カメレオンの着ぐるみに完全に閉じ込められた私はそう簡単には着ぐるみから出られない。 そう思うと妙に興奮してくる。 私は興奮を抑えつつゆっくりと4本足で歩き出すと、そのリアルな動きに周りがどよめいた。 今までのカメレオンの着ぐるみなら、もうすでに着ぐるみの中がかなり暑くなっている。 しかも、休憩しないと動けないレベルまで達していはずなのだが、この着ぐるみはまだまだ行ける。 展示スペースの下見をするように移動するが、それほど速くはない。 だってカメレオンが速く歩き回っている姿は変だから、わざとゆっくりと歩いた。 ゆっくりと展示スペースをぐるっと一周したがまだまだ余力はある。 改良に改良を加えられたカメレオンの着ぐるみに興奮しながら斜めに立て掛けられた木にも登ってみた。 木に登る際、園長が美月と伽耶さんを呼んで木の仕組みを説明していた。 “さて、これから1日をどう過ごせばいいのだろう?” そう思っていると、美月が園長に進言する。 「この展示スペースにずっといるのは退屈なので、巨大カメレオンのプレ公開してみるのはどうですか?麻衣もその方がいいと思うんですよね」 美月の言葉の後、皆が一斉に私の方を見た。 私はその意見に賛同するように大きく頷いて見せた。 美月がまた話しを続ける。 「それで私、麻衣がカメレオンに閉じ込められる間いろいろな角度から見ていて思ったんですが、愛称があった方がいいかなって思って、ずっと名前を考えていたんですよ」 美月の意見には園長も食いつく。 「そうだな、名前があった方が親しみがあっていいなぁ、それで名前は思いついたのかい?」 美月は園長に笑顔を見せて言う。 「マギーくんって、どうですか?」 「おお、いいねぇ!でもなぜマギーなんだ」 園長の質問に美月が返す。 「まい さぎもと からマギーです!」 園長は納得したように頷き、周りの合意も取り付け私の入ったカメレオンはマギーくんと命名された。 簡単な打ち合わせをしてから園内を私はカメレオンとして周ることとなった。 私をマギーくんと命名した美月の提案で【マギーくんのお散歩】と銘打って園内を周ることになった。 急遽、巨大カメレオン【マギーくん】としてデビューする事になった私。 いきなりの登場に始めこそ来園者に驚かれたりしたが、ゆっくりと園内を周り始めるとだんだんと人が集まってきた。 ただ、子どもの中には叩いたり蹴ったりする子もいたり、大人に至っては持ち上げたりする人もいて、アテンド慣れしていない女性スタッフ2人と園長も加わり、私を守ってくれた。 その甲斐あってなんとか無事に園内をゆっくりであるが周る事はできたが同時に課題もいくつか挙げられた。 イタズラや暴力に対しては近くの園の男性スタッフ若しくは警備員が対応する事が決められ、 触れ合ったり記念撮影は子供を優先する事に。 大人の男性との触れ合いは無しとし、記念撮影のみとしたが、後にマナーが向上した事とスタッフ2人がアテンドに慣れた事もあり触れ合いも可能となった。 ともあれ、巨大カメレオン【マギーくん】として私はデビューを果たした。 惜しまれつつ引き上げて、そのまま展示スペースへ戻ってきた私は木の上で休憩を取る。 展示スペースの外で一部始終を見ていた来園者はかなり驚いているのが表情で分かった。 それはそうだろう、この手の着ぐるみはそのままバックヤードへと帰っていき、そこで着ぐるみを脱がせてもらうはずなのだから。 それなのに園内を周った後、そのまま展示スペースにいるというのは見た事も聞いた事もないだろう。 展示スペースの外で来園者の方々が私を指差して騒いでいるのを見て私は自然と笑顔になっていた。 それだけ驚いてくれればカメレオンの着ぐるみに閉じ込められた甲斐があるというもの。 でも、極度興奮と緊張の中、四足歩行で園内を一周したのだ疲れないわけがなかった。 手足をしっかりと木に固定されている事と着ぐるみに包まれ温かく妙な安心感から急に眠気が襲ってきた。 “疲れたから少しくらい寝てもいいよね” そう思いながら私の瞼は閉じていった。 体を撫でられたり、揺すられたりする感覚で私が目が覚めた。 視界が悪く少し窮屈さを感じながらも、ここが何処かはすぐに分からない。 おまけに手足は動かず体の自由が奪われている事に焦ったが、すぐに自分が今、カメレオンの着ぐるみの中にいる事を思い出した。 口の中を覗き込むように話し掛けてきたのは美月。 「ねぇ麻衣、大丈夫?」 私は軽く頭を縦に振った。 「喉渇いたでしょ!今からワームを差し入れるから、自分で掴んで飲んでね」 そう言うと伽耶さんがヒモにぶら下げたワームを私の目の前で動かして見せた。 私はカメレオンが補食するように狙い澄まして右手でワームを掴むと着ぐるみの中へと引き入れた。 そして、口から伸びる尖ったチューブを突き刺して中のスポーツドリンクを飲む。 よく冷えたスポーツドリンクが体に浸透していくのが分かるくらい染み渡る。 一気にスポーツドリンクを飲み干すと、萎んだワームを外へ放り出した。 微かだが人の騒ぐような声が聞こえる。 少し視界を移すと、先ほどの補食の一部始終を多くの人に見られていた事に気づいた。 飲み物を飲んだだけなのに中には凄く拍手してくれている人もいてなんだか恥ずかしかった。 その後、少し展示スペースの中をウロウロしては木に登り昼寝をしては、起こされて驚きコオロギを模したゼリー飲料を摂ったり、ワームを模したスポーツドリンクを飲んで過ごした。 時間はあっという間に過ぎて閉園の時間を迎えた。 何度か昼寝をし、少し動いては食べ物と飲み物が与えられる生活。 着ぐるみに閉じ込められている事を除けば、凄く楽で快適な生活に思っていた私でしたが、一つ問題を抱えていた。 それは排泄。 大きい方はカメレオンの着ぐるみに入る前にしっかり出したので問題なかったのですが、オシッコの方はもう我慢の限界が訪れようとしていた。 閉園した事で展示スペースの前に来園者はいなくなりましたが、代わりに展示スペース内には私を心配する園長をはじめ美月と伽耶さん、そして竹村さんと工房の女性スタッフもいた。 私は園長たちが何か話している隙に木から地面に近づいて、片手を着ぐるみから抜くとカテーテルの膨らみを押し潰すようにするとオシッコが排泄されて少し楽になった。 何度か繰り返すうちにスッキリしたようなしないような。 そんな時に不意に声を掛けられた。 「麻衣!スッキリした?」 気づいた時には美月がすぐ横にいた。 私は声のした方を見ることができずに、ゆっくりと木を登り始める。 そんな私を追いかけるようにして美月はついてきて話し掛ける。 「いっぱい出てたよ」 “そんな事言わないで!” その言葉を声に出すこともできず、私は今日一番着ぐるみの中で顔を真っ赤にして美月を無視し続けた。 そんな美月は園長たちが話す輪に加わり何か話している。 何を話しているのか分からないが、とにかく今は私の近くには来ないで欲しい。 そう思っている私の気持ちを裏切るように全員でこちらへ近づいてくる。 “やめてよ、もうぉ!” そう思って先ほどよりも顔を真っ赤にして目を閉じた。 だが、意外にも全員私の横を通り過ぎていく。 “良かった” そう思い胸を撫で下ろしたのだが、先ほど私がオシッコを出した辺りに全員が集まっているようですぐ後ろで話し声が聞こえてきた。 「うん、これは何か対策が必要だね」 「確かにね」 「木に沿ってオシッコを回収できるようにしたらどうでしょう」 「うーん、あくまで自然に来園者からも不自然に思われないようにしないとね」 そんな会話がしっかりと聞こえてきた。 “もうぉ、私のオシッコでそんなに真剣に議論しないで!” 私は大声を上げることもできず、着ぐるみから手を抜くと目を瞑り自分の耳を塞いだ。 恥ずかしくてとても聞いていられない。 さらに顔を真っ赤にし、耳を押さえた事で心臓の鼓動がしっかりと聞こえてきた。 気がつくと展示スペースの煌々と点いていた照明は薄暗い程度になっていた。 周りに人の気配もない。 木に登った状態では何となく落ち着かず体も休まらない。 私は木から降りると近くに草が大量に敷き詰められた所へ移動し、そこで横になった。 木の上よりやはりこの方が体が休まる。 私は再び目を閉じて眠った。 体を揺すられる感覚で目が覚めた。 声が遠くから聞こえてくるような感じがする。 目の前は明るくなっていた。 「麻衣!大丈夫?」 その声の主は美月だった。 私は体を起こそうとしたが上手く起こせない。 おそらくだが背ビレが草に刺さるように埋まった形になっているのだろう。 私は股を開き大の字になって眠っていた。 そう、カエルがひっくり返ったみたいになって。 必死に手足を動かしていると美月が背中を押してくれて元に戻れた。 「今日もね、朝から一度だけ【マギーくんのお散歩】することになったからね」 そして続ける。 「私も伽耶さんもしっかり麻衣のサポートするからね」 心強いようなそうでないような。 複雑な気分のまま、コオロギとワームを与えられて休憩をした後、【マギーくんのお散歩】が始まる。 昨日はいきなりで初めてだったので、上手くカメレオンの動きができなかったように思うので今日は頑張ろと思った。 そんな私にボディハーネスが取り付けられる。 「リアリティを出すためと、鷺元さんの安全のためにね」 そう竹村さんが説明してくれた。 さらに付け加えられる。 「ここ(展示スペース)へ戻ってきたら外すから安心して、それとそのまま着ぐるみも脱がせるからね、頑張ってね」 私は竹村さんの言葉に2回大きく頷いた。 そして【マギーくんのお散歩】が始まった。 昨日同様に登場とともにざわつき、驚かれたがゆっくりと歩き出すと来園者は私と一緒に移動を始めた。 まずは子どもたちとの触れ合い、記念撮影を行なっていく。 イタズラしたり、暴力を振るう子どもはいたようだが、それは事前に美月と伽耶さんで回避してくれていたようだった。 大人の対応についても、マギーくんに大人、男性が近づくと近くの男性スタッフが記念撮影のみだけである事を伝え、すぐ近くには警備員も配置されていた。 こうして無事に、昨日よりもよりカメレオンらしくゆっくりと爬虫類園を一周し、展示スペースへと戻ってきた。 ボディハーネスを外され、木の上でしばらく過ごした後、健康チェックの名目で私は檻に入れられて回収された。 今日はなんだか本当のカメレオンになった気分だった。 こうして回収され背びれを溶かされたのち、着ぐるみから出された私だったが、手足がカメレオンのままだったのですぐには着ぐるみからもでられなかった。 それでも背中からラバースーツ越しに感じる外気は冷たく感じ気持ち良かった。 しばらくしてようやく手足の感覚が戻ってきたので、ラバースーツを脱いでシャワーを浴びた。 いつもはなんとも思わなかった体に掛かるお湯の気持ち良さもそうだが、何より着ぐるみから出てラバーマスクを脱いだ時に吸った新鮮な空気は生きている事を実感できた。 そんな経験を何度か繰り返し、カメレオンの着ぐるみに入っていられる時間も1日から1日半、2日から2日半、3日と延ばしていった。 高校生の時は3連休に合わせて私はカメレオンのマギーくんとなり、集客に大いに貢献した。 大学生になってからは、お盆とお正月の帰省に合わせてマギーくんとなった。 私が大学に進学してからはマギーくんの登場はレアケースとなった。 地元に残った美月が私の代わりにマギーくんに入ろうと試みたが、まず動きが全然ダメだったのと、何より1日もマギーくんに入っている事ができず、爬虫類園にマギーくんが登場するのは私がお盆とお正月の限定となった。 だが、これが良かったのか、お盆とお正月の時は来園者がかなり増える結果となったのだった。 そんな私が大学3年の夏休みに帰省した際に思わぬ事が起こった。