中国には半年くらい滞在し、ほとんどの時間を雲南省で過ごした。雲南省は中国南西部の内陸で東南アジアのすぐ北側だが、標高が高いので東南アジアの雰囲気はない。雲南では大理という街がバックパッカーの集まる街として有名だった。少数民族ペー族の街。城郭都市というのだろうか、城壁に囲まれた街で、城壁の中には昔ながらの中国的な街並みが残る。
中国には城壁に囲まれた街がいくつかある。有名なのは西安(昔の長安)だろう。日本で言えば京都にあたるような古都だ。西安はずいぶんと発展してしまっていて、現代的な建物と遺跡ともいえるような無骨な城壁が共存し、そして街は今や城壁の外まで広がってしまっている。キングダム(漫画)でも墨攻(漫画、小説)でも、戦争の中で城郭都市が出てくるので一度見ておくとイメージがつきやすくてよい。
城郭都市大理古城はというと、大都市西安とは違い田舎なので昔ながらの街並みがよく残っている。観光に力を入れているということもあるのだろう、悠久の中国を感じられる街だ。もう少し田舎に行くと麗江(れいこう、リージャン)というナシ族の街がある。大理よりも小さいがこちらも昔ながらの街並みが残る城郭都市で、大理以上に観光に力を入れている。
観光のために古き良き中国を残す。これは「街全体をテーマパーク化する」とも言い換えることができる。日本でいうと白川郷とかかな。麗江はテーマパーク感が強くて長期滞在するには居心地がわるかった。どうしたって自分が観光客になってしまうからね。ぼくは観光客とは違うんだ。特にツアー客になり下がるのだけはごめんだ。これはバックパッカーとしての矜持(きょうじ)だったように思う。だから現地の言葉を覚え、長期滞在する。
前置きが長くなってしまった。そんなわけでぼくは麗江を避け大理を拠点にしたわけだが、今回は麗江の話をしたい。古き良き悠久の中国ファンタジーテーマパーク、麗江だ。しかもバックパッカーとして駆け出しだったころで、ぼくも今ほどすれていなかった時の話だ。
麗江の街には石畳の細い道が張り巡らされていて車など存在しない。起伏のある地形で、街の中を水路が通っていて小さい橋がいくつもある。建築は一様に木造で瓦屋根が葺かれ、軒には赤い提灯が連なっている。異世界情緒たっぷりの中国ファンタジーに没頭できる魅力的な街だ。アニオタとしてもハイファンタジーが好きなぼくにとってこの雰囲気は垂涎(すいぜん)モノだった。――民族衣装を着ている原住民よりも観光客の方が多いのはいただけませんが。
さて、麗江には広場があり、日が暮れはじめると人々が集まりだす。黄昏の中、人々の顔はよくわからない。広場の真ん中にはこれまたよくわからない笛を手にした原住民が音楽を奏で始める。すると人々が数珠繋ぎに腕を組んで、音楽に合わせて踊り始める。踊ると言ってもリズムに合わせて跳ねるように、スキップをするように横移動を繰り返しているだけだ。簡単なので見よう見まねで参加できる。間違いなくほとんどが外国人や中国人観光客なのだが、先ほども述べたように黄昏の中で人々の顔はよくわからない。どんどん人が集まってきて、腕を組んだグループが複数できては、笛吹き男を中心にして回ったり、音楽のサビではハイハイハイッとコールを入れながらぐっと真ん中に集まる。人々は自由に腕組み連結したり、分裂したり、途中で抜けたりしながらその踊りを繰り返す。
この集いに参加したぼくは得も言われぬエモい感覚に陥った。情緒を揺り動かされ、魂が震え、意味も分からず涙がとめどなくあふれてきた。一言でいえば強烈なノスタルジーである。こんな文化に育ったわけでは無いにもかかわらず、なつかしさがこみ上げてきたのだ。ああ、これが音楽だ。
「集合的沸騰」という言葉がある。宗教的儀式の中で生じる人々の熱狂状態をさす。大航海時代のヨーロッパの探検家たちは世界中に散らばり、様々な未開の民族に遭遇した。それぞれの民族がそれぞれの環境でそれぞれの文化を育んでいたはずが、どの民族も同じような儀式を持っていることにヨーロッパ人は気づいた。つまり、火を囲んで音楽を奏で、踊るという宗教儀式だ。共同体はこれによって連帯感を養い、自分たちの共通の価値観を確認する。連帯感の強い共同体は助け合い、生き残ってきた。何十万年と生き残ってきた私たちにはこの記憶が残っているのだろう。
こんな習慣を疾うに(とうに)失っていたヨーロッパ人は不思議に思ったことだろう。こんな習慣を疾うに失っていた日本人のぼくも自分の中に湧き上がる感覚に戸惑った。最初は戸惑ったのだが、しかし考えてみればこの儀式は実は現代社会にも残っているのではないかと思えてくる。アイドルのライブがそれだ。
別にバンドのライブでもなんでもいいのだが、オタ芸やコールに代表されるようなライブにおけるオタク仕草というのがまさに「集合的沸騰」を喚起させるための宗教儀式のように思える。民族衣装よろしく同じグッズを身に着け、同じ色のペンライトを振り、適切なタイミングでコールを入れ、気分を高揚させていく。「世界一かわいいよ」と叫んだ瞬間、実際に推しが世界一かわいく思えてくる。同胞と世界観を共有する瞬間だ。ああ、これが音楽だ。
これが「連帯感を養い、自分たちの共通の価値観を確認する宗教儀式」でなくてなんであろうか。私たちが音楽だと思って聴いている音楽データは本来の音楽ではない。うどんみたいなイヤホンを耳に突っ込んでエモいエモい言いながらSpotifyで聴いている音楽データは音楽ではないんだよ。これはちょうどパッケージ化されたJALパックで行く雲南省周遊五日間の旅と、バックパックで行く雲南省周遊六か月の旅くらい違うのだ。ぼくがツアー旅行を毛嫌いする理由がここにあった。