こんにちは、吉利です。
大家好,我是吉利。
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12月、一つ目のフリータイム月。
まずは先月末の睡眠問題を解決して(実は全然解決できなくて逃げてるだけです)、絵の勉強をしたいと思います。
「○○年○○月近況・研究」とは、近況報告や絵の勉強内容をメモする投稿です。
(フリータイムとは言え全く投稿しないと心配してくれる人もありますし)
勉強の目的は勿論上達であり、旧作の検討や改善とか色々したいという予定です。
なので、これを500円プランにして、「制作裏話」のタグを付けます。
これらの記事をこ↑こ↓でチェックしてください。
12月,Free Time後迎來的第一個月。
首先想辦法解決了上個月底開始的睡眠問題(其實根本沒解決只是逃避而已),然後決定開始進行繪畫的學習。
「○○年○○月近況・研究」是近況報告與繪畫學習等內容的筆記用投稿。
(畢竟雖說是Free Time但完全不更新的話也會有人擔心的樣子)
學習的目的當然是為了進步。所以我打算做的事情也包含了對舊作的檢討和改善。
所以我將這類投稿設定為500元方案,並附上「制作裏話」的標籤。
這些文章可以在這↑裡↓進行確認。
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絵の勉強と言えば、「どこから始めればいいの!?」です。😅
私もそうなんです。
パースか、ポーズか、手足か、股間か、何もかも不足で、何もかも勉強したいです。
でも、こういうこと考えてる時、ある盲点が気付いたのです。
どうして私は全然「顔の勉強」思ったりしないのか。
いや、しいて言えば、表情の研究は結構しています。
でも比率とか形とか全然考えたことが無い。
理由は「もう完成度高い絵柄、個人スタイルになった」です。
が、これが本当に「勉強する必要がない」理由になりますか?
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說到學習畫圖,那就是「幹那我到底該從哪裡開始」了對吧。😅
我也是這樣。
透視嗎、姿勢嗎、手腳嗎、下體嗎、總是覺得全都有所不足,全都想要學習。
不過當我思考這些事情的途中,突然發現了一個盲點。
為什麼我完全不把「臉部的學習」放進我的思考選項內呢?
不,真要說的話,表情倒是常常研究。但我從沒想過要研究比例或形狀之類的。
理由很簡單,因為我已經弄成完成度很高的畫風、個人風格了。
然而這真的有辦法成為「不需要學習」的理由嗎?
私は常に、「自分の絵はエロくない」と思ってる。
これはなぜでしょうか。どこが間違ってる?やっぱり股間とか?噴水の演出とか?
いや、まずは顔でしょう。そもそも顔が良ければ大体何もかも良くなるし。
でも「表情がエロくない」と思ったんです。顔自体ではないと。
そして、表情の勉強を始めました。表情がくそエロくてたまらなくなる神絵師たちの絵を沢山模写しました。
でもなぜか模写しても、そんなすごい雰囲気、色っぽさが、私の絵に出来ない。
その理由は、およそ二つ。
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我總是會這麼覺得。覺得我的圖畫得不夠色。
為什麼會這樣?哪個環節出錯了?果然是下體畫不好嗎?還是噴水的演出要改?
不,首先是臉吧。說到底只要臉能畫好,整張圖的觀感通常就是會更好。
但我認為不是臉本身,而是「表情不夠色」。
以此為契機,我開始進行表情的學習。把那些將表情畫得色到讓人完全受不了的神繪師們的圖拿出來進行了很多臨摹。
但不知為何,就算臨摹了也無法在自己的圖上再現出那份氣質、那份色氣。
這個問題的原因大致上有兩個。
一つ目は私のキャンバスサイズです。
絵描きの皆は大体600DPI、350DPI、300DPIを使う方が多いです。漫画でよくあるB5(7.17×10.12inch)をpxに換算すると、それぞれは「4302×6072px」、「2510×3542px」、「2151×3036px」と換算する。(誤差ある)
印刷を考えれば、これが限界、もう下がるわけがない。
でも私は印刷のこと一切考えない、キャンバスサイズは1000×1419pxです。
およそ140dpi。その上に漫画描き、つまり辺長1000px以下の範囲でキャラ描き。
この制限であるから限り、細かい演出ができないし、線が太くなるのも当然、他の方が出来るテクニックは私に通用できないことも結構あります。
私にとって、これ以上のサイズでは描き心地が悪い、悪くてしょうがない。
そしてこのサイズの方が色々都合がいいなので、まだ変えたくないです。
第一個是我的畫布大小。
繪師們通常會採用600DPI、350DPI、300DPI的解析度。以漫畫常見的B5(7.17×10.12inch)換算成px的話,分別是「4302×6072px」、「2510×3542px」、「2151×3036px」。(有些許誤差)
考慮到印刷的話,這就是極限了。不可能再往下壓縮。
但我從來不考慮印刷。我的畫布是1000×1419px。解析度約為140dpi。
並且在這張畫布上畫的是漫畫,也就是說我總是在邊長1000px以下的範圍內畫角色。
只要這個限制還在,我就無法做出大畫布可達成的細緻演出,線條也當然會比其他人粗,無法採用他人使用的技術也是常有的事。
但事對我來說畫布尺寸再往上就會畫起來很痛苦,痛苦到完全受不了。
而且各種方面來講這個尺寸對我來說都更有利,所以我還不打算改掉。
二つ目は私の顔の比率です。他の方と違うと、模写する時で察しました。
でもこういうのはスタイル問題なので、仕方ないと思います。
と、思っていました。
でも私のスタイルって、比率って、こうなった理由があるんでしょうか?
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第二個是我的臉部比例。我在臨摹時發現我的臉部比例跟其他人都不一樣。
但這種事情就是風格問題了,講白了,就是沒辦法的事。
我以為是這樣。
但是我的風格、我的比例,是真的有其道理的產物嗎?
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私は独学です。
しかも、理論一切勉強せず、気が済むまで描くというゴリラタイプです。
勿論、この後は理論を勉強しましたが、必要する時だけ勉強するのです。
つまり私の顔はただ「勘」で決めた形で、なる理由がありません。
でも「勘」ってやつは、変わるんですよ。
背後は根拠や理論一切ない勘は、勝手に変わって、後からの知識、見学に潰され、隙だらけなもんです。
そして、理由のないものは、改善しようとしても手がかりがない。
だからどうやっても上達できないのです。無効練習、時間の無駄、無駄です。
他の部分は不足が一目でわかるから、知識の補充が大体やったので、徐々に上達できるが、顔だけが、私が勝手に「完成した」と思って、盲点となりました。
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我畫圖是自學的。
而且是完全沒學理論,總之畫到滿意為止的大猩猩型畫法。
當然我後來還是有學習理論,但我也只在需要時才進行學習。
也就是說我的臉部一直都是靠「感覺」決定的形狀,並沒有其形成的原因。
但是「感覺」這東西是會變的。
背後沒有根據與理論支撐的感覺是很脆弱的,隨時都會擅自改變,被後來吸收的知識與見識摧毀,渾身破綻的東西。
而且,沒有理由的東西是沒辦法找到改善的線索的。
所以我不管怎麼畫都無法進步。無效練習,浪費著時間,所有東西都沒有結果。
其他部分有所不足是一目瞭然的事情,所以我通常都會用知識去補,因此才都有漸漸進步。但只有臉被我擅自判斷成「完成體」,成為了盲點。
よく考えてみれば、顔を描く時は悩みが多いです。
でかいおでこ描きたいのに、なぜか狭いおでこしか描けないとか。
なぜか顔の幅が広すぎるとか、目の幅も広すぎるとか。
目の間隔が狭すぎる同時に目が顔の境界に近すぎるという変なこととか。
なんか、顔のクオリティーが、サイコロの出目のようになったとか。
多すぎる。
考えれば考えるほど疑問が出てくる。
と思いながら、私は顔の問題を集中して解決したいと思います。
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仔細想想,我畫臉的時候遇到的煩惱可多了。
像是想畫大額頭卻怎麼畫都只畫得出小額頭之類的。
不知為何臉太寬之類的、不知為何眼睛也太寬之類的。
不知為何可以有眼距太窄但眼睛又太靠外這種靈異現象發生之類的。
總覺得,我的臉部品質就像是用骰子骰出來似的,之類的。
太多了,講都講不完。
越想只會發現疑問越來越多。
這麼想的我,決定開始集中解決臉部的問題。
左の画像は「理由の無い形」で、右は「理論で作った形」です。
「左は下手くそ」のことではない。(左は可愛いと思います😊)
言いたいのは左は「思い切り自然になった形」で、右は「あえてこう描いた形」です。
この二つの差はこの後で説明します。
左圖是「毫無理由呈現出的形狀」,右邊則是「以知識構築出的形狀」。
不過我並不是想表達「左邊畫得很爛」。(我覺得左邊很可愛😊)
而是說左邊是「不假思索自然形成的形狀」,右邊則是「刻意畫出來的形狀」。
後面會說明這兩者的差異。
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絵描きする時、私の第一歩は「顎」です。
第二歩は目、そして顔全体、
そして次は「顎の線を消しながら髪を描く」です。
我畫圖時,第一筆會下在「下巴」。
第二筆是眼睛,接下來是整張臉,
然後是「一邊畫頭髮一邊把下巴的線擦掉」。
髪を描く段階で、顎の一部だけではなく、実は顎全体消しがちです。
つまり、最初から顔の大きさを全然決めていない、
もしくは決めたのに、この後描いた線はまったくその計画を従ってないことです。
で、これが完成ではないです。次はこの絵を色々修正することです。
全部描き直し部分も結構あり、とにかく納得するまで修正する。
この後、他のコマ描いた後、もう一度この絵を再修正することも結構あります。
修正自体は別に珍しいことではないけど、そこまで修正しなければならない、むしろそこまで修正してもギリギリ納得とか、最悪どうしても納得できない状態、
もう重症です。
畫頭髮的階段,不只會把一部份的下巴擦掉,更常發生的是整個下巴重畫。
也就是說,從一開始根本就沒決定好臉要多大,
或是說其實有決定好但接下來畫的圖完全沒照著計畫走。
然後,接下來這還不是完成。因為接下來還要對這張圖進行各種修正。
就算有整個打掉重畫的部分也不稀奇,總之畫到順眼為止。
在這之後,畫完其他格子,回頭看這格又再到處修修改改的情況也常常發生。
修正畫好的圖本身並不是少見的事,但是非得修到這種地步才肯罷休,不如說就算修了也只是勉勉強強能接受,或甚至根本怎麼修最後都還是完全無法滿意的狀態,
這已經是重症了。
どうしてこうなっちまうんでしょうか?
「顎の線を後で描き直しても大丈夫」という考え方が原因と思います。
だって、それは無意味となるんです。
顎の線は顎の線ではなく、「顎をふりして、『勘』を引導する線」だけです。
でも「勘」を頼りすぎて「原理」探せず結果、間違い描き方が悪癖になったのです。
間違い描き方というより「『間違っても大丈夫』と考えてる描き方」かな。
今までいつもいい顔沢山描いたけど、それは全部「偶然」です。
偶然となった形がいいから、それを覚えて、次はその偶然を再現すればいい。
背後の原理を探してないから、それを改善しようとしても、理由の無いことを改善することはあり得ないでしょう。
理由を探すには、最初からやり直ししかない。第一歩の「顎」から。
この顎の、ありのままの姿、頭全体を描いてみればわかります。
完全にずれていますね。頭の大きさ。
為什麼會發生這種事呢?
我認為原因就出在「下巴的線等等再重畫也沒差」的思維上。
畢竟這樣一來,畫下去的第一條線又算什麼呢。
下巴的線已經不是下巴的線了,而是「假裝是下巴,但只是為了引導『感覺』而畫的線」而已了。
但是太依賴「感覺」而不探究「原理」的結果就是將錯誤的畫法養成了壞習慣。
與其說是錯誤的畫法,不如說是「想著『畫錯也沒差』的畫法」吧。
雖然至今一直都畫了不少好看的臉,但那些全都是「偶然」。
偶然形成的形狀恰巧不錯看,所以就記下來,下次再重現這個形狀就好。
因為沒有探究被後的原理,就算想改善,毫無理由的東西是難以改善的。
為了尋找理由,就只能從頭開始。從第一筆的「下巴」開始。
畫出這個下巴本應成為的姿態,本應成為的頭形,就差不多能看出端倪了。
跟後面的成品完全不同呢。頭的大小。
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ここはちょっと比率のこと考えてみましょう。
中国では「三庭五眼」の説があります。
つまり、顔を縦三等分、横五等分にすることです。
縦は眉~鼻の距離で、横は目の幅です。
ちなみに、顔というのは、顎~頭頂部ではなく、顎~生え際のことです。
私は生え際を考えることが今まで全然なかったのです。
這裡稍微思考一下比例的問題吧。
在中國有著「三庭五眼」一說。
也就是說將臉的縱向分成三等份、橫向分成五等份。
縱向是眉毛~鼻子的距離,橫向則是眼睛的寬度。
順帶一提,臉不是指下巴~頭頂,而是下巴~髮際線。
在我繪畫生涯中我是一次都沒把髮際線納入思考範圍過。
ここは五眼を放っておいて、三庭だけを話していきます。
(なぜなら「目の幅」はスタイルによって変化するものですから)
三庭というものは、ちょっと気まずいどころがありますね。
眉の位置は表情によって大きく変わるし、私は鼻を描かないことも多いし、
そして、三庭は「頭頂部~生え際」の比率関係を表示していないのです。
他の基準を探す必要があります。特に二次元美少女用の比率。
そして、見つけた結果は「2:2:1:3」です。
頭頂部~顎を八等分して、頭頂部・生え際・眉・目・顎の間隔を2213と配置します。
目は生え際と顎の真ん中であります。
那這裏先不管五眼,只討論三庭。
(因為「眼睛的寬度」會根據畫風有相當大的差別)
三庭這東西有個尷尬的點,首先眉毛會根據表情大幅度改變位置,然後我也常常不畫鼻子,再加上三庭並沒有表示出「頭頂~髮際線」的比例關係。
所以有必要找出其他的基準。特別是用於二次元美少女的。
然後我找到的結果是「2:2:1:3」。
頭頂~下巴八等分,將頭頂・髮際線・眉毛・眼・下巴的間隔設定成2213。
眼睛正好在髮際線與下巴的正中央。
そしてこの二つの比率系統実はほぼ同じものです。
而這兩個比例系統其實幾乎是在講同一件事。
つまり、こういう比率はおそらく人間の審美基準です。(個人差はともかく)
少なくとも、私が気に入った比率です。これが一番大事なんです。
が、目と眉(正確に言うと、眉骨)の比率関係は異なっています。
二次元美少女だからでしょうか。
眉ではなく、目の位置を考えてみれば、
二次元美少女の目は生え際~顎の真ん中で、
リアル大人の目はもっと上、多分頭頂部~顎の真ん中でしょうか。
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也就是說,這個比例或許能認為就是人類的審美標準。(先不管個人差異)
至少這比例是我喜歡的。這比什麼都重要。
然而眼與眉毛(準確來說是眉骨)的比例關係卻不太一樣。
是因為是二次元美少女嗎。
如果不考慮眉毛,而是考慮眼睛的位置的話,
二次元美少女的眼睛位於髮際線~下巴的正中央、
現實成人的眼睛則更往上,大概是頭頂~下巴的正中央吧。
では、「顎の正しい頭形」と「顎から思い切り描いた目」と2213の比率を比べてみましょう。
そしてこれが出ました。
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那麼,就試試用「下巴的正確頭形」和「從下巴不假思索畫出來的眼睛」與2213的比例進行比對看看吧。
神奇的事情發生了。
これはどういう意味でしょうか。
つまり私の「勘」、実は間違ってありません。
間違いなく、ぴったり、「私が気に入った顔の比率」で目を描き込んだのです。
正直に言うと、これやる前に全然自覚していなかったのです。めっちゃびくりした。
それは当然この描き方を選びますよ。いいどころ付いてるじゃない。
でも、自覚してない場合は、どうなりますか?
「顎の線を『後で描き直すもの』」と思ってるから、思い切り目描いた後、「なんか顎の幅広いな」と思いながら、頭の大きさを小さくして、良いバランスを崩したことも気付かず、さらに比率の勉強をしてないから、当然、頭上部も適当。
上部から見る明らかに目の位置はリアル大人のように、頭頂部~顎の真ん中にいる。
こんな偶然に、リアル大人と二次元美少女の比率を混ざり込んでしまいました。
こうやって、朝比奈吉利っぽい顔面比率が、爆誕。
絵柄とは、やっぱり人の人生と経験と脳回路と癖で積み重ねたものなんですね。
今まではずっとこうして、勘を頼って描いて、時にこの比率、時に2213の比率、まるでサイコロで結果を決定してるように描いて続ける。時にいい絵出る、時に悪い絵です、この中途半端な結果が私を麻痺して、ずっと間違いを気付かられないように。
這代表了什麼?
也就是說我的「感覺」其實並沒有出錯。
完全沒有出錯,恰到好處地,把眼睛畫進了「我喜歡的比例」的位置。
說真的,在做這項嘗試之前我從來沒有自覺。這個發現真的嚇壞我了。
那當然會選擇繼續這樣畫啊。都這麼剛好放在最舒服的位置上了。
但是,如果毫無自覺的話,接下來會怎麼發展呢?
因為認為「下巴的線是『等等會重畫的東西』」,就不假思索地畫上眼睛,然後就開始覺得「下巴好像有點畫太寬了」,於是就自動把頭的尺寸縮小,完全沒意識到自己剛剛破壞了恰到好處的平衡,又加上完全沒有比例的知識,頭的上半部也是照樣隨便畫。
從頭的上半部來看明顯像現實中的成人一樣,眼睛擺在頭頂~下巴的正中央。
就這麼剛好地把現實中的成人用的比例與二次元美少女的比例混用了。
如此這般胡搞瞎搞之後,朝比奈吉利風味的臉部比例正式誕生。
果然畫風就是人的人生與經驗與腦迴路與習慣堆疊出的東西呢。
至今我就這麼憑感覺畫,有時畫出現在講的這個比例,有時偶然畫出2213的比例,就像用骰子決定畫出來的效果一樣,時好時壞的結果最終麻痺了我自己,沒能意識到問題。
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ここまでわかったこと:
●生え際(いわゆる顔の境界線)を意識すること。
●目は生え際~顎の真ん中にあること。(リアル大人はもっと上に)
●↑まぁ、とにかく今はこれが好き。
●理由のない描き方(完全に勘頼る)から、理由がある描き方に変えること。
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目前為止了解到的事情:
●從現在開始請記得要去意識髮際線(也就是說臉的邊界)。
●眼睛位於髮際線~下巴的正中央。(現實的大人則要再上移一些)
●↑先不管別的,目前是喜歡這個樣子。
●應當從沒有理由的畫法(全靠感覺)改變成有理由的畫法。
「顎の幅が広い」という「勘」はどっから湧いてきたのかしら?
そしてどうして改良後の頭はちょっと下げているように見えるのでしょうか?
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「感覺下巴太寬了」的「感覺」到底是從哪裡蹦出來的呢?
而且為什麼改良後的頭看起來好像有點往下傾呢?
ご覧ください。
これは写真する時、写真の顔の感じなんです。
リアルでも、上から撮る顔が良くなるという説がありますね。
多分これと同じ原理です。
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請看看這張圖。
這是拍照時拍出來的臉會怎樣的示意圖。
在現實也有從上面拍臉會更好看的說法對吧。
我想應該是一樣的原理。
おそらく、上から顔を見ると、顔比率の並びはリズムを感じれる。
おでこの空白がもっとはっきりとなるから。
(今までずっとおでこ描き辛い原因を見つけました!パンパカパーン)
そしてさらに、顔の形が逆三角形に近くなる。
逆三角形もリズムある、昔からいい形と思われる形態です。
そしてあと一つ、単純に、このアングルの方が真っ直ぐな視線を感じられる。
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以我個人的推測,恐怕是因為從上方往下看的五官排列更能感覺到節奏。
因為額頭的空白處變得更加明顯了。
(好像找到至今一直畫不出大額頭的原因了!邦邦卡邦)
另外再加上這個角度會讓臉部的形狀更趨近於倒三角形。
倒三角形也是一個有節奏、從古代就一直被認為是好形狀的型態。
然後還有一點,更加單純的,單純因為這樣拍更能感覺到人物的直接視線。
色々のイラストを観察して気付いた、確かにこのアングルの構図が多いです。
2213も実はこのアングルを含めて出来た比率らしいです。
例えこのアングルではなくても、なるべく顎の形を縮んで、似たような効果を達成する方が多いです。そして私がこれを気付いてなかったのです。
こういう効果が欲しいけど、原理がわからないから。
例えば、正面を描こうとすると、私は「真っ正面」を考える。
正面だから、顎は当然あんな感じになる。でも、カメラアングルの効果を考えると、実はちょっと下向けの方がいい。せめて私が欲しい効果がそれです。
でもこういうこと自覚していない。自分を誤解したから、この後全て誤解となる。
絵とは現実を描くことではなく、良い画面を描くことです。たとえ下向けの方法で真っ正面を描いても、真っ正面考えながら描いた真っ正面より良くなるかも。
(こういう盲点は私の脳内でまだいくつかあります)
觀察許多插圖後注意到確實這樣子的角度的鏡頭取角更常見。
2213似乎其實也是考慮到這個角度而誕生的數字。
就算不是這個角度的臉,盡量縮窄下巴並達成類似的效果的做法仍然很常見。
我並沒有意識到這件事。
正是因為我雖然想要這樣的效果,卻沒有了解背後的原理才會這樣。
例如說,我現在正打算畫正面的話,我就會想著「完全正面」。
因為是正面,下巴當然會長那樣。但是如果考慮到鏡頭取角的效果,實際上頭要往下傾一點會更好。至少我想要的效果是這樣產生的。
但我並沒有意識到這點。誤解了自己的話,後面的全部過程都會是誤解。
畫圖並不是要畫出事實,而是要畫出好畫面。就算使用下傾的畫法去畫完全正面的臉,也可能看起來比想著完全正面而畫出的完全正面還更好看。
(這類的盲點在我腦中還存在好幾個)
もう一度最初のこの絵を見れば、変化したどころがわかります。
実は、この絵は直接自分の絵と他の神絵師の絵と比べて、比率関係の差を探して得たものです。これまで話した研究内容はすべてこの差から推理したものです。
これは私個人の勉強方です。
僅かな変化だから、実は直接に神絵師たちが使ってる答えをこのままパクリして使っても、絵が上手くなります。
ですが、パクリはパクリ、「こういう描き方ある」と知ってるだけで、知識になってない。つまり応用できない。それは漫画の人にとって一番避けたいことであります。
だから、先ず観察して、パクリして、はっきりと「差」を知って、その上に「どうして?」を全部調べ切って、初めて勉強になるようになります。
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重新在看一次最出的這張圖,應該就能感覺到變化在哪了。
實際上,這張圖是我直接拿自己的圖跟其他神繪師的圖放一起比並把比例關係的差別找出來得到的結果。至今講的所有研究內容都是從這裡找出的差別開始推理的。
這是我個人習慣的學習方式。
因為是非常細微的變化,實際上就算直接把神繪師們在用的答案直接抄過來用也能畫得很好。但抄襲就是抄襲,只是知道了「可以這樣畫」卻沒有成為知識。無法應用。
無法應用的技能對漫畫家來說絕對是最想避免的東西。
所以首先觀察,抄襲一遍,明確地找出「差異」,然後把所有的「為什麼?」都調查得一清二楚,才是真正第一次將這些東西學習到了腦袋裡。
こうしてメモを書いても、勉強の一部となります。このメモを書かなければ、今まで話したことの半分を知らずに済むとなります。
でもどうしてメモの書き方は読者に教えるような形で書いたのでしょうか。
どこかの誰かの仰る通り:
「人に教えられることこそが、自分が完全に分かった証拠である」です。
人に教える形で書くことで、もう一度思考を整理して、分かりやすく伝わなければならないから、復習になる、勉強になる、証拠となります。
(でも私日本語まだ下手だから分かりにくいかもしれません……😭)
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像這樣寫筆記也是我的學習的一部份。
要是沒有寫這篇筆記,剛剛講的東西其實有一半我其實都還完全無法學到。
但為什麼我要把筆記寫得像是要教會讀者的寫法呢。
不知道哪來的不知道誰曾說過這句話:
「只有能夠教人的時候,才能證明自己真的學會了」。
以教人的形式寫筆記,就必須重新整理自己的思維,用更好懂的方式傳達給讀者,因此能夠成為複習,能更深刻學進腦裡,能成為學會的證明。
(但我的表達能力又是另外一回事了……😭)
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実は、ここからは「目」の問題があるんですが……顎の問題を解決したら、目の問題が自然に無くなったと気づいたのです。
一見無関係な要素ですが、私の絵癖は第一歩「顎」で第二歩「目」ですから。
つまり顎が目を影響しています。直接で。
目は顎を基準にして描いたものですが、顎は幅が広すぎると思われて消した、この過程で、目の幅も広くなったのです。顔が描き直して小さくなったから。
そして、時々「目が外側の近すぎるかな?」と思って、両目の距離を縮んだ。
だから私はいつも
「なんで目の距離が狭すぎる上に外側にも近すぎるんだ?」と疑問しています。
そしておまけに目を高く描く癖がありますので、目の描き直しも結構あります。
でも顔と顎の問題を解決したら、目高と目距の問題も全部解決しました。
やったー。
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實際上,接下來應該會進入「眼睛」的問題的環節……結果我發現解決下巴的問題之後眼睛的問題自然而然地就通通消失了。
這兩個要素看似毫不相干,但我畫圖的習慣是第一筆下巴第二筆眼睛啊。
也就是說下巴直接影響了眼睛。
眼睛是以下巴為基準畫的,然而下巴卻因為被認為太寬而刪掉重畫了,在這個過程中,其實也導致眼睛一起變得看起來太寬了。因為整張臉都因重畫而變小了。
於是,我時不時就會覺得「眼睛怎麼這麼靠外啊?」,然後就縮短眼距。
所以我一直以來都有個疑問:「為什麼眼睛這麼靠外但眼距又窄成這樣啊?」。
然後再加上我還有個會把眼睛畫太高的壞習慣,導致眼睛也是我的重畫重災區。
不過把臉和下巴的問題解決了之後,眼高和眼距的問題突然通通都跟著消失了。
好耶。
……と言ったが……
……話雖如此……
ここからは、「演出」の問題です。
演出とは、かなり深い学問であるので、なるべく基本を学んでからやるつもりなんですけど、根本のものを影響与える演出もあります。
それは「描く物の符号化」であることです。
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接下來,要討論「演出」的問題了。
所謂的演出,其實是相當深入的學問,所以我一直想著盡量在學完基礎再碰比較好,然而,其實也有會徹底影響所謂的基礎的演出。
那就是「被繪體的符號化」。
目の描き方について、私はかなりシンプルなタイプなんです。
長い間ずっと小さいキャンバスで描いてるので。
下の睫毛はここ数年からあるものです。(エロく見えると思うから)
でも、私はいつも「勘」を頼って絵を描いてるから、この描き方からあるデメリットが生まれました。それは「目の形が無くなった」ことです。
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我畫眼睛的方法跟大家比起來算是相當簡單的做法了。
因為我長時間一直在很小的畫布上畫漫畫。
下睫毛是最近幾年才加上去的。(主要是覺得這樣看起來比較色)
不過,由於我一直依賴「感覺」來畫圖,這種畫法在無形之中帶來了一些負面影響。
我畫的眼睛的形狀不見了。
正確に言うと、目の境界が無くなった。目頭と目尻描いてないから。
目頭描いてない人は多いだが、基本は目頭の上睫毛を下がって目頭を示す。
(私は場合によって省略する、完全描かないではないです。理由はあとで話します)
そして目尻は基本的には皆描いてる。睫毛も大体沢山描いてる。
準確來說,是我的眼睛的界線消失了。因為我沒有畫眼頭和眼尾。
沒畫眼頭的人是不少,但基本上都會把上睫毛往下壓出眼頭的形狀。
(我會視情況省略這個部分,並不是徹底不畫。理由等等講)
然後眼尾則是通常大家都會畫。睫毛也是大家都會畫很多根。
表情を描く時、場合によって部分省略することが結構あります。
必要に応じて符号化を応用する方が感情を表現しやすいから。
目頭を省略して、上睫毛を一線になることで、色んな表現ができます。
でも、符号化前の形を忘れちゃいけないはずです。
簡単に言うと、やりすぎました。
目の境界線(目尻)が描いてないこそ、目で顔の幅を判断できないのです。
「顔」と「顎」で話した問題の一部は、「目の不明確さ」で起こしたことです。
というより、目の幅を過剰に広く描きがちです。
(実は、目頭目尻描かなくても全然大丈夫なんですけど、私のような勘を頼りすぎて悪癖になったタイプには、修正した方がいいです。)
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畫表情時,我經常會根據情況去省略各種不同的部分。
根據需求去調整符號化會更容易表達出角色的感情。
省略眼頭並將整個睫毛畫成一線的話,其實可以做出不少表現。
但是,符號化之前的形狀是不應該忘記的。簡單來說我做過頭了。
由於不畫眼睛的界線(眼尾),於是便沒辦法從眼睛判斷臉的寬度。
在「顔」和「顎」討論到的問題,裡面有一部份便是因為「眼睛形狀不明確」造成的。
不如說,我真的特別容易把眼睛畫得太長。
(其實眼頭眼尾確實是不畫也沒關係,但對我這種過度依賴感覺而養成壞習慣的人來說,改掉這個東西會比較好吧。)
私が描いた目はこの形です。
まぁ、まったく立体関係のないではないですが、睫毛は明らかに雑扱いされてる。
基本的には「太い線と上の短い細線」の標準を盲従しています。
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這是我畫的眼睛的形狀。
嘛,也不能說完全沒在管立體關係,但睫毛很明顯就是隨便搞的。
基本就是照著「一個粗線上面一條短細線」的公式在工廠式複製。
目の形と印象は、半分は上睫毛で決めていることです。
上睫毛の立体感と情報量はかなり大きい影響を与えると考えて、
私はまず、それを重視して、リアリティな目を描いてみました。
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眼睛的形狀與印象,一半以上都是由上睫毛決定的。
上睫毛的立體感和情報量應該會造成非常大的影響,我這麼想著,便試著用重視上睫毛立體感的畫法,嘗試畫了具有現實感的眼睛。
この感じを覚えて、もう一度符号化の目を描いてみると
記住這個感覺,再一次畫畫看符號化的眼睛得到的結果是這樣
確かに、わずかな情報量なのに、印象が大きく変わってる。
目尻も描いたので、目の形も明確になりました。
(真っ正面はやっぱり一番難しい)
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確實只是微小的情報量,但卻造成了非常大的印象差距。
由於眼尾也好好地畫上去了,眼睛的形狀也因此變得更明確了。
(完全正面果然真的是最難畫好的)
基本は完成しました。
では、マリーちゃんの話をしましょう。
いや、冗談ではなく、これはマリーの漫画を描いてる時気付いたことの実現です。
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基本的部份完成了。
接下來,來談談瑪莉的事情吧。
不,不是在開玩笑,接下來要做的就是在畫瑪莉的漫畫時注意到的事情的實踐。
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キャラクターの独特なエロさは、キャラクター毎に一つずつ研究するのです。
そうしないと、普通のエロだけで、そのキャラクター特有のエロさではありません。
これはマリーで学んだことです。
マリーの独特なエロさを表現できなくて、迷っていました。
(エロいけどマリーらしくない。「マリーがエロくない」ではなく、「マリーはエロいのにその『マリー専有のエロさ』が表現できない」ことです。)
そして、そのために、マリーの表情を研究しました。
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角色獨特的色情氛圍,是必須針對每個角色單獨研究的。
不這麼做的話就只是單純的色,而無法表現那名角色特有的色情氛圍。
這是在瑪莉身上學到的事情。
當時因為無法表現出瑪莉特有的色情氛圍而迷惘了很長一段時間。
(雖然是色但不像瑪莉。並不是因為「瑪莉不色」,而是「瑪莉明明很色但卻無法把『瑪莉特有的色情氛圍』給表現出來」。)
因此,為此我做了瑪莉的表情研究。
キャラクターの独特なエロさを探すために作った、「探し方」の実験です。
勿論、これはいい結果が手に入れたけど、まだまだ足りない。
まだ……マリーの雰囲気を……把握してない気がする……
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為了尋找角色特有的色情氛圍而製作的「尋找方法」的實驗。
當然,這項實驗的結果本身其實並不錯,不過還是不夠。
不夠……就是總覺得……我還是沒能把瑪莉的氛圍抓出來……
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公式だけで見つからないから、
マリーのエロさをはっきりと表現した二次創作を探しました。
私の模写は、自分の画風で他人の絵を真似してることですが、今回は違う、私は模写していない、代わりに直接他人の絵をトレースすることです。
そして、あることを気付けました。
(さすがに他人の絵とトレースを貼るわけないですね。でも公式画像を模写することでもこれから話したいことを伝えるので、それを貼ります。)
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只看官方圖也找不到解法,於是開始去尋找有把瑪莉獨有的氛圍表現出來的二創作品。
我的臨摹基本上都只是用自己的畫風去模仿他人畫的東西,但這次不同,我並沒有臨摹,而是直接用描圖的方式找答案。
結果發現了一件事情。
(再怎麼說都不可能把二創的描圖貼上來。不過我接下來要說的事情,即便是官圖臨摹也能表現得出來,所以我接下來會貼官圖的臨摹。)
気付いておりましたでしょうか。
私はただ睫毛を付けただけで、急にマリーらしくなりました。
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各位注意到了嗎。
我只是加了睫毛上去,突然就變得更有瑪莉的味道了。
私のスタイルはいつもそんな余る毛を描かないのですが、
よく考えてみれば、この毛を描いてる人多いのでは?
その理由はこれかもしれません。
その…下品な言い方なんですけど……
メスの匂いを伝える毛であることを気付けました。
メスの匂いは色気にとって大事なんです。
それは女の子だけに適用することではなく、男の子の色気にも使えるのです。
まぁ、「メス」と「女」は違う概念ですね。女は「人」、メスは「繫殖意義の受け方」なので、男女関わらず使える概念ですね。
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我的風格基本是不會畫這些多餘的毛的,但仔細想想,好像大家都會畫這根毛?
我可能終於知道大家為什麼這麼畫了。
那個…雖然這種講法聽起來很下流……
但我發現這根毛是能傳達出雌性的味道的。
雌性的味道對色氣來說是很重要的。
這不是只能套用在女角色上的事,這也通用在男角色的色氣上。
嘛說到底「雌性」和「女性」其實是完全不同的概念。女性就是「人」,但雌性則是「繁殖意義上的受方」,這個概念無關男女都能用得上呢。
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つまり「私のスタイルだから、こんな表現は一切使わない」
というわけが通用してなさそうです。
私が表現したいものを描けなくなるのです。
二次創作とは、自分のやり方でキャラを解釈することだから、こういうどこが盲点となりますね。
皆さんにとって、これは大したことじゃないかもしれませんが、
私にとってこれは大きいの突破です。
絵を上達できない時、こういう細かいどころで詰まった状況は結構ありますね。
上睫毛の影響力をはっきりと実感しました。凄すぎます。
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也就是說「我的風格就是不使用這種表現」這個道理在這裡無法通用。
這會導致我無法畫出我想要表現的感覺。
二創這東西基本上就是用自己的做法去詮釋角色,這種地方就很容易成為盲點呢。
對大家來說這可能是沒什麼大不了的事,但對我來說絕對是一大突破。
畫圖進步不了時,意外地很常都是卡在這種莫名其妙的小細節上。
這一下真的讓我徹底感覺到了上睫毛的影響力有多強大。真的是太厲害了。
▲2024年10月FANBOX限定漫画《マリーの妄想日記》
他の細かいポイント:
●違和感あるのに分からない時、左右反転すれば大体わかれる。左右反転は目の錯覚を排除できるらしい。反転しても違和感のない絵はまったく違和感のない絵になる。
●最初から直接半眼描くのはミスが出やすい(幅が広すぎる目になりがち)ので、普通の目を描いた後で半眼に修正した方がよさそう。
(この過程を慣れて、明確な半眼の形を覚えたらまた直接描けるようになれるかも)
●涙は目の形を崩しやすいので丁寧に使う。
●シルエット重視。髪のシルエットは顔全体の印象を操作できる。そしてハート瞳も、黒い瞳を描いて中にハート入れた方が効果がいい。形を明確にする。
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其他的小細節:
●感覺哪裡怪怪但又說不出來的時候,通常按下左右翻轉就能知道哪裡有問題。左右翻轉似乎可以把眼睛的錯覺排除掉。翻轉後也好看的圖就不會感覺怪怪的了。
●從一開始就直接畫瞇眼很容易出錯(也就是會畫太寬),所以先畫一次普通的眼睛之後再修成瞇眼應該比較好。(習慣並記住明確的瞇眼形狀後,或許就能直接畫了)
●眼淚很容易把眼睛的形狀破壞掉,所以小心使用。
●重視剪影。頭髮的剪影可以操作整張臉的印象。另外就是愛心瞳也是改成在黑色瞳孔裡面畫愛心的效果會更好一點。要讓形狀表現得更明確一些。
以上話したことは私個人にとって都合がいい、なりたい描き方なんです。
正確さはともかく、もともと完全正確な描き方がないと思います。
自分も正確とか間違いとか言ってるが、あくまでも自己分析です。
人それぞれ自己分析して、自分にとって都合がいい描き方を探す方がいいと思います。この精神を伝えたいと思います。
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以上講的都是對我個人而言更有利、更想成為的畫法。
先不論正確性,首先我就不認為有絕對正確的畫法。
雖然我自己也說了正確或錯誤之類的,但這些到頭來也只是自我分析而已。
我認為每個人最終都需要對自己進行分析並尋找到適合自己的畫法。
想傳達這樣的精神。
もっと研究したり練習したりするつもりですが、やっぱり疲れてしまったのでしょうか。
集中できない日が多いし、睡眠もバラバラ、そんなに悪い調子ではないけど良いとも言えない程度。ゆっくりと頑張りながら調整しています。
作品の鑑賞とゲームも多くなりました。
最近はダンダダンと東方原作の初見とカイジ・アカギのN回目です。
そして長い間放置してるバルダーズ・ゲート3を久しぶりに友達とやりました。
この一週間で毎日やっています。
たまたま漫画を放置してこうするのも悪くないかな。
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雖然想做更多研究和練習,但果然還是過於疲勞了吧。
難以集中的日子也不少見,睡眠也亂七八糟,雖然也不能說有多糟糕但至少沒辦法說狀態有好到哪裡去。現在就是慢慢地邊努力做事邊調整。
觀賞作品的時間和玩遊戲的時間最近變得多起來了。
最近在進行膽大黨和東方原作的初見,還有賭博默世錄和鬥牌傳說的N刷。
最近也久違地和朋友一起玩了放著不動很久的柏德之門3。
這禮拜基本是每天都在玩。
偶爾像這樣放著漫畫不管跑來做這些事感覺也挺不賴的。
カイジ・アカギの摂取ってつまり、また勝負の漫画を描きたくなりました。
最近また麻雀描きたいし、去年からすでに構想したストーリーなので楽勝だと思ったんですけど、電気壊れたのです。
電球の方ではなく、文字通り電気の方が壊れた。もう3、40年以上の屋敷なので。
暗いのは別にどうでもいいが、麻雀描きたいなら実際の麻雀牌を使って牌局を模擬する方がいい、圧倒的便利。だが暗い部屋の中にこれはできない。
何とかできるまではまだ描けないです。
動画編集もやりたいがマウスのホイールが壊れました。
ホイールが無ければ動画編集も超めんどくさくなってしまいます。
おまけにスマホが壊れて、それを最近買い替えたが、ここ数年でイヤホンの穴を抜くというふざけた真似が流行ってること知らず、穴の無いヤツ買ってしまったお陰で、あの日から今までずっと生徒の声が聞こえなくて苦しいです。
最近は運が悪いかな。1200点しか残ってないカヨコのように。
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看賭博默世錄和鬥牌傳說的意思就是說,又想畫牌局漫畫了。
最近又開始想畫麻將了,而且劇本也還是去年早就想好的東西,想說就輕輕鬆鬆畫,結果偏偏在這個時候燈壞了。
不,壞掉的不是燈,是裡面的電路。畢竟都3、40年以前的老房子了。
雖然房間暗不暗我是沒差,但想畫麻將的話最好還是用實際的麻將牌去模擬牌局會更好,說真的方便了好幾個次元。但在沒有燈的房間裡面辦不到這種事。
在想到解法之前還沒辦法動工。
也想剪一下影片但滑鼠滾輪也壞了。用沒滾輪的滑鼠剪影片真的是世界最麻煩的事。
再加上手機壞掉所以最近有買新的,但我不知道這幾年居然好死不死給我流行什麼把耳機孔拔掉這種笨風潮,就不小心買到沒耳機孔的,多虧這項天才發明,從那天到現在為止我都一直聽不到學生的聲音,有夠痛苦。
最近是不是有點倒楣啊。就跟被打到只剩1200點的佳世子一樣。
東方二次について、最近ようやく原作の鑑賞を始めました。
まだ萃夢想までですが、やっと東方のキャラと世界観を明白に認識できました。
(この前は時々二次創作観てるの程度で、原作見なければやっぱり認識について安心できない。)
最近も東方二次描き始めたのですが、どうかな…まだ描き続けるかどうかわかりません。ノリで描くって感じかな。
レミィを虐める漫画ばかりなんですが、不死身という属性が好きなんです。
虐めやすいしギャグの効果も最高。自分のオリキャラもこういうの沢山います。
でも他人のキャラクターだから、虐めても限界がある。
自分の虐め用不死身キャラクター兼竿役(♂)を作ろうと思いますが、幻想郷という百合天国の中におっさんが入ったらなんか怒られそうですね…
(そもそも入ってもなくてもふたなりえっちをメインにするつもりなんです)
最終はこいつを使わないかなと思います。
でもこいつ面白いのでちょっとこっちで貼ります。
フランの「今日の食糧(食的にも性的な意味)」として掴まれたけど、殺しちゃったけど復活して、殺しても殺しても復活する奇妙な人間です。
南極で謎の人魚肉を喰ってしまった人間です。
え?なんか師走笑日先生と似たような要素がありそうですって?
いや…私個人の性癖なんです…こういう男虐めるの好きなんです…すみません……
關於東方二次創作的事,我最近終於開始去接觸原作了。
雖然還只到萃夢想為止,不過終於對東方的角色和世界觀有比較明確的認知了。
(在這之前還只是偶爾會看二創的程度,果然不接觸原作就無法對自己的認知感到安心。)
最近也開始畫東方二次創作了,但該怎麼說呢…也不知道會不會就這樣繼續畫。
現在都還只是心血來潮畫一下的感覺。
而且都是虐待蕾咪的漫畫,實際上這是因為我特別喜歡不死這個屬性。
不只很好欺負也很有笑點。我自己的原創角色也有好多像這樣子的孩子。
不過畢竟是別人的角色,再怎麼欺負都有個極限。
所以有點想弄個拿來欺負用的不死角色兼竿役(♂),但總覺得在幻想鄉這種百合天國裡面塞個大叔好像會被罵就是了…
(說到底不管塞不塞我都打算以扶他做愛為主去畫)
我想最終應該還是不會用上這傢伙吧。不過因為蠻有趣的就貼一下。
這傢伙是個被抓去當芙蘭的「今日餐點(食與性的意義上)」,但不小心殺掉了之後卻復活了,怎麼殺怎麼殺都會一直復活的神奇的傢伙。
是個曾在南級吃了神秘的人魚肉的人類。
ㄝ?為什麼好像跟師走笑日老師有很多要素重疊?
嗯啊…就我個人有這樣的性癖…很喜歡欺負這種男生…抱歉ㄝ……
※名字的解釋基本上都是懂日文的人才看得懂的東西所以翻譯了也沒意義就不翻了
多分この辺かな、他のはないと思います。
また来年で会えましょう。
あけましておめでとうございます。
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大概就這樣吧,想不到別的東西能講了。
明年再見吧。
祝各位新年快樂。
あそいえばこれ面白いです。
クイックセーブ660はボス四名が椅子にかっこよく座ってる画像で
クイックセーブ661は俺ら四人が椅子に生意気で座ってる画像です。
and寝癖悪いボス
啊對了話說貼個好笑的。
快速儲存660是四個BOSS一副屌樣坐在椅子上的畫面
快速儲存661是我們四個一副屌樣坐在椅子上的畫面。
然後BOSS睡相很難看