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鷹取リュウゴ
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淫体海月は斑に倣う 3   《続・淫水海月は朧に浮かぶ》

第三幕  「ただいま、兄貴――うん? どうかしたの?」 千尋が帰宅した。 俺はこの時まで雑貨屋からもらった、いや、購入したアイテム『ピグマリオンの精巣』をテーブルに置いてじっと見つめていた。 が、千尋に見られる前にさっと蓋を閉じテーブルから食器棚へと隠した。 「あ、あぁ、悪ぃ。夕飯はどうする? 何の準備もしてねぇからカップ麺かレトルトになっちまうが」 「今から作るの面倒でしょ? だったらこっちを食べようよ」 千尋は下げていたビニール袋を俺に差し出した。 中身を見れば色んなパンが大量に入っている。 「駅前のパン屋がタイムセールやってたんだ。やけにお腹がすくからさ、多めに買ってきたよ」 「俺ももらっていいのか?」 「もちろん!」 俺は千尋が部屋着に着替えて戻るまでにインスタントのコーヒーを二人分用意し席についた。 思えば、雑貨屋で食べたジャムサンド程度でよくこの時間まで耐えられたもんだ。 すでに20時を越えているってのに。 「珍しく残業になったんだな。お疲れ」 「違うんだ。遅刻扱いにしない代わりにフルタイムで働いてくれって。だからこれでも一応8時間労働だよ」 「そっか。それなら良かった、のか?」 「取りあえず腹へったし、早く食べようよ」 「あ、あぁ」 ここからの千尋の食いっぷりは凄まじかった。どの総菜パンも菓子パンもひと口で丸呑みするような勢いだったからだ。 千尋自身に自覚があるのかどうかは分からないが、この旺盛な食欲もまたクラゲ人間になったが故なのだろう。俺と同じように。 「あれ? どうしたの兄貴。食べないの?」 「お、おっと! 食べるぞ! ああ、どのパンにしようか迷うな~」 「ええ~? こんな量じゃ選ぶほどじゃないけどなぁ。もう一袋分くらい買っておいたら良かった」 以前なら三日分はありそうなパンの半分をあっという間に平らげた千尋。兄貴の分だよ、と取り分けてくれた残りの半分をもの欲し気に見ている。 「あ~、まだ足りないんだろ? もうちょっと俺の分を減らしてお前が食ってもいいんだぞ?」 「いいの?」 「ああ」 「……いや、やっぱやめとく。それは兄貴が食べて。俺はカップラーメン作るよ」 千尋はヤカンをガスコンロに置き、ストック置き場の戸棚からカップ麺を「三つ」取り出した。 湯を沸かしカップ麺の出来上がりを待つ間に俺は訊いた。 「……千尋、会社ではなんともなかったのか?」 ビクッ! と千尋の背が弾んだ。 「う、うん……、多分、大丈夫、だと思う」 「微妙な言い方だな。もしかして男を襲って精液を奪っちまったか?」 『30%割引』とのシールが貼られたクリームパンを頬張る。ちゃんとしたカロリーと甘味が実に美味い。だが、次に口に入れたインスタントコーヒーはイマイチだった。 まだ、あの雑貨屋で飲んだコーヒーの記憶が鮮明なので猶更だ。 「良く、分かったね。が、我慢できなくて俺……、ごめん、なさい……」 「謝らなくていい。俺だって千尋と同じだからな。ただ、あとから面倒な事にならなければって心配しただけだ」 「それは、ちゃんと考えて襲ったから、大丈夫、だよ」 「ならいいんだ」 出来上がった三つのカップ麺もまた瞬時で千尋の胃袋へと収まった。やはりこの食事量、相当なものだ。 そうして、食欲を満たした後は性欲の時間とばかりに千尋が部屋着を脱ぎ全裸になる。 以前と見違えるバルクを携えた筋肉質な肉体を俺の前に晒す。 「しかし、よくバレなかったもんだな。そんなにマッチョになっちまったってのに」 ジムに通っているとしてもだ。痩せマッチョ体形が一夜でムキムキマッチョになったりしたら周囲の目を引いてしまうだろうに。 「だよね。でも、俺もだけどそこまで他人の体型なんて普段じっくり見てないから、多少の違和感は感じても敢えて口にはしないんじゃない? まして服を着ていたら、だよ」 「なるほどな。俺の場合は海パン一丁になる事も多いから誤魔化し切れないと判断したが、他の仕事ならそんなもん、なんだな」 「兄貴は海洋調査の仕事だから仕方がないよね」 千尋が俺の手を掴んでドクドク脈打つチンポを握らせた。 「こんなに、こんな風にドキドキするのは兄貴だけだよ。他の男から精液を取り込む時はもっと、なんかこう、一応興奮はするけど心は冷えている、って感じだもの」 「ある意味、アレは狩り、狩猟に近い感覚だからな。千尋の言いたい事はよく分かる」 青紫に変色している千尋の下腹部をさわさわ撫でてやると、「んぁ! はぁん゛ん」とカラダを震わせて悶える。千尋の亀頭から先走りがダラダラ溢れ出し勃起したチンポをたちまちヌラつかせている。 そろそろベッドに移動して本格的に愉しもうか、と手を引くと「あっ! ちょっと待って!」と千尋が足を止めた。 「ごめん、兄貴! ちょっとだけ待って! 先にシャワー浴びたいんだ! 実はまだマンコにもケツの奥にも他の奴の精液が残っちゃってて、そいつをキレイにしてから兄貴のチンポを感じたいんだ」 「俺は気にしないけどな」 「ダメ! 俺の方が気にしちゃうの! 100%兄貴だけのチンポや精液を俺は味わいたいの! それに、これは、ケジメっつうか、兄貴には特別な俺を見せたいから、っつうか……」 「それ以上言うんじゃねぇ。そんな可愛いコト言われたら我慢できなくなっちまう。待っててやるからサクッとシャワー浴びて来い」 バスルームに入ると水音とともにくぐもる声が漏れて聞こえ出す。 指を突っ込んで精液をかきだしシャワーの湯を奥まで注入しているだけでも感じてしまっているのだ。 こうなると「サクッと」では済まない。ある程度何度か射精して落ち着くまでバスルームから出ては来ないだろう。 俺は再びキッチンに戻り食器棚に隠していた『ピグマリオンの精巣』の箱の蓋を開いた。 「――像を創造して魂を移す、って? そんなのマジでできんのか?」 雑貨屋で聞かされた話をじっくりと脳内で再生させた。 ◇  「俗にキンタマ、とも称されるモノですね」 青年の上品な声には似つかわしくない単語だった。 「ピグマリオン? どこかで聞いた気がするなぁ。ギリシア神話?」 須崎と言う常連客の男が顎に手を当てて思い出そうとしている。 「須崎さん、正解ですよ。まさしくギリシア神話に登場する人物の一人が『ピグマリオン』です」 ここからひとしきり銀仮面オーナーの解説が始まった。 「ギリシア神話に登場するピグマリオン、ピュグマリオーンと発音するのが正解との記述もありますが、ともかく彼は地中海の東、キプロス島の王でした。 色々あってピグマリオン王は現実の女性に失望し、理想の女性を手ずから彫像として創り出したのです。 そして、その彫像に対して本当に恋をしてしまったピグマリオンは神々に願ったのです。この彫像――ガラテアに命を与え、本物の人間に変えて下さい、と」 「日本霊異記の中にも似たような説話があったね。こちらは夢オチだったけれど」 「ああ、ありますねぇ。吉祥天女の像に恋した修行僧が夢の中で天女とセックスをしたお話ですね? で、目覚めたら天女の像の陰部にしっかりと精液の染みがあったんですよね」 そんな昔話があったのか。 にしても、性的な要素が仏教説話に載っているなんて意外だ。 「いけない。話が逸れて行きそうですね。ともかくピグマリオン王はめでたく神に願いを聞き届けられ、ガラテアの像を生きた人間にしてもらえて結ばれた、と言う訳です」 「へぇ~。ハッピーエンドで良い話だ。ただ、夢を叶えたピグマリオン、の精巣、キンタマが今の時代に? 本物なんですか? 何千年も前の話ですよね?」 俺の問いに銀仮面の青年がニッコリと笑った。仮面の内側は隠れて見えないのに笑ったと分かる。 「ええ。これがピグマリオン王の精巣なのか、と問われれば『間違いありません』とは言えません。ホンモノなのかニセモノなのかも分かりません。その当時、私は地中海付近に住んでいた訳じゃありませんでしたし」 「あはは、仮面を付けてたってオーナーはそんな年寄りじゃないって事くらい分かりますって」 飛び出した冗談にふさわしいツッコミを入れておく。 「ここで重要なのはピグマリオン王の本物の精巣か否か、ではなくこの名が付いた理由の方です」 それって完璧にニセモノだと言っているようなものだ。 「雲居さん、話が見えてきたよ。つまりその石を使えば生命無き物体に生命を宿せる、ってことじゃないかな?」 「はい。あまりにもあっさり正解を答えられてつまらないんですけど、須崎さんのおっしゃる通りです」 「はぁ!? 物に生命を宿せる!? んなバカな!」 海洋調査員として海底の地質・地形だけではなく海洋生物の調査を10年も行って来た。 地上では決してみられない摩訶不思議な生物も数多くこの目で見て来た。 仮死状態で何年も過ごす生き物や、若返って不老不死となる生き物も。俺に組み込まれたくらげではないけれど「べにくらげ」の生態なんて不死の最たる例だ。 ただ、それでも元から命が、生きた命を持っている生き物に違いない。無性生殖であれ有性生殖であれ引き継がれた生命を得て生物として存在している。 ところが、オーナーと須崎の会話によればこの『ピグマリオンの精巣』を使えば非生物を生物に変えられると言う。 馬鹿げている。到底信じられない。効果を聞けばまるで神様そのままじゃないか。ホラ話もいい所だ。 「……百歩、いや、千歩、万歩譲ってその白い石にそんな力があったとして、いえ、ある訳無いんだが、そいつを使ってどうなるんだ? 千尋のカラダは別に彫像じゃない」 「順を追って説明しましょう」 銀仮面の若いオーナーは語った。 作り変えられたカラダを元通りにする事は難しい、いや、不可能だ。 ならば、交換可能な代替のモノを、新たに人間のカラダを創り出してしまったほうがまだ手はあるのではないか、と。 「『ピグマリオンの精巣』を使ってスペアとなる新しいカラダを創ります。そこに記憶や魂、いわゆるお客様を構成する中身全てを移しかえればいいのではないか、と考えました」 「全く信じてないって顔してるな? でもまぁ、もうちょっとだけ、話だけでも聞いてやってくれないか? 本当に雲居さんは悪い人じゃないからさ」 須崎がなだめるように俺に言う。 まぁ、先にコーヒーやサンドイッチを頂いちまったしホラ話であっても聞いてやるしかないか、と諦めた。 「この『ピグマリオンの精巣』を体内に取り込むと、お客様が理想とするカタチの像が創り出されます。その像に定められた量の精液を与えると生体に、つまり生命を宿します。 それら下準備が終わりましたら記憶と魂を移し換えて下さい。これで弟の千尋さんは新しいカラダを得たヒトとして生きられるでしょう」 「本当に、本当に悪いんだけど信じられない。ふざけているか、俺をだましてるでしょ?」 「そんな事は無いんですけどねぇ」 オーナーは仮面を外し素顔を俺に見せた。 少し恥ずかしそうに照れている美青年だ。ただ、気になったのは顎から耳にかけて大きく裂けた傷跡があった点だ。 「雲居さん、……いいの?」 須崎が念を押すような言葉をオーナーに掛けた。 「もう少し信じて頂くためには仕方がありません。いざと言う時は私が始末を付けますから須崎さんは安心して下さい」 始末とか。それ、俺の事だよな? 不穏過ぎて聞き捨てならない。 胸騒ぎを覚える俺の前で、オーナーは裂け目に手をかけグイッと持ち上げた。 ――ズルゥッ! 「うおおっ!?」 オーナーの皮が、顔の皮がめくれちまった! 「ふぅ~」 「おおおおおっ!!」 そして、顔の皮の下から現われたのは――「く、蜘蛛!? えっ!? ば、バケモノ! 怪人!?」 今度こそ腰を浮かし逃げようとした俺だったが須崎が俺の動きを阻止した。 「は、離せ! あんたらやっぱ俺を! 俺を殺す気で!」 「私の話は信じないのに見た目の『違い』は信じるんですね?」 「そうそう。よく見てみなよ。これ、ホンモノの蜘蛛怪人だと思う?」 「はぁぁ!?」 てことは、これニセモノ? 出来の良い特殊メイクか何かか? 「どうか落ち着いて下さい。お客様を食い殺す気でいるならとっくにそうしてますから。わざわざアイテムまでお勧めして何になります?」 「あ、あぁ、そっか。それもそうだよな。蜘蛛怪人なんている訳ないよな」 この時の俺は自分がクラゲ人間、クラゲ怪人だってことをすっかり失念していた。 「にしても、凄いな。まるで本物の、本当に蜘蛛の怪人みたいな出来だ」 少しビビりながらもヒトの頭ほどもある蜘蛛の頭部に触れる。複眼の下、黒い毛並みをさわさわ撫でてみた。 「うふふ。くすぐったいです。でも気持ちがいいですねぇ」 「触れた感覚もちゃんと感じられるんだ? 相当精巧に作られているんだなぁ」 「まぁ、そうですねぇ。ちゃんと私の皮膚から生えてますし、神経も通ってますからね」 「え? そ、それって……」 左右に並ぶ複眼がぎょろりと動いて俺を見る。 「雲居さん、あんまり脅かさないであげましょうよ。でないとこの人、本当にパニックになっちゃいますでしょ?」 「あ、これは失礼しました。別に脅かすつもりじゃなかったんです。私も正体をお見せしたら少しはお話も信じてくれるかな、と思ったまでですから」 「俺も初めて雲居さんの正体を知った時は凄くビックリしたし怖かったなぁ」 「須崎さんもその節は失礼しましたね」 ほのぼのと語り合う蜘蛛頭とイケメンスーツ男。 ええと、なんだ? この空気は。蜘蛛男を恐れてドン引きしている俺の方がおかしいみたいじゃないか! 「取りあえずマスクをつけ直しますね。――ぃよいしょ、っと」 蜘蛛男が柔和な美青年に戻った。ただ、顎の裂け目の隙間から黒い獣毛が見えている。やっぱりこの青年は――。 「さて、と。お客様を当店に招いたアイテムは『ピグマリオンの精巣』に間違いないでしょう。持った瞬間お客様の元へ行きたがっている意志を感じましたから」 「え? あ、はい? 意志? 石だけに?」 この流れでダジャレか? 情報量が多すぎて返答があやふやになってしまう。 「そして、当店は元は物々交換システムだったのですが、こちらの須崎さんの助言を容れて代金を頂くことにいたしました」 やっぱり商品を売りつけたいがための営業だったのかよ!  「こちらのアイテムの対価として5億円頂戴します」 「ご、5億!?」 確かに、あの話が本当であれば5億でも安い気がする。創造の神の力が5億なんて破格の激安だろう。 ただ、俺の手元はおろか全てを売り払い全財産を合計しても5億などとても届かない。500万あればいい方だろう。 「は、はは、そんな大金、持ってる訳ないって」 「であれば、ご使用後の体験報告をお話しして頂くとして、500円になります」 「……500円?」 「はい。お使いになった後、もちろん時間に余裕のある時で結構ですので体験談をご報告を頂けるなら500円、消費税込みです」 俺は財布からサイズの大きな硬貨を取り出しカウンターに置いた。 「はい、確かに。お買い上げありがとうございます! では後日、必ず、お使いいただいた結果をお聞かせくださいね!」  その後、俺はどうやって自宅に帰って来たのかはっきりと思い出せない。 店を出て、駅に戻って電車に乗って帰ったとは思うのだが、どこでどう乗り継ぎをして、最寄りの駅から自宅のマンションまでどうやって移動したのか……。 ふと気付いたら玄関の内側に立っていた。 手にはちゃんと雑貨屋で買った木箱を持っている。 「……いつの間に?」 時刻を確かめてみるともう夕暮れ時になっていた。 「夢でも見ていたのか?」 夢じゃない。木箱は雑貨屋で買ったものだ。胸がざわざわと騒いだ。 たかだか500円程度の商品であれ返品しようか。 だが、何と言うビルの地下だったのか、何と言う駅から行ったのかがおぼろげで分からなくなっていた。 「これじゃ、事後報告なんてできやしないじゃないか」 冷たい空気が部屋の奥から流れてくるのを感じた。 まだ千尋は職場から戻っていないようだ。 俺は手元の木箱を凝視した。 「信じられないが、コイツを使えば千尋は――」 滲んだ汗が冷たい空気で冷やされる。 その心地よさによって内面の激しい動揺まで静めてくれるかのように感じられた。


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