「なあ、あの薬もっかい飲ましてくんねえか?」
「ええ……」
僕は当惑した。
事の起こりは2週間前に遡る。
ロバ族である僕は、このオオカミ族の同級生――名前は"ビーワイ"――に、日常的にいじめを受けていた。
小突く、蹴る、パシリを命じる、見かけるたびにからかう、まあそういうやつだ。
怪我まではいかないし、金品を要求されるわけでもないのでやり過ごそうと思っていたら、じわじわとエスカレートしてきて、流石にこれは我慢できないとなった。
そんなわけで、彼に"旧時代のロバになる薬"を飲ませたのだ。
入手方法は聞かないでほしい。言うなと言われているのだ。まだ考えてないとかではない。
一週間くらい従順なパシリになったフリをして、油断したところで満を持して薬入りのジュースを飲ませたら効果は覿面。
ものの数分で彼は二足で立つこともできない、言葉を話すこともできない旧時代のロバになってしまった。効き目は3時間。動揺してるのか、精神面にも作用するのか、"旧ロバ"になった彼はヒィホ、ヒィホとヘンな(祖先に失礼だろうか)鳴き声をあげるばかりで、逃げもしなければ攻撃もしてこずに怯えた目でこちらを伺うばかりだった。
へつらった目でこちらへ許しを乞うている。正直ぞくぞくした。なるほど僕がこんな感じだったのか。
言葉はわかるらしく、命令すれば素直に従った。服を脱がして全裸のまま歩かせ、荷を引かせ、僕を乗せて歩かせ、ムチで尻を叩いて悲鳴を上げさせた。そしてそれらを写真と動画におさめ、もしなにかあれば公開すると脅した。
果たして作戦は功を奏したようだ。最初は表面的には威圧してきたものの、直接行為に至ることはなくなり、次第に絡んでくることもなくなった。彼がはしゃいでいたからまわりも乗っていただけだったのだろう、「またいじめられてるよ」的な空気も消えていった。
これにて一件落着。
の、はずだったのに。
僕はなんのお願いをされてるんだ?
「ええと、あれって…?」
「だから…あれだよ、その、これ」
そう言って彼は自分の生徒手帳を見せる。
そこにはロバになった彼の顔写真が入っていた。
僕が念のためにと持たせたやつだ。
「旧時代のロバに…変身する薬?」
「そう、それだよ!」ビーワイが我が意を得たりと顔をほころばせる。「もうないのか!?」
「ええと、一応まだ残ってるけど…」オオカミの顔に迫られると、つい答えてしまう。
「じゃあ、飲ませてくれよ! な? いいだろ? 俺たち仲間じゃん!」
どの面で言うんだ。
ビーワイは生徒手帳の写真を見せてくる。
たしかにその面だったら仲間かもしれないけど。
「ええと…理由は…? 急にロバになって荷運びをするバイトのシフトでも入ったとか…?」
「そんなもんあるわけないだろ! なんかよう、なんつうか…またあの姿になりたくなっちまったんだよ、うまく言えねえけど」
そっちの理由のほうがあるわけないだろ、普通。
それからしばらくやんわり断ろうと健闘した…が、押し問答になると、どうしてもロバは負ける。結局飲ませることを承諾してしまった。くそ、いまあの薬を持ってれば飲ませて会話を終わらせられたのに。
***
よし。なんとか約束を取り付けた。
俺は心のなかでガッツポーズをする。
目の前のロバ――エルワンはまだ怪訝な目でこちらを見ている。疑っているのだろう。もしかしたら、仕返しをするつもりだと思っているのかも知れない。
言っても信じちゃくれないだろうが、仕返しをするつもりは――ない。
反省しているのとは、ちょっと違う。なんてことをしてしまったんだ! 許してくれ! とまでは思えてない。まあ振り返ると悪かったし、なんでそんなにこいつにこだわってたのか自分でもわからない、ってぐらいだ。「うっぷん」とか「もやもや」がたまってた、ってやつなんだろうか。馬鹿だから、俺はまだそのぐらいまでしかわからない。
とは言え、流石にこんなことをエルワンに向かって言ったら余計にまずくなることはわかる。だからいまは言わない。約束してくれたのは、ひとまず少しは通じたのだと思うことにする。
怒りと悔しさで頭ン中いっぱいだったのは、せいぜい三日くらいだ。
冷静になってくると、別にあいつ以外誰にも知られてない。
あいつをいじめてるのを止めても、誰かが怒ったりしたわけでもない。
というか、言いたくねえけど、俺はかなり仲間内でどうでもいいほうなんだろう。どうでもいいやつがどうでもいいことをして、やめてって言われたからどうでもいいしやめた、それだけのことだった。
あの妙な薬と、手品みてえに自分の形が変わった体験以外は。
そうなると、今度はこのことを話したくなる。
生徒手帳に入ってるロバ面をしてる俺の写真を見せて、これ俺だよって言いたくなる。
でも家族や、オオカミ族の仲間には言えなかった。あいつらは(俺も)生まれつきで上下関係を作りたくて仕方のない生き物だ。こんなものを見せて、そのうえ「これ、お前らの仲間じゃなくなった俺なんですよ」って? 考えただけでぞっとする。
誰にも話せないとなれると、なおのことロバだった俺がわだかまる。
四六時中あのときのことを考えてしまう。あのときどんな気持ちだったか。無意識にロバの鼻面の感覚を思い出して、鼻を鳴らしたりしてしまう。いまの俺って耳が妙に短いな、なんて思ったりしてぎょっとする。慌てて否定しようとするけど、そうすると写真に映ってるロバの俺から責められているような気持ちになる。このときの俺も俺じゃなかったのか? 違うなら人に見せても平気なはずだ、俺を見ないふりするなって。
だからもう一度あの身体になりたい。どうなるかわかんねえけど、この気持ちが落ち着いてほしい。な、それだけなんだ、信じてくれ、エルワン。
***
後日。
僕とビーワイは、学校から少し離れたところにある廃屋に集まった。
何に使われていたのかもわからない木造の建物と柵が朽ちて、すでにぼうぼうの草に覆われている。
見晴らしはよく、まわりに仲間を引き連れている……ということはなさそうだ。
本当に、あの薬に用があるだけらしい。怪訝そうな僕を後目にビーワイはいそいそと服を脱ぎ始めている。ひとのことをぽっこりだとかなんだとか言うだけあってそこそこ鍛えてはいるらしい。長い毛の上からも胸筋や腹筋の隆起が見てとれた。
なんだかなあ。
あのときの言動はいじめに対してやり返してやる!!ってテンションがあったからで、平静に戻った状態でもう一度と言われても気持ちのやり場に困る。
…いや、よく考えたら別に僕は要らないのか。じゃあ薬だけ置いて帰ろうかな。
「エルワン、帰るなって!」ちっ。目ざといやつ。
「もしロバに…旧時代のロバになってる状態で誰かに見つかったらややこしいことになるだろ? 薬の出処とかも探られるしさ。なっ」そして痛いところをついてくるやつだ。
そもそも、はじめの脅し文句であるところの写真や動画だって、実際に見せたら同じくややこしいことになるのだ。こいつは馬鹿だから気づいてなかったけど。
ちょっと混乱させたら大人しくなるだろうと思ったのだけれど。
思ったよりだいぶ混乱したらしい。
まあいいや。
危害を加えてこないのなら、別に難しく考えることはない。
僕は観念してビーワイに薬を渡した。
***
俺はエルワンから手渡された薬を飲んだ。
じわり、と身体が熱くなってくる。
内側から別の自分がせり上がってくるような。
薄膜が身体の輪郭を包み込んでいるような。
やがて、あの時と同じように手から変化が訪れる。
ぱき、びしと音はするが、骨折のような痛みはない。融けるように指先の感覚があやふやになって、手のイメージが掴めなくなる。早回しのように構造が変わり、指の一本が肥大化して伸びたかと思うと先が平たく硬質化し――ロバの蹄になった。
もう一方の手と両足の先も同様に蹄になっていた。四肢の先からぞわぞわと変化の熱が這い上がってくるのを感じて、俺は身を震わせる。あのときは恐怖に震えた。だがいまは歓喜に近い。先っぽから別の俺が出てくる、脱皮の快感とでも言うべきものが全身をびくつかせているのだ。俺はいま、恍惚とした間抜けヅラになっているに違いない。その証拠にエルワンはものすごく冷たい目で俺を見ている。
それすらなんだか気持ちいい。
***
ビーワイがなんか嬉しそうにしてる。
いまは鼻先がちょっと丸くなって、耳が伸び始めて、ちょっと顔つきがロバっぽくなってきたあたり。
嬉しいんだ。
なんかそわそわするな。
オオカミ族ほど種族単位のこだわりはないつもりだったけど。
「すすんで自分の種族になってくれる」ということについて、どう受け止めたらいいのか――準備をしてなかった。心の。
どんどんビーワイの鼻先が伸びていってる。鼻孔が膨らんでひくひくしてる。
ふわふわした毛が抜け落ちて、丸みを帯びた頬が出てくる。
首も耳も伸びてきた。
肩が身体の内側に飲み込まれ、その重複して余った部分をよそに回したとでも言うように、胴が膨らんで丸みを帯びていく。
身体全体をごわごわした毛が覆って、そうして表面の印象が塗り替えられてしまうと、すっかりロバらしくなっている。
たてがみは少し元の毛質っぽくて、目つきのキリッとした感じも残ってるけど、それでもなんか泣き笑いのような、ふにゃっとした顔つきだ。
かわいいな。
あのとき、写真を見て言ったのは本心だった。
きっと変身中は無防備だから、普通はもっと親密でないと見せないはずの感情とか、表情とかがそのまま出てくるんだろう。
だからかわいく感じる。
なんだか良心がとがめるな。
そんなことを思っている間に、ビーワイはすっかりロバ――旧時代の――になってしまった。
「ヒィ――――ホゥッ」
またあのヘンな鳴き声をあげて、前足と後ろ足で地面に着地する。
まだ慣れてないのか、とすとすと足を前後させたのちにやっとバランスを取った。
そして今度は僕に言われるまでもなく、自発的に駆け回りはじめた。
気がつくとビーワイはこちらを向いて、なんだか照れくさいような、誇らしいような、そんな顔で見つめていた。
ふわりと、ビーワイの匂いとロバの――仲間だと思ってしまう匂いの混ざったものが漂ってきて、思わず顔をそむけてしまう。
たちまちビーワイの耳がぴるぴると動いてしょんぼりとした表情になる。なんてわかりやすい。ビーワイは伏し目がちに見上げ、こちらの動向をじっとうかがっている。
旧時代の姿になってしまうと、言葉は話せない。だから意思を汲み取ってやるしかない。ずるいよそれは。この状況で冷たくあしらえるわけがない。
しょうがなくビーワイの鼻先にこちらの鼻も擦り寄せ、挨拶をする。さっきの匂いを間近に嗅いでどきっとして、ごまかすためにビーワイの頭や首を適当に撫でてやる。
ビーワイは嬉しそうに鼻を鳴らした。なんだよ。
***
「今日はありがとよ、エルワン」
元の姿に戻ったことを確認して、俺はエルワンに礼を言う。
すでに日は暮れかかっていた。
大丈夫だろうとは思ってたが、もとに戻って最初に言葉を出すこの瞬間。もし二度と話せなくなってたらどうしようと思ってしまって少し怖い。
「はあ。…どういたしまして」良かった。ちゃんと言葉になってたようだ。
でもエルワンは素っ気ない。さっきまではあんな優しくしてくれたのに。
「それで?」
「ん?」服を着ているときにエルワンが聞いてきた。
「結局なんでまた、この薬を飲みたかったの? 旧時代のロバになってどうだったの」ずいぶん早口だ。
ちょっと考えてみる。
……。
「わかんねえ」
俺は正直に答えた。
「はあ?」
「お前な。人生で初めての体験なんだぜこれ。しかも全く考えたこともなかったやつ。1回や2回で全部わかった!って言ったら嘘ついてるのまるわかりじゃねーか。だから正直な気持ちだよこれ」
ちょっと嘘が入ってる。
思ったこと、はあるけど。
流石にそれはいまは言えない。
「まあ…それはそう、だけど」
エルワンがじっとこちらを見てくる。
ひょっとして顔に出てる? やばい、えーっと、えっと
「ロバってそーゆーとこ、見た目どおり頭でっかちだよな。なんでもはたから見て判断しようっとするっていうか」
「……」
あっ。まずい。
エルワンが見る間に警戒モードって顔つきになってしまった。
耳を伏せがちにして、こちらをじっと見ている。
「悪い! いまのは悪かった。許してくれ」
「まあ…いいよ。反省してるフリしなくても…。薬がまた欲しくなったときに困るもんね」
「すねんなって」
「すねてない…」
「なんかおごるからよ! マジで許してくれって!」
「別にいいよ…食性違うんだし」エルワンが俺を置いてすたすたと歩き出してしまう。慌てて追いかける。
「いまどき片方しか置いてない店なんてねーって! なっ、飯くおう!」
「…はーあ。さっきまではあんなにかわいかったのに」
「今もかわいいだろが! ほらこっち向け! かわいいだろ!」
(おわり)
アキラ
2022-09-21 08:56:50 +0000 UTC