中国の内陸部、それもかなり西の方、青海省ゴルムド市でトラックをヒッチハイクしてチベット自治区に入った。みなさんご存じのように中国政府にとってチベット自治区は政情不安の種であり、外国人が公共交通機関を使わずにチベット入りすることは違法だった。これはぼくにとって大冒険だった。
もちろんぼくが個人でアルバイトでためた資金で行える冒険なので「冒険」と聞いて人が思い浮かべるような大胆ものでは全くない。ぼくが読みふけった冒険譚、イブン・バットゥータ(14世紀にアフリカから北京まで旅したとされる)、デイヴィッド・リヴィングストン(19世紀にアフリカを旅した)、スヴェン・ヘディン(19世紀に中央アジアを旅した)に見られるような冒険とは全く違う。ぼくの冒険――トラックをヒッチハイクして違法にチベット自治区に入るという冒険――は、最悪車中泊ができたし、普通にお金払って宿がとれたのだから。それに当時は中国反スパイ法がなかった。下手なところで写真を撮ったからって逮捕収監されるという不安も持っていなかった(カメラのデータを消されるくらいのことはあると思っていた)。
「チベットへ行く」というのはおおむねチベット自治区の首府、ラサへ行くことを意味した。トラックをつかまえた青海省ゴルムドは海抜2980メートル。これくらいなら高山病の心配はいらない。ラサはチベットの中央部に位置していて海抜は3650メートルなので、富士山(3776)より100メートル低いくらいだ。
登山アニメ、ヤマノススメでは主人公のあおいちゃんが富士山にて高山病に悩まされる描写がある。飛行機でラサ市に降り立った旅行者が高山病に悩まされるという例は少なくない。一週間のラサ滞在中にもそういう旅行者を何人も見た。「頭が痛い」とこぼしながら観光を断行する旅行者がほとんどだが、ドミトリーで同室になったスロバキア人は三日間のラサ滞在をずっと寝て過ごし、そして帰っていった。あれは不憫であった。
陸路でラサ入りする場合、ラサで高山病に悩まされる心配はない。ラサ市に入る前に悩まされるからだ。ラサの標高3650メートルはチベット基準で言うと低地だ。チベット高原は東西南北を山に囲まれているので周辺部には人間は住みづらい。そのためチベットの中心のラサ市は中国の大きな都市からはずいぶんと離れている。青海省のゴルムドからラサ市までは距離1165キロ。途中で崑崙(こんろん)山脈を超えるのだが、そこで標高4767メートルを経験する。ぼくもこの時に高山病を自覚した。
崑崙(こんろん)峠を越えると、そこに圧倒的な草原が開けた。ひたすら続くまっすぐな道。ヒツジとロバが横を通り過ぎ、時々オオカミが姿を見せる。――姿を見せていたらしい。トラックの運転手(回族、ムスリム)は「見ろ日本人! オオカミだ!」と教えてくれるのだが、遠すぎて日本人の目には見えないのだ。右にも左にも地平線が見え、前方はるか彼方に山脈がそびえる。やがて日が沈み始めると、何もない草原の道路へと吸い込まれていく太陽を見た。大地と空。他に何もない。世界の果てに来たみたいだった。
この日は車内泊だった。トラックの運転席には運転手が寝るためのベッドと毛布があるのだが、ぼくはシートで丸まっていた。死ぬほど寒くてほとんど一睡もできなかった。荷台のバックパックには毛布が有ったのだが、意思の疎通が上手くできていなかった。車中泊でエンジンを止めるとは思っていなかったし、どれくらい寒いのかもしらなかった。気温は測れなかったが外はマイナス10度を下回っていたと思う。しかし最悪運転手の毛布にもぐりこめば死なない。その程度の冒険だ。
ゴルムド→ラサ市ルートで最も標高が高いのが唐拉(タンラ)峠(5231メートル)だ。この時はぼくも吐き気と頭痛に悩まされた。トラックの運転手は高山病の薬をくれた。高山病の薬というのは存在しないはずなので痛み止めだとか、酔い止めだとか、そういう類の薬だったのだろう。
地理的な峠を越えれば高山病も峠を越える。ラサまでは平均標高4500メートル。一度5231メートルを経験すればどうということはない。どうということがあるのは公安の検問だった(違法にチベット自治区に入っているので)。一度は毛布にくるまって隠れたし、一度はトラックを降りて闇夜に乗じて検問所を迂回した。
そんなわけでラサについたときにはぼくはすっかり高度順応していた。旅行者6人でランクルをチャーターしてエベレストベースキャンプ(5150メートル。エベレストにはチベット側BCとネパール側BCが存在する)を訪れたのだが、飛行機でラサに飛んできた日本人留学生三人は高山病が辛そうだった。十分に高度順応していたカナダ人二人とぼくはピンピンしていた。
予定のない旅においてチベットを冬に訪れたのは偶然だが、とても良かったと思う。チベットは冬に限る。標高が高く極度に乾燥しているので空が極端に青い。写真で見返しても信じられないほど青い。雲を見ることすら稀で、雲を見つけたことが仲間内で話題になるほどだった。「きょう雲があるよ。ほらあそこ! あそこ!」みたいな。雲がないので毎日が放射冷却で寒暖差が激しい。暖房がないとコンタクトレンズが凍るので毎日コンタクトレンズと一緒に寝ていた(シェーカルというクソ田舎では車がつかまえられずに、暖房のない宿で二泊三日を過ごした)。洗濯ものを干せば凍り付いたが、日が昇ると凍ったまま少しずつ乾いていった。そんなことあるんだ。
エベレストベースキャンプの後はカナダ人ふたりとトラックをつかまえヒマラヤを越えてネパールへと抜けた。「ヒマラヤを越えた話」と聞けばみんな興味を持つかもしれないが、実のところチベットに入るときほど刺激的なものではなかった。山脈は遠くから眺めれば壮大だが、中に入ってしまえば山に囲まれてしまう。この頃には高度にもチベット人にもすっかり慣れてしまっていたし、検問もゆるかった。
しいて言えば、チベット→ネパール越境は文化が急に変わるという点で特徴的だった。チベット側のバスで流れていた音楽と、ネパール側のバスで流れていた音楽ではガラリと曲調がかわった。東アジアから突然南アジアに入ったのだ。この瞬間にぼくの気もゆるんだ気がする。冒険家気取りの硬派な旅人が、ネパールのカトマンズでは完全に不良外国人になり下がってしまった。