変身ウイルス予防接種 1
Added 2018-11-08 13:16:23 +0000 UTC1変身ウィルス 店のドアを開けて入って来た羽島を見た俺は、驚きのあまり言葉を失った。 「……おはようございます……すいません、こんな恰好で……」 今にも胸が弾け飛びそうなほどパツパツに張り詰めたYシャツ。引き寄せられ肘まで引っ張られている袖。 そして、下半身は穿けるスラックスが無かったのか部屋着でよくあるオレンジ色のジャージなのだが、 太ももやふくらはぎが太くなり過ぎてぴったり張り付いている。 言わば、「小さいサイズの服を無理矢理着こんだマッチョ野郎」――それが羽島の姿であった。 無論、羽島は好んでそんな恰好をする男じゃない。 地味だがサイズの合う品の良い服をビシッと着こなす常識的な男である。 「――角まで生えちゃって、まるで……」鬼みたいになってんな、と言いかけて口を閉じた。 「そうなんですよ。帽子を被っても隠せないから諦めてこのまま出てきましたけど、恥ずかしいです……」 左右の耳の上から伸びる黒く太い角に触れ顔を赤くする羽島。 けれど、俺が言うのも何だが恥ずかしがるポイントはそっちじゃなくて股間の方じゃないか? めちゃくちゃモッコリと盛り上がった股間の方こそ気にした方がいいと思うんだが。 「あ~、まぁ、今日はそうだな、中で仕事しとけばいい。接客対応は俺がやるから」 「すみません、本当に……」 「で、何が原因なんだ?」 「それが、『変身ウィルス』の予防接種を受けたんです。須賀先輩はもうされました?」 「いや、まだだけど……」 先に更衣室でユニフォームに着替えをすませ厨房に戻ろうとすると、羽島はまだ着替えもせず突っ立っていた。 「先輩……、こんなカラダじゃユニフォームが入らないでしょうねぇ……」 そういやそうだろうな。 「仕方ないからその服の上にエプロン、それと帽子は無しで仕事すればいい」 「はい。そうします……」 30歳で脱サラして『雲のドーナツ』と言う小さなドーナツショップをオープンして2年。 幸い口コミでも上々の評判を得てリピーターも日に日に増えたため、ドーナツ製造兼接客として羽島を新たに雇い入れた。 俺を「先輩」と呼ぶのは「社長」だと何だか落ち着かない上、俺と羽島はさほど歳の差が無いため敢えてそう呼ばせている。 スリムな羽島が「鬼マッチョ」になって現れたのは驚いたが、開店の時刻までぐずぐずしてはいられない。 今日は土曜日でいつも以上に店舗にお客さんがお越しになる。 ドーナツを2倍は製造して用意しておかなければならないのだ。 エプロンを着けた羽島が調理室に入ろうとした。 「ちょっと待った。変身ウィルスってのは食品に混じったりしないんだろうな? ウチは衛生には人一倍気を使う職場なんだが」 食中毒なんか出してしまったら、いくら評判が上々でも一気に地に落ちる。 「それは問題無いんです。俺は変身ウイルスのワクチンを注射してもらっただけなんで。 それと、待ち時間の間に変身ウイルスの注意書きを読んだんですけど、熱には弱いらしいですからドーナツに万が一入ったとしても調理中に死滅するそうです」 「だが、念のためアルコール消毒はいつも以上に念入りにやっておいてくれ。あと、マスクもな」 「はい!」 そうは言ったがやっぱり家に戻したほうが良かっただろうか? と少し不安になる。 しかし、一人で製造と販売とをこなすのは物理的に無理だろう。 ネットの予約画面ではすでに15人ものお客様からドーナツの取り置き予約を頂いているのだ。 考え込んでいる時間なんて無い。 「俺、倉庫から小麦粉を運んで来ます!」 フライヤーやオーブンに火を入れながら調理機械の調子をチェックしていると、羽島が元気よく裏口から出ようとした。 「今日は多く作る必要があるから袋、5つは持って来てくれ」 業務用小麦粉は一袋で15キロある。平日であれば3つで足りるのだが、来客数を見越して5つ。 一袋あたりの重量が大きいため調理室に運びこむのには何度か往復しないといけないのだが羽島は一度に5袋抱えて戻ってきた。 重さにして75キロにもなる小麦粉を軽々と計量器の脇に下ろす。 「は、羽島? どうやって持ってきたんだ?」 カートを使えるような広いスペースはないから自力で運ぶしかない。と、分かっているのに聞いてしまう。 「どうも、このカラダのお陰ですね。凄い力持ちになってるんです。多分、この倍でも余裕です」 て、ことは、150キロでも運べるって言うのか? どこまで筋力が上がっているんだ? 国産の上質な小麦粉を振るいにかけ5キロずつ軽量してから卵や牛乳、それと自家製の米麹を混ぜ合わせる攪拌機に入れ、 混ぜ合わさった生地をボールごと台に上げ、リング状に成型する。 成型したら順に保温器に入れ1時間ほど発酵させ、仕上げる種類ごとにフライヤーで揚げるかオーブンで焼成する。 それらの作業でも羽島はまるで力むことなく軽々とこなしてゆく。むしろ力を入れ過ぎないように注意しているようだ。 プレーンドーナツ、チョコレートドーナツ、シナモンシュガードーナツ、と定番ドーナツをフライヤーで揚げ、 アーモンド粉入りドーナツや豆腐ドーナツはオーブンで焼き上げて行く。 それらの作業の間、俺は羽島の姿については敢えて考えずドーナツ作りに集中していた。 開店時間の前に12種類のドーナツを準備し店頭に並べる。 取り置き予約のお客様の分はもちろん別にしてある。 そうして、営業時間になったため店舗のドアを開け並んで待っていたお客様を笑顔でお招きする。 本日の第一号さんは近所に住む男子学生さんだ。最近よく来てくれる。 「おはようございます。あれ? 今日は店長さん、一人だけ?」 「ええ。そうなんです」 まさか「変身した者がいるから」、とは言えない。 「羽島さん、珍しく体調でも悪くされたんですか?」 「そんな所です。困ったもんです」 学生さんに続いて続々とお客様が来店になる。 俺は店頭のドーナツの売れ具合を気にしながら接客と販売とをこなす。 いつもだったら2人がかりの所を一人でまかなっているので息をつく暇もない。 1時間も経たないうちに品切れの種類が出始めたため俺は奥の調理室に戻り、羽島に追加を作るよう指示する。 「ここのドーナツってめっちゃ軽いからいくらでも食べれちゃうね!」 「だよねー! 美味しすぎてヤバイよね! アタシ、ダイエット中なのにぃ~」 駅前の銀行に勤めるOLさんが昼休みを利用して一種類に2個ずつ合計8個のお買い上げ。 「毎週この店のドーナツを食べるのがおじいさんの楽しみなんです」 お孫さんらしい女性が遠方から車でお越しになる。駐車場など無いからコインパーキングに停めているそうだ。 「今月の新商品は抹茶ですか! この子たちも抹茶味好きなので年間通じて置いてもらえたら嬉しいんだけどなぁ~」 お釣りとレシートを渡す際、かるく要望を述べるお子さん連れのお母さん。 基本、やって来るお客様の8割は女性で2割が男性なのだが、近ごろ少しずつ男性客の割合が増えてきている。 俺の知らないところでメディアに紹介でもされたんだろうか? ともあれ、お客様の増加は素直に嬉しい。 いつもであれば羽島と交替で休憩を取るのだが今日はほとんど休憩を取らず品切れの補充以外では店頭に立ち続けたが、16時過ぎには全て完売になった。 店を閉め、使った器具の洗浄や店内の清掃を終えると、ようやく人心地ついて遅い昼メシを食べられる。 「お疲れ様でした、須賀先輩」 「おう。お疲れ。今日も大勢お客さんが来てくれて嬉しいよ」 「そうですねぇ。それにしても、今日はずっと先輩に販売をお任せしちゃう事になってしまって、すみませんでした」 「羽島がそんな状態じゃしょうがないさ。休まれるよりはずっと良い」 「そうですか。そう言ってもらえたら少し気が楽になります」 マッチョな角持ち鬼になっている羽島がこんもり盛り上がっている胸を撫で下ろした。 「そんで? いつ戻れるんだ? 普段のカラダには」 「早ければ1日、遅い人は1週間くらい続くらしいです」 「1週間もか?!」 「遅い人は、ですよ。ワクチンじゃなくって本物の変身ウイルスだったらもっと長引くみたいですし」 俺が物心ついた頃には「変身病」と言う奇病は珍しい病気では無くなっていた。 病気になるのは男だけ。 しかも18歳くらいから40代までの男性だけが患う病だ。 発症すると狼男や馬男みたいな獣人になっちまったり、鬼やオーガみたいなモンスターに変身しちまう者が多い。 重症化すると阿修羅みたいに腕が6本に増えてしまったり全身がドロドロのスライムと化す場合もある。 俺が中学の時には担任の教師が授業中に突然発症しちまって半人半馬のケンタウロスに変身していくのを見た。 高校に入ってからもすれ違うサラリーマンのスーツが突然弾け飛んで、緑色のマッチョなオーガになっていく光景を目の当たりにした事がある。 そんな訳でとても珍しい病気って訳じゃないんだが、かと言ってありふれた病気という訳でも無い。 実際、俺は今まで変身ウイルスにかかった事は無いし、親しい友人の中に発病した奴は一人もいなかった。 だから、社会的にはそこそこの騒ぎにはなっていたけど俺自身は他人事のように感じていたし、大学を出て就職する頃にゃすっかりこの病気への興味も薄れていた。 「変身病」の原因はウイルスだ。 原因となるウイルスが発見されたのは3年ほど前。 名付けて「変身ウイルス」 原因が判明すれば対策も打てる。 ただちに変身ウイルスのワクチンが製造され、予防接種を望む者はワクチンを接種することが可能になった。 「それにしても羽島、なんで予防接種なんて受けようと思ったんだ?」 インフルエンザと同じで任意だから無料じゃない筈。大流行しているとのニュースも流れていない。 遅い昼飯を食べ終えた俺に対し、いまだに弁当を掻き込む羽島。 まぁ、10人前も注文していたのには驚いたが、羽島曰く「これでも足りないんですよ」との事らしい。 8個目の弁当を平らげ9個目に手を伸ばしていた羽島が俺の質問で顔を上げた。 「……実は、俺の弟がマジの変身病にかかっちゃって、それで……」 羽島から前に高校生の弟が一人いる、と聞いていたのを思い出した。 「それで自分にまでウイルスが飛んで来たらヤバイって訳か」 「それもあります。どうやって人から人に伝染するのかだけ解明されてませんし……」 ウイルスが発見された、までは良かった。 ただ、そのウイルスがどのようにして人から人へ渡るのか、だけが判明されていないままだ。 人間で実験していない(らしい)からラットあたりの動物での検証だけだが、空気感染でもなく接触感染でも無い。 また、体液そのものを媒介にするような性病でも無かった。 だから、教室で教師が発病してケンタウロスになって射精しまくってても、目の前を歩くサラリーマンがオーガになって濃緑チンポを無理矢理握らせてきても、俺みたくずーっと感染しないで済む男も多いのだ。 「で、弟くんは何に変身しちまったんだ?」 10個の弁当をすべて食べ終えた羽島が長くなった八重歯の隙間に挟まった葱を摘まんで空箱に捨てた。 「実はっすね……」 一番事例の多い獣人か? それともオーガあたりか?