灼熱のインド亜大陸で、ぼくは頭のかゆみに悩まされていた。当時ドレッドヘアだったぼくはそのことにさほど疑念を抱かなかった。ドレッドヘアというと、多くの人はレゲエを思い浮かべるかもしれないが、ぼくのドレッドはヒンドゥー教の苦行者、サドゥーに影響を受けたものだった。サドゥーは髪を切らず、ひげを剃らず、身体に聖灰を塗りたくって瞑想やそれぞれの苦行に明け暮れる。おそらく宗派によっても違うのだがその聖灰というのは火葬場の灰、つまり知らん人達の遺灰である。
インドでは遺体はガンジス川に流されるというのは有名だ。ガンジスに浮かんだ遺体をカラスがついばんでいるのを何度も見た。人々はその横で沐浴をする。しかし、遺体をそのまま流すのは薪を買えない貧乏人であり、お金がある者は葬式をし、神輿のように棺桶を担いでガンジス川のほとりの火葬場までパレードをしてそこで燃やし、遺灰、遺骨を川に流す。
石鹸はアルカリ性なのでキューティクルが開く。急に何の話だ。とにかく石鹸はアルカリ性なので髪が痛む。キシキシになる。そのために髪を洗った後は酸性のリンスで中和し、うっとりするようなサラサラヘアに仕上げるのだ。灰は石鹸と同じくアルカリ性だ。髪を切らず、ひげを剃らず、瞑想に耽る苦行者であるサドゥーがアルカリ性の聖灰を身体に塗りたくると、髪はキシキシになって束になってしまう。そうして出来上がるのがサドゥー特有のドレッドヘアだった。
サドゥのドレッドはレゲエのイメージとは違う。もう少しスカスカな感じになる。レゲエ的なドレッドはアフロヘアが固まったものなので、日本人がやるときは羊毛フェルトのように圧縮する。一方のサドゥ的なドレッドは灰をつけて、気が付いたときに束を分けてやればそれだけで結構勝手にできる。
ドレッドヘアは頭皮を洗うことができない。慣れないうちはかゆいが慣れてくるとそんなにかゆくもなくなる。しかし変に洗おうとするとかゆくなったりする。搔き始めると思い出したようにかゆくなったりもする。雨期直前の一番暑い季節のインド。ぼくのドレッドヘアがかゆいからといって別段不思議なことはない。かゆみに悩まされてはいたが、当然の報いであり、やがて落ち着くだろうと楽観視していた。
しかし痒みは落ち着かなかった。理由は簡単で、行きつけの商店のおばちゃんが教えてくれた。ぼくのドレッドはアタマジラミに寄生されていたのだ。アタマジラミはキモイので検索するな。ぼくの頭皮はアタマジラミに食い荒らされていた。シラミは小さい虫だ。毛にしがみつき、皮膚を食べて糞尿を垂れ流す。その糞尿が頭皮の傷に入り込み、痒みを引き起こす。シラミは成熟すると毛の根本に白い卵を生みつけ(じつはこの卵が厄介)、人の頭でどんどん増殖を始める。その人が誰かに接近したタイミングで別の人の頭へと移住し、その頭を新たなキャンプ地とするのだ。植民が始まってすぐはなかなか自分も他人も気が付かない。しかし卵を生みつけられ始めると、卵は白いので気が付く(これはシラミの種によるかも?)。
ぼくにシラミを染したのは犬か、子どもか……。十分こころあたりがあった。ぼくは毎日ヒンドゥー寺院に通い現地の人々と触れ合っていたのだから。バックパッカーであることに誇りを持っていたぼくは、ツアー旅行者を見下すために現地に溶け込む旅行をしなければならなかった。「JALパックで行くインド周遊五日間って(笑)。アタマジラミももらわないでインドがわかるんすか?」がぼくの旅行スタイルだった。
アタマジラミの治療法は、髪が大切な人ならば薬局でシラミシャンプーを買うのがいいが、そうでないならスキンヘッドにしてしまうのが良い。ナチュラルスキンヘッドのあなたはそもそもシラミをもらう心配がない。ぼくはというとせっかく育てたドレッドヘアが惜しかったのでじたばたと足掻いた。
アタマジラミに寄生されていることを教えてもらったぼくはそのまま宿に帰ると、バケツに熱湯を張り――。いや熱湯は言葉の綾だが、頭皮がぎりぎり耐えられる温度の湯を張り、あたまをつけて洗った。湿疹に熱湯をかけると気持ちいい感覚と言ったらわかってもらえるだろうか、シラミに食い荒らされた頭皮が熱湯に浸かると気持ちよかった。そして頭をあげると、バケツには無数のシラミが浮かんでいた。これは視覚的には気持ち悪かったが、精神的には気持ちよかった。憎らしいアタマジラミを一網打尽にしてやったのだ。しかし全滅させるには至らない。髪のすきまを見るとまだうごめく虫たちがいた。
翌日薬局に走り、シラミシャンプーを買った。二週間そのシャンプーで洗い続けるのだ。シャンプーはシラミの成虫に対しては良く効いた。二週間というのは卵が残っている場合の保険である。ドレッドは洗いにくいがそれでもこのシャンプーでシラミを殲滅することに成功した。問題は――、髪の根本に残る白い卵である。正確には孵化した後の卵の殻である。これは何度洗っても全く落ちなかった。白いのでけっこう目立つ。孵化した後の殻が残っているだけなので人にシラミを感染させる心配はもうないのだが、警戒される。「やだ、あの人シラミわいてる~」なんていって避けられるのは不本意だ。
この卵の殻は髪の一本一本に貫かれるように固着している。わかるだろうか。髪を串に見立てると、卵は串に刺した団子である。だから卵の殻をつまんで毛先の方にスライドさせるとすっと抜ける。団子を食べるのと同じ要領である。しかし横に引っぺがそうとしても全く取れないし、なんど髪を洗っても取れない。そんなわけで雑貨屋にはシラミ用の櫛(くし)が売られている。需要と供給である。ここインドにはシラミシャンプーもあればシラミ用の櫛もあるのだ。要するにインドではシラミは一般的な寄生虫なのだ。シラミももらわないでインドがわかるんすか?。
このシラミ用の櫛はすごく目が細かくて髪の根本から梳かしてやると、櫛の歯があの頑固な卵の殻をひっかけて毛先まで移動させて、引っぺがしてくれる。だからあなたが髪の美しい人でそれが自慢で、不幸にもインドでアタマジラミをもらってしまったのなら、まずはシラミシャンプーで頭を洗い、シラミ用の櫛で卵の殻を取り除いてやれば美しい髪を保つことができるということだ。
ぼくにとって問題だったのは、というかドレッドヘアにとって問題だったのは、髪の毛を櫛で梳かせないことだ。白い卵の殻はどうしたって取り除くことができなかった。それを残して生活するのも気持ち悪いし、人に避けられる。だからインドでアタマジラミをもらったドレッドさんに対するぼくのアドバイスは「髪を切れ」だ。