◇
(……ん…………うるせぇ……)
けたたましく鳴り響くベルの音。
人が目を覚ますには十分すぎる大音量。
そんな音に俺は、沈んでいた意識を取り戻す。
(えっ⁉ 何処だ……ここ)
キョロキョロと辺りを見回す。
どうやら自分は、何処だか分からない狭くて暗い室内らしき場所で寝ていたようだ。
(――いや、あれっ? てか俺って生きてる?)
あのお姉さんに与えられた痛みや苦しさが、記憶として残っている。
自分は確かに溶かされて殺されたはず――なのに、こうして生きている。
何が何だか分からない。
(も、もしかして、今までのは全部夢……だった?)
そう考えるのは自然だ。
思えば、人が小さくなるなんてある訳がない。
ましてや、クラスの女子達にオナニーの道具として使われるなんて。
(アハハ、そうだよな! 流石に夢だよな! ――ったく、なんて夢を俺は見てんだよ)
稀に見る夢。 そう、妙に生々しさがある淫夢の類かと、そのように思った。
(しかし……じゃあ何で俺は、こんな狭くて暗い知らない場所で寝ていたんだろう)
――疑問。
これだけは分からない。 今いる自分の場所が。
そんな中、俺の思考を妨げるかのように、未だ相も変わらず鳴り響いているベル。
(うるせぇ……マジでこの音)
さっきからひたすら鳴っているこの音は、おそらく……いや、絶対に目覚まし時計のベルの音だ。
自分自身が毎日と聞いている音だから、間違ってはいないだろう。
(ったく、どこで鳴ってるんだよ)
あまりに煩い音。 だから自分の傍で鳴っていると思い、目覚まし時計を探そうと起き上がろうとする。
……だけど、
(へッ⁉ あれっ?)
どういう訳か身体が動かない。 いや、正しくは極わずかに動いている気がするが、それだけだ。
「ッッッ! ――ツッ?」
思うように動かない自分の身体に驚いて叫んだはずなのに、声すらも出せない。
(な、なんで!)
どう言えばいいのか……そう――まるで自分の身体じゃないみたいだ。
あるはずの手足を動かそうとしているはずが、何故か違う場所が動いている感じがする。
「――ッッ! ――ッッッ‼」
混乱し、焦る。
この妙な身体の感覚を、今まで一度も経験した事がないため。
(どうして思った通りに動かせないんだよ! くっそうッ! 動けッ! 動いてくれよぉッッ!)
懸命になって藻掻く。
だってそうだ。 急に自分の身体を上手く動かせなくなるなんて、こんな恐ろしい事はないのだから。 なのでそれはもう必死になって。
――そんな時だった。
リィィン………
激しく叩きつけるような音。
そんな音の後に、あれほど煩く鳴り響いていたベルの音は一瞬で止んだ。
(……え?)
女らしき声と、何かの軋む音。
察するに、ベッドが軋んだ音なのだろうか。
すぐその後、地面が僅かに震動して揺れ動き、重々しそうなドアを閉じた音がした。
まるでさっき欠伸をしていた人間が、室内から歩いて出ていったような音が……。
(い、今の声って……桜の声だったよな? それにあの巨人が歩くような足音。 も、もして……夢じゃなかったのか? 小さく縮んだ事や、溶かされた事も――)
人間が床を歩く重厚な足音。
小さくされてから聞こえ方が変わった、人間が喋る間延びした低い声。
それらを聞いて、自分の身に振りかかったあの出来事は、全て現実だったのではないのかと思えてきた。
だけど、やはりあれが現実だと考えるのはおかしい。
何故なら、俺は確実に沸騰した液体の中に入れられて、殺されたはずなのだから。
(……それとも、溶かされた事だけが夢だったのか? だ、だって……現に俺はこうして生きているし)
――そう、生きている。
だから何が何だか分からない。
どこからが夢で、どこからが現実なのか……。
「お母さん、そこにある醤油とって」
「桜、また今日も納豆? いい加減続けて食べすぎよ。 はい、これ」
「あんがと。 いいじゃん、美味しくて健康に良いんだしさ」
「確かに健康に良いな、うん! なんだか桜を見てたらお父さんも食べたくなってきた。 秋也、お前も食べてみるか?」
「いらないっ! だって臭いもんっ!」
深く思考の中に潜り考え込んでいると、遠くの方から桜の声が聞こえてきた。 それと聞き覚えのある桜の母ちゃんと父ちゃん、弟の秋也の声も。
どうやら家族四人で楽しそうに食事をしているみたいだ。
カチャカチャといった食器を鳴らす音が、俺の耳にまで届いているから、間違いないだろう。
(どういう事だ……? まさか今俺は桜の家にいるのか? え? え?)
辺りをもう一度見回す。
しかし俺のいる場所は変わらず、四方は壁に覆われた暗い室内の中。
ただ室内と言っても、酷く殺風景だ。 壁には絵画やカレンダー、ポスターらしき物が何もない。
なんとなく……そう例えるならば、狭い地下シェルターらしき場所みたいだ。
(いや、地下……ではないよな。 子供の頃、遊びに来た時はこの二階建ての一軒家には地下なんてなかったし。 それに声は下の方から聞こえているし……。 ん? 下の方? も、もしかしたら俺は二階にある桜の部屋にいるのかもしれない)
そう思った理由は、目覚まし時計のベルの音を聞いたからだ。
そしてあいつが目を覚まして欠伸をかます声も……。
だからきっとそうだ。 俺が今いる場所は、桜の部屋の何処かなんだ。
「ごちそうさま。 じゃあお父さんは仕事に行ってくるよ」
「お父しゃん、いってらっしゃい!」
「いってら~お父さん。 頑張って」
「あ、あなた! ハンカチ‼」
ご飯を食べ終わったようで、ガヤガヤとさらに騒がしくなりだす。
「秋也、ねえねえと一緒に歯を磨きにいこっか」
「うんっ! いくっ!」
「桜、秋也の歯をしっかり磨いてあげてよ」
「わかってるって」
巨人がドタドタ歩き回る足音。
食器を洗う水の音。
そしてトイレの音等といった、人が過ごす生活音の数々が聞こえてくる。
この浅見家は、普通の日常を過ごしているからだ。
俺が……どこだか分からない場所に閉じ込められて、非日常を過ごしているにも関わらず、当たり前に、幸せそうなひと時を……。
……それからしばらくして、何やら階段を登るような足音が聞こえてきた。
それは、段々とこちらの方へと近づいて来ているみたいだ。
ほら、近くから扉を開く音が聞こえ、人が入ってきた。
「はぁ……やばすぎる……まじであたし太ってたし……」
この部屋の主であろう、浅見桜が。
「――ッッ! ――ッッッ‼」
(だ、駄目だ……やっぱり声が出せない)
助けてくれと桜に呼びかけてみるが、駄目だった。
あるはずの目や鼻、そして口の感覚すらない。
しっかりと “呼吸” をして、こうしてはっきりと “目” が見えているのに……謎だ。
「最近しおりんと一緒に撮影終わりにあれを食べてたからかな……。 いくら美味しくても天上院さんの言う通り、食べすぎたらやばいわ」
俺が声を出そうと頑張っている中、桜の落ち込んだ独り言と、布が擦れ、パサリ……パサリと落とされる音がした。
かような音を聞いて、何となくだがまるで服を脱いでいるかのような気がした……。
「えっと、下着は何処に……あっ! そうだった。 新しい下着だから朝に着ようと、自分で机の上に置いてたんだった」
(――うぐぁッ!)
室内全体が突然と揺れ出し、身体にかかる強烈な負荷。 物凄いスピードで上昇しているのか、全身を強い力で押し付けられているかのように感じる。
(うぅ……が……。 あ? お、おさまった?)
だがそれは一瞬の事。 “息” が詰まり呼吸すら出来なかったのに、今では嘘のように何も感じなくなった。
「そういやあたし、まだ中身を見てないんだよね。 しおりんとの撮影後、そのまま一緒にエロステに行って、晩御飯食べてたから帰るの遅くなったし。 んーどんな下着になって送られてきたんだろ。 うわー結構楽しみ♪」
ウキウキとした桜の声が間近に聞こえる。 間延びして響く大音声が。
そしてすぐそのあと、俺のいる室内の天井がガタガタと揺れ出した。
(な、なんだっ⁉)
信じられない事だが、天井がゆっくりと持ち上がっていっている。
狭いと言っても五畳ぐらいはある室内の天井が、左右小刻みに震動しながら。
(――何だってんだよっ‼)
はっきり言って怖かった。 自分の身に振りかかっている全ての事象が。
地震のように室内が揺れ、持ち上げられる感覚。
終わったと思えば今度は天井だけが揺れて持ち上がっていっている。
これら起きている事――全てが訳が分からなくて。
そんな天井は、とうとう何とも間抜けな音を出して抜けてしまった。
――そう、抜けたのだ。 引き抜かれたと言ってもいい。
「――うぐあぁッッ!」
まず身体に感じたのは強烈な暴風だった。
窓やドアなんて何もないこの室内。 だからか中で密閉された空気が、一気に外へと吹き抜けていく風。
これら空気は決して目に見えない物。 ――だけど感じるのだ。
室内に溜まりにたまった凝縮された空気が、外へと流れ出ていってるのが。
次に感じたのは、外からの眩い光。
室内が暗かったからこそ、差し込む光を強く感じた。
「があぁ……眩しい……」
かような強い光で目に痛みを感じ、溜まらず悲鳴を上げる。
眩しくて痛いのなら目を瞑れば良い。 きっと誰もがそう思うだろう。
だけど、どういう訳か出来ないのだ。
目を瞑って光を避けようとしているのに。
まるで瞼が無くなってしまったかのように閉じれない。
(そ、そういえば……目が覚めてから俺って……)
今さらながらに気付いた。
これまで当たり前に自然としていた行為だから、気付けなかった。
目が覚めてから、一度も瞬きをしていなかった事を。
(ぅぅ……くああぁぁぁ…………)
瞑れない目。 見る事しか出来ない眩い外の景色。
暗い場所から急に光を浴びたため、未だ良く見えてはいない。
俺が見えているのは、真っ白な世界。
(いてぇッ! こ、このままだと俺の目が――)
失明してしまうかと思った。
強い光や太陽の直射を眺めたままでいると目が悪くなり、最悪見えなくなると聞いた事があったから。
だけど、幸いにもそれは長くは続かなかった。
徐々に光に目が慣れ、外の景色が徐々に色づきはじめたからだ。
(よ、よかった……うっすらだけど見えて――えっ? ぁぁ……あ、あれは)
喜んだのも一瞬の事。 視力が回復したからこそ、俺は天を覆う影に怯える。
何故ならこちらを覗き込むその影は、ニマニマと笑顔を作る巨大で醜悪な、桜の顔であったから……。