か。 だったら。だったら、旧校舎には立ち入らない方が──。 そんなことばかりを考えているうちに昼休みがやってきた。 なんだか今日は時間の流れが早い気がした。 いつもは待ち遠しい放課後を遠ざけたいと思っているからだろうかと思った。 羅那は教科書とノートをしまい、お弁当を持って教室を出ようとすると、廊下で"笹木 澪(ささきみお)"が待っていた。後ろには、澪と仲の良い滝 歌巴がいる。 笹木 澪は、羅那と同じ進学クラス二年四組の生徒だ。 浅黒い肌に癖っ毛の黒い髪。やや猫背で実際の身長よりも少しだけ小さく見えるが羅那よりは背が高い。 彼女も愛維のグループに属しているが、正確はかなり真面目で勉強熱心で成績は学年でも常に上位に位置している。 羅那が廊下に出ると澪と歌巴も羅那に並んで歩き出した。 三人で愛維のいるクラスに行くのが、常だ。 澪は不安げに羅那を見ていた。 「羅那。本当に…行くの?今日」 旧校舎のことだ。 「行くしか…ないと思う」 ──本当は行くしか選択肢が無いなんてこと、ないけれど。 「だよねぇ…」 歌巴が深いため息をつく。 前髪を作った黒いセミロングの髪。白い肌。歌巴は、アイドルグループにいそうな顔立ちをしている。 「バイト入れとくんだった…」 歌巴はがっくりと肩を落とす。歌巴は怖いのが苦手なのだ。 「歌巴ちゃんさ、嫌だったら、待っててもいいと思うよ…無理して行くところじゃないからさ」 羅那は横を歩く歌巴を見てそう言った。 羅那のような怪奇好きでさえ実際に怪異と遭遇すれば冷静さを失うのだ。歌巴みたいなタイプならどうなるか分からない。 それに、あの警告文が本当なら…旧校舎には…。 歌巴は考え込むように少し黙って、唇を舐めてから首を横に振った。 「ううん。大丈夫。ありがと。行くのは一回だけでしょ。それなら肝試しってことで…」 歌巴はそう言ったが、その声に張りはない。 いつもは瞳の中までキラキラしているのに、今の歌巴はどんよりしている。 羅那たちは渡り廊下に続く角を曲がった。 ステンドグラスがある教会のような造りの渡り廊下だ。 「あの玄関ホールの落書き…気持ち悪いよね」 澪が俯きながら言った。 羅那の脳裏にまた、あの鬼界文字が過ぎる。 「あれって…なんなん…だろうね。まさか…幽霊の仕業じゃ…ないよね」 「やめてってば澪。今日に限ってさぁー」 歌巴が澪の肩を掴んで、揉む。 「それ禁止」 澪が人差し指で歌巴の横っ腹を突っつくと、歌巴はひゃあと声を上げて飛び上がってケラケラと笑った。 この二人は中学からの付き合いで、大変に仲が良いのだ。 「でもほら…"ああいうこと"するって決めたあとのことだし…ねぇ羅那…あれ幽霊とか関係ないよね。ただのいたずら…でしょ…?」 澪は不安げに羅那を見つめる。 羅那にはその目が、真実を知りたい目ではないように見えた。 澪は安心したいのだ。 だから──。 「いたずら…だと思う」 羅那は本当のことを言わなかった。 言えなかった。 あれが死者からの警告文かも知れないなんて。 旧校舎に行くことはもう決まっている。 愛維がわざわざ鍵まで用意することになっているのだ。 それを今更、断るなんて──。 羅那たちは行くのだ。旧校舎へ。 そんな状況で死者らしき者から警告があったなんて伝えれば、それは皆を恐怖させるだけ。 現場で取り乱す原因になるかもしれない。 真実を教えるのは、無事に帰って来てからの方が良い。 羅那はそう判断した。 二年一組の教室の窓際の席に、愛維と乃恵が向かい合うようにして座っている。 二人とも次の授業が体育だからか体操服姿だった。 運動着になると、愛維はなんだか普段の気迫が薄まる気がする。 逆に乃恵は制服姿の時よりも目立つように思える。 愛維は羅那を見るなり、満面の笑顔で手を振った。 羅那も小さく手を振り返した。 羅那たちは近くの空いている椅子を引っ張ってきて、愛維を囲うように座る。 程なくして購買に行っていたという叶夢もやって来た。 羅那は前髪を軽く直してから、弁当箱を開けた。 「ねぇねぇ。鍵、行けそうだよ」 愛維が笑みを浮かべ、小声でひそひそと囁くように言った。 羅那の、プチトマトを摘みかけていた箸の先がぴたりと止まる。 羅那は澪と歌巴の方をチラリと見たが、二人ともさっきのような不安げな様子は見せていなかった。 ただ、歌巴はもぐもぐと動かしていた口を止めている。 「言ってた通り…用務員の内山さんに話しつけといた。もちろん、旧校舎のことは教えてないよ。あとは…旧校舎の鍵を借りるだけ」 愛維はふふふと悪い笑みを浮かべた。 「そ、そっか…すごいね…ほんとにやっちゃうなんて」 素直に褒めて良いのか分からなくて、羅那は恐る恐るそう言った。 「でしょ?私、すごいから」 愛維が胸を張って自慢げにまた笑みを見せた。 「本当に大丈夫なの?」 紙袋を開ける音と共に、叶夢がそう言った途端、愛維の顔が強張った。 「なにが?」 愛維はつまらなそうに低い声で言った。 「ほら玄関の落書き見たでしょ。あれ、呪いの文字とか言われてるよ。もしそうなら今、行くの…やばいかもよ」 叶夢は砂糖をまぶされた揚げパンに齧り付いた。 「叶夢まで何言ってんの?ちょっと見るだけじゃん。それに…羅那がいるんだから、ね?」 愛維はきらりとした目で羅那を見つめる。 そのとき羅那の頭にある考えがよぎった。 あの警告文に関して本当のことを言えば、愛維も怖くなって行かなくなるのではないかと…そう思った。 「あの文字さぁ…叶夢ちゃんの言うように…呪いの文字…かも」 もっとはっきり言わないといけないのは分かっていたのに、羅那は上手く言葉に出来なかった。 愛維を裏切りたくないと言う気持ちと、旧校舎の噂を覗きたいという気持ちと、澪や歌巴を逃がしてあげたいという気持ちがせめぎ合っている。 「羅那」 愛維は羅那を呼んで立ち上がり、羅那の隣に来た。 「羅那も凄いんだよ?分かってる?呪いとか跳ね返した人だよ?自信持ってよ」 愛維は羅那の肩に手を置いて言った。 あの呪いは、跳ね返したわけではないのだけど。愛維はそう思っているのか。 「だから、みんなで未来のこと…聞こうよ」 愛維は弾けるような笑みを見せた。 その眩し過ぎる笑みに言い返すことは出来なくて、羅那はゆっくりと頷いた。 愛維はうふふと笑い、好き、と言うと羅那にキスする真似をした。 今日のお弁当は、卵焼きも甘いやつだったし、プチトマトもいつもより多めに入っていて嬉しかったのになんだか上手く喉を通らなかった。 "旧校舎"という文字が羅那の頭の中に渦巻いている。 「ねぇ羅那。もし幽霊がいたら…どうすれば良いの?」 弁当箱を畳みながら乃恵が聞いた。 「あー…えっと、一応、教えとくね」 そうだ。怪異と遭遇した時にどうするべきなのかを教えておかねばならない。 「幽霊…怪異は、私たち生きてる人間から生命力を吸い取ろうとしてくるの。特に、笑い声は生命力を凝縮させたものだから…怪異は私たちをこう…こちょこちょくすぐって無理やり笑わせて来るんだ」 「こちょこちょ?なにそれ可愛いくない?」 不安げだった歌巴に少し明るい色が浮かぶ。 「そう思うよね。けど…地獄だよ。本当に。怪異からのこちょこちょは殺人行為だと思った方が良い」 羅那が言うと、歌巴はまた暗い顔になった。 「だから、遭遇したらまず逃げること。私たちみたいな素人が勝てるわけないから」 「逃げられなかったらどうするの?」 叶夢が首を傾げる。 「逃げる方法を考える。勝つ方法じゃなくてね。大抵…怪異の情報を頼りに怪異の精神を揺さぶったりするのが効果的…かな」 そうは言ったものの、旧校舎の怪異についての情報なんて0だ。 羅那たちは実質、丸腰で怪異の巣に脚を踏み入れるのと変わらない。 だから…。 「今回は、目撃したらすぐに逃げること。例え…くだんに会えなくても」 羅那は強い口調で言った。 「それ賛成」 歌巴が言うと、澪も叶夢も頷いた。 愛維は、黙ったままだった。 「あー歌巴!ほら早く!あの人、探してたよ」 廊下の方から女子生徒の声がした。 廊下を見た歌巴は慌てて立ち上がり、急いで廊下に出て行った。 その歌巴の後ろ姿を、愛維がじっと見つめていた。


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