先日、「作家は経験したことしか書けない」というハッシュタグがバズっていた。
ぼくもいくつか小説を書いたことがある。直近では2022年に書いてカクヨムに公開している。小説を書く際にバックパッカー経験は大変役立った気がする。旅行記的な私小説はもちろんなのだが、そうではなく異世界ファンタジーを書く際にバックパッカー経験が大変役立つ……気がする。
気がするというのはつまりぼくには実績がない。ぼくの小説は誰も読んでくれないし、逆に海外に行ったことのない人でもファンタジー小説や漫画を書いてヒットを飛ばしているので、バックパッカー経験がファンタジーの執筆に役立つなんてことは幻想だろう。ある種の状況を描写するときには筆に迷いが少なくなるという程度。
ぼくがファンタジーを書くと必ず生活臭のある露店市場の描写がでてくる。ぼくが市場散策が大好きだったからだ。まあ、訪日外国人も豊洲市場が大好きだし、そういうものだ。そしてぼくの小説には「国境の町」とかいうロケーションもよく出てくる。陸路越境というのは、島国育ちの日本人バックパッカーにとって最も興奮するイベントだ。
陸路越境の雰囲気や、移動とともに文化がどのように変化するか。またどういう人たちが国境を往来するのか。越境手続きはどんな様子なのか。こういうことは実際に見てきたからこそ説得力のある描写ができるとぼくは思っている。
ぼくが初めて陸路越境を経験したのが中国-ラオス国境だった。
雲南省の省都、昆明(こんめい、クンミン)から夜行バスで南下した。昆明は標高が高く、雰囲気も中国らしい大都会だが、南下するとそこからどんどん標高が下がっていき、気温が上がり、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州に入る。タイ族というのはタイ人と同じ系統の民族だ。シーサンパンナ最大の都市、景洪市(けいこう市、ジンホン市)はなかなか大きい街だが雰囲気は半分東南アジアだった。街路樹としてナツメヤシが植えられているほどに東南アジアだった。何より建築だ。金や赤を基調としていて、ギザギザした感じの屋根の、タイの寺院とよく似たタイプの建築を目にすることができた。
「エキゾチック」という言葉は異国情緒などと訳されるが、中国にはあまり「エキゾチック」を感じない。中国の文化も日本の文化も根底に流れている美意識は近いからだろう。しかし東南アジアの文化はエキゾチックだ。移動とともに文化が変わっていく様子を目の当たりにし、自分が今から陸路越境を試みようとしているという実感がわいてくる。
中国らしい中国、すなわち中国内陸は荒涼としていて、何かこう寂寥感(せきりょうかん)のようなものが染みついている。空の色、建物の色、植生、聞こえてくる音楽。冬に向かう時期だったのでなおさらそれを強く感じていたのかもしれない。何かはよくわからないが、この地で暮らすことの宿命とも言うべき侘しさが、中国大陸にはある。しかしシーサンパンナ・タイ族自治州まで来るとそれが南国の雰囲気に変わっていく。不思議と気分まで開放的になる。
景洪は実際南国だった。10月にもかかわらずこの街のホテルには蚊帳(かや)があったし(これも人生初体験の蚊帳だった)、ぼくはこの先の東南アジア周遊に必要だろうと思い、スーパーで蚊取り線香を買った。日が落ちてからは小腹がすいたのでぼくは夜の景洪を散策した。夜食としてスナック類を食べることはよくあったが、街を歩いてみる気になったのは暖かかったのと、やはり解放的な雰囲気にあてられてのものだったと思う。
夜道をとことこと歩いていると屋台がたくさん並ぶ一角を見つけた。生肉や野菜が並び、現地の人々でにぎわっていた。ぼくはそこでトマトと玉子の炒め物を注文した。西紅柿鶏蛋炒(シーホンシージータンジャオ)と言って日本人に人気のメニューだ。日本人に人気の理由は単純で、中国のどの地域にもあって辛くない料理ということが確定しているからだ。英語メニューの無い大衆食堂で知らない料理を頼むことはリスクが伴う。その西紅柿鶏蛋炒(シーホンシージータンジャオ)を平らげ、ぼくはホテルに戻り、生まれて初めての蚊帳にもぐりこんだ。
景洪市は大きな街だが通過点に過ぎない。有名な観光資源があるわけではない。一泊して翌日にはバスに乗ってラオス入りできるはずだ。生まれて初めての陸路越境、そして生まれて初めての東南アジア入りを果たすことになるだろう。東南アジアではどんな冒険がぼくを待ち受けているのだろうか。期待に胸を膨らませつつぼくは眠りに入った。
深夜、ぼくはひどい腹痛に襲われた。這うようにしてトイレまで向かい、嘔吐し、下痢をした。一度ベッドにもどり横になる。体中の関節が痛んだ。食中毒で関節が痛くなるなんて経験は初めてだったし、食中毒で関節が痛くなるメカニズムもわからなくて不安だった。その後も何度もトイレとベッドを往復したが、まともに立って歩くことすらできなかった。上からも下からも卵スープのようなものを吐き出した。吐き出し続けた。スープのような物にはちゃんとトマトも入っていた。生暖かい夜に生肉の並ぶ屋台で食べたトマトと玉子の炒め物に中った(あたった)ことは疑いようがなかった。
思えば寒い中国内陸の食品は新鮮だった。やはりシーサンパンナはすでに南国だったのだ。
……越境の話してないな。でもオチがついたからいいか。