自分で描いた優木せつ菜(中川菜々形態)に恋をしてしまった。何度も見返している。見ているとドキドキする。完全にときめいちゃった。
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もともとは2022年の11月に描いた絵で、その時点ですでに良い絵がかけたという感触があった。そして今回、髪の毛を描きなおして、全体を整えて、背景をつけて完成させた。完成した絵を見てぼくは今まで感じたことのない満足感を得た。ぼくはこの絵を描くために今まで絵を描き続けてきたのかもしれないとさえ思った。恋に落ちた瞬間だった。
ぼくが自分が描いたせつ菜ちゃんに完全にときめいてしまった理由について考えてみた。
1、自分で描いたので愛着がある
2、自分で描いたので、自分の性的嗜好を完璧に抑えている
3、そもそも優木せつ菜が好き
これは全部正しいと思う。ガチ恋対象がオリキャラじゃなかったあたりに自分のクリエイターとしての才能の無さが表れている。しかし1の割合はよくわからない。人の絵でも好きで何度も見返してる絵はたくさんある。この絵が仮に他人の描いた絵だったらこんなに気に入っただろうか? この絵が仮に Stable diffusion から飛び出してきたものだったら、こんなに気に入っただろうか? たぶんここまでの愛着は湧かなかっただろう。
どうやらこの気持ちには「自分の絵を好きになることのときめき」が幾分混ざっているような気がする。
自分で描いた優木せつ菜ちゃんに恋をすることには、えも言われぬ解放感がある。誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われている感覚がある。独りで静かで豊かで……。一番心地よいのはこの解放感のような気がするんだ。
多分ぼくは今まで自分の絵がそれほど好きではなかった。自分の絵よりも自分が憧れるあの人やあの人の絵の方が断然良かったし、自分に絵の才能があると思えたこともない。描けば描くほど、自分に絵の才能が無いことを痛感させられた。いわゆる「自分の絵では抜けない」っていうやつ。
じゃあ何をモチベーションに今まで描き続けてきたかというと、やはり承認欲求なんだと思う。承認欲求と神絵師に対する羨みだと思う。こういうモチベーションは完全に他者に依存している。他者無しに自分の絵は存在しなかった。今までは。
でも自分の描いた優木せつ菜ちゃんに恋をした瞬間、――つまり初めて自分の絵が好きになれた瞬間、今まで絵を描いてきた動機の何もかもがどうでもよくなった。Twitterに投稿したときの反応も気にならない。自分に絵の才能がないことも、もはやどうでもいい。この絵を描いてくれない他の絵描きを羨む必要もない。AI絵師だってどうでもいい。ぼくはぼくに依頼を出し、ぼくはぼくのために絵を描いた。ぼくと、自分で描いた優木せつ菜ちゃんだけで全てを完結させることができる。独りで静かで豊かで……。自分以外の誰にも依拠しないこと。これほど心が安らぐ状況がほかにあるだろうか。
この絵を描いたことで絵描きとしてのぼくに対する評価が変わるとは思わない。実のところツイッターのファボはそんなに伸びなかった。ぼくの性的嗜好と世間の需要にはギャップがあるようだ。でも自分の絵が好きになれたことは自分にとってはすごく大きな出来事だった。