シン・巨大昆虫観察 〜午後の部〜
Added 2023-08-31 15:30:00 +0000 UTC時間は午後2時30分。 「こんな可愛い子が入っているなんて誰も思わないだろうな、自分で言うのもなんだけど」 姿見を見ながら私はポツリと呟いた。 姿見には黒光りしたインナースーツを着た女性が映っている。 私は首元にぶら下がったマスクに手を掛けた。 口の辺りにあるチューブを咥えながら頭を全て覆うマスク被り、背面に垂れ下がったフードも被ると全身が黒光りしたノッペラボウの口からチューブが突き出た奇妙な姿となった。 全身が黒光りした姿になった私は膝を落として突き出たチューブを足元に広がる黒い物に接続し、そのままその中へと体を埋めていった。 「まり…さん、背中…閉め…」 ファスナーが閉まる音とともに外界から遮断されていき音も聞こえにくくなる。 全身黒光りするラバーに覆われた上、着ぐるみに頭から体を埋めているので、必然外からの声が届きにくくなった。 ラバースーツだけも暑かったのに、着ぐるみに閉じ込められると急激に暑くなったような気がする、いや暑くなった。 私は今カブトムシの着ぐるみの中にいる。 手足を節のあるカブトムシの脚に通してうつ伏せで寝そべった状態。 さらに着ぐるみを着せられる。 重ね着された着ぐるみはカブトムシのサナギの着ぐるみ。 口に咥えたチューブのお陰で呼吸困難にはならないが、汗が停めどなく流れる。 だが、これで終わらない。 さらにカブトムシの幼虫の着ぐるみも着せられた。 いずれもピッタリした着ぐるみではなくブカブカであった。 しっかりと冷房の効いた部屋でも着ぐるみを3つも重ね着させられれば暑さしか感じない。 最後に卵へと体を丸めながら詰められた。 ここまででおおよそ20分は経っただろうか。 卵に詰められた私は台車のようなものに載せられて運ばれる。 比較的静かっだったバックヤードを抜けて、イベントホールに入ったことは音が聞こえにくい私にでも分かるほど周りが騒がしくなった。 私は人の手で台車から下ろされて、イベントホールのほぼ中央にある丸いアクリルで覆われたスペースの擬似おがくずが敷き詰められた上に置かれた。 程なくしてマイク越しのお姉さんの声が聞こえてきた。 「今日は昆虫展にご来場頂きありがとうございます、これからカブトムシの一生を皆さんにご覧頂こうと思います」 お姉さんさんが卵に軽く触れて揺れた後、またお姉さんの声が聞こえてきた。 「今から卵の孵化を速める薬を注入していきますね」 その声が聞こえてから私は身構える。 なぜなら、今から幼虫の着ぐるみに特殊な液体が注入されるから。 この特殊な液体は幼虫の着ぐるみの中で膨張し、私の体を圧迫していく。 同時に幼虫の体は膨らみ卵にヒビが入り、あっという間に卵が割れてしまうという仕組み。 特殊な液体が注入されて程なくして、着ぐるみの中が急激に熱くなる。 それと同時に特殊な液体の膨張が始まった。 だからといって私に逃げ場はない。 急激に熱くなった液体は膨張することで熱は逃げていくが、熱さが引く代わり襲ってくるのはかなりの圧迫感。 口に咥えたチューブからの呼吸はできるが私の顔は液体の膨張により押し潰される格好となった。 卵から孵化した幼虫としての求められる演技は、模擬おがくずへ潜ろうとすること。 私は手足を使えず、かなりの圧迫感に抗いながら模擬おがくずへ潜る演技を体をイモムシのように動かして演じて見せた。 お姉さんの両手が私の動きを止めようとする。 「ねぇ、ちょっと待って土に潜っちゃったら、みんなに見てもらえないよ!」 私はその言葉を合図に潜ろうとする演技を止めて、その場で体を丸めた。 「さあ、卵から幼虫が孵ったよ、次はどうなるか知ってる?」 お姉さんの問い掛けに子供たちが口々に答える。 「サナギ!サナギ!」 「そうです、サナギです、今から幼虫にはサナギになってもらいます」 「幼虫からサナギになることを変態と言います、知っているお友達はいるかな?」 「ハイ、ハイ!」 そんなやり取りを聞きながら、私は暑さと圧迫に耐えながら、また特殊な液体の注入を待つことになる。 幼虫の着ぐるみからの圧迫感が少し和らいでくる。 特殊な液体は発熱しながら幼虫の着ぐるみを膨張させ、数分後には幼虫の着ぐるみを劣化させてしまう。 その時間を考慮しながら、お姉さんはイベントを進行させている。 「じゃあ、幼虫さんにはサナギになってもらいましょう」 私はまた身構える。 今度はサナギの着ぐるみに特殊な液体が注入されるから。 特殊な液体が注入され、程なくして膨張し熱を帯びてくる。 幼虫の時よりも熱がよく伝わり、思わず体を捩る。 熱が収まるまで熱から逃げるように体を捩っていると、幼虫の着ぐるみから脱皮したようで急に体が動かし易くなった。 幼虫から脱皮すると、熱が逃げるのも早くなり暑さも落ち着いてきた。 ようやく膨張も熱も落ち着いてきた。 しかし、サナギが死んでしまったと思われても困るので、時折体を動かして生きていることをアピールする。 「じゃあ、次はいよいよカブトムシになってもらおうね」 お姉さんの言葉に呼応して子供たちの盛り上がる声も大きくなる。 “ちょっと待ってよ!今、やっと落ち着いたところなんだから“ 私がいくらそう思ってみてもお姉さんにも子供たちにも届かない。 焦って呼吸を整えようとしても、チューブを咥えた口からは涎が垂れ流しになるだけ。 “待って、待って!“ 何か突き刺さる感触に私は慌てて身構える。 程なくして膨張が始まり熱を帯び始めるが、成虫の場合、外殻が硬くなり液体が膨張し圧迫感は今までより増すが、熱はこれまで程ではない。 熱があると外殻が硬くなりにくくなるためだと教えてもらっていた。 どっちにしろ、身構えていないといけないのは変わらない。 熱はすぐに収まってきたが、体は動かし続ける。 理由はサナギから脱皮するためともう一つ、液体が膨張する速度に合わせて、私自身の体をカブトムシの中心部に固定するため。 こうする事で硬い外殻と特殊な液体が膨張し外殻と私の体の間でクッション代わりとなり、私の体を守ってくれる。 この後のふれあいイベントで何があるか分からないのでそのため。 カブトムシの成虫になると、手足も自由になり視界も確保される。 私はお姉さんの横に並ぶ。 「見事に完全変態を遂げ、頑張って成虫となったカブトムシくんに拍手!」 お姉さんの言葉に子供たちは大喜びで拍手する中、大人たちは目の前で起こったことが信じられないといった様子でパラパラと拍手していた。 “それはそうだよね、目の前でこんなカブトムシの完全変態を見せられたら驚くよね、普通“ 私は遠くにラバーマスクと着ぐるみ越しに薄らと見える大人たちを見ながらそう思った。 同時に大喜びで拍手する子供たちを見て笑顔になった。 「それでは今から成虫となったばかりのカブトムシくんとのふれあいの時間となります」 お姉さんのアナウンスに合わせて私は後脚でお姉さんの体にしがみつくようにして立ち上がると、右の前脚を振るとすぐ下の右の中脚も手を振るように振った。 カブトムシの一生からのふれあいは午前の部以上に大好評で、午後の部のカブトムシとのふれあいは長蛇の列となった。 完全変態も大変だがまだまだ続く。 しかも、私の目の前にズラッと並んだ長蛇の列の後ろが全く見えない。 午後の部では子供たちはもちろん多いのだが、大人も多く見られた。 午前の部で噂になったのだろうか。 カブトムシのサイズからも女性が入っていると思い、妙な下心から列に並んでいる大人が多いように感じた。 現に抱きついてきたり、太もも辺りや女性の胸の辺りを仕切り触ってくる輩がやたらと多かった。 だが、カブトムシの硬い外殻に覆われているので、触られることに気持ち悪さを感じつつも直接触られている訳ではなかったので耐えることができた。 それでも、ふれあいも含めて4時間半というのはかなりキツく、バックヤードに入ると緊張の糸が切れて自力で立つことも難しくなり、最後は女性スタッフに支えられながら控え室へと戻ってきた。