ノナましは丸1年近く誕生日が離れていますが、それゆえに星座は二人とも同じ「おひつじ座」なんです。(考えてみたら当たり前なんですけど…意識したことがなかった)今まで星座モチーフは描いたことなかったので、今回はそれを。
「黒い羊」ということばがあります。
これは慣用句としても、心理学的にも、一般的にはあまりいい意味で使われる言葉ではありません。
でも、「そうか、なんか悪い意味の言葉なんだったら使わないでおこう」で思考停止していいのかというと、今の私はそうは思っていません。
黒い羊は自らの意志で他の白い羊たちと違う黒い毛をもって生まれてくるわけではないのに、なぜ「身勝手だ」「悪い存在だ」と決めつけられたうえ、それを受け入れて生きていくことを強要されなければなければならないのか?
「黒い羊」という存在や言葉にそれ以上のニュアンスや意味を持たせるのは黒い羊自身ではなく、周りのその他大勢…つまり白い羊の群れなのであって、黒い羊という当事者を抜きにして白い羊の群れの中で勝手に作り上げられた秩序に過ぎない。「悪い意味の言葉だから」というけど…そもそも悪い言葉に仕立て上げたのはいったい誰なのか?一体どっちが身勝手なのか、だんだんわからなくなっていく。
そういう思考を経て、今回は真白とノナを白い羊ではなく、あえて黒に近い方向の毛の色を持つ羊として描こうと思いました。
黒い羊には黒い羊の美しさがあり、尊厳があり、生きざまがある。
白い羊がそうであるのと同じように。
黒い羊ということばがただそれ以上の意味を持つとき、そこには黒い羊を鏡として、”それ以上の意味”を持たせた者自身の顔が映っている。
本当はそういう構造の言葉なんじゃないかと真白やノナのことを考えてると、思わずにはいられないですね。
以下はおまけ漫画です。↓
結局全部脱いじゃうのかよ!!!!!
はい…
「こんとあき」という、小さい女の子がきつねのぬいぐるみを連れて一人で旅をする?絵本があるんですけど、きつねのぬいぐるみの”こん”が、時々色々やらかしてしまう飼い主のあきちゃんをずっと「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とやさしく励ましてくれるのが私は子供の時から本当に好きで、私にも”こん”がいてくれたらなぁとずっと思っていました。ノナから真白に対する感情にもちょっと、そういうのが含まれてるかもしれないです。こういうときの真白の「大丈夫」って何が大丈夫なのかわからないしあんまり大丈夫じゃないんじゃという感じなんだけど、ノナに「こんなことで嫌いにならないよ」ってわかってほしいだけで、たぶん自分が大丈夫かどうかっていうのはあんまり関係ないんだよね。(もちろん無理はしてほしくないですけど…怪我すると結構大変なことになる部位だから…。)
なんか急に真面目な話をしたかと思ったらそうでもなかったりで振れ幅が大きくてすみません。基本的には頭の中でノナましにずっとこんなかんじでいちゃいちゃさせてるんですよ…!
見てくださってありがとうございました。
詠里
詠里
2024-04-05 17:26:13 +0000 UTCLan
2024-04-04 19:28:55 +0000 UTC詠里
2024-03-29 17:27:15 +0000 UTCひのらく
2024-03-29 12:44:01 +0000 UTC詠里
2024-03-28 13:15:48 +0000 UTC詠里
2024-03-28 13:03:25 +0000 UTCごぷろ
2024-03-28 12:02:43 +0000 UTCまさとし
2024-03-28 10:10:17 +0000 UTC