12麗しき訪問者 「あのなぁ、連絡無しでいきなり、なんてのは止めようぜ? いくらヤりたくなったっつってもよ~」 唐突にインターホンが鳴った。だが、こんな時間に来るヤツなんて健一しかいない。 やれやれ、マジで最近の健一は求めっぷりが半端じゃなくなってきてんだよな。 それでも来る時は事前に「セックスしてぇ!」と連絡を寄越していたんだ。 なのに、それすら端折るなんて、ちょっとマナー違反だぞ。さすがに。 すぐに言い訳じみた反論が来ると思っていたのに無反応。 ドアを開ければ遠慮なく入って来るかと思ってたのにそれも無い。 ここで俺はようやく来訪者が健一ではないのだと悟った。 「え? お前、……誰?」 「あ~、えっと、前もって連絡できずに押しかけて申し訳ない。俺は君の連絡先を知らない者だから」 軽く頭を下げた男がサングラスを外して俺を見つめた。 年の頃は30歳くらい。すごいイケメンの兄貴だ。ラフな普段着なのに着こなし方が半端無い。まるでモデルみたいな……。 ……モデル? 「あっ! おま、じゃなくてアナタは!」 「俺の事、分かる?」 「分かるもなにも! 俺、アナタの! 怜音さんの大ファンっすよ!」 『夏美 怜音(なつみ れおん)』 モデルとしてデビューしたのは2年前だそうだが、広くその名を知られるようになったのはユーチューバーとして動画配信をし始めてからだろう。 何を隠そう俺も怜音さんの動画チャンネルを初期の頃から登録している一人だ。 今やイケメンモデル系ユーチューバーとしてチャンネル登録者数200万。ファッションは元よりトークも面白い。 リスナーのお悩み相談から下ネタまで誠実にノってくれる俺の憧れの人でもある。 「前回の『男のモテファッション講座』も見させて頂いたし、その前の『男のフェロモンだだ漏れポーズ』も最高でした!」 「俺の動画を見てくれているんだ? どうもありがとう。じゃぁ自己紹介は改めてしなくても大丈夫かな?」 「もも、もちろんっす!」 「じゃぁ、いきなりで悪いんだけど、君さ、手袋について何か思い当たる事、あるかい?」 「え? 手袋っすか?」 もうすっかり春らしい暖かさになっているのにどうして手袋の話題? 「うん。ピンク色の手袋なんだけど」 ピンク色? もしかして『コピーグローブ』の事か!? エログッズ箱の本当の持ち主は元鬼先輩じゃなくて怜音さんだった!? 「………………」 「知らないんなら別に構わないんだ。ずっと前に俺、この部屋に住んでいた事があるんだけど、今の住まいに引越した時にどうやら片方を失くしちゃったみたいでさ。 もう2年も前の話しだから君の前の住人がゴミとして片付けてしまったかもしれない。それでもまだこの部屋に残ってる可能性があるかも、と思って訪ねてみたんだけど。どうかな? 何か知ってるかい?」 「…………手袋、すか? そう言うモノは無かったですね。薄っぺらいからどっかに紛れ込んでるんじゃないっすか?」 「あ~、その可能性もあるなぁ~。……うん、そうだね。もう一度身の周りを探してみるよ。それじゃぁ――おや?」 怜音さんの手がスッと伸び、俺の額に触れた。 「ぬわっ!?」 「ほら、桜の花びらがくっついてたよ」 俺に見せてから摘まんだ指先の花びらを手離した。さっき顔を洗ったばっかなのにどこでくっついたんだ? 「あ、な、なるほど……。花びらっすか。はは、と、取ってくれて、あ、ありがとうございます」 「いえいえ。どういたしまして」 素敵な笑みにウィンクを添える怜音さん。モニターの向こうで見るのと同じ、いやそれ以上にカッコ良くて見惚れてしまう。 「それじゃぁ今度こそ。急に押しかけて来て妙な事を聞いちゃってごめんね。これからも俺の事、応援してね」 「はい! 俺はずっと、何があっても怜音さんの大ファンっすから!」 「ありがとう。何だか君の事、すごく気に入っちゃった。また会いに来てもいいかい?」 「もも、もちろんっす! 俺も怜音さんにまた会いたいっす!」 「その言葉、最高に嬉しいよ! じゃぁ、またね!」 ドアを開け部屋の外にでる怜音さんを見送る。 アパートから離れて行く怜音さんが振り向く。俺はすかさず手を大きく振って口パクで「ありがとう、また会いましょう!」と伝えた。 すると怜音さんも軽く手を挙げて応じてくれた。 それだけで俺はテンション爆上げの超ハッピーになっていた。 「いやぁ~。しかし、怜音さんに自宅で会えるなんて思ってもみなかったな。今日の服装もばっちりキまってたし。 身長も体格も画面越しより大きくて逞しい感じだったなぁ。 あっ! 俺、なんでお茶くらい出さなかったんだろう? ずっと玄関先で立ったまま話しちゃうなんて! それに、サインくらいお願いしてみるべきだったんじゃない?」 舞い上がってしまってせっかくのチャンスをふいにしてしまった事が悔やまれる。 それから―― 「……怜音さんが『コピーグローブ』の本当の持ち主だったのか。て言うか、2年もの間、元鬼先輩ってばマジで気付かなかったのか? 有り得なくね?」 クローゼットの広さなんていわゆる畳一畳分の広さ程。押入れと変わりない広さなのに。 「もしかして先輩、気付いていながら放置してた? いやでも、入学式の日に聞いた感じじゃマジで何も知らないみたいだったし」 そもそも怜音さんはどうしてあの箱に入れっぱなしにしてたのか。俺ならあんな超ビックリアイテムだと知った日にゃ他のエロアイテムとは別にして絶対に失くしたりしないように保管し直すんだが……。 「……うん、分からん。分からん時は分かるまで放置。これしかない」 切り替えの早さが俺の長所。 足りない脳みそで考えてみたところでどうなる訳でもない。 先輩とダグラスが実は人間じゃないかも、って件も保留にしてるしな。 一人で合点してたらスマホにメッセージが入った。 『ちくしょう~~! 妹ズが今から俺の暮らしぶりを抜き打ちでチェックしに来ると言いやがってさ! どうやらお袋に頼まれたっぽい! てな訳で大至急エロいグッズを隠したりティッシュの山を別のゴミ袋に入れ替えたり、部屋中に消臭剤を噴きまくったりしなくちゃなんねぇ! だもんで、今日はそっちへ行けなくなった! マジ睦月とセックスできなくてつれぇ~!』 監査があるのなら仕方がない。仕送りを止められないよう頑張れ! とレスを送り意識を再び怜音さんや『コピーグローブ』を嵌めた右手に戻す。 「……あの時、正直に『俺が持ってます! 使ってます!』って答えてたら怜音さん、怒ってすぐに返せって言うだろうか? あんなにも優しくて紳士な怜音さんでも……。 勝手にパクってんじゃねぇ! と激怒されてもやっぱすぐに外して返すべきだったのかな。 手袋のエロい効果に病みつきになっていて手放したくない俺。 本当の持ち主が探しているのモノを無断で使っているのだと良心が痛む俺。 超ハッピーなテンションはすっかり冷めてしまった。 ◇ 「学生くんの名前は『中原 睦月』クン、だったっけ。しかし、分かりやすくて思わず噴きそうになったよ」 睦月のアパートから去って行く男は集合ポストに貼られた名前と『コピーグローブ』について聞いた時の表情を思い出していた。 「失くしたと思っていた手袋の新しい持ち主が俺のファンってのも何かの縁? しかも、あの部屋にあっただなんてさ」 男とはもちろんイケメンモデル兼ユーチューバーの『夏美 怜音』である。 アパートからは見えない位置で待たせていた車に乗り込むと怜音のマネージャーが口を尖らせた。 「どうしてもって言うから寄り道していますけど、すでに30分遅れなんですよ? 先方に怒られる俺の身にもなって欲しいんですが」 「ごめんよ。この通り! 今夜は焼き肉奢るからさ!」 手を合わせて頭を下げる怜音をミラー越しに見たマネージャーは小さいため息とともにうっすらと微笑んだ。 「しょうがないですねぇ。焼き肉を頂いた後はちゃんと自分も食べてくださいよ?」 「もちろんさ。むしろ焼き肉より斉木ちゃんのほうがメインディッシュだし」 ラフな怜音と対照的にスーツにネクタイをかっちりと締めているマネージャーは前を見たまま一枚のメモを後ろに座る怜音に渡した。 「例の広告代理店の部長の、義理の息子、だそうです」 「女なんて目が入らないほど男狂いに堕としちゃって欲しい、だったよね?」 「そうです。……自分みたいに、女とセックスする気など微塵も起きないよう男の味を教えこんでくれ、と」 「いいのかなぁ? 仮にも再婚相手の連れ子なんでしょ? 義理とは言え家族なのに」 「詳しくは聞きませんでしたが、部長の実の娘さんと関係を持たぬよう先に釘を刺しておきたいようで」 「ああ。部長とあの女優がW不倫関係だった時の女の子か。もうそんな年頃になってるんだね」 「義理の息子と同じ18歳ですね。 部長が実の父親だと言う事は娘本人は知らぬようですが」 「言える訳ないよ。実の父親は母の不倫相手だ、なんてさ。絵に描いたような夫婦円満を謳っている俳優一家だし」 上辺は清楚なのに中身はドロドロ。 前の職場も酷かったけど新しい場所もでも似たような俗物ってのは尽きることが無いのだな、と怜音は苦々しく思った。。 「女優に似て美人に育った実の娘も将来芸能界に入れようと目論んでいる。それだけに悪い虫が付かないよう、特に新しく身内になった義理の息子なんかとくっつかないように手を打っておく、って。 金がうなるほどあるくせにクズのやる事って俺、理解できないよ」 「それでも私たちの大事なスポンサーであり依頼主なので言葉に気を付けて下さい」 斉木がハンドルを切ると車は都心のビルの一つに吸いこまれた。 仄暗い地下駐車場には濁った排気ガスが漂っている。怜音は停車した車から降りる前にモヤモヤを吐き出したくなった。 「俺だってずる賢く立ち回らなきゃここまでブレイクしなかったさ。人のことは言えない」 「……忘れないで下さい。自分は怜音さんのおかげで救われた一人です。人には言えない秘密だってあります」 斜め後ろからでもハンドルを握る斉木の堅い表情が窺える。 肩にそっと手を置けば頭を傾けてふわりと甘えてくる。 「分かってるって。俺だって斉木ちゃんと一緒さ。言えない秘密なんて山程あるよ。それでも俺を信じてここまで付いてきてくれた斉木ちゃんには本当に感謝してる」 肩に置いた手に斉木も手を重ねた。 「こう言う類の依頼はもうこれっきりにしましょう。もしも依頼が来ても自分が断らせて頂きます。それでもしご迷惑が掛かったら自分を遠慮なく切り捨てて下さい」 怜音は重ねた手を裏返して握り返した。 「捨てる訳がない。俺も斉木ちゃんもここからが人生本番じゃん。どん底を味わった者の復活劇はまだ始まったばっかりだ。 だから俺、この先も斉木ちゃんを頼りにしてる。依頼については斉木ちゃんに任せるから俺の迷惑とか不利益とか気にせず思い通りに動いてよ」 「かしこまりました……。本当に、本当にありがとう、ございます……」 「……なんだよ、泣くなよ、もう……。俺までつられちゃうっての……」 怜音の目に涙が浮かんでいた。しかし、表情は明るい。 心など失ったような、感情を押し殺して過ごしていた時期を脱して涙を流せる今の自分自身が嬉しく思えて。 得も言えぬ胸の内の熱さを感じ取れるのは『コピーグローブ』のお陰、あの雑貨店に巡り合えた奇跡のお陰なのだ、と。 「睦月くんは手袋をどうしたのか、どう使っているのか確かめないと。でなきゃまだあの雑貨店には行けないし」 2年経っても「支払い」に行けないなんてマズいよね? と呟くと斉木マネージャーが「何の話しでしょう?」と反応した。 「ずっとツケにしてもらってる店があるからさ、そろそろ支払いに行かなくちゃダメだろうな、って」 「なるほど。どのような店かは知りませんが、あまり待たせ過ぎると要らぬ恨みを買いかねません。ですが、先に今日の仕事を片付けてしまいましょう」 「ああ! 気合入れて臨むよ!」 怜音は弛んだ表情をキリリと引き締め車を颯爽と降りる。 澱んだ空気がこもる地下駐車場にも春の風が吹き込み、ジャケットの襟を軽くはためかせた。