大柄なパンダ獣人が懐から取り出した鍵でアパートのドアを開錠する。
自分が先に入って同行していた少女に目をやると、少女は続いて中に入り、自分の家のように自然な振る舞いで、閉じたドアに内側から鍵をかける。
「お邪魔しまーす…ふーん…ここが満吉ちゃんの家か~、せっかく一人暮らし始めたのに、もっと町の方とか出なかったんだね~」
「あー、なんだかんだでこの辺りが便利だったんだよな…」
「ふーん…でもそれだと実家のままでも良いんじゃないって思うけど…実は家族と仲悪かったりするの?」
「別にそんなんじゃねえんだが、色々あってな」
自分よりも一回り近く年下の女子にだるそうに返事する満吉(まんきち)。
パンダなのに年下の少女を相手にしても全く愛想がない。
今部屋に迎えている花恋(かれん)は、昔満吉がバイトをしていた地元の学習塾に花恋が生徒として通って来たころからの仲だった。
地域密着型の塾は生徒も講師もご近所だからか、良い意味で親しみやすく、悪い意味で馴れ馴れしく、友人のような距離感になりやすい。
中でも花恋は満吉にとって特別印象深い存在だった。
落ち着きがなく、暗記も苦手で、しかしやる気だけはあった彼女は特別手がかかってしまうことから当時多くの講師が頭を抱えていたが、満吉が受け持った際のテストがわずかに伸びが良かったということで、以降は彼女の担当を任命されて苦労をしたものだった。
現在その塾はなくなってしまったものの、自己学習の苦手な花恋は塾以外でも満吉に質問をすることもあり、その甲斐あってか花恋は人並みに進学をすることもできて、彼女の親からも都度お礼が届いたりすることで、頻度は減っても交流の続いていた二人は、現在もなんとなく年の離れた幼馴染のような関係が続いていた。
今日は、そんな花恋から満吉に教えて欲しいことがあって相談したいから…と訪問して来たのだった。
「あ…これお母さんから。今日会うって言ったら、こないだ旅行に行った時のお土産、ついでに渡しといてって」
「おっ…いつも悪いなあ…あとでお礼言っとかないと…」
話しながら帰って来たばかりで灯りのついていない自室に、幼馴染を招き入れる。
そこで満吉は、花恋が一人暮らしの男の家に、全然警戒しないで上がりこんでいる現状を改めて意識した
今までも、満吉が一人暮らしを始めたこの部屋の近くまで、何かの折に花恋が尋ねて土産物やお裾分けを渡しに来ることがあった。
その都度そのまま帰して、満吉が花恋をこの部屋の中にあげたことはない。
花恋自体も別に入りたいと言わなかったので、今回部屋で相談を…と言われても満吉自身そのことを特別意識はしていなかった。
こうも自然に部屋に入ってくるのは、幼馴染だから異性として見られていないのか…そういう理由であれば、確かに満吉の方も花恋そんな目で見ることはなかった。
しかし、改めて意識すると花恋も初めて会ったころから経過した時間の分、年頃の女子に育っているなとは感じる。
もちろん、それは身体の成長だけの話であって、精神年齢はまだまだ幼そうだよな…そうでないと男の一人暮らしの部屋にこんなホイホイ訪ねて来ねえよ…と半ば呆れつつ、満吉は訪ねてきた幼馴染を奥に通す。
「今電気つけるから」
「あ…確かにこんなに色々あったら…これは実家じゃ難しいよね…うん…一人暮らしは正解かな…」
部屋が室内灯で照らされると、壁一面に貼られたアイドルのポスターが目に飛び込んできた。
「…文句があるなら帰れよなー」
満吉のアイドル趣味を知った相手は、満吉が女性に縁がないためにアイドルのファンになったのだろうと考えることが多い。
実際は満吉が過去に携わっていた塾講師という職業は、年頃の女子との接点は少なくなく、なんだかんだと面倒見の良い満吉は特に女子からの評判も悪くはなかった。
しかし、悪い意味で少女達と近い距離で接していたせいか、日常的な女子の生々しい現実を見過ぎてしまい、理想の女子の幻想をアイドルに求めるようになったのだった。
特にこいつのせいだよなー、と当時苦労させられた幼馴染の姿が満吉の脳裏に浮かんだ。
花恋は幼い頃からの付き合いなので、ある時点で満吉がアイドル趣味に染まっていったことは知っていたが、ここまで趣味に特化した部屋だとは予想以上だった。
趣味全開の部屋に思わず驚きの声を上げてしまったものの、今回はこの満吉のアイドル趣味に期待してこの部屋に来たのだった。
「文句なんてないってー、アタシちょっとアイドルのことに詳しい人に質問…っていうか相談したくってさ…満吉ちゃんみたいに気合入れてる人なら大丈夫かなって」
「アイドルのことで相談ー?」
満吉が眉をひそめる。花恋が思い付きで口走る頓珍漢なことにツッコミをいれるのは昔からのことだった。
その辺りが変わらなくて、見かけは成長してもやっぱりまだまだガキだなあ。と少し安心したりもする。
「うん、アイドルがやってる枕営業ってどんなふうにするのかなって…満吉ちゃんアイドル詳しいから教えて貰えるかと思って」
「…は?枕営業?」
「アイドルってしてるんでしょ?枕営業?」
「はあああああ??
何言ってんだよしてるわけねーだろ!アイドルをなんだと思ってんだよ!みんなに夢を与える仕事だぞ!そんなことをしてたら隠したってバレるし炎上するんだよ!枕なんてするわけねーだろ」
自分の推しを含む全アイドルの尊厳を踏みにじるような言葉に、満吉は顔を紅潮させた。
ある程度の頓珍漢な相談だろうと予測はしていたが、悪化している気がする。
枕営業。
芸能界の権力者に自分の身体を差し出して、一夜の性的サービスと引き換えに便宜を図ってもらう行為。
確かにアイドルの中にはそういう行為をするものもいるかもしれないが…それは一部のダークサイドに落ちたアイドルで…自分の推しはそんなことはしないし…そもそもダークサイドに落ちたアイドルはアイドルではないから、アイドルの枕営業は理論上存在しないのだ。素人にはわからないかも知れないが…
そんな専門的な論理は備えていなかった花恋は、残念そうに肩を落としていた。
「そうなんだ…デマだったのかー」
「当たり前だ、なんだって急にそんな戯言を…」
「んー、アタシ今度さーオーディション受けるんだよね、アイドルの。」
「へ?オーディション?アイドルの?」
「そ。アイドルの」
頓珍漢に加えて突拍子もなかった。
「いやいやいや、お前がアイドルって何言ってんの…なれるわけねーだろ」
「だよねー、書類選考の方はパスしたから、今度は面談に来なさいって言われたんだけど、なんかああいうのって特技を披露してとか言われそうじゃん?アタシそういうのないんだよねー。」
「へ、へー、書類は通ったんだ…まあ…写真で騙すのはいけそうだもんな…」
「んー、だからさー、そういう特技がなくても、枕営業で身体を張って役が取れればと…」
花恋によると、アイドルにのオーディションに応募したのは、何となく楽しそうというような軽薄なものだったものの、書類審査が通っていざ次の審査という段階になると、それなりにやる気になっていた。
オーディションに受かる方法を探している内に、一部のアイドルが枕営業という手段で役を得たと知り、自分も枕営業をしようと考えたのだった。
「そ…そんなアホなこと考えて、さっきの質問してたのか」
書類審査が通ったことにも驚いたが、自分が枕営業をする…と考えているとは…更に予想外であった。
しかも簡単に枕営業という手段を取ろうとするとは…
身体は成長しても頭は子供のままだと思っていたが…むしろ、頭が子供のだからこそ軽率に経験を済ませてしまって、もはや身体を使うことなどなんとも考えていないのか…?
満吉の目に、子供だと思っていた幼馴染が、何も知らない純粋さを演じつつやすやすと男を咥えこむビッチのように映ってきた。
「そうそう、そこら辺はアイドル専門家の満吉ちゃんなら知ってるかなーって、知ってたら本番の前に満吉ちゃんと練習しときたかったんだけど…」
「…は?…練習?…俺と?」
満吉がさらに予想外の言葉を聞いて目を白黒させる…彼女の言っている枕営業の練習というのは…俺と練習したいってそれは…
と、ここで、あまりにあっけらかんとした幼馴染の物言いをから、満吉の中に一つの可能性が浮かんだ。
枕営業がどんなことをするのか…という質問だったが、性的なことだというとも含めて全く知らないで相談に来たのでは…
流石にここまで照れることなく、目の前の相手に性的なことの練習をしたいと言ってくるとは思えない。
…しかし、やっぱり実はビッチでだったりして…俺とそういうことをしたくて…?
①アホだから枕営業の意味を知らない
②ビッチだから枕営業に抵抗がない
正解はどちらなのか…満吉の脳裏に②択クイズが浮かぶ。
高い確率で①が正解だと思うものの、それでは年頃の女子がそこまで無知なのかとも感じ…②の可能性もなくはないような…でもそんなビッチではいて欲しくないような…でも自分としたいと言ってくれたわけで…
後半から脳裏でせめぎ合うのは推理ではなく、自分の願望がどちらなのかの問題になっていた。
「あ…あの…お前さあ…俺としたいって…」
「そう、アタシそんなに経験ないからねー。身体を張ったってちゃんとできなくて失敗したらしょうがないし…」
経験ないって言った?経験って…エッチの経験…か?じゃあやっぱり俺としたくて…?
いやいやいやでも幼馴染で親とも知り合いで…でもそれも踏まえた上の強い希望で俺をとうのであれば、俺だって…
「でも枕営業ないんじゃ仕方ないか…何か今からでも特技考えないとねー、ねえ、何がいいと思う?」
すっかり翻弄されていた満吉をよそに、花恋は自分の作戦が実行不可能であったことに一度は落胆したものの、早くも気持ちを切り替えて次の手を考えているようだった。
①!このあっさりし過ぎる方針転換!やはり①か!
まあそりゃそうか…と納得がいった一方で、満吉の中に散々振り回わされたことに対する怒りが湧いてきた。
人の気持ちも知らないであっさりとまあ…こいつ…枕営業が何かって知ったら相当慌てるだろうな…うん、他で恥をかく前に今の内から教えておいてやるか。
「そうだな~、あ、やっぱり…一応枕営業の練習しとくのも…良いんじゃね?」
これは親切心、親切心…と満吉は自分に言い聞かせながらも、脳裏には枕営業の意味を知らされて、顔を真っ赤にして狼狽する花恋の姿が鮮明に浮かび、その滑稽さに口元が意地悪く歪んでしまう。
「えー、だってないんでしょ?枕営業。アイドルが枕営業してないんなら無駄じゃん」
「はあああああ??
何言ってんだよしてないわけねーだろ!アイドルをなんだと思ってんだよ!金と欲望の世界を手段選ばす戦い抜く猛者だぞ!そんなのみんなやってるから今さら隠すまでもなく炎上もしねーんだよ!枕がないわけねーだろ!」
そこは乗って来いよ!と、自分の推しを含む全アイドルの尊厳のことを忘れたように、満吉が顔を紅潮させてまくし立てた。
こうも振り回されると、これも含めて自分の反応をみて楽しんでいるのではないかとすら思えてくる。
突如枕営業についての存在を認める満吉の発言であったが、花恋はそれを聞いて表情を明るくさせた。
「そうなんだ!…あるんだー」
「うむ!俺の推しは別として、他はやっている!」
「じゃあやっぱり練習しときたいな…満吉ちゃんお願いして良い?」
「えっ……お…おう…ま…まかせなさい」
花恋から思惑通りの言葉が返ってきたものの、それに合わせて演技をすることに、どうしても照れが入ってしまう満吉であった。
くそ…さっさとこいつの吠え面を拝んでやるか…
「そ…それじゃあよう…枕営業の仕方を教えるけれどよぉ…」
「うん、お願いします」
「そもそもお前…枕営業って何することか少しは知ってんの?枕営業っていうのは男と女がさあ…その…二人で…するアレをやるんだよ…ほら…」
花恋に枕営業の具体的な内容を教えて驚かせるつもりが、いざ自分の口から話すとなると言葉にしずらく、結局満吉自身がしどろもどろで苦境に立たされてしまう。
こんなはずでは…
「アレだ…保健体育の授業であったはずだが…」
「赤ちゃんが生まれる様なことするんでしょ?」
花恋の答えに満吉が再び度肝を抜かれる。
えっ…知っているのか…知っていて…いやでも…
「えっ…あの…赤ちゃんが生まれることって…何をするか」
コウノトリにお願いすることって思ってたりするのでは?
「セックスだよね?」
「えっ…はい…セックスですね…」
…②…じゃねーか…
うろたえる満吉に対して『ちゃんと知っていたでしょ』と言うように大人びた幼馴染が微笑みかける。
その予測不能な態度に圧倒されてか、これから行う行為を思ってか、思わず満吉は息を飲んだ。
前編おしまい
続きは5月29日(土)更新予定です。