◇
「おはようっ!」
「あ、おはよう~」
「ねえ、昨日可愛いうさぎの動画を見つけたんだけど」
「え? なになに?」
~ 朝の学校。 大量の生徒達が校門をくぐり登校してくる。
仲の良い友達同士で歩く生徒や、黙って一人で歩いて来る様々な生徒が。
登校して来るたくさんの生徒が、正司が必死になって登っていた階段をたった数歩で上り、校舎の中へと入っていく。
これは、普段と変わらぬ通学の姿。 どこの学校にでもある日常の風景だ。
だが、そんな日常の一コマに、普段とはかけ離れた光景を体験している者がいた。
正面玄関を歩く生徒達の、足元で立ち竦んでいる……小さくなった岩田正司が ~
「ウワァァァッッ!」
恐ろしすぎて、ただただ悲鳴を上げる。
なんせ、前後左右に大量に落ちてくるんだ。
俺の命なんて簡単に奪ってしまう、重機のようなたくさんの学生靴が。
ほら、また目の前に――
「あ、あぶなッ! 運よく踏まれずに助かっているが、これ以上こんな所に突っ立ていたら、マジで踏まれて潰されてしまう」
慌てて辺りを見回し、安全な所がないかと探す。
「どこか踏まれずに済む場所は――。 あ、あそこなら!」
緊迫感に包まれた中で、瞬時に視界に入った下駄箱。
その下に置いてあるスノコに、俺は当たりを付けて走った。
スノコの下の隙間を潜って身を潜めるために。
「ハァハァ……。 と、とりあえず、此処なら踏まれる心配はなさそうだ」
狭いスノコの隙間の中で、走って絶え絶えの息をうつ伏せの状態で整える。
こうしている間もスノコの外側の世界は、たくさんの巨大な靴達が地面を踏んで入り乱れている惨状。
「こ、怖ぇ……。 あのままあんな所にいたらと思うと……」
安全なスノコの下でジッと外の世界を静観する。
見れば見るほど外は地獄絵図のようで、元凶である生徒達の足の波は、まったく止まりを見せはしない。
なので落ち着くまでこの場でやり過ごすしかないかと、そう考えていた時――
「うわぁぁッ! な、なんだ!?」
天井からとてつもない轟音がした。
「これは――いったい……」
仰向けになって見上げると、天井のスノコの隙間を白い何かで埋め尽くされていた。
「……こ、これってまさかッ」
一瞬見ただけでは分からなかったが、でもよくよく見て見ると、この天井一面を占めていたのは、一人の生徒の靴下を履いた足だという事が分かった。
強烈な臭いを巻き上げる、人間の片足だと。
そんな足に乗られて、ギシッ……ミシシッッ! と、頭上のスノコが軋んでいる。
今にも潰れてしまいそうな音を立てて。
まるで、スノコが悲鳴を上げているみたいだ。
「だ、大丈夫だよな……。 壊れたりしないよな?」
滅多なことでは壊れないと知りつつも、どうしても不安に駆られてしまう。
“もしも” があれば、スノコごと足に圧し潰され、自分がどうなるのかを想像してしまって。
「一限の授業って何だっけ?」
「んー国語だったと思うよ。 確か宿題を提出しないと駄目だったはず」
「うげっ……忘れてた! ごめんだけど、宿題見せてぇ」
「え~またぁ?」
死ぬかもしれないと震えている俺の真上から、呑気にぺちゃくちゃと喋る声がする。
どうやら頭上を覆いつくしていた足は、女子のものだったようだ。
まあ、女子だからといって、現状何も変わりはしないのだが……。
男子に比べて体重が軽かろうが、現にこうした惨状を作りだしているのだから。
「ねぇ、帰りにアイス奢るからおねが~い」
「もう、仕方ないなぁ~」
「ウワァァァッ!」
怖くて両手を頭に当てて縮こまっていると、上から爆発に近い新たな轟音が鳴った。
「こ、今度はなんなんだ?」
再度見上げると、いつのまにか頭上を覆っていた足の裏は消えており、代わりにギザギザのついた何かが一面に広がっていた。
「あ、ああ……そうか。 これって上履きか」
見た瞬間すぐに分かった。 天井を覆っている物が上履きだと。 きっと間違ってはいない。 自分も毎日と履いていた物だから。
そしてどうしても目が向いてしまう、この上履きの底にあるギザギザ。
これは、生徒が滑らないように配慮されて作られた物だ。
滑ってこけないように、安全の為に。
しかし、俺にとっては命を刈り取る殺戮の道具に見える。
俺だけではない。 小さな虫にとっても。
これまで小虫を何匹と、気付かず靴底で踏み潰してきたのかと考えたら、とても恐ろしい処刑道具みたいだ。
そしてさっきの轟音の正体。
これはきっと、この上履きの持ち主である女子が、横着して上から落とした上履きの落下音だったのだろう。
そんな上履きに重さが加わり、スノコがまた悲鳴を上げ出し始める。
女子が上履きを履いたために。
そして、ギュッ! ギュッ! と重さでギザギザがへこんだりを繰り返し、天井を覆っていた上履きはやっと離れていってくれた。 女子達の楽しそうな声と共に。
「駅前にあるアイスをお願いね」
「りょ。 どうせいつもの三段アイスでしょ~?」
全てが気が気じゃない出来事だった。 ただ上履きに履き替える女子の行為が。
何度も、何度も死ぬかもしれないという気持ちにさせられ、精神的にものすごく疲労を与えられた。
「ハァ……ハァ……」
自分の心や体が限界だと叫んでいる。
もうたくさんだと大声で。
俺は、小さく縮こまったまま、巨人達が闊歩(かっぽ)する足音を、情けなくも聞いている事しか出来ない。
一向に鳴りやまない、自分と同じ存在だった学生達の足音を。
そうした音を聞きながら、スノコの下の隙間の中で大人しくしていると――
自分のすぐ傍に、また別の人間の足が落ちてきた。
「ははっ……。 またこの下駄箱を使う人間がきたのか」
今度は見る事もしないまま、無視をしようと決めた。
見たら、潰されてしまいそうな恐怖を与えられるからだ。
……でも、
「せっかく朝早く家を出て探したのに、何処にもいなかったですね、茉由お姉ちゃん」
「……うん、やっぱり昨日の内にもっとよく探しておくべきだったよ」
「でも、こんなに探してもいないとなると、もう動物とかに食べられたりしたんじゃないですか?」
「だったらいいんだけど……」
そんな訳にはいかなかった。
どうしても無視できない声が俺の耳にまで聞こえたために。
だから、急いでスノコの外の景色を見上げると、そこには――
「て、天上院ッ!」
自分がこうした惨めな思いをしなくてはならなくなった元凶である《天上院 茉由》が、堂々たる佇まいで立っていた。
隣には下級生の証である、青いリボンを付けた女子と並んで。
「あいつッ! のうのうと登校してきやがって」
天上院を見た瞬間、これまで経験した事がない怒りが湧く。
見れば見るほど殺意に近い怒りが。
なんせ、何もなかったかのような顔をして、平然と……当たり前に日常を送ろうとしているからだ。
――俺達をこんな姿にしておいて。
「ニナ、今日も先に帰ってて。 私は放課後、明日香達ともう一度探して帰るから」
「はい、分かりました」
「ハァァ~でも、見つからなかったらどうしよ……。 誰かに見つかったりしたらと思うと不安だよ。 今日も探していなかったら、帰って優君にいっぱい慰めてもらわないとね」
「あ、あはは……」
(優斗さんも大変だ)
「じゃあ、先に教室に行くね。 またね、ニナ」
「はい、また」
そう言ってドシドシと足音を立てながら、一人この場から離れて行く天上院。
いくら俺がこいつに怒っているといっても、どうする事も出来なく、ただ隠れて眺めているしかない。
そんな現状に、自分自身にも怒りが湧く。 ――なんて無力で、情けないんだと。
「……いいなぁ茉由お姉ちゃん。 優斗さんとラブラブで。 もっと私も一人で、優斗さんを好きに使わせてほしいな。 ……んっしょっと」
怒りのあまりわななく俺の真上で、一人残った下級生の女子が、ブツブツと呟きながら腰を下ろしてきた。
スノコの上に乗って、俺を左右の両脚で囲んだ状態で。
「ひ、ひぃッ!?」
大迫力の一言だった。
映画やアトラクションでさえ見た事がない凄まじさだ。
女子のピンク色のパンツを穿いたお尻が、自分に向かって落ちて来るこの光景が――。
「ひあぁぁぁぁッ!」
堪らず、出したこともない恥ずかしい悲鳴を上げてしまう。
スノコごと自分が潰されてしまうと思ったからだ。
そのような想像をさせられるほどの、重量感のあるお尻。 足の裏以上に衝撃があり凄惨だ……。
――女子の、肉付きのある巨大なお尻は。
「ア”ァ”ァ”ァッッ!」
勢いよく落ちて来る女子のお尻を見て、これで終わるのだと思った。
自分の最後が、まさか名前も知らない女子の……お尻の下敷きなるなんてと。
でも、そのお尻は……。
「……へ? た、助かった……のか?」
スノコに落ちる事なく空中で、ピタリと静止していた。
「うぅ、うあぁぁ……良かったぁ……助かったぁ……」
死ぬことがないと分かった安堵から、これまで抑え込んでいた感情が爆発して涙が溢れ出す。
なんせ小さくなってから見た事も、経験した事もない現実の連続で心細かったからだ。
たった一人で頑張って、絶えて……やっぱりそれでも不安で、どうしようもなくて……。
また、短時間での感情の変化に心が追い付かず、耐えられなかった。
驚きや怒り、安堵や絶望、襲い来る色々な感情が入り混じり、俺の心はグチャグチャになってしまって。
「うぅぅ……」
だから、俺にはこの泣く行為が必要な事だった。
心の内に渦巻く様々な感情を涙として洗い流すため、どうしても。
泣かないと、心が壊れてしまいそうで……。
《う”ぁ”ぁ”……》
そんな泣いている俺の頭上の方から、とてもか細い誰かの、人の呻き声が聞こえてきた。
俺の泣き声と重なって聞こえる、とても苦しそうな人間の声が。
「グスッ……え? な、何だこの声……」
気になって天井を見上げる。
相変わらず、頭上はスノコを挟んでスカートの屋根で覆われており、女子のピンク色の下着が視界いっぱいに広がっている。 ――すごい光景だ。
だが、これを見てもキノちゃん先生の時のような劣情を抱く事はなかった。
間近くで見る女子の下着が、パンツだと意識できないほど大きすぎて……。
《ぉ”ぉ”……》
また聞こえてきた。 一人や二人の声だけじゃない。 たくさんの人の消え入りそうな声だ。
「いったい、どこからこの声は……」
キョロキョロと辺りを見回すが誰もいない。
探せど探せど、何処にも。
「やっぱり、上の方から聞こえるな」
そして行きつく先は、下級生の女子の穿いているパンツ。
そんな場所から、複数人の男の声が聞こえていた。
《くるしい……》《だれ……か……》
「え、はぁ!? どういう事だ? 何で、この女子のパンツから人の声がするんだ――」
意味が分からな過ぎて理解が追い付かない。
確かにしゃがんで伸びきった女子の下着から、数々の苦しそうな悲鳴が聞こえてくる。
「い、いないよな。 やっぱりどこを見ても、人の……姿なんて」
もう一度しっかりと下級生である女子の下着を見て見るが、おかしく思えるような箇所はない。
下着の編み込まれた細かな綿さえも逃さず確認しているのに。
「……あ」
突然その下着は、高く高く持ち上がっていく。
女子が立ち上がったせいだ。
そんな立ち上がった女子は、スノコの上にいつの間にか置いていた上履きの中に、足を差し出して履こうとしている。
「ああ、なるほど。 ……そういう事だったのか」
ここにきて、やっと女子がスノコの上にしゃがんでいた理由が分かった。
どうやら、この女子が使用する下駄箱の位置は下段の方だったらしく、俺が潰されると思ったあの行為は、しゃがんで上履きを取り出すための行動……たったそれだけだったようで。
「ハハ、なんだよそれ……」
自分が勝手に慌てて騒いでいただけ。
下級生の女子がただ靴を履き替える行為に、泣かされもして……。
冷静になって少し考えたら分かる事。 誰が靴箱の下にあるスノコの上に座るのだと。
そんな奴は見た事がない。 ましてや皆が登校してくる、この朝の時間なんかに。
また、座っただけでスノコが潰れるなんて事、ある訳がない。
もし潰れて生徒が怪我でもしたら大事だ。 だから、学校側も頑丈な備品としてスノコを置いているはず。
「馬鹿だよ俺は……恥ずかしい。 それに、さっきの声。 今はもう聞こえてこないし、あれもきっと心が弱ったせいで聞こえた、幻聴か何かだったのだろう」
――そう思う事にした。
なんせ説明付かないからだ。
幽霊とかそんなオカルト話ぐらいしか。
「ああ、でも、俺みたいな小さくされた人間がパンツの中に入っていたら……いや、ないか」
俺は即、この考えを切り捨てる。
この女子が、何のために小さくされた人間を、パンツの中に入れて穿いているのか意味が分からないし、もし俺みたいなのがパンツの中に気付かず入っていても、穿いた時に絶対気が付くはずだ。
一人二人だけではない、大勢の声も聞こえていたのだから。
そんな事を考えていたら、当の女子は上履きを履き終わったようで、下着が食い込んだお尻を振って遠ざかって行った。
プリプリと張りのある尻肉を揺らして。
《ぅぁ……ぁ……》《……誰か、気づ……いて》
下級生の女子が去っていく下着の方から、また声が聞こえてきたような気がしたが、これもきっと――幻聴だろう。
あの下着の中に人がいるなんて、そんな事ある訳がないのだから。
こうして俺は、玄関を歩く生徒の足音が鳴りやむまで身を潜めているのであった。
スノコの隙間の中でただ一人、ずっと……ずっと……。
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読んでいただきありがとうございます。
正司が聞いた声は、果たして本当に幻聴だったのだろうか……。
答えは10話に('ω')
そして次回で11話のラストとなります。
最後まで一気に書ききれず申し訳ない気持ちですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。