「うあ……ぁぁ……ぁ……」
先生が歩いた事によって、上昇しては落下し、上昇しては落下を繰り返す、足踏みの運動に巻き込まれていた。
たった一歩の衝撃で、体に信じられないほどの負荷がかかり、息が詰まる。
と、廊下を歩く凄まじい衝撃。
と、階段を登るとてつもない震動。
――そのどれもが “拷問”。 自分にとって、あまりにも苦痛な時間であった。
「ウッ……ゴボォッ!」
思わず口から吐物(とぶつ)が飛びだすほど。
にも関係なしに、歩き続けられるこの現状。 ――地獄としか言いようがない。
「や……め……せん……せぇ…………」
微かな声でやめて欲しいと言うが、構わず廊下をズンズンと歩かれる。
そんな責め苦を与えている先生は、一体どんな表情をして歩いているのか、俺からは確認できない。
何故ならば、靴に仰向けに挟まって、天を見上げている状態であるため。
先生の足元……つまり真下にいるのだから、当然スカートが邪魔をして、顔を確認する事が出来ないのだ……。
見えるとしたら、せいぜいスカートの中身のパンツや太ももぐらい。
男ならば嬉しいと思えるはずの光景も、しかし今は、そんな感情なんて抱けない。
――延々と襲い来る、とてつもない歩行の衝撃のせいで。
「はーい、皆座って~」
そうした状態がしばらく続き、スカートの上から先生の明るい声が聞こえた。
同時に、あれほど激しかった衝撃がピタリと止んだ。
……ただ、先生が歩くのをやめただけで。
「ぅ……ぐ……」
歩く衝撃が無くなり、なんとか上半身だけが動かせられる。
と言っても、腹筋に力をいれて少し起き上がる程度だが。
(こ、此処……は…………教室か?)
「起立」
俺の疑問なんか誰も答える訳もなく、誰かの号令でガタガタガタッと、そこかしこから耳をつんざく音が鳴った。
――そして、
「おはようございます!」
と、クラスメイト達の元気な挨拶が聞こえた。
(ああ、ここは教室で間違いないようだ。 しかも、俺が毎日と通っていた自分のクラスの。 しかし……)
机の横に立ち上がったクラスメイト全員が、俺とはもう、かけ離れた存在に見えてしまう。
皆が皆、全員が途方もなく大きな巨人だからだ。
昨日仲良く話していた、あいつもそいつも――誰も彼も。
「着席」
そんなクラスメイトが椅子に座ったとしても、俺との差は対して変わらない。
キノちゃん先生の靴に、本人に気付かれずに挟まれて、履かれている俺とは……。
そうした羨ましそうな目でクラスメイトを眺めていたら、ふと、誰も座っていない席がある事に気づいた。
(あ、あれって……)
それは、まぎれもなく俺達が座っていた席。 使用者のいない空きとなった……。
(やっぱり、速人と健太は来ていないんだな……)
もしかしたら? という期待はあった。
でも、これでもかと現実を突きつけられてしまった。
本来ならば速人達が座っていたはずの、寂しそうな空席を見て……。
代わって俺達をこんな目に遭わせたあいつらは、至って普通に登校して、自分の席に座っている。
――それに、
(笑っていやがる……)
いつものように談笑して笑っている……。 それが、堪らなく憎らしい。
(こいつらのせいで、俺がこんな酷い目に遭っているというのにッ!)
「はーい! 皆静かにして~。 今から先生大事な話をするから!」
突然先生が、パンパンと手を叩いて皆に呼びかけた。
それによって、ガヤガヤとしていた教室内は一瞬で静まり、全員の視線が先生の方へと向けられる。
「えっと、誰か昨日の学校の帰りに、藤田君や大友君、岩田君の三人を見た人はいませんか? 家にも帰っていないみたいなんです」
教室がまたざわめきだす。
そんな中で、ハッキリと『柏木 明日香』と『浅見 桜』の話声が、俺の耳にまで聞こえた。
「ん? あれ? 明日香、昨日藤田と放課後に会ってたんじゃなかった?」
「へっ!? い、いや~昨日待ってたんだけどさ、すっぽかされちゃって」
「ハァ? マジ? ほんとごめん! 藤田の奴が……」
「あはは、良いって。 特に気にしてないからさ」
「せっかくアタシがお膳立てまでしてやったのに……学校までサボって速人のやつぅッ!」
何食わぬ顔ですっとぼけている柏木が信じられない。
その他にも、『天上院 茉由』『白鳥 詩織』もまったく先生の話には無関心な様子。
(お前らのせいなのに……おまえらの……)
「んー、皆知らないみたいだね。 細かな事でも良いから、思い出したら先生に教えてね」
「「はーいっ」」
「じゃあ、授業を始めますよ。 教科書を開いて」
そして、先生の一声で授業が始まった。
自分にとって授業なぞとは違う、拷問の時間が。
「うわッ……ぁ!」
教科書を読みながら、教室の周りを歩く先生。
この時間、皆が静かに勉強している中で、ずっと先生の歩行という拷問を受ける事になる。
「せ、せんせぇッ! 俺はここにいるんだ! 気づいてくれよ! お願いだから……」
泣こうが叫ぼうが何をしようが、授業の終わりまでずっと――。
いや違う。 この拷問は授業が終わっても続いていく……。
「はい、一限の授業はこれで終わりにします。 出した宿題はちゃんとやってきてね」
だってそれからも、職員室に戻る先生の歩行に巻き込まれたり――。
「ぁぁ……せ、先生ぇぇ!」
また、別クラスの教室まで向かう歩行にも巻き込まれたりして、永遠と思える苦痛な時間を、与え続けられているのだから。
「ぁ……ぅ…………」
休まる時間なんて一向にやってこない。
先生の靴に挟まれている限り、延々と……。
なので、先生が何処に行くにしても、俺は強制的に付き合わされる事になる。
「ぁ……ぁぁ……ッ! こ、こんなのじゃまるで、俺自身がキノちゃん先生の靴に付いている、装飾品みたいじゃないか!」
そう、自分でも思ってしまうぐらいなのだから、周りの目からもそういう風に見えているのかもしれない。
――だって完全に今の俺は、“先生の一部”と化しているのだから……。
………………
…………
……
三限目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
それと同時に、先生は急ぐように教室から外へと足早に歩き出す。
「ハァハァ……。 い、急がないと……漏れちゃう!」
「うぁ……な、なんだ!?」
どうしてこんなに急いでいるのか、何処に向かっているのかは分からない。
先生の一部と化した自分でさえも……。
「ま、間に合ったぁ~」
何やら焦っていた先生は、ドアを開いて何処かの個室に入ったようだ。
「んしょ、んしょ」
と言う可愛らしい声の後、上から一枚の白い布がズルズルと落ちて来た。
そしてすぐに何処かへ座ったようで、安心した先生の声が個室内に響く。
「はふぅ~」
「うそ……だろ? 先生……」
チョロチョロと自分の真上から聞こえる水が滴る音。
その音を聞いて分かった。 先生が急いでいた意味と、自分が何処に連れて来られたのかを。
また、滝のように激しさを増した音を聞いて、完全に把握した。
「う……ぁ……すごい……」
これだけは分かる。 あの滝のような水に巻き込まれたら、ただじゃ済まないと。
キノちゃん先生の足元から聞こえる音でこれだ。
絶対に、あの中では物凄い光景が繰り広げられているはずだと。
ただキノちゃん先生は、洋式便器に座ってオシッコをしているだけなのに……。
「はぁ~三人とも、どこで何をしているんだろ……。 何事もなく、無事でいてくれたらそれでいいんだけど」
用を足しながら、俺達の事を心配して独り言を呟く先生。
ありがたいとは思うが、今、まさしく生徒の一人である俺が、先生の靴に挟まれて苦しんでいるって事に、いい加減気づいてほしい。
「だめだめッ! 先生の私が落ち込んでちゃ。 うん、寝る前にジョニー君で嫌な気持ちを発散して、明日は笑顔で教壇に立たないとね」
そう言ってすぐに、ガラガラガラとペーパーを巻く音が二度ほど鳴り、先生が椅子から立ち上がる。
「よっこいしょ!」
「せ、先生の……マ……ン」
だからこそ見えてしまった、キノちゃん先生の生の割れ目。
こんな場所からあの音の元凶がしていたなんて、とても信じられない気持ちになる。
「んっしょ、んっしょ!」
ザァァァと水が流れる音と共に、クニクニと腰を動かし、ずらしていた白い布のパンツを持ち上げていく先生。
柔らかそうな割れ目にパンツを食い込ませて、そしてまた先生は歩き出す。
――ああ、また始まった。
ただただ上昇下降を繰り返す、先生の歩行という拷問が。
「ぅぁ……もう、やめ……て」
それから昼休みが終わり、五限、六限と時間が進み、その頃にはもう、悲鳴を出す気力すら無くなっていた。
為すがままだったからだ。 先生の歩くという拷問に、ただただ……。
だがしかし――
「がはッ……!」
不意に、先生の足の牢獄から解放される事になった。 先生が廊下で躓き、足から俺の体がすっぽ抜けたおかげで。
「うぅ~は、恥ずかしい……。 何もない所で転びそうになるなんて」
そう言って、ズンズンと廊下を歩いて行く先生の後ろ姿を、少し複雑な面持ちで見つめる。
拷問から解放された嬉しさと、結局気づいてもらえなかったという悲しさ。
そんな両極端の感情が渦巻いて。
(結局またふりだしか。 とりあえずは、この場所から離れないと)
「ぅ……ぁぐ……」
このまま廊下の真ん中で倒れている訳にはいかない。 なので、すぐに立ち上がろうとするが、体が思うように動かなかった。
電池が切れてしまったかのように、仰向けで倒れたまま動けない。
指一本動かすだけでも辛い。
それでも何とか頑張って動かそうとしていたのだが……そんな自分に、最悪な悲劇が襲いかかってきた。
「近い内にまた弟と遊んでくれない? りんの前だとすんごく言う事きくし」
「アハハ。 うん! 分かった」
「ぁ……ぁぁ……」
自分が倒れている廊下を歩き、遠くから聞こえてくる二人の足音。
クラスメイトである女子の二人が、楽しそうに会話をしながら、段々と近づいてくる。
「ぅく……ぁ……」
――物凄い足音を響かせて。
(ま、マズイ! このままじゃ……)
俺は今、確実に踏まれてしまう位置にいる。 こちらへ向かってくる足の位置で分かる……が、だからって、死に物狂いで身体を動かすも、手足の自由が利かなくどうする事も出来ない。
「ハ……ハハ……」
ああ、ボキッ! と心の中で何かが折れた音がした。 だからか、力ない笑い声が口からこぼれた。
自分の最後を予感したせいで……。
ならせめて、これから俺に引導を渡す、クラスメイトの女子を見ようと決めた。
二人向き合って、楽しそうに会話をしながら歩く二人を――じっと。
どうしてこんな行動をとったのか自分でも分からない……が、多分最後に見たかったのだと思う。
昨日まで一緒に過ごしていた、日常を過ごすクラスメイトの顔を、思い出として。
上空から落とされる巨大な足。 故に廊下を踏む足からの風圧が吹きすさぶ。
その足は、また高く高く持ち上がり、自分が倒れている “真上” の位置にまで移動する。
……そして、
真上から迫りくる、靴底の光景を最後に――意識は暗闇の中へ沈んでいった。
自分の骨が砕けていく音を聞きながら……。
「ひゃんッ! な、何!? 何か踏んじゃった」
「踏んだって何を……あれ? これって、明日香が前に持ってきてた人形ちゃんじゃん」
そう言って、『並木 りん』が踏んだ正司を拾い上げる浅見桜。
「うわぁ~可哀想に。 手足が折れ曲がってるし……。 相当りんが重かったんだね」
「お、重くないよッ!! 酷いよ桜ちゃん!」
「アハハ、ごめんって。 しっかし汚いなぁこれ。 めっちゃ汚れてるじゃん」
「うん、きっと明日香ちゃんが落としてから、拾われずにこのままだったんじゃない?」
拾い上げた正司をジロジロと覗き込む二人。
そして近くで見たからこそ、りんは何か違和感を覚えたようだ。
「あれ? 桜ちゃん、ちょっとそのお人形貸して」
「ん、ほいっ! どうぞ」
「……やっぱり。 ねえ、これって岩田君に似てない?」
「うん? うぇ!? 本当だ! ソックリ過ぎて笑える。 はやまんの時も思ってたけど、本当によく出来てるな~。 まさか本人だったりして♪」
「ふふふ、もう~いくら似ているからって、そんな事ある訳ないじゃん。 それよりも、明日香ちゃんに謝らないと。 お人形さん壊しちゃったし」
「そうだねー。 でも明日にしたら? 教室にはもう誰も残っていなかったしさ」
「うん、そうする。 それに、せめて綺麗にしてから返さないと失礼だしね」
りんは手に持っている正司を、いそいそとポーチの中へと詰め込む。
どうやら持ち帰るつもりのようだ。
「じゃあ帰ろうか、りん」
「うん、行こう♪」
夕日が照らす廊下。
「あ、はやまん人形が気持ち良かったからって、帰ってからエッチな事に使ったら駄目だぞ~?」
「ちょっ! つ、使わないよ! そんな事しないもん!」
二人が歩き去ったその廊下には、正司が確かにそこにいた証を残していた。
赤いわずかな染みとして……。
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続きのお話は、25日か遅くても26日には投稿できると思います。
お待たせして申し訳ございません。