シノビ 其ノ参「任務開始」
Added 2021-09-01 09:31:42 +0000 UTC「どうやらこのスポーツジムのようだね」 夜も十時を過ぎた頃、都内のとあるスポーツジムの前に、彼はいた。 彼はただのしがないサラリーマン。しかしそれは、ほんの数刻前の話であるが。 このサラリーマン。否、“元”サラリーマンの名は士藤伸崇。今は青い装束を纏いし一人のシノビである。彼はある日を境に、様々な性技を駆使する忍者として生まれ変わったのだった。 「そうみてぇだな」 その隣にいる不良少年も伸崇と同じく、シノビとして生まれ変わった者の一人である。二人は、己を変えた“主”の命を受けこの場へとやってきていた。 夜中とはいえ、シノビの、あの姿のまま行動するのは忍びない。そう考えた主は二人にとある術を授けた。それがこの姿――彼らがシノビと化す以前の人間だった頃の肉体と人格を“真似る”術、『仮真似の術』である。二人は一介のサラリーマンと不良として、このスポーツジムを訪れようというのだ。 目的はただひとつ、“主”の悲願を達成することだ。“これ”はその足掛かり、失敗するわけにはいかない。元サラリーマンの伸崇と、元不良少年の刃村心介は、主の言葉を頭の中で反芻させながら目的の場へと歩みを進めた。 ◆ スポーツジムのトレーニング室へ、あらかじめ主が用意した、施設内の地図を頼りに進んでいく。そこに、目的のものがあるはずだからだ。『忍足の術』で音もなく暗闇を進む。 常人の目では捉えることのできない暗闇も、シノビにとっては『暗視の術』により真昼間と変わらぬ視界を保っていられる。二人は夜のジムを、まるでいつも通っているかのように平然と進んでいった。 「いたか」 心介が呟く。一つの部屋だけ、ぽつりと明かりが灯っていた。それでその部屋がこのジムのトレーニング室だと二人は確信した。そこにいるのが、シノビの目的のものだからだ。 「どうやら着いたようだね。行くよ」 伸崇が手筈通りに先にそのトレーニング室へ入っていく。残された心介は、これからのことを想像しながら股間を膨らませていた。 ――トレーニング室。 そこには一人の男がいた。その男は、十時を過ぎているというのにも関わらず、未だ激しいトレーニングを続けていた。 彼の名前は虹山健也。このスポーツジムの講師であり、元格闘家だった人間。格闘家といっても、実力が伴わず無名のまま引退していったのだけれど。 元々体を鍛えるのが好きだったこの男は、その性格が興じてその職を志すようになったが、体を鍛えるのと技術を磨くのは別の話。つまりはそういうことだった。 格闘家を引退した後も体を鍛えるのだけはやめられず、紆余曲折の後、このスポーツジムを開設したというわけだった。 今は自分がなれなかった強い人間を自ら育て上げることが生き甲斐になっていた。もちろん今でも鍛錬は怠ってはいないが。 今日は休みの日を利用して朝からトレーニングをしており、今もその最中だった。 「ふぅ。今日も充実したトレーニングだった」 健也は満足気にそう言うとペットボトルの水を口にした。そろそろ切り上げよう。そう思いトレーニング室の片付けに入ろうとした――そんな時だった。ぱりっとしたスーツに身を包んだ生真面目そうなサラリーマンが入ってきたのは。 「『ニジヤマ・トレーニングジム』はここでよろしかったでしょうか?」 サラリーマンはそう言った。 健也はふと時計を確認する。時計の針は夜の十時を指していた。 思い返せば、今日は休業の日でジムの入り口には鍵が掛けてある。他の人間はこの中には入れないはずだ。健也はこのトレーニング室に、さも当然の如く現れたこの男のことを不審に思った。 「お前……どうしてここに入ってこれた……お前は一体……」 健也は目の前のサラリーマンにそう問いかける。この男がサラリーマンを装った悪漢か何かならば、即座に対処しなくてはならない。まずは質問し、相手がどのような反応をするかを確認してからこいつの処遇をどうするか――そんなことを考えていた健也にサラリーマンはこう言い放った。 「夜分遅くのご訪問になってしまい申しわけありません。私はこのスポーツジムに入会したく伺った者です」 どうもこの回答によればこの男はこのジムへの入会が目的のようだが…… そもそも自分の質問とは無関係の答えである。どう考えても姑息な嘘にしか思えない。今すぐにでも『帰れ』と言おう。もしもそれで抵抗してくるならば、全ての腕を振るうほかない――健也がそう覚悟を決めたその時だった。 「『あなたが昨日、今日は立て込んでいるから明日の十時にここへ来るようおっしゃられた』ので……やはり今日も立て込んでおられるのでしょうか?」 怪しげなサラリーマンは自分が当たり前のことを言っているとでも言うか如くごく自然に不自然な嘘を吐いた。それを聞いた健也はこう思った。 (なんだ、そうだった) と。 「ああ、思い出したぞ。君は会社員の士藤伸崇さんだった」。すっかり忘れていたよ。遅くなって悪かった」 健也は先程の訝しげな態度とは打って変わって友好的に返事をする。それを聞いた伸崇の表情は不気味な笑顔になる。これも、この不自然な状況も、シノビの力によるものであった。 忍法『言霊憑きの術』により、伸崇の言った虚構の言葉を、さもそれが真であるかのように認識させられたのだ。 「でも良い人そうで安心しました……『虹山さんって、疑いを知らない頭の悪い方ですもんね』。『私の言葉を文字通り信じてくれる』と思いました」 先の不気味な表情はどこへ行ったのか? と思う程に真剣な表情をして伸崇は“そう言った”。 「ガハハハハッ! 手厳しいな! まあ昨日の約束すら忘れちまうなんてことしちまったんだ! それくらい言われても仕方ねえや!」 健也は豪快に笑いながらそう言った。もう彼は伸崇のことを微塵にも疑うことはできないだろう。今の彼は『疑いを知らない馬鹿』なのだから。 「それでですね、今日は私の息子もここへ来ているのですが、息子は手のつけられないやんちゃ者でして、ぜひ虹山さんに彼も鍛えてやってほしいと思っているんですが」 伸崇はそう言うとわざとらしく出口の方を向いた。 「心介っていうんですが……」 その言葉と共に心介がトレーニング室へと入ってきた。 「何だよ親父……こんなとこ連れてきやがって」 「文句言うな! 明日からお前はこの人に鍛えてもらうつもりだ。毎日ここに通ってもらうからな!」 「ハァ!? ふざけんなこのクソが!」 二人は親子を演じる。この男を油断させるために。 「こらこら、親父さんをそういう風に言うもんじゃない!」 健也は伸崇に摑みかかろうとした心介の肩を押さえつける。心介は渋々と伸ばした拳を戻し床へ座った。 「なかなかヤンチャそーな坊主だな。しかし、そのほーが鍛え甲斐があるってモンよ! ハッハッハ!」 健也はそう笑い飛ばすと、事務室へ向かう。ジムの入会のための手続きを行うために。 しかし、健也がその手続きをすることは叶わなかった。 「あ、ちょっと待ってください。虹山さんに見てもらいたいものがありまして……」 伸崇はそう言うと手持ちの鞄を開きある物を取り出した。 「これなんですが……」 「何だこりゃ? ……巻物?」 それは、黄色の紙の巻物だった。 「出張先で貰った物なんです」 「そいつを何故俺に?」 「『余計な詮索はしなくていい』んですよ、虹山健也さん」 「…………そうか。一体どんな字が書かれてるんだろうな?」 「『開けてみてくださいませんか』? 虹山さん」 「おう、もちろんよ」 紐を外し健也は巻物を開く。その巻物には――何も書かれてはいなかった。 古そうな紙質ではあるがその巻物は綺麗な白色を保っていた。 「……こりゃあ、何だ?」 「それは、お主を我がシノビの同胞にするための、最後の箍だ」 「え?」 そう言った健也だったが、もうその時点で全てが終わっていた。 健也の手にあった巻物がひとりでに動き出す。風が吹いたかのように巻物が空中に浮かぶ。 「ん? 何だこりゃ」 ふと我に帰る健也。しかし、気付いた時には何もかもが手遅れで、既に彼らの目的は9割方完了していた。 「うおああぁあああ!!」 けたたましい声がトレーニング室に響く。健也の野太い声がトレーニング室を駆け巡ったが、伸崇が手をかざすとその騒音は外に漏れることなく遮断された。 「やっ、やめろぉ! 紙がッ 、紙が俺の体にぃ!」 健也の体にはあの巻物が絡みついていた。それはあたかも縄――否、蛇のように執拗に健也の体を縛る。 「あああ、おああ、うおおおおっ」 巻きつく紙の束を騒がしい叫び声をあげながら振りほどこうとする。だがそれを引き剥がそうとすればするほどそれは離れずなお健也の体を侵食していく。 いつしか健也の全身は黄色の巻物に覆われてしまった。まるで紙で作られたタイツを見に纏っているようにも見えてしまうようなその容貌。その状態が数分続いた後、その巻物はまばゆい閃光を放ち弾け飛んだ。 「うおおぉっ、何じゃこりゃああぁあ」 健也の首から下は先程のタンクトップとジャージという出で立ちではなかった。 帷子、脚絆、足袋……まるでその格好は時代劇の中に登場する忍者のようだった。 「その装束はどうでござるか、虹山健也」 慌てふためく健也の目の前には自分と似た風貌をした男が二人立っていた。 先程のサラリーマンと不良少年は煙の如くこつぜんと姿を消しその代わりと言わんばかりにその二人の男が健也を虚ろな目で見つめていた。 「何が起こってるんだ……あの家族はどこに……?」 「やかましい。『拙者達に対して不要な発言は一切行うな』。いいでござるな?」 「くあっ!? ……おう……」 男がそう言うと健也の体が大きく跳ねる。そしてそのまま健也は思考にロックがかけられたかのようにただ下を向いて黙る。いや、黙ることしか出来なかったのだ。自分の意思による発言、今健也の頭の中を支配している困惑の発露は『シノビに対して不要な発言』であるためだ。 「では、『この巻物を頭に被れ』」 「……っ、っ……! ……わかった」 一瞬、抵抗の意志を見せた健也だったが、彼らの言葉には逆らえなかった。赤と青の装束を見に纏った二人の忍者の前では、自分の意思も意志もただの飾りでしかなかった。健也は言われるがまま赤のシノビが取り出した巻物を広げると、すっぽりと覆うように頭に被せた。すると…… 「うあっ!」 先程と同じ様に、しゅるしゅると巻物が黄色の帯へと変化して健也の頭を覆う。 「ぐむっ、んっ、んううううぅっ!?」 息苦しさか一心不乱に声をあげる健也。巻き付く帯を引き剥がそうと必死に手を動かすも、それも虚しく巻き付いた光の帯は健也の身に纏っているシノビの装束と同じ色をした頭巾と覆面になり、健也の顔を完全に隠してしまった。 「これで貴様も我がシノビの一員でござる」 「あ……ああ……」 健也は今この数分の間に自分の目の前に起きた事実にただただ困惑するばかりであった。それどころか本人が本来待たなくてはならない思考はシノビの術によりシャットアウトされ、ただシノビの思惑に操られるがままの木偶人形と化していた。 こんな格好は恥ずかしい――わけがわからない――そんな健也の感情は刹那の間だけ彼の脳内を過ったものの、瞬時に得体の知れないものに溶かされてなくなってしまう。考えては消え、考えては消え――健也の脳内はそのインプットとデリートをただひたすらに繰り返していた。 「ああ、俺のチンポ、勃起して……なんだこれ、たまんねえ、俺の頭ン中、全部キンタマになったみてえな、あれ、俺は何を考えて、そうだ俺は、このチンポが、キンタマが、何だっけ? 俺の筋肉、何のために? ここにいるのは誰だ? そうだ、俺のチンポが……チンポ? あれ? 俺は……」 『言霊憑きの術』の副作用で思考と反応と記憶がない交ぜになった言葉をただひたすらに口にする健也。既に精神を精に変換し分離する”秘伝の粉”は覆面によって充分に服用されていたはずだったが、健也は一向に覚醒する様子を見せない。一応褌の中の陰茎は最大まで勃起していたものの、術により不要な意思を逐一消去しているためなのかそれより先に進まないでいた。 「ふむ。『言霊憑きの術』はこういった面もあるでござるか。では、一度言葉憑きを全て解くでござる。『解』!」 弐號が声をあげた瞬間、健也のロックされていた思考が解き放れる。しかし彼を待っていたのは自由な思考ではない――とてつもない快楽、そして不要なものを射精とともに排出したいという歪んだ欲望だった。 「うおっ! こっ、これは何だ!? 俺は、チンポ、キンタマ、違う! 気持ちいい! 俺は、チンポ扱いて、キンタマから俺を出さなくちゃならねえ! いや違う! 違わん! 俺は今日いつものように筋力トレーニングを、それから、いや、俺はそれよりオナニーしてぇ! 気持ちいい、気持ちいいけど、まだ気持ちよくなりてえ! キンタマに詰まった要らないモノを、出して……出して? 俺は何を、うああああぁ!」 瞳をゆらゆらと泳がせながらぶつぶつと独り言を呟く健也。一瞬、股間に手を伸ばしかけるもその手は頭を押さえるために使われる。健也は大声をあげて抵抗していた。全身を支配する異常な快楽に。 「しぶといでござるな。ならば、『他慰の術』で……」 「あいや待たれい。拙者によい考えがあるでござる。壱號」 健也は腰をがくがくと前後に揺らし続けるも未だにその両手は頭を掴み陰茎を掴むことはない。そんな健也の前に青のシノビが音もなく忍び寄った。 「『虹山健也。貴様は今から精を出し切るまで自慰をするでござる』」 「うああああ……!? ……んんぅ……」 シノビの声を聞いた途端、健也の抵抗はあっさりと崩れた。首をかくんと下に落とし、腕はだらんと垂れ下がる。しばらくするとぶつぶつと言葉にならない言葉を呟きながら、一心不乱に袴越しに陰茎を扱き出した。 「……俺は、俺は世界一の格闘家になりたくて、でもなれなくて。俺は身体を鍛えるために、身体を鍛えるのを見たくて、このジムを。俺は、でも、本当は、なりたくない、出したくない、やめてくれ、気持ちいい……うあっ!」 健也はとうとう褌の中に溜まっていた精をぶち撒ける。そしてそれが口火となりシノビの侵食が始まった。 「格闘家など、なって何の意味がある。俺の夢だから。でももう俺は格闘家にはなれない。だって、俺は精子として出てしまったんだから」 「ならば、どうする? 分かってる、気持ちいい、また、俺が精子になってしまった。早く楽になりたい。俺を戻せ。何に? そうだ。俺は精子に戻るんだ。俺が生まれてきた前の、無数の精子に……」 「あっ、また消えていく、俺が還っていく。俺の思い出が、夢が、誇りが、人生が。あっ、やめろ! やめる? やめるのは、俺の人生だろう。何故ならおれっ、おっ、拙者には、拙者が人生の総てを捧げなくてはならぬ、主君が居るのだから……はあっ!」 「拙者の夢は、拙者の使命は、主君の悲願を果たすこと……そうだっけ? そうだ。だから俺、拙者は……拙者は……本日よりシノビとして生きるでござる!!」 その『言霊』を口にした瞬間、健也の陰茎からこれまでで一番多い量の精が排出された。健也の思考の全ては白の奔流に洗い流され、新たな黒の墨汁に上書きされる。 「すまぬ……そして、さらば……」 最期にそう言って健也は全身の力を抜いてがくりとまるで糸が切れた人形のように崩れ落ちた。そしてすぐさま素早い動きで体勢を整えて直すと―― 「拙者は、虹山健也改めシノビ参號。主君の悲願を達成すべくこの身総てを以て尽くす所存でござる」 すっくと直立したその姿はまるで巨大な山のようにも思えた。元格闘家のジムトレーナーは、剛健な筋肉で覆われたその肉体を主君のためだけに振るうシノビと化した。 「これから宜しく頼むでござる。参號」 「任された。これからは拙者も主君のため奉公するでござる」 こうして深夜のスポーツジムに三体のシノビが立つこととなった。しかしシノビはいつまでも日常の世界に存在することは許されない。任務が終われば再び影の世界へと帰ることとなる。 「任務完了。直ちに帰還するでござる」 そう宣言するとシノビは音もなく一瞬でその姿を闇に眩ませた。それと同時にかっかと点いていたジムの明かりが消え、そこは真なる暗闇と化した。もうこのジムに彼が帰ってくることはない―― ◆ 所変わって、ここはシノビ達が姿を潜めている場所。そこには赤青黄の装束を身に纏った三人のシノビが立っていた。 「壱號・弐號。よくぞ新たなシノビを迎えこの場に帰ってくることができたな。褒めて使わそう」 「「はっ。ありがたき幸せ」」 「お初にお目にかかりまする。拙者はシノビ参號。この肉体を術を主君のために捧げることを誓うでござる」 姿の見えぬ主君に向かって跪くシノビ達。ほんの数刻まではただの人間だった彼らは、まるでそれが当たり前かのようにシノビとしての振る舞いを十全に見せる。 「お主らに渡したのは人間をシノビへと変える巻物。私だけが行使できるシノビ化の術が記された巻物と言った方が正しいか」 壁には五つの窪みがあり、そこにはまだ四つの巻物が収まっている。そのうち二つは壱號と弐號の巻物。既にその二人はシノビと化しているため不要になってしまったものだ。 そして、残りの二つは未だ存在していないシノビの巻物。一つは深緑色。一つは漆黒色。これら二つの巻物も間もなく使われることとなるが、それはまた別の話。 続