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シニンノカゲ:2章part1

1. 死人の影 目の前で人の頭が飛ぶのを見た。 それは宙を舞って、床に落ちた。 あれは幻覚だったのか。 怪異は時に、生者を苦しめるためにああいった恐ろしい幻を見せる事がある。 或いは念が、特定の場所で過去に起きたことを幻視させることもある。 羅那があの時、旧校舎の何階かも分からぬ昇降口で見たものも、そのどちらかである可能性が高い。 その方が良い。 その方が良い。 だが。 首の無い女の着ていたあの制服は間違いなく西倉山高校の制服だったと…思う。 それに、あの臭い──あの濃厚な血の臭いは今も鼻腔の奥にこびりついたままだ。 幻視にしては生々し過ぎる。 羅那はそう思う。 だけど、幻視の方が良いのだ。 その方が、良い。 その方が──なんの違和感もない。 なんせあの夜、旧校舎に忍び込んだ羅那を含めた六人が全員、生きて旧校舎から脱出したのだから。 もし本当に、あの中の誰かが首を刎ねられていたのなら、生きているはずがない。旧校舎を出られているはずがない。 だから、羅那が見たものはきっと──怪奇な幻視であるのだ。そのはずなのだ。 旧校舎で起きたことは、"くね子さん"なる怪異が出たということ。 それだけだ。 それだけなのだ。 あの怪異が、過去に起きた姫咲学園の生徒たちの集団失踪事件に関連するのかどうかは分からない。 この先は羅那の専門外だ。羅那が足を踏み入れて良い領域ではない。 怪異が出たなら、退魔師の出番だ。 羅那が信頼している退魔師は現在、退魔師として活動することが出来ない状態だ。 学校周辺地域の退魔を任されている退魔師に頼むほかないだろう。 尤も、頼んだところで引き受けて貰えるかも分からないし、それで解決するかも分からないのだが。 羅那は、購買部で買った塩パンに齧り付き、友人たちの顔を──いや、首を何気なく見渡した。 スマートフォン片手に紙パックの野菜ジュースを飲む愛維の首にも、その正面に足を組んで座っている乃恵の首にも、叶夢の首にも、澪と歌巴の首にも…誰の首にも、当然、切り傷のようなものはない。 愛維は、くだんのことを口にしなくなった。 くだんの噂に関しては、まだ単なる噂であると確定したわけではないが、昨日あんな目に遭って流石に諦めもついたのだろう。 昨夜、羅那たちは校則を犯し、酷い目に遭ったが、最終的には誰も傷ついておらず、しかも愛維のくだんへの執着心を消すことが出来た。 結果はオーライだ。 そう思いたい。 羅那はゆっくりとパンを咀嚼し、お茶で喉に流し込んだ。 パンの入っていた袋を丁寧に折り畳んでゴミ箱に捨てようと羅那が立ち上がった時、ひそひそと小声で話し合っていた澪と歌巴がちらちらと羅那たちを見ているのに気づいた。 羅那と澪の目が合う。 上下のまつ毛の長い澪の目が羅那のその目をしっかり捉え、すぐに歌巴を見てぼそりと何かを告げた。 歌巴はそれを受けて頷く。 「ねぇ」 歌巴が恐る恐る声を発した。 スマートフォンに夢中だった愛維の目が、お弁当箱を片付けていた乃恵の目が、グミを食べていた叶夢の目が、歌巴に向く。 「みんなさぁ…」 注目を浴びた歌巴は、やや顔を引き攣らせ、言いにくそうにこう言った。 ──首の無い女の人、見てない? 羅那は思わず、一歩、引き下がりそうになる。 全員が歌巴を見たまま固まっていた。 誰も、否定しない。 首を横に振らない。 なぜ、お前も知っているんだと言わんばかりに不審げに歌巴を見ていた。 羅那も同じだった。 あの光景は、歌巴にも…他のみんなにも見えていたのか。 「それって…旧校舎で…」 羅那が声を小さくして言った。 歌巴が素早く頷き、澪と目を合わせてもう一度、頷いた。 「見た…かも」 愛維が紙パックを持ったまま力なく言った。 「私も」 乃恵は眉間に皺を寄せたままオデコの汗を拭う。 叶夢も黙ったまま頷いた。 全員が、あの誰かの首が飛ぶ光景を見ているならそれは──この六人の中には、首を刎ねられた者はいなかったということか。 「良かった…私と澪だけなのかなって!」 歌巴は顔を綻ばせ、澪の肩に寄りかかった。 「あれ…なんだったんだろう」 澪は羅那を見て言った。 羅那は、怪奇現象の一つでああいった幻覚を見せられることもある、ということを説明した。 「もう、大丈夫…ってことだよね」 歌巴が羅那の方に前のめりになって不安げに片頬を引き攣らせる。 羅那は、頷けなかった。 もしあの場所が呪われていたのなら…例え無事に帰って来れたとしても…何かが起きる可能性はある。 勿論、起きない可能性だってある。 羅那はそう言った。 「ええっ…嘘っ…」 歌巴の顔が青ざめていく。 愛維も眉を寄せて深刻な面持ちのまま呆然としていた。 「私たち…呪われてるかもしれないの…?し、死んじゃうかもって…こと?」 歌巴の声が震え始める。細い指もふるふると震えている。 「歌巴…」 澪が力の抜けた歌巴の肩を抱く。 やはり、本当のことを言うべきではなかったかもしれない。 「ごめん…でも」 本当のことを伝えないと、何か起きた時に対応できない。 暖房の効いた教室だと言うのに、歌巴は凍えるように震えている。 「死にたく無い…」 歌巴は血色の悪くなった唇を小さく動かした。 「死ぬってわけじゃ…」 呪われたからと言って死ぬと決まったわけではない。 「私たちは羅那みたいに強く無いんだよ」 歌巴は泣きそうな声で言った。 「私も別に強くは…」 羅那は確かに怪異との遭遇経験は豊富だ。 しかし、退魔師に比べれば、羅那など虫ケラのようなものだ。 「でも羅那は…この前の呪いの事件でもすごいことして生き延びたんでしょ」 歌巴を支配する恐怖が、そのどうしようもない恐怖が不満となって羅那へと向けられている。 羅那の心拍数が上がっていく。 「歌巴。旧校舎には、みんなで決めて行ったじゃん。呪われたとしても、みんなの責任でしょ」 乃恵が諭すように言って、組んでいた長い脚をほどいた。 「はっち…。でもさ…」 歌巴は涙目で乃恵を見た。 歌巴が旧校舎に着いて来たのは、100%歌巴の意思だったのかは、分からない。 歌巴になんと言葉を掛ければ良いのか。 羅那にはそれも分からない。 「大丈夫だって歌巴。羅那がいるんだよ?ねぇ?」 しばらく神妙な面持ちだった愛維が再びいつものギラギラした笑みを浮かべた。 愛維は相変わらず、羅那を頼りにしているようだった。 昼休みの終わり頃、歌巴はまた別の生徒に呼ばれてどこかへ行ってしまった。 昼休み終了のベルが鳴る五分前に、羅那と澪の二人は愛維のクラスの教室を出た。 次の古典の授業は眠くなるから大変だねと毎週のように交わしている会話のあと、澪が言いにくそうに切り出した。 「さっきのは、はっちの言う通りだよ」 澪たちは、鉢上乃恵のことをはっちと呼ぶ。 「だから、さっきはごめんね。歌巴…ほんと怖がりでさ」 澪は落ち着きのあるしっとりとした声でそう言った。 「ううん。無理もないと思う。私も…配慮出来てなかった」 誰もが心霊に対する耐性を有しているわけではない。 歌巴のように取り乱すのは当然だ。 だから羅那もこれから、心霊に対する耐性のない者との接し方を考えていかねばならない。 「あんなことになるなら、私も一緒に旧校舎には行かないって言えばよかった。そしたら…歌巴も行かないって決断が出来たかも」 澪は、癖っ毛の髪を触って少し切なげにため息を吐く。 「もう過ぎちゃったことだよ。私も…断れば良かった」 何を言っても時間は戻らない。 あとは、自分たちが呪われていないことを祈るのみだ。 昨夜、あんなことが遭ったばかりだったからか、それとも単に愛維に急用が出来たからか、いつもの放課後の集まりはなしになった。 おかげで久しぶりに羅那は、自身が運営する心霊オカルトサイト鵺の館の記事の執筆に夕方から集中することが出来た。 次回更新する記事は、インターネットに生息するというデジタル怪異についてだ。 執筆合間に、ミックスジュースを飲んで月刊Uを読む。 とても、幸せな時間だった。 そう言えば、学校の最寄り駅前のコンビニでは月刊Uが売り切れていた。 自分以外にUを買う人間が現れるなんて思ってもいなかった。 羅那は仕方なく、自宅最寄りの駅ビルの本屋で買った。 久しぶりにゆとりをもって記事を書き上げることが出来たが、時間が余ったので"出版社から依頼されている記事"の執筆にも時間を割いた。 夏のあの事件以来、知名度の上がった羅那の元に、オカルト・心霊ライターとしてのちょっとした仕事がいくつか舞い込んで来た。 月刊U程ではないが、心霊をメインにしたサブカルチャー誌での記事執筆の仕事だ。 と言っても…予め設定された都市伝説やUMAなどのお題に対して、羅那含めたライターや怪談師たちがどう考えるかという考察をちょこっと書くだけの仕事なのだが。 お陰で結局、この日も記事の執筆で日を跨いだ。 仕事を終えた頃にはくたくたで、ベッドに入るなり羅那はすぐに眠りに落ちた。 突然、羅那はくるまっていた布団を吹き飛ばし、上体を起こした。 どあっと汗が吹き出す。 聞こえた。 あの時の。 あの時の、悲鳴が。 旧校舎で聞いた、あの断末魔のような悲鳴。 首が刎ね飛ぶ直前に響いた絶叫。 それが確かに、聞こえた。 いや、頭の中に響いたのかも知れない。 乱れた呼吸を整えようと羅那が深く息を吸い込んだ時だった。 羅那はそれを見た。 部屋の隅の、どんよりと溜まった闇の中。 それは立っていた。 西倉山高校の制服を着た女。 羅那の心臓が音も立てずに強く胸を内側から叩いた。 冷たい血液が、全身を駆け巡る。 女には首から先がない。 羅那の脳裏に、あの光景がまじまじと甦る。 旧校舎で見たあの首の無い女が、部屋の隅にぼうっと立っている。 切断された首の断面から湧き出ている真っ黒い液体がごぼごぼと音を立てていた。 見覚えのあるシルエットだ。 だけど、誰なのかは分からない。 ベッドにいる状態では、首の無い女の背丈がはっきり分からない。 いや、見覚えがあるはずがない。 これは、幻覚だ。 単なる──幻だ。 見覚えがあるのは、旧校舎でこの幻覚を見たことがあるからだ。 そう言い聞かせようとしても──。 どうしても、それを受け入れられない。 自分で自分を否定してしまう。 羅那は、この首の無い女を知っている。 常日頃から見慣れている。 そう思うのだ。 そうとしか、思えない。 ではやはり──あの旧校舎で誰かが───首を────。 恐ろしい現実が頭をよぎった時、闇の中に佇んでいる首無しがぬうと手を伸ばした。 闇から伸びる白い手が、羅那に迫ってくる。 羅那は咄嗟に、枕元に置いてあった空女ノ神社の御守りを握り締めた。 ごぼごぼごぼごぼと、真っ黒い血が湧き立つ音がする。 首から溢れるどす黒い血が、沸騰している。 羅那は布団を引っ張り上げ、再び布団にくるまった。 気づけば朝になっていた。 朝日の差し込む自室に、あの女の姿はない。 あれは夢だったのだろうか。 羅那が寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こすと、手に違和感があった。 羅那の右手はぎゅうと何かを握ったままだった。 何か湿ったものが、手の内にある。 羅那はゆっくりと指を広げると、手のひらの上に汗の染み込んだ御守りがあった。 あまりに強く握り締めていたせいか、御守りは少し変形していた。


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