「ゼェ……ハァ……」
――あれから人通りが少なくなったのを見計らい、一階の廊下を歩いていた。
そうした事によって、また身の危険にさらされてしまうのだが……まあそれは仕方がない。
むやみやたらと廊下を歩いている訳ではなく、これは、助かるためにしている行動だから。
「うわぁッ!」
すぐ傍に、廊下を歩く女生徒の上履きが降って来た。
そんな女生徒の地面を踏む風圧だけで、情けなくも尻もちをつく。
「あ、あぶねぇ……」
女生徒は、とてつもない足音を響かせながら遠ざかっていく。
本当に怪獣のようである。
「もっと廊下の片隅、ギリギリを歩いて行かないと危ないな。 些細な事にも注意しないと」
すぐに教室とは真逆である、窓側の廊下の端にまで移動する。
「よし、ここなら踏まれる心配はないだろう」
そう一人呟き、時には危険がないか後ろを振り返ったりしながら、自分はまた廊下を進み始めた。
「ハハ……ハハハハ…………」
歩く最中――自分自身がどうしても滑稽に思えてしまい、笑ってしまった。
今の自分と、この廊下を歩く下級生達と比べてしまったが故。
この廊下を歩く下級生の全員が、綺麗な制服を着て廊下のど真ん中を堂々と歩いている。
代わってコソコソと怯えながら、裸で廊下の端を歩く自分の姿。
……何というか、奴隷か何かになったような気がしてならない。
強烈なほどの身分差がある、学生達の奴隷に……。
「でさ~何て言ったと思う?」
「え~ほんとにぃ~?」
頭上でヒラヒラとなびくスカート。 天井を仰ぐだけで、女生徒が穿いている色とりどりのパンツが見えるので、尚の事そう思わされる。
通常、見えないようにスカートで隠したその中身を、惜しみなく晒して歩く姿に。
――自分の存在なんて、まったく意に介さないその様子が、異性から同じ人種ではないと、行動で示されている気がしてならないのだ。
「まあ、そんな事を考えている場合じゃないか……。 今は、この廊下を進んで行かないと」
ぶんぶんと頭を振って、また歩き始める。
下級生の生徒達が闊歩する、危険な廊下を。
全ては、職員室にいる先生に助けてもらう為に。
「急ごう!」
少しペースを上げる。 この最悪な状況から抜け出すために。
喉が渇き、へとへとになっても立ち止まらず、疲弊した体に鞭を打って。
それでも気を張って、頑張って……頑張り続けてやっと、先生達がいる職員室の前に辿り着くことが出来た。
「ハァハァ。 つ、着いた……着いたぞぉッ!」
運よく職員室のドアが開いていたため、中の様子が伺える。
朝礼だろうか? 先生達全員が、それぞれ自分の椅子に座って、何やら話をしているようだ。
また、ドアのすぐ近くにある椅子に座っている、キノちゃん先生の後ろ姿も確認できた。
キノちゃん先生一人だけ、スマホで誰かと話をしているみたいだが……いいのだろうか?
「……まあきっと、何か大切な電話なんだろう。 それよりも――」
さっそく職員室の中へと入る。
普通、朝礼をしている最中、突然生徒が職員室の中に入って来たら叱られるだろう。
だが、当然誰にも叱られる事はなく、すんなりと中に入る事ができた。
惨めなほど、身体が人形のように小さいので。
「おーいッ! 先生~! せんせぇぇッ!」
職員室の床から、電話をしているキノちゃん先生に大声で呼びかけてみる。
近くに座っている先生達にも同じように。
だが、誰一人の耳にも届かなかった。
「……やっぱり駄目か」
もうこの結果は、予想できていたから今さらだ。
この職員室に来るまでに、どれだけ呼びかけても、誰にも気付かれなかったのだから。
だからずっと考えていた。 足元に意識を向けてくれそうな方法を。
キノちゃん先生が、俺を跨いで素通りして行ったあの時から。
「絶対大丈夫だ! 必ず成功する! よし、行こう」
なのでさっそく机の下――椅子に座っているキノちゃん先生の足元に移動する。 考えていた方法を試すためだ。
しかしどうだろう。 先生の足元、履いている靴を改めて間近くで見ると、やはり圧倒させられる。
「……で、でッか!」
と、思わずそんな言葉を口からこぼしてしまうほど。
これは靴。 キノちゃん先生が履いているただの靴である。 だが、乗り物のように大きい……。
「こ、これを、今から登るのか……」
げんなりとしながら、恐る恐る登り始めていく。
――先生が履いている、右足の大きな靴に。
「はい、福田です。 あ、岩田さん……へ? 岩田君も昨日から帰ってこられていないのですか?」
「……え!? 俺の事?」
先生の足の甲まで登った時、上から俺の名字を呼ぶ先生の声が聞こえた。
「はいそうなんです。 藤田君と大友君も、昨日から家に帰っていないと連絡がありまして、まさか岩田君もだったなんて……」
どうやら先生が電話で話している相手は、俺の家族のようだった。
(多分母さんと話をしているんだな。 よかった、心配して連絡してくれてたんだ)
家族が自分の事を心配してくれているのだと知って、元気が出た。
そればかりか、何だか運が向いてきた――そんな気さえしてくる。
「よし! 後少しだから頑張らないと!」
俺は気合を入れなおし、足の甲から更に登っていく。
結局は、誰かに今の姿を気づいてもらわない限り、助かる事は出来ないからだ。
「ゼェ……ハァ……」
荒い吐息を出しながら登り続け、先生の靴下にしがみ付く。
それからも更に上へ上へと目指し、やっと目的の場所にまで辿り着く事が出来た。
先生の脚の、脛(すね)である素肌の部分まで。
「ハァハァ。 つ、着いた。 後は実行するだけだ。 頼む、これで気づいてくれよッ! 先生――」
そうして俺は、先生の素肌に爪を立て、力いっぱい脚の皮膚をつねりあげた。
「先生、俺はここだ! 気づいてくれ!」
何故かと言うと、考えていた案はまさにこれだからだ。
足元で叫んでも気付かれないのであれば、無視できない痛みを与えたらどうだ? と考えたから。
その答えが皮膚をギュッ! とつねる事。
痛みを与える事によって、これが最も先生が自分の足元に、意識を向けてくれそうな方法だと思い至ったため。
――しかし、
「な、ちょ! せんせぇぇッ!」
キノちゃん先生は足元を見る事もせず、手だけを俺の方に下ろしてきた。
「ヒィィィィッ!」
確かに脚の皮膚をつねった事によって、先生は反応を示してくれた。
でもそれは、ごくわずかな “痒み” を与えただけだったようだ。
なんせ実際に、
と、痒そうに脚を掻いているのだから……。
「ウワッ! ウワッ! ウワァァァッ!」
代わって俺は先生の手に驚いて、思わず掴んでいた手を離してしまい、滑り台のように先生の脚を滑り落ちていた。 物凄いスピードで滑っているため、自分ではどうしようもない。
あわやこのまま地面にまで落ちるかと――そう思っていた時、スポッ! と僅かな隙間がある “先生の靴” と、“足の甲” の間に挟まり、運よく床にまで落ちずに済んだ。
「た、助かった……?」
自分の身が無事だった事に一先ず安堵する。
この姿のまま怪我をしなくて本当に良かったと。
「だが、助かった事は良いのだが……」
ポリポリと、脚を掻きむしっている先生の巨大な手を、呆然と見つめる。
結局自分がした事は、“些細な痒み” を与えた程度。
虫と同じ、いや、それ以下の……。
「く……くそう……」
こんな結果になってしまったのは、疲弊しきって満足に力が出せなかったせいだろう。
夜からずっと動きっぱなしだったため……。
「まあ、だからって、このまま諦める訳にはいかないよな」
頭をフル回転させる。
そしてすぐに新しい案を思い浮かべた。
「……そう、そうだ。 力が入らないのなら、次は思いっきり噛んでみたらどうか? 流石に皮膚を噛んだら気づくだろ」
次に行動するプランが出来た。
幸い、痒みが消えたのか、先生の手は脚から離れている。
後に残るは掻いた事によって出来た、少し赤らんだ先生の脚だけ。
「よし、行こう……って、あれ? 体が……抜けないッ!」
再度気合を入れなおしてまた登ろうとした時、どういう訳か自分の脚が、先生の “足の甲” と “靴の間” に挟まっていて動けない事に気付いた。
「ちょ、え? まじかッ!」
どれだけ足掻こうが、ピッチリと挟まれているため動けない。
そんな時、追い打ちをかけるように先生が立ち上がったせいで、更に挟まれた脚に圧力が加わった。
「あの、教頭先生。 いえ、他の先生方も良いですか?」
「ん? 福田君、どうしたのかね?」
「はい、実は……私の生徒3名が昨日から家に帰っていないらしく」
ザワザワと職員室内がざわめく。
「確か以前にも、福田君の生徒一人が行方不明になっていたな」
「はい、だからサボっているんだと無視出来なく、先生方にもご協力をお願いしたいんです。 それぞれ受け持った生徒達に、昨日3人の生徒を見なかったかを聞いてほしいんです。 どうかお願いします!」
ペコリとお辞儀をするキノちゃん先生。
ここまで俺達の事を心配してくれているなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「当然協力をしよう。 先生方も出来うる限りご協力を。 それともう警察には連絡をしているんだね?」
「今日の朝方に、生徒の親御さんの方から連絡はしたと聞いています」
「なら、校長先生にもお伝えして、三人の生徒の顔写真も用意しないといけないな。 警察の方々も学校へ来られるだろう。 ――とりあえず福田君も先生方も、通常授業の方をお願いします。 福田君は、用がある際は呼び出すと思うから、そのつもりにしておくように」
「「はいッ」」
大きな返事の後、ぞろぞろと職員室を退室していく先生達。
キノちゃん先生も、当然退室しようと歩き出した。
俺を挟んだままの――その足で。