俳優吾郷 武尊(あごうたける)は芸名。 本名は天野 晴人(あまのはると)。 カッコいい名前に憧れていた俺に事務所の社長がこの名前を付けてくれた。 俺はこの吾郷 武尊という名前を凄く気に入っている。 だから、本名を名乗る事は仕事では絶対になかった。 なのに、初めて共演した【YOU】の中の女優さんは俺の本名を知っていた。 “どうして?なぜ?” その事が頭の中を駆け巡る。 俺の事を知っているという事は、俺も彼女の事を知っているはず。 そう思い外からは意識があるのかないのか分からない彼女のラバーマスクに手を掛けようとしてはたと思った。 “これって、卑怯じゃないかと!?” マスクを脱がせるにしても、彼女の許可を得た上で脱がせようと考えを改めた。 その瞬間だった。 それまでぐったりとしていた【YOU】が抱きついてきた。 「晴人くん! 晴人くんだ!」 「おっ! わっ⁉︎」 俺は体勢を崩して尻餅をついた。 「ねぇ! 私とのエッチどうだった⁉︎ 気持ち良かった⁉︎」 「えっ⁉︎ えっ⁉︎」 これまで一貫して無個性を貫いていたラバー人形【YOU】が突然個性を持ち矢継ぎ早に話しかけて来たことに驚き、俺は目を丸くして彼女を見た。 「う……うん、凄く……気持ち良かった……あ、あの……君って……?」 俺が尋ねるより早く、【YOU】が、食い気味みに言った。 「良かった! 晴人くんが喜んでくれて私幸せだよ!」 また俺にギュッと抱きつく、見た目は【YOU】だが、中身がすっかり入れ変わってしまったように振る舞う彼女に俺は正直面食らった。 (今話している【YOU】が中身の女性の本当のキャラクターなのだろうか? だとしたらあの人形の演技は堂に入っている……才能の成せるわざに違いない……) 俺は勝手に一人で感動して、大事なことを聞き忘れていることを思い出した。 「あ、あのさ……君ってもしかして俺のこと知ってる……?」 そう聞くと途端に【YOU】は押し黙った。 「ねぇ、どうしたの?」 急に大人しくなったので不安になる。 顔が見えないだけに怒っているのか、泣いているのか、はたまた俺をからかっといるのかすら分からない。 口を開いた彼女の声は弾んでいた。 「ねぇ誰だと思う? は、る、と、くん?」 彼女が楽しいそうで少し安心したが、正体は未だに誰なのかさっぱり分からない。 俺は彼女が自らラバーマスクを脱ぎたくなるような質問に切り替えることにした。 「ところでさ、全身ラバースーツで暑くない……の?」 俺の意図がわかったのか、少し頭を傾けて考えるフリをする【YOU】の中身の女性。 「うーん、少し暑いかな? でもね、私暑さには強いから全然大丈夫だよ。心配? してくれてありがとね、ふふふ」 いたずらっ子の仕草で答える【YOU】に、俺はさらに彼女の正体が知りたくなった。 「君は誰なの? ヒントとかないの?」 【YOU】は考えるようなそぶりをした。 「うーん、じゃあ凄いヒント出してあげる。私は……絶対に顔出ししない女優って言えばわかるかな?【娯遊】(ごゆう)って知ってる? もちろん芸名だよ?」 あっけらかんと言う彼女とは対照的に、俺はその名前を聞いて驚いていた。 娯遊の名前は俺も聞いた事があった。 役者仲間はもちろん、スタッフも顔を誰も見たことがない、絶対に見せない娯遊と言う一風変わった名前の女優がいると。 彼女は顔が隠れている役しか引き受けず、しかも顔さえ隠れているならどんな過酷な現場でもこなす都市伝説のような存在だった。 共演した役者仲間から話を聞いて密かに興味は抱いていたのだが、まさかそんな謎のベールに包まれた女優が今目の前にいるなんて到底信じられなかった。 「ほ、本当に娯遊さんなの?」 そう聞くと【YOU】の姿をした娯遊は大きく頷いた。 「うん、そうだよ!」 そして俺は思い出した。 そんな顔も見たこともない娯遊とラバー越しとはいえエッチをしてしまった事を。 俺はとんでもないことをしてしまったという焦りでそれ以上何も言えないでいると、娯遊が言った。 「撮影スタジオで晴人くんを見つけた時はビックリしたよ! え、なんで? って思った! 3年経ってるから外見変わってるじゃん? だからもし違ってたら困るから私大学時代の友達に連絡して聞いてみたんだ。そしたら晴人くんが俳優になったらしいって言うから絶対晴人くんだと思って嬉しくなっちゃった! 晴人くん、あの日の約束……覚えてる?」 興奮冷めやらぬといった調子で話す娯遊を見て何かが頭をよぎった。 そうだ、これは既視感だ。 “約束……? こんな会話……以前もどこかで……大学……大学? そうだ、確か大学で……” 俺は慌ててスマートフォンを取り出すと、当時撮った写真がないか探した。 幸い写真はすぐに見つかった。 俺が大学内で女の子と一緒に写真を撮る可能性があるとしたらゼミくらいしかない。 そこには8人の男女が映っていた。 そのうち女の子は5人。 ゼミでは芸能や放送、広告といったマスコミ関係の業態を取り上げていたので、比較的女子比率が高かった。 それを覗き見た娯遊が言った。 「うわっ、懐かしいなあ……こんな時もあったなあ……」 感慨深そうな娯遊のノッペラボウの顔を見ながら俺は思った。 “懐かしい……かな? 正直3年しか経ってないから俺はそんなに懐かしいとは思わないんだけど……娯遊さんにとって3年はそんなに長く感じる期間だったってこと……?” 俺は脳内で彼女たちの顔を順に思い浮かべた。 最初に浮かんだのは当時付き合っていた彼女である四方 夏紀(よもなつき)だった。 今の娯遊に一番雰囲気が近いのが彼女であった。 なんとなく話し方も似ている気がする。 しかし俺は小さくかぶりを振った。 似ているが違う。 夏紀は語尾にもう少しトゲのある話し方をした。 自分がゼミ内で一番可愛いとわかっていて、自意識過剰で自己顕示欲と承認欲求の塊だった気がする。 なぜ彼女と付き合ったのか、恐らくは顔だ。 若気の至りとはまさにこのことで、当時の俺は兎角外見だけで彼女を選んでいたように思う。 今思えば何様のつもり? と自分が嫌になる。 結局夏紀とは些細な口論が元で別れたのだった。 次々に脳裏に浮かぶ女子たちの顔。 "五条 春香(ごじょうはるか)? 六車 千秋(むぐるまちあき)? 七瀬 美冬(ななせみふゆ)? いや、その誰とも違う……じゃあ後は……“ 突然俺の記憶が閃光の如く瞬いた。 "八本 雪菜(やつもとゆきな)……ちゃん?” 性処理ラバー人形【あの日の約束】へ続く